第21話 変わり始める関係

【8/28 午後3時 @喫茶店 La Lune】

 世間では夏休みも佳境を迎える8月最後の金曜日。残暑と呼ぶにしてはまだまだ夏本番のような暑さが続いていたけれども、昨日は大型の台風がこのあたりを通過したこともあって沢山の雨が降り注ぎ気温も下がった。

 ただ今日は台風一過の名残として、近所の住宅街には割れた植木鉢やどこからか飛んできた木の枝などが転がっていた。寝やすかった昨晩に比べて今はカラッとした空気に包まれている。


 昨日はこの店も閉店させていたけれども、今日からまた再開だ。

「いらっしゃいませー。」

 白波しらなみ先輩がいつもどおり元気の良い声で入店した客の案内とオーダー取りをこなしている。せわしなく訪れる客に合わせて裏でも食べ物や飲み物の用意で結構忙しかった。台風とその前に出かけられなかった人たちの足先が集中してきているのだろう。

「ねえねえ、三崎みさきくん。」

「はい?」

 白波先輩が俺に声を掛けてきた。何か注文の商品を間違えたりしただろうか?

「あの子、三崎くんの友達よね?」

 先輩がカウンターからちらっと目線を向けた先には帽子を被りテーブルに肘を付きながら素知らぬ顔をする女の子が見える。遠くの横顔しか見えないけれども、さすがに幼馴染の顔を忘れたりはしない。


「はい、そうです……。」

 藍沙あいさが一人ちょこんとテーブルに座っているのが見える。

「ちゃんと終わりに声かけてあげなよ?三崎くんを待ってるんじゃないの?」

「はい、分かりました。」

「お、良い返事だねー。」

 忙しいながらにこやか笑みを浮かべた先輩は元の店内へ急いで戻っていった。わざわざ教えてくれる辺りが先輩らしい。

みなとと待ち合わせなのかな……。」

 ミルクの計量をしながらぶつぶつと一人言を呟く。藍沙が俺に会いに来てくれたのだとしたら以前風邪を引いた1週間前の訪問以来だ。機械的に手を動かしながらあれやこれや理由を考えたけれども確固たる理由は思い浮かばなかった。ただ、湊づてにケーキのお礼は言ったけれども、直接は言ってないのでバイトが落ち着いたタイミングか、終わりがけにまだ居てくれたら声をかけようと決めた。


 ⁂


「藍沙。湊と待ち合わせか?」

 休憩時間に店の中に出るのは気が引けるけれども、いつまで残ってくれるか分からなかったのでエプロンを外して彼女のテーブルへと向かい声を掛けた。

「ひゃ……!」

「わっ。」

 とても高い声で驚く彼女にこちらもびっくりとしてしまう。窓の外を眺めていた藍沙はびくっと肩をすくめてこちらを振り返った。

「人違いじゃないよね?」

「ああ、御波みなみ!」

 目をまるまると広げてまだ驚いている。自分の縄張りに別の猫がやってきたように警戒している様子が見て取れる。もしも彼女が猫だとしたら、毛を逆立たせて尻尾をピンと立っていたに違いない。

「あ、ごめん。大きな声出して。」

 彼女は自分の声量に気がついたのかしゅんとしんがら反省をしている。

「ごめんね、こっちも急に声かけて。」

 警戒を解くように優しく声をかけながら向かいの席、彼女の前へと座る。


「湊と待ち合わせ?」

「え、えと、ううん。違う。」

「?」

 歯切れが悪い彼女の返答に疑問符が浮かび上がる。

「あ、そうだ。湊から伝えてもらったと思うけれども、貰ったケーキありがとう。美味しかったよ。藍沙、お菓子作るのが昔から上手かったけどもっと上手くなったね。」

「うん。聞いてたけど、ほんと?チョコレートソースの味好みだった?」

 風邪を引いていて舌先の感覚が今も思うと微妙だったはずだけれども、しっかりとした苦さと甘さのバランスが良くて、何よりも見た目が良かったのをちゃんと覚えている。

「ああ、いい感じにビターで美味しいよ。甘いのが少し苦手でも食べやすい位じゃないかな。」

 藍沙はその回答に顔を左下に背けてしまう。髪の毛をくるくるいじりながら会話する。

「よかった。ちゃんと御波の好みに作れたね。」

「わざわざありがとう。」

「ふふ、見直したでしょう。」

 パリッとした笑顔になり、いつもの彼女のペースに戻ってきたようだ。自信満々なその表情こそが藍沙らしい。

「来年の春から日本にずっといるのか?」

「ええ、そうね。上手く就職先が見つかればね。できれば実家かこの辺りがいいのだけれど。」

「湊もそんなこと言ってたな、地元愛が強いのか。」

 俺自身はまだ将来のことをそこまで考えているわけではないけれども、なにか話の延長線で湊がそんな事を言っていたことを思い出した。

「そりゃ…知り合いが多いほうがいいからね。実家はともかくここらへんは別に田舎ってわけでもないし。」

 たしかに海辺の街や少し高級よりの住宅街になれば洋菓子店も多いだろう。

「応援してるよ。ま、俺も頑張れよって話かもしれないけど。」

 彼女の夢が叶うように応援している。いつか自分の店を持ったりしたいのだろうか。

「御波は就職場所、何処へ行きたいの?」

「いいや、全然希望はまだないよ。」

 藍沙は安堵したような表情で氷が溶け切ったアイスティーを口にする。

「そっか、うん。そっか。」

「あ、そろそろ戻らないと。またな藍沙。」

「まだバイト中だったんだね、いってらっしゃい。」

 藍沙はほんの少しだけ手を上げて見送ってくれる。

「追加の飲み物は要るか?」

「んー。目的は達成したのでもう大丈夫。」

「そうか?ならまた来てくれよ。」

 どうにも分からないけれども用事は済んだらしい。時間がなかったので深く突っ込むわけにもいかなかったので席を後にした。

「うん、またね。」

 丁度その挨拶をしたときにカランと入店のベルが鳴ったのでエプロンを付け直しながら入り口へ戻った。



【8/30 午後9時 @帰り道】

「御波ひさしぶりね。」

「ああ、そうだね。確かに会うのは久しぶり。」

 湊と直接会うのは以前に俺の家に本を返してくれた時以来だった。バイト中に遠目で挨拶をしたり、ゲーム内でチャットするくらいはしていたけれども、今日はバイトの上がる時間が同じだったので一緒に帰路についている。


 自転車に跨ってしまえば直ぐに家についてしまうけれども、なんとなく二人共押しながら道を歩いていく。

「藍沙、とっても喜んでいたわよ。」

「ケーキのことか?」

「そう。御波ちゃんとサラちゃん以外も褒められたのね。」

「俺はそんな印象なのか?」

「もう彼女にベッタリで他の女の子に気が回ると思ってなかったわ。」

 湊は結構な言葉を投げかけてくる。そんなに浮かれて周りがみえてないだろうか。

「湊も食べただろう?」

「ええ、とっても美味しかったわ。彼女が満足するまで大量の試作品が私の家に転がっていたからいくらでも食べられたわ。」

「あいつそこまでしてくれたのか?」

「そうよ、だから来週にまた藍沙が出国するまでにちゃんとまた声掛けとくのよ。」

 まるで俺を見守る保護者のように俺達に湊が世話を焼いてくれる。

「分かったよ。考えておく。」

 空港まで見送りにいくのは邪魔だろうか?この前はあまり話せなかったので今度はこちらから会いにいこうか、湊はそんな俺の頭の中を見通すように。

「見送り行ってもいいと思うよ。」

「なんでもお見通しだな。」

「あなた達はわかり易すぎるの。まったく。」

 口調こそ怒っているようだけれども、その表情は苦笑といったように微笑んでいる。本当に子供の遊びを見守る親の様だ。


「サラちゃんとは順調なの?」

「ああ、あまり邪魔はしないようにはしているよ。だけど、時々会ったりはしてる。」

「へえ、何処にいったの?」

 珍しく湊が俺のことを詮索してくる。というよりも沙羅のことを心配しているのかもしれない。

「この前は、その、俺の……家……。」

 湊は青信号なのに横断歩道の前で立ち止まる。すっと真夏の夜には似合わないくらい冷たい目線を俺に向ける。

「御波?手、出してない?」

 すぐに否定しないとヤバい気がする。

「出してない。本当、本当。あの日俺が風邪で寝込んでいたから。」

「風邪って、ああだから……。」

 あの後大事を取ってバイトも一日休んだので察してくれたのだろう。


 さっきまで冷たい表情していた湊がどこか考え事をするように惚けた顔にまま歩き始める。

「それって20日?」

「ああ、たしかそうだね。」

「私、じゃああの日駅で見かけたのはサラちゃんだったのね。」

「へえ、それは偶然だな。」

 あの日、沙羅が看病してくれたおかげで風邪はすぐに治った。食べさせてくれたお粥も美味しかったし彼女の寝顔をも可愛かった。思い出すだけで至高の幸福感に浸れる。

「寝込んだって、彼女に看病してもらったの?」

「ああ、申し訳ないと思ったけれども何から何まで面倒見てもらったよ。甲斐性なしだなこれじゃあ。」

 湊は呆れたようにため息を付きながら肩をすくめる。

「本当、あの子は優しい子ね。」

「まったくね。あ、でも夕食前には帰したから。本当に何もしてないから。」

「わかった、わかった。信じるから。」

 

 そんな話をしながら二人並んで歩いていると彼女の家の前に付いた。

「じゃあ、またな湊。」

「ええ、おやすみ。」

 彼女がマンションの入り口に入っていったのを見届けて自転車にまたがり、自分の家まで風をきりながら一走りした。


 ⁂


「サラちゃんと上手くやっているのね。」

 自分の部屋にたどり着いた私は着替えを済ませてお風呂に湯船を張りながら椅子に座り先程の御波との会話を思い出していた。家にまで上げているのならもうしばらくしたらちゃんと付き合い始めるだろう。


「あれ、夕食前?」

 私がサラちゃんを駅で見かけたのは昼過ぎだったはず。彼女の自宅へ向かう反対の駅のホームで見かけたのだから帰宅する途中だったはずだ。やっぱりこの前に御波の家で写真を見た時の違和感と同じような妙な感覚がする。

 御波がそんな嘘を付くはずはない。でも確かにあれはサラちゃんのはずで。どっちも正しいとすると答えは――。


「やっぱり御波ってまた妙な子にしか好かれないのかなー。」

 まだサラちゃんに確認したわけではないし。疑惑の範疇を超えていないけれどもきっとこの推測は正しい。サラちゃんはマジシャンなのだろうか?

 御波は気がついていない。さて、どうしようか。

 私は関係ないとも言えるけれども全くの無関係とも言えない。このまま放っておくのもダメなきがする。確率は0%に限りなく近いけれども、彼女が御波を騙すことだけが目的だとしたら……。


 今日はもう遅い。明日か明後日、にサラちゃんに聞いてみないといけないことが出来た。後で彼女にメッセージを送っておこう。


【間章 8/30 午後9時 @梅ヶ谷家】

「「ふわっ。くしゅ。」」

 双子の姉妹は二人揃ってくしゃみをする。

「みーくんの風邪移ったかなー?」

「さすがに結構まえだから違うんじゃない?」

「そうだよねー。」

「エアコン少しだけ温度上げておこうか。」

「うん。あーちゃんお願い。」

「それか誰かに噂されたかなー。」

「みーくんかなー?」

「えへへ。そうだといいねー。」

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