第20話 夕方のお昼ごはん

【8/20 午前12時 @三崎家】

 あーちゃんから急に電話がかかってきてみーくんが倒れたって聞いたときは胸の奥、心臓が止まるかと思った。昨日まではずっと元気な様子だったのに、どうしたのだろうって疑問で頭の中がいっぱいになったまま道を駆け抜けた。

 

 でも今、みーくんはベッドでぐっすりと寝ている。苦しそうな表情を時折みせるけれども、規則正しい寝息をたてている。きっと風邪を引いた上に日射にやられてしまったのだと思う。身体を冷やしすぎないように扇風機を使って外の空気を取り入れる。窓の隙間からふっと拭く風に乗って夏らしいセミの鳴き声が聞こえる。みーくんの部屋は大学生らしいワンルームで、勉強とゲームができる机とベッドと本棚、そしてもう溶けてしまったアイスクリームが置かれた背の低い机以外にはあまり物が置かれていない。きっと昨日一所懸命に掃除してくれたのだろう。


「みーくん。」

 そっと寝ている彼に声をかける。あーちゃんは今、近くのスーパーに風邪に効くような飲料や食べやすいようなものを買い出しに行ってくれている。もしも彼が起きてきてしまっても大丈夫。


「初めて会ったときよりも髪の毛が伸びたねー。そろそろ美容院に行く?男の人って散髪屋さん?」

 彼の額に掛かる前髪を触りながら一人言をつぶやく。大学を案内してくれたときも、喫茶店で勉強を教えてくれるときも、ゲームの中でだっていつも優しくしてくれた。みーくんにちょっとまだ嘘をついてあーちゃんと過ごしていることに罪悪感がまったくないわけではないけれども、二人共を好きになってほしい。

 二人共を見てくれるといいな。

「聞こえてないのに、ふふ、何してるんだろうねー。」

 あまり家主が寝ているときに部屋をジロジロみるのは気が引けるけども、ちょっとした高揚感、好奇心は押さえられない。立ち上がって彼の机の上を眺めてみる。私達には難しそうな数学の教科書、資格の本、使い古されて傷がついたボールペン。それと――

 

 壁に私達とみーくんの写真。私達の部屋にも飾ってあるその写真がピン留めされていた。

「こっちは私で、こっちはあーちゃん。これも私、えへへ。分かる?」

 写真に写る私達を順番に指差して説明していく。

「ほら、ちょっとだけあーちゃんは笑っているときに、私よりもがちょっとだけ口元の角度が深いの。」

 他人からみても分かるかは微妙だけれども確かに私達の目からみると少し違う。

「すぅーすーーすー。」

 規則的な寝息がみーくんから聞こえてくる。折角の授業だけれども生徒は体調不良で寝ている。またいつか教えてみようとしてベッド脇に戻る。床に体育座りしてベッドの縁に頭を乗せる。頭の後ろからみーくんの寝息、右の方からは窓から漏れる蝉の声。左の玄関の方からは道を走るバイクの音、夏休み中の小学生の声。なんだか私も眠くなってきたなー。


 ⁂


「お邪魔しまぁーす。」

 手には経口補水液と果物の缶詰。あとお粥を作ろうとして卵と梅干し、お米とか調味料はみーくんの家の物を拝借しようとしていた。近くのスーパーがあってよかった。結構重くて大変だった。サンダルを脱ぐと同じ形のもの4足並ぶ。誰かがもしきたら片方を片付けて隠れないならない。念の為に私のサンダルは靴箱の中に隠しておく。

「さーちゃん?」

 玄関の廊下から部屋をぴょこっと覗き込む。みーくんの寝息と一緒にさーちゃんも首をうつらうつらさせて寝ているのが見える。

「あー。ずるいー。」

 みーくんを起こさないように小さな声で抗議する。後で代わってもらおうかな――。


 買ってきた具材を冷蔵庫に入れて冷やしておく。みーくんに向けてメモを書いておく。ペンと付箋は拝借した。ちょっとしたイタズラに付箋にサインのつもりでカタカタなでアイと書いて丸印で囲っておく。

 お米を本当は炊いてから作るほうが楽でいいのだけれども、生米の状態からできるお粥のレシピをネットで検索する。しっかりと水の分量を測って鍋に火にかける。


 鍋の蓋をしめるときの音が大きかったのだろうか、みーくんが布団で寝返りをうつ音が聞こえた。

「起きたかな?あ、さーちゃん!」

 廊下兼キッチンからベッドの様子を見ると、みーくんはさーちゃんとは反対の壁の方に寝返りをうったようだ。でも、なんだがもうすぐ起きそう。

 さーちゃんにそっと近づいて肩を叩いて頭を揺らす。

「んぁ……?」

 眠そうに瞼を半分開けてさーちゃんがこちらを見る。私の顔を見てすぐに察してくれたのか急いで立ち上がってくれた。

「みーくん、起きたぁ?」

 私は首を横にふるふると振って否定する。

「よかったぁ。ごめんねあーちゃん。」

 のんきな片割れを抗議してあげたかったけれども、反対の立場なら同じことをしていた気がする。

「お粥できたら交代ね。」

 さーちゃんをキッチンにつれていき状況を説明する。

「うん、わかったぁ。」

 寝起きでまだボーッとしてるのか返事がうつらうつらとしている。

 その後、コトコト揺れる鍋の蓋を二人で見守っているうちにさーちゃんもようやく覚醒してくれた。大きなあくびと背伸びをして目覚めてくれる。

「はぁー。」

「みーくん、起こしてみる?」

「一旦お水飲んだほうが良いよね。」

 さーちゃんはお水を持ってベッドに向かう。私は万が一のことがあるのでお風呂場にそっと身を隠した。


 ⁂


 懐かしい夢を見た。最近、夢ばかり見ている気がするけれども、今日のは明晰夢ではなくて実家でインフルエンザにかかったときの光景だったと思う。あまり覚えていないけれども。

「みーくん。起きられる?」

 肩を揺らされて夢の中から戻ってきたばかりだった。上手く状況が掴めない。たしか、沙羅と一緒に歩いてきて、アイスクリーム買った気がする、でもその後は?

「ぁあ……サラ?」

「はぁーい。なあに?」

 頭の上から流れ落ちる黒髪が風に揺れている。覗き込む顔はとっても可愛らしく微笑んでいた。

「あれ……。おれ……。」

「みーくんは熱が出てるんだよ。だから、まだ寝てたほうがいいけど、お水だけ飲んでね。」

 その言葉を聞いて合点がいったけれども、同時にものすごい申し訳無さが襲ってくる。

「サラ、ごめん。遊べてないよな。」

「ううん。いっぱい遊んだよ。」

「え、なんかしてたっけ?」

「また元気になったら教えるね。今は、お水のんで。」

 彼女から差し出されたペットボトルを受け取って、喉に流し込んでいく。確かに身体は水分を欲していた様だ。額には濡れタオルが置かれている。何から何まで沙羅がやってくれたみたいだ。俺よりも生活力があるかもしれない。これはもうきっと一生頭上がらないなあ。

「ありがとう、生き返った気がする。」

「えへへ、まだ寝ていていいよ。」

 ベッドの脇に沙羅が座って、後ろを振り返りながらこちらを見てくる。

「本当にありがとう。今度はなにかでお返しするよ。」

「うんー。じゃあ元気になったら遊園地一緒に行こうねー。」

 こんなにも優しい子が身近にいるもんだな。まったく話が出来すぎている。


「わかった。連れて行くよ。」

 その返事を聞いて沙羅は満面の笑みを見せてくれる。花が咲き誇るみたいな屈託のない笑顔はどんな薬よりも効く気がする。

「もうちょっと寝ていてね。」

「ああ、沙羅は帰らなくていいのか?」

「夕方になるまではみーくんの側にいるよ。ダメかな?」

「風邪、移さないかなぁ。」

「もういっぱい一緒にいるから手遅れかなー。」

 沙羅は頬に指を添えてイタズラをするみたいな表情をする。

「どうしよう、本当に。」

「じゃあ、もしも移ったらお見舞いにきてね。」

 ご両親になんて説明したらいいのだろうか。本当にそれは困ってしまう。

「そのときは……怒られにいくかぁ。」

「大丈夫だよ。家族みんな優しいから。」

 赤の他人の男に対してもお父様は怖くないだろうか。怒鳴られようとも腹をくくるしかない。

「わかった。それも約束する。」

 そっと目を閉じて沙羅の言うとおりに眠りにもう一度つく。この恩は別の日にきっちりと返そう。

「おやすみ、みーくん。」

 安眠剤のような声を聞きながらまた、眠りの世界へ落ちていった。


 ⁂


 みーくんがまた眠ったのを見計らってベッドから立ち上上がる。きしんでいたスプリング音が少し鳴ったけれども、みーくんは起きることはなかった。そろりそろりと玄関の方へ向かう。

「あーちゃん。いいよお。」

「みーくん寝たー?」

 お風呂場の陰にいるあーちゃんの姿はもしもみーくんに見られたらびっくりさせて心臓を止めてしまうかも知れない。

「大丈夫。ここから先はあーちゃんよろしくね。」

「わかったぁ。さーちゃんは先に帰る?」

「そうだね。長居すると危なそう。」

 沙羅は玄関の扉を音が響かないようにぐっと押し込んで開ける。夏の景色が向こうには広がっている。

「「またね。」」

 小さく手を振り合って見送る。あとはみーくんにお粥をたべてもらって私も帰ろう。予定とは全く違うデートになったけれども、みーくんとの距離はぐっと近づいた気がするから結果オーライに違いない。むしろ120点まである気がする。


 さーちゃんがしていたみたいに、私もベッドの縁に頭を乗せて耳に飛び込んでくる色々な音を聞きながらうつらうつらうとしていった。心地良んだね――さーちゃんの気持ちが分かる――。


 ⁂


 沙羅に起こされて水分を取ってからどれだけの時間が経ったのだろう。枕元に時計がないかさがしたけれども、代わりに規則的に動く小さな頭が見つかった。あの後ずっと待っていてくれたのだろうか。ベッドからのそりと起きて、衣装棚にしまい込んだ冬用のブランケットを沙羅のお腹のあたりにかけておく。

 まだ熱っぽいけども随分と良くなった。きっと沙羅の看病のおかげだろう。ストックしておいた市販の風邪薬を飲んで、もう一度水分補給をしてこうとする。そうしようとしたら冷蔵庫の中のペットボトルには付箋が張ってあった。果物の缶詰まである。

 付箋には可愛くアイと書いてあった。そうか、今日はアイの日なのだろうか。コンロには美味しそうなお粥が置いてあって。本当になにから何までしてくれたみたいだ。


 時間は午後3時半。変な姿勢でずっと寝ているのも身体に悪いかも知れない。さっきとは逆に俺が彼女を起こそうとして。床にしゃがみこんだ。

 耳元にはイヤリングがきらりと光っていて、少し傾いた頭からは黒い紙がふわりと広がっている。長いまつげは呼吸に合わせて震えていて、小さな鼻からは寝息が聞こえる。

 ちょっと無防備すぎる。自分が触れるのだっておこがましいいくらいに天使のように可愛らしい。ずっと眺めていられるけれどもそっと二の腕のあたりをぽんぽんと叩いた。

「アイ、起きて。」


 ⁂


「ふぁ。みーくんおはよう。身体は大丈夫?」

 愛って呼んでくれたね。正解だよ。口には出さないけれども。

「ああ、お陰様です。」

 顔色はずっと良くなっている。よかった、元気になってくれたみたい。

「ご飯、お粥食べられる?」

「是非、食べたいな。」

 優しく微笑む彼の顔を見て、私は頑張って用意した疲れとか、そんなのは吹き飛んでお釣りをもらっちゃった。

「温めなおすね。よいしょ。あぁ。」

「大丈夫?」

 寝起きの頭は思っていたよりも働いていなかったようだ。転げそうになったところをみーくんにぐっと支えられる。

「あ、えへへ。ありがとう。」

 腰のあたりをぐっと支えられて引き寄せられる。みーくんの顔がとっても近くて緊張しちゃう。

「風邪移ってない?」

 自分でも頭に血が登っているのが分かる。顔が紅くなっているかな。

「大丈夫だよ、立ちくらみがしただけ!」

 よく見るとみーくんも耳が紅い気がする。熱のせいかな、それよりも私のせいだといいな。気恥ずかしくなってごまかすように離れる。


「じゃあ!温めてくるね。」

「あ、ああ。お願い!。」

 キッチンに戻ってコンロに鍋に火をかける。昨日の電話はさーちゃんに負けて悔しかったけども、今日は私の方がいっぱいみーくんに触れ合えている気がする。幸せだなー。


「ちゃんと美味しい?」

 みーくんはスプーンに息を吹きかけて冷ましながらお粥を食べてくれる。

「ああ、とっても美味しい。」

 次々に口へと運んでくれる様子を見て、私はとても安心した。

「えへへ。また作りにくるね。」

「もう風邪はひかないようにして、別の料理を作って欲しいかも。」

「わかった。みーくんも元気になってね。」

 夕方に食べる遅めのお昼ごはんは二人一緒に過ごした。とてもいいある一日。優しいみーくんと約束を取り付けてくれたたさーちゃんもありがとう。

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