第18話 夏の夢と明日の約束
【8/13 午後10時 @三崎家】
夢を見ていた。途中で夢の中にいると気がついたので明晰夢。何故か俺は夢の中で飛行機に乗っていた。飛行機はちょうど飛び立つところだっただけれども駆動音も飛び立つ加速度も全く感じなくて。それでも身体を揺する振動と夜空に飛び立つ浮遊感だけがひどく現実的だった。街を見下ろして、ああ飛んでいるんだなって実感する。辺りを見渡してみても乗客は俺だけだった。アテンダントの人も誰も居ない。大きなジェットの中で一人きりだった。
窓の外をじっと眺めていた。この飛行機はどこへ向かうのだろう?
そうしていたら、急に左肩を誰かに叩かれた。振り返ると隣には誰も居なかったはずなのに、すぐ近くに沙羅が座っていた。「みーくん」と彼女は小さな口を動かして、にっこりと微笑んだ。だけれども、なぜか残念なことに彼女の声は聞こえない。それでもその笑顔は確かに彼女のものだった。
この飛行機の行き先は全くわからない。だけれども、彼女とならどこにだって行ける気がした。「どこへ行こうか?」そう沙羅に聞いたら……。ああ、なんて言ったんだろう。彼女の口は確かに動いていたけれども、口ははっきりと動いたけれども今度はなんて言っているのかがわからない……。
そんな沙羅の姿の向こう側、通路の方に人影が現れた。それは何故かアテンダントの格好をした湊で。服装は背の高い彼女には似合いっている。その格好が普通だと思ってしまうくらい様になったぱっちりとした表情。いつもの彼女のようにしっかりと俺の目を見て確かな声を出す――。
「御波、起きて。」
「わ、びっくりした。」
夢を見ていた。暑い部屋の空気で少し身体が汗ばんでいる。気がついたら隣に湊が立っている。
「もう、何度呼びかけても起きないの。」
「あれ、どうして俺の家に?」
辺りを見渡してみる。もう夢ではない。ここは俺の家で、俺は椅子に座ったまま寝てしまっていた。
「本。返しに来たの。そしたら、椅子で寝てるじゃない。ちゃんとベッドで寝なさいよ。」
「ああ、貸してたっけ。」
「もう。忘れてるの?」
呆れたように彼女は腕を組んで見下ろしてくる。そういえば部屋に不用意な物を置いていなかっただろうか。少し心配になる。
「何も変なものはないわよ。探してもいないわ。」
「心を読むなよ……。でも、ありがとう。こんな遅い時間に。」
「汗かいて、風邪ひかないようにね。」
俺の母親なのだろうか。湊がひどく優しい。いや、いつも優しいのだけれども今日は一段と優しい。
「藍沙と出かけたのは終わったのか?」
「ええ。あの子、今日は私の家にいるわ。」
俺の家からそう遠くない女子専用の学生用のマンションに湊は住んでいる。ワンルームだとは思うけれど、二人で狭くないのだろうか?まあ、余計な詮索だった。
「帰り、送るよ。」
「いいよ。ここまで一人できたのだから、帰りだって帰れるわ。」
「いやちょっと身体が変な格好していたから、動かしたくてさ。」
湊がふふっと、小さく笑ってくれる。
「そういう気遣いは好きな子にするものよ。」
「ああ、ちょっとは気遣える男になってきた?まあ、本当に心配だから、勝手にでも付いていくよ。」
「……そんなことされたら誰かに通報されてしまうからちゃんと隣歩いて。」
仕方ないといった表情で彼女は許してくれた。
真夏の夜、木々の隙間や畑などから虫やカエルの声がする。リンリン、ゲコゲコみたいな音の輪唱が道に響いている。そこに俺が押す自転車の車輪が回る音も加わる。
「夢見てたんだよな。」
「気持ちよさそうに寝ていたものね。」
「飛行機に乗っていて、隣にサラがいた。」
「飛行機の夢は冒険を表すそうよ。サラちゃんと夏の冒険でもしたんじゃない?」
夢占いのことだろうか。沙羅とどこに行けるだろう?
「湊は何でも知ってるな。占い、好きだったっけ?」
「結構好きよ。まあ、雑誌によく載ってるのを見るくらいだけど。」
彼女のことも知らない一面はまだあるようだ。おみくじとか、占いとか、そういうのは信じないというか見ない類だと思っていた。勝手な思い込みだったようだ。
「あと、湊がキャビンアテンダントの格好してた。」
ああ、これは失言だったかも知れない。隣の湊が冷たい目をしたので直ぐにそう感じた。
「それは、御波の趣味よ。私のことそういう目で見てたの?」
腕を組んでちょっと軽蔑した目で見てくる。その視線に夏の暑さのなか冷や汗が出てしまう。
「ちがうちがう、そういうのじゃない。」
「嘘よ。嘘。夢なんて当てになるものじゃないわ。」
嘘の目にしてはちょっとだけ切れがありすぎた。もう言わないでおこう、怖かった。
彼女のマンションは徒歩でもすぐそこの距離。あっという間にたどり着く。
「じゃあ、本わざわざありがとうな。」
「いいのよ。御波も帰ったらちゃんと寝るのよ。」
「わかったよ。……藍沙にもよろしく。」
「どうせ、お風呂に入った後にそのままゴロゴロしてるわ。」
「ふふ、そうかもな。」
彼女のその姿が簡単に想像できる。
「またね。」
湊の姿はオートロックが掛かった玄関ホールへと消えていく。見送りを終えたおれは自転車に跨って街を駆けていく。
沙羅と冒険がしてみたい、それが深層心理なのだろうか。でも冒険ってちょっと危ない表現じゃないかな……。邪な考えを風で吹き飛ばすように自転車のペダルに込める力を増やして加速する。飛行機だったのなら空を飛べたかもしれない。
⁂
「ただいま。」
自分の家だけれども、今日は来客が居たので声をかける。
「あ、おかえりー。思ったより長かったね。私も着いていけばよかったかなー。」
「ちょっと話していたらね。」
「ええ、やっぱいけばよかったな……。」
藍沙は濡れた髪をそのままにソファに転がっている。御波に話した姿と相違ない。
「藍沙は簡単な子ね。」
「へ?」
彼女は私の言葉にキョトンとして見上げていた。可愛い友達だこと。
「なんでもないわ。」
「ええー、ちょっとーなによー。」
戯れてくる彼女を躱しながら夜は更に更けていった。
【8/19 午後8時 @三崎家】
大学の夏休み。明日はアルバイトも入っていないし、出かける予定もなかった。夜ふかしをしたところで誰に怒られるわけでもない。自由な時間を持て余していて、単純にいえばとっても暇だった。だから沙羅からチャットのメッセージが来た時は光速で反応できた。
「みーくん。こんばんはー。」
夢と違って声が聞こえる。耳元で聞こえるその声は相変わらずくすぐったい。
「サラ、こんばんは。」
「みーくん、今日はお休みだったの?」
「今日はバイト少しだけ行っていたけど。まあ、ほとんど暇だったね。明日も休みだし。」
「ふふ、夏休みだもんね。」
「サラは何かしてたか?」
「友達と遊んでたよー。新しくできたお店にね、一緒にみんなで出かけてた。」
楽しそうな声を聞いていると、一緒にいったように幸せな気持ちになる。だけれども段々と彼女と現実でも一緒に出かけたい気持ちが湧き上がってくる。
「今度、俺とも一緒にどこか行ってくれる?」
「……みーくんのお誘いなら、どこだって行くよ!」
弾けるような声。どこへだって、さあ、どこへいこうか?
「サラは怖いのは、ジェットコースターとか大丈夫?」
「えへへ。ちょっと苦手だけど、みーくんとなら大丈夫!遊園地連れて行ってくれるの?」
この辺りだといくつかの遊園地がある。
「そうかな、サラと行きたい。」
「みーくんが私と行きたいところなら、もちろん行く。」
「嬉しいな。そんな良い返事くれるの。」
自分の希望をあまり言わず、俺の希望を叶えてくれる彼女はとても良い子だ。
「でも、サラが行きたい……。」
ちょうど彼女自身の希望を聞こうとしたタイミングだった。
ピンポーン
チャイムが鳴り響く。
「あ、お客さん?」
「ちょっと待ってね、ごめんね。」
「ううん。行ってらっしゃーい。」
向こう側で手を振る彼女が見えるみたい。軽やかな声で送られたのを聞いて、マイクをミュートにする。2度目のチャイムが鳴り響く。
「はい?」
夏の玄関を開けた。むっとした空気が流れ込んでくる。沙羅との時間を奪ってきたのだ。新聞勧誘だったら速攻で扉を閉じるつもりだった。
「や。御波。」
短い返事。小さく上げられた手。黒の真っ直ぐなボブヘアーと前髪が夏の暑さで少し汗ばんでいる。
「藍沙!」
「急に来ちゃった。ごめんごめんー。」
白のワンピースを来て、小さな小袋を持っている。夜とはいえ玄関先に放置するわけにはいかない。
「中入りなよ。」
「ううん。夜遅いから今日は大丈夫。今日は御波に渡したいものがあって……さ。」
もじもじとして足先を床にぐりぐりと押し付けている。なぜここまでいじらしい姿になっているのだろう。
「え、なにかくれるのか?」
俺の誕生日でもない。あたりまえだけれども今日はクリスマスでもない。
「ん。これ。」
そっぽを向きながら手に持っていた小袋を手渡してくれる。
「あ、ありがとう。開けてもいいの?」
「そっと開けてね。倒れちゃうから。」
白くて小さな箱が入っている。そっと言われたとおりに繊細に扱うように開ける。箱はひんやりと冷たい。
「あ、ケーキ。」
綺麗にコーティングされたチョコレートケーキが入っている。一人分の小さなケーキだけれども、均一に塗られた上には飾りが乗せられていた。
「俺の誕生日?」
「……違うでしょ。御波の誕生日はちゃんと覚えてる!2月10日!」
「じゃあ、これは?」
「ん…私が作ったの。ちゃんと勉強してきたでしょう。」
下をむいたまま耳を真っ赤にしている。彼女はとても恥ずかしそうな様子だ。
「これ、お店で買ったんじゃないの?」
「ちゃんと作ってきたのよ。御波がみてお店の物に見えるなら、えへへ。よかった。」
藍沙のはにかむ笑顔からは全く嘘をついていないようにみえる。疑う言葉を口にはしたけれど、彼女が嘘を付くとは思っていない。
「冷蔵庫、入れるか、直ぐに食べてね。じゃ!」
「あ、藍沙!」
呼び止めるまもなく彼女はアパートのから消えていく。カンカンカンと階段を降りる音がした後、道の前で大きく手をふる彼女の姿が街灯の下に見える。大きく手を振ってありがとうと伝えた。
でも、これは食べるのが勿体ない位に綺麗だった。後で写真を撮っておこう。藍沙も自分の夢に向けて真っ直ぐと進んでいるらしい。
冷蔵庫にそっと閉まって、急いで沙羅の元へと戻った。
「ごめん、ちょっと遅くなったね。」
「あ、みーくんおかえりー。どうしたの?大丈夫だった?」
「ああ、藍沙がちょっと荷物を渡してくれたから時間かかった。ごめんね。」
「……藍沙さん?」
「あ、ああ。」
ちょっとむくれた声を沙羅は隠さない。
「みーくん。遊園地、行きたいけどちょっと後回し!」
「え、ああいいけど。」
「明日、お休みだよね?」
ちょっと珍しく勢いのある彼女の声に驚いてしまう、
「みーくんのお家に私もいく!お邪魔します!……いいよね?」
最初の声は物を言わせない声。最後の声は溶けるような甘えた声。その緩急に圧されて断るわけはなかった。家に上げて良いのかなとか、色々な考えは後から襲ってくるのだけれども。
「はい、イイです。」
「やったー!じゃあ約束だよ!」
目の前に彼女がいたら指切りをしてそうな勢い。可愛らしく約束を取り付けられた俺は通話が終わったら、急いで部屋の片付けをしないといけない。
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