第16話 2年越しの仲直り
【8/8 午後1時 @三崎 実家】
うだるような夏の陽射し、地面は幻みたいにゆらりゆらりとうごめいている。クマゼミの甲高い鳴き声が街のあちらこちらから響き渡ってきて、耳と目を身体全体の感覚で夏を感じる。
俺の育った街は横澤からバスと電車で二時間程離れている。大学にだってギリギリ通えなくはないが、毎日の通学時間や自由時間を考えて一人暮らしにした、というのが表向きの理由。結局アルバイトに時間を取られているのだから効率やそういう面では意味はないのかもしれない。いわゆる大学生という生活をしてみたかったという憧れが強かったのが一番の理由だった。
しかし久しぶりにこの田舎に戻って来たけれども、風を遮るビルが無い分、陽射しを避ける影もない。燦々と降りしきる太陽に対してできる策は汗を垂れ流すことだけだ。バス停から5分ほど歩いただけでビショビショになったTシャツが気持ち悪い。
ようやく見えてきた実家の玄関へ向けてアスファルトの道のりを一歩一歩踏みしめるように進んでいく。これでやっと冷房の効いた部屋にもどることができる。この外気は整えられた空調環境に慣れ親しんだ現代人には厳しすぎる。
「ただいまー。」
「あら、おかえり。」
リビングの奥から母さんが迎えてくれる。
「暑かったでしょう。部屋、冷房入れといたから、ゆっくり休みなさい。」
「ああ、ありがとう。」
「夕飯は
「ありがとう、いっぱい食べるよ。」
ずっと子供の頃にカレーが好きだと言ってから、母さんはずっとカレーの日は嬉しそうに俺に伝えてくれる。親になると子供の好きなことをしてあげたくなるのだろう。
ただ、久しぶりに親の料理を食べられるのは嬉しい。夕食が楽しみになった。
荷物を置きに二階の自分の部屋へと上がる。住んでいた頃はパソコンやゲーム機が沢山置いてあったが、必要なものは自分の家に持っていった。不要になった古いものは押入れに仕舞ったか売り払った。今の部屋に残っているのはベッドと机、あとアルバムや漫画、本などが残っているだけだ。でも、ちゃんと掃除をこまめにしてくれているのかホコリ臭さはなく綺麗だ。
たった少し歩いただけだけれど、電車に揺られていたのも存外に体力をつかったのだろう。昔のベッドに身を放り上げて見慣れた天井を見つめる。昔の記憶がそっと蘇る。
【回想 ずっと前 @三崎 実家】
「御波!またゲームしてるの?」
「
藍沙の部屋は俺の部屋の窓の向こう側。お互いに手を伸ばせば届く距離。テンプレートみたいな幼馴染。彼女からいつものように窓越しに声をかけられる。
「ね、一緒に花火しよーよー。」
「えーもう8時だよ、お母さん達に怒られないかな。」
「こっそり家から出たらいいじゃん!ねーほら、一緒にいこ!」
小学生の間はずっと仲が良かった。どちらかというと彼女からずっと手を引っ張ってくれたと思う。
「あんたらまた二人でこんな夜に抜け出したのね……。本当に仲いいわ……。」
「「ごめんなさい。」」
もちろん帰ったら二人共怒られた。横目で彼女の横顔を伺うと、全然に懲りてないようだったけれども。
⁑
中学校に上がってからは少し関係が変わった。お互い異性でそこまでベッタリとくっついているのが気恥ずかしい時期だったのだと思う。
「藍沙、
「御波……?ただの友達だよ!」
「御波って呼んでるんだー!」
「え、ちょっとそんなんじゃないー!」
多感な時期だった。クラスメイトにお互いにからかわれて、あのままずっと同じ関係でいるのは難しかった。それは少し寂しかったと思う。きっと、藍沙もあの時は同じ気持ちだったとは思っている。まあ、それはさすがに俺の想像でしかないけれど。
⁑
高校に上がると中学と違って表立ってクラスメイトにからかわれることはなくなった。けれども、誰が誰を好きとか、付き合ったとか、別れたとか、そんな色恋の話とは俺は無関係になっていた。藍沙は持ち前の素直な明るさもあるし、何よりも見た目も良かった。快活で綺麗な彼女はクラスの中でもずっと人気者だった。ちょっと俺には高嶺の花になってきていた気がする。
でも、2年になってきたら中学の頃からの気恥ずかしさは少し落ちつていてきて、ぽつぽつだけれどまたお互いに話し始めた。帰り道も時間が合えば一緒。こうしていれば、また小学校の時みたいに仲良くなれる、そうしてずっと大人になってももう疎遠にはならないって、俺はなぜか盲目的にそう思い込んでいた。
「御波、紹介するね!私の友達の
「三崎くん、藍沙の幼馴染だよね。よろしくね。」
湊とはじめて会話したときはよく覚えている。背が同じくらいに高くて、すらっとした、そうステレオタイプなスポーツ系女子。彼女がゲーム好きだなんて、第一印象ではわからなかったし、ましてや大学になっても友達でいるとは考えつかなかった。
「ああ、桐山さん。藍沙からよく話聞いてる。こちらこそよろしくね。」
「私も藍沙から三崎くんのことはよく聞くわ。」
「あ、湊!いらないことは言わなくていいの!」
藍沙は急に慌てて湊のことを抑え込んでいた。
「え、でも……。」
「いいの!いいの!」
なんて説明されていたのだろうな。湊に聞ける機会があったら今なら教えてくれるかも知れない。
⁑
俺は藍沙が好きだった。これだけは絶対に間違いはない。今、沙羅を思う気持ちに比べたらずっと稚拙な想いだったし、アクションをなにか起こせたわけじゃない。だから、終わり方が甘酸っぱいのではなくて、苦いままであることはいつまでも俺の心の何処かで引っかかっている。
【8/8 午後10時 @三崎 実家】
夕食のカレーは美味しかった。母さんの味が特別に店とか既製品よりも美味しいとかではないけれど、きっと遺伝子か、記憶に結びついたなにかが出す美味しさなのだろう。就職をしてさらに家から離れてしまったら後何回これを食べられるのかと思うと、俺のキャラクターに似合わないくらいにセンチメンタルな感傷にひたってしまう。
「御波、お風呂はいっときなさいよ。」
「ああ、分かったよ。何から何までありがとう。」
「……御波もおっきくなったわ。何でもありがとうだなんて、ちょっと前まで絶対に言わなかったのに。」
「そうかも……。そうだね。」
見守るような笑顔で母親が風呂の用意を手渡してくれる。もう20歳になるのだなって思うと時間の経過を感覚で理解できる。
「あ、そういえば……。」
「どうしたの?」
「ううん。何でもないわ。いってらっしゃい。」
⁑
風呂に入り、自分の部屋へとまた戻る。いつもの生活ならゲームをしたり、沙羅とチャットしたり、勉強を教えたりしているが、疲れで重くなった頭は自然と部屋の灯りを落としていた。
暗くなった部屋の窓からは月明かりだろうか、綺麗な光が漏れ込んできている。もしかして、今日は満月なのだろうか。ああ、沙羅と一緒に月でも見れたらな……。月よりも沙羅が綺麗だ、なんてくさいセリフが言えるだろうか。心の中では花火大会のときだってそう思っていたけれど流石に言えなかった。
でも、この灯り……懐かしいな。何でだろう。寝転んだまま視線を向けてじっと考える。そう、まるで隣の部屋に灯りが灯っているような……。
コン、コン、コン
窓のむこうに人影が揺れる。それに合わせてノックが3回。そんな事ができるのは……。
急いで起き上がってカーテンをそっと開ける。窓の向こう側には懐かしい彼女がいた。
「御波。久しぶり。」
「あ、藍沙?」
「そう……だよ、私。……久しぶり、御波。」
「どうして、ここに?」
「ん……いちゃわるい?サマーバケーションだし、もう留学も終わるから日本に少し前からいるのよ。」
久しぶりの彼女の声は相変わらずだ。ずっと会話していなかったのに、そう。こうやって少しツンケンしている感じが懐かしい。
「そうか、そういや湊が言ってたな。」
「湊、言ってくれてたんだ……。ふーん。そっか、仲いいね。」
「まあ、そうだね、友達だから。」
「ふーん……。」
彼女の反応は中々要領を得ない。
「藍沙は、どうして今になって俺に?」
疑問だった。メッセージを送っても何も返さない彼女が今になって俺にコンタクトを取る理由がわからない。
「え、それは……。あの、えっと……違う。そうじゃない。」
快活な彼女らしくない何か、ずっと言い難そうに口の中でもごもごとよどんでいる。
「御波、その……ごめん、ごめんなさい……。」
涙をポロポロと流して藍沙が謝ってきた。拍子抜けしてしまった俺はあわててしまう。
「藍沙、何で泣いているの?」
まわりにティッシュか、ハンカチが無かったか急いで探す。
「御波に進路言わないで……。返事も返さないで……ごめんなさい……。」
大粒の涙が瞳からこぼれ落ちている。その輝きは嘘をうつしているようには見えない。
「勝手にしてたの!ずっと謝りたかったのに!言えなかったの!ごめん!」
「藍沙、そんなに泣くなよ」。
ティッシュを窓越しに手渡す。受け取った彼女は濡れた顔と鼻を拭いていく。
その後ぽつりぽつりと彼女が言うには俺と湊が行く大学に進学は難しかったし、自分の夢だったお菓子作りに向けて本格的に勉強がしたかったのも相まってずっと進路が言えなかった。
返事をいつも返そうとするけれど、一度疎遠になったときみたいにまた拗れるのが怖くてなにも出来なかった。一言だけでも返せれたらよかったのに、自分がずっと出来なかったと、掠れ掠れの声で伝えてきた。
「藍沙、俺もごめん。もっと話せばよかったね。」
「うん…、御波はそんなに悪くない……。」
そんなにって付けちゃう辺りが藍沙らしい。そんなところも懐かしい。
けれどももうこれで湊に心配を掛けることはなくなるだろう。今日までに彼女にどこまで気苦労を掛けてしまったのかと思うと中々恩返しできるか心配になる。
「御波、湊と同じバイトしてるんでしょ?」
「ああ、そうだよ。」
「じゃあ今度行く。二人働いてること見に行く。」
「どうぞ、いつまで日本にいるんだ?」
「んー。9月まではいるけど、あっちこっちに顔出したりしてるし、就職先とか決めたいし。まあ、アルバイトからかもしれないけど。」
「じゃあ、適当にでも来たらいんじゃないか?湊も喜ぶよ。」
「そっか、うん、そうする。」
泣きはらした顔にはまだ赤みが残っていて、痛々しい様相だったけれども。随分と晴れ晴れとした顔になった。これなら大丈夫そうだ。
「おやすみ、御波。」
「ああ、おやすみ藍沙。」
そっとカーテンを閉じてお互いに手をふる。それは昔のように。
2年越しの面倒な喧嘩はようやくに終わったのだ。
【間章 8/13 @喫茶店 La Lune前】
ずっと言えなかった言葉をようやく口に出せた。あの日、御波の部屋に灯りがついて、すぐに消えてしまった時はまた焦ってしまったけれど、勇気を振り絞ってノック出来てよかった。2年間随分と無駄にしたと思う。まあ、だけれども自分の夢には何歩も近づけた。これからまた二人と仲良くできると思えばより一層心が晴れ晴れとする。現地でできた友達も大切だけれども、二人はまた一段と特別だ。
「湊と御波いるかな~。」
日本の陽射しと湿度には辟易とするが、二人のバイト先はもうすぐそこだ。店の外から見えるカウンターには学生のお客さんが一人だけ待っている。さあ、何を注文しようか。湊はもう後少したらバイトが終わると言っていた。それまでは御波のバイト姿でも眺めておこう。
扉を開けるとカランとベルの音が鳴る。冷気がそっと身を包み気持ちが良い。
「いらっしゃいませ。お客様、一名様ですか?最初のドリンクだけカウンターで御注文の後にお好みのお席にお座りください。」
「あ、はい。わかりました。」
背の小さな女の店員さんに案内されるまま、そっと列に並んだ。どうしようアイスコーヒーでも飲もうかなぁ……。
「みーくん。えへへ。また来ちゃった。」
前の子のサラサラと流れるロングヘアは女の私から見ても羨ましい。後ろ姿だけでも美人だってわかる。それに、みーくんだって、彼氏だろうか?いいな、青春だなあ……。
「サラ、いらっしゃい。いつも通りにミルクティーでいい?」
あれ、よく知ってる声。
「うん!またお仕事終わるのを勉強して待ってるね。」
美少女は小さく手を振って席へと向かおうとする。ん?あれ、みーくんって……。御波……?
「すいません。お客様。お待たせしま……。」
「御波…?御波がみーくん?」
「あ、藍沙?あ……来てくれたの?」
明らかに御波は動揺している。
「え、藍沙さん?」
目の前の美少女が振り返って私の名前を呼ぶ。
「え、私のこと知ってるの?」
こんな美少女と面識はない。
「わぁ修羅場?修羅場?」
小さな店員さんがすごくうれしそうに私達を見守っている。
何だろうこの状況。幼馴染の私でも御波のことをみーくんだなんて呼んだことないのだけれど!?
⁂
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