第14話 夏祭りと二輪の花
【7/30 午後4時半 @駅前】
お盆を前にしてこの
和装なんて今までしたことが無かったけれど、いざ着てみると存外に心地いい。日本の風土にあった服なのだから当然なのかも知れないが。
夏の陽射しがコンクリートとレンガの床を照らしているが、今日はちょっとだけ心地良風が吹いている。気温も高すぎることはない。きっと夕方になって日が沈めば過ごしやすい丁度いい気候になると思う。時計代わりのスマートフォンに沙羅からの着信がないか何度も見てしまう。彼女のことが好きだ。年上の余裕なんて元からなかったけれども、藍沙以来にここまで好きになった子は初めてだった。
そっと柱に持たれて夏の暑さにやられたようなため息をつく。人の恋愛に効く薬があるのだったら飲まなければならない気がする。
⁑
駅の改札向こうから大きく手をふる女の子が近づいてくる。人と人の隙間からちらりと見えるだけだけれどももう見間違えるはずがなかった。
「サラ。」
そっと手を振り返して彼女を迎え入れる。
「みーくん!すぐ見つけちゃったね。」
駆け寄るように近づいてきた彼女は薄い青色の白を基調とした浴衣姿だった。藤の花の模様が薄い紫で入れられている。その長い髪を存分に活かして、頭の後ろで綺麗にまとめ上げている。艷やかな黒い髪には一差し。真っ赤な蓮の華を模したかんざしが添えられていた。
「すぐにわかったよ。人混みの中でもきっと見つけられるかな。」
「私もみーくんならすぐに見つけられるよー!」
「下駄履いてる?」
かんざしの華と同じ、赤い鼻緒と白い足袋がちらりと浴衣の裾から見えている。
「そうだよ。えへへ、よく見てくれてるね。」
「かんざしも浴衣も全部似合ってるよ。涼しげでいいね。」
夏に食べるかき氷のように、清涼感を醸し出すそのデザインは彼女の温かな雰囲気と丁度いいバランスになっている。彼女のセンスはどうしても好みだった。
「今日の為に選んだの。だから、みーくんが初めて。」
「へえ、見れてよかった。…俺もこの和服初めて着たよ。」
「……他の女の子に見せたって言われたら焼いてた、かな。」
どうしたって男女共に初めてにこだわってしまう。最近の沙羅はより蠱惑的になってきている。自制心の崩壊もすぐそこにある気がする。
「夏祭りなんて、小学校以来だよ。」
遠い昔に藍沙と一緒に行った記憶がある。
「えへへ。みーくんと幼馴染だったら、ずっと一緒に来れたのにね。」
「沙羅が幼馴染だったらどんな感じだろうな。」
彼女の左手をそっと握る。まだ恋人みたいには繋げれないけど、掌を重ねるようにして。
「今日ははぐれちゃいそうだから、手離さないでね、みーくん?」
重ねた手をそっと握り込んで、目的地へと向かう電車に乗り込んでいく。人混みがいつもより多くって、同じ様に夏祭りに向かう客で溢れている。
⁑
「わあ、やっぱりすごいねー。」
満員電車を降りて、混み合った改札をようやく通り抜けると会場となる河川敷の広場に向かう大通りには見渡す限りの人がいる。確かに気を抜いてしまうとはぐれてしまいそうだ。
「ね。でもこれて良かったし、晴れてよかった。」
「まだ、何にも見ていないのにね。私もみーくんと同じだよ。」
歩調を彼女のペースに合わせてゆっくりと歩いていく。カランカランと辺りにも響くコンクリートと木が擦れる涼やかな音が心地いい。
「サラは何か食べたいものはある?」
「んー。そうだねー。りんご飴とかかな。ベロが真っ赤になっちゃうけどね。」
沙羅はべーっと舌を出してみせる。薄赤色の唇から桜色の舌がちらりと見える。
「見かけたら買ってみようか。」
「うん!あ、でも最近だとりんご以外もあるよね。パイナップルとか。」
「あんまり食べないから分からないなー。でも、どれも美味しいだろうね。」
「キウイとかも、いいかも。えへへ。」
夏祭りのラインナップもバイト先と同じ様にバリエーションを増やしていかないと経営が難しいのだろうか。
「みーくんはご飯系食べる?」
沙羅は歩きながらこちらを伺うように首をかしげる。
「そうだね。たこ焼きとか食べようかな。」
「ちょっとだけ食べさせてねー。」
「そりゃもちろん!」
太陽が傾きはじめて道路にうつしだされる俺達の影もぐっと伸びていく。さあ、夕闇に包まれて夏祭りが本格的に始まっていく。すでに活気づいている辺りの空気もより一層高まっていくだろう。
【間章 7/30 午後5時 @夏祭り会場】
“あーちゃん待機OKですか?”
“こちら
“取りあえず本命のαで用意お願い!”
“やっぱりりんご飴、私も食べたいんだけどー。”
“……”
“あー、食べる気だー。ちゃんと食べたの教えてねー”
“はーい”
愛は一足先に会場へとたどり着いていた。髪を降ろして、事前に現地で購入した狐の仮面を頭に添える。もしかしたら子ども用なのかも知れないが、みーくんにばれないように慎重には慎重を重ねる必要がある。
広がった髪を川風になびかせて一人カランカランと音を響かせる彼女に声を掛ける男は何人もいた。湊さんから教わったようにそっと当たり障りないように断っていく。
「あ、彼氏と待ち合わせしているので。ごめんなさい。」
みーくん、まだかなー。りんご飴が食べられないことは確定したので影でこっそりと食べながら待つことにした。
【7/30 午後6時 @夏祭り会場】
会場にたどり着いた俺達は2本ある大通りに沿って順ぐりに巡っていた。目についた射的やヨーヨー掬いなど、子供っぽいことも彼女となら全部楽しめる。
沙羅は手に入れたピンク色の水風船のヨーヨーを弾ませて楽しんでいる。
「みーくん、掬うのは下手っぴだったねー。」
くすくすと口に手を当てて笑っている。手元には楽しげな水風船が跳ねている。
「紙が柔らかすぎるんじゃないか?うーん。」
「えへへ、みーくん。可愛い。」
結局2回めに沙羅がやってみたら一発で取れていた。手先はどうにも彼女の方が器用らしい。
「大分暗くなってきたな。あと30分もしたら花火始まるらしいよ。」
案内板と公式サイトを確認しておいたので時間はバッチリ分かっている。
「そうなんだね。じゃああと何か一つくらい並んで見える位置に行こっかー。」
「ああ、そうだね。」
「あのね、みーくん。」
立ち止まった彼女が袖を掴んで立ち止まる。
「やっぱり、お腹減っちゃった。たこ焼きちょっと多めに食べさせてー。」
少食な彼女も時間が経つにつれてお腹が空いたのだろう。
「あはは。いいよ、半分こしよっか。」
「うん!ありがとう!」
楽しげな彼女を見られるだけで今日の花火なんて見られなくたっていい気がしてくる。
「あ、そうだ今日はカメラ忘れちゃったんだけど、みーくんとまた写真撮りたい!」
「いいよ。もちろん。じゃあ、ちょっとこっちで……。」
スマホを取り出して、道の端へと向かう。じっと彼女をみる。
「準備できた?撮っていい?」
「うん!いつでもいいよー!」
この前と同じ様に沙羅が腕に寄り添ってくれる。カシャリと一枚の写真を撮っておいた。やっぱり髪がいつもと違っていて、それもまた違ってよりかわいい。
「後で絶対送ってねー。」
画面を覗き込まれてそう告げられる。
「すぐに送るよ。」
彼女のチャットへと写真を送る。
「えへへ、ありがとう。」
「じゃあ、たこ焼き買いに行こうか。」
「うんー。並ぼうー!」
定番の人気出店だけあって一段と行列が長い。ただ、打ち上げ花火が始まる頃には買うことはできるだろう。
「花火はどの辺りで見る?」
「ああ、そうだな。この辺りは?」
沙羅に地図情報を見せて方角を指で指し示す。
「うん。わかった。よく見られるといいね!」
にこやかな笑顔がすでに花火の様で。こんな時間を過ごせるのが嬉しい。
⁑
“さーちゃん、βに変更!”
“え、急いで移動しまーす!”
“写真とちゃった”
“知ってるよー、共有アカなんだからこっちにも着たー”
“あーちゃんも撮ってね”
“言われなくても!”
⁑
会場に花火の案内がアナウンスされ始める。それに合わせて来場していた人たちも移動を本格的に始めていく。
「みーくん。あっちの方がちょっと空いているよ。」
「でもあんまり見られないかもしれないけどいい?」
「あんまり人が多いよりもみーくんの声が届く所が良い。」
人混みで確かにお互いの声が聞こえづらい気がする。彼女の提案にのって少し端の方へ移動した。
「えへへ。ごめんね、わがまま言って。」
「いや、確かにこっちのほうがサラの声も聞きやすいね。」
そっと彼女がより1歩近づいてきて俺の肩に頭を乗せてくる。
「みーくん。いつもありがとう……。」
「それは……別に何もしてないよ。」
「ううん。楽しいから。」
「ふふ、最初に会う前にも言ってくれてたね。俺も楽しいよ。」
「うん。これからもみーくんが……。」
彼女の横顔には祭りの灯りに照らされて陰影が出来ている。すっとした鼻や口がすぐ目の前にある。何かを言いかけた彼女のその横顔が強い光に照らされる。
ヒュルードンッと音が続けて鳴り響く。花火が始まった。その鳴り響く音に合わせて彼女の口が動く。“す、き、“確かにそう見えた。
「サラ、今……。」
「ほら、みーくん、花火!」
大きく開いた大輪の華のように広がる花火は青、赤、緑、様々な色が夜空に重なりあって好き好きに染め上げていく。計算されたであろうタイミングで輪であったり星屑のように、様々な形がきらりきらりときらめいていく。
さっきの彼女の言葉を確かめたい。そう思って彼女の横顔をまた見ても、すでに花火に夢中なようだ。花火のようにタイミングよく行かない。……もしかしたら彼女は分かっていて……?
「ほら、ハートだよ。すごーい!」
「わ、本当だ。」
ちゃんと今じゃなくて何か形になれるようなものを考えよう。曖昧な距離感だけれども、後少しだけ、ほんの少しだけ待ってもらおう。夜空にきらめく星よりもずっと明るい花火達がみんなの視線を釘付けにする。多分、この中にいっぱいいる恋人たちは花火と同じかそれ以上に横に立っている恋人を見ている。その例外に俺も漏れることはなかった。
「綺麗だね。」
「うん。えへへ。」
⁑
花火が始まって15分位。ちょうど折り返しのタイミングなのだろうか最後の盛り上がりに向けての前哨のような小綺麗な花火が夜空に輝いている。
「みーくん、少しだけお願いがあるの。えへへ、今日もお願いいっぱいだね。」
「ん?どうしたんだ?」
横に立つ彼女はちょっとだけイタズラめいた顔をしている。
「目瞑って。見せたいものがあるの。」
ドンドンと響く音の合間から聞こえる確かなその声は何かを企んでいる。
「怖いな。なにがあるんだ?」
言われたとおりにしっかりと目をつむる。
「ちゃんと閉じてくれた?」
「見たらわかるだろ、大丈夫だよ。」
するすると何か衣擦れみたいな音が微かに聞こえる。ざっざっと彼女が一歩離れて、俺の後ろへと回る。ペタッと目にかの彼女の両手が当てられる。
「わ、すごい念入りだね。」
1呼吸2呼吸くらいの間、沙羅はじっと黙っている。手から伝わる鼓動か、自分の鼓動か、わからないけれど触れている部分に意識が集中する。
「いいよ、みーくん。」
手が外されてそっと振り返る。
「えへへ。お色直し。」
彼女の髪はそっと解かれて、元の様に長い髪がサラサラと流れ落ちている。かんざしを変えて、紫色の髪留めが髪を片方向へ流している。そっと耳がさり気なく見えている。また印象がぜんぜん違う。
「……全然違う風に見えるね。」
そっと流されるように髪の方へ手を伸ばしてしまう。その手を彼女に受け止められて耳のあたりに添えられる。
「アイ?」
なんとなくだった。ちょっとした感覚のようなもので。
「久しぶりに呼んでくれた。えへへ。」
頬に手を添えてにっこりと笑う彼女も夜空に浮かぶ大輪の華のようで。すっかり花火に意識を持っていかれていたのに、また彼女に見惚れてしまった。髪型が少し変わっただけで様相が随分と違う。
「正解。今はそっちの名前がいいなー。」
「そろそろ理由は聞いたら教えてくれる?」
「んー。もうちょっとだけ後かなー。」
彼女のイタズラはまだ続いているのだろうか。柔らかく微笑む彼女の頬に手が触れ合ったまま。花火はフィナーレとなる盛り上がりを見せている。
【間章 7/30 同刻 @国際空港】
トランジットを含めると15時間くらいかかった。夏の日本はやっぱり湿度が高くてとても暑い。
「あっつー。はぁやっとついた。」
エコノミーの席で腰がもうボロボロだった。眠れた時間も少なくて時差も合わせてかなり厳しい。
「
「あ、
「お疲れさま。」
「来てくれるなんてー。やー久しぶりー。」
「一昨日も電話したじゃない。」
「ちょっと直接会う友達に冷たいー。」
「はいはい、だから迎えに来たでしょ。」
「ありがと。」
藍沙の大荷物の一部をひょいっと持ち上げて、湊は颯爽と歩いていく。
「あ、荷物までー。やさし―。」
「いつも運んでる本に比べたら軽い。」
「湊バイト先、本屋だもんねー。」
二人は並んで空港の外へと出ていった。外に出ると一層と暑い空気が流れ込んできた。夜空の遠くに光の点滅が見える。
「あ、花火。」
「今日というか今週はどこもかしこも夏祭りだからね。」
「折角だから行きたいなー。」
「今日は眠いでしょう。とりあえず帰りましょ。泊めるから。」
「うんーそう。ねむい……。」
二人は断続的な低音が響く夜の中、並んでバスへと乗り込んで行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます