第13話 双子と御波と湊の悩み
【7/10 午後6時 @駅前】
突然会いに来てくれた
「また来るね。みーくん。」
「うん。いつでもね。」
駅前は人通りに溢れかえっている。家に帰る人、今から夕食を取る人、恋人と会う人。雑踏の雑音の中で彼女の声だけがはっきりと聞こえる。わがままを言えばもう少しの間彼女と一緒にいたいが、いつまでも拘束するわけにはいかない。
先週までずっと続いていた梅雨はすっかりとどこかに過ぎ去って、夜の空気もすっかり夏の様相だ。いつまでもたっても寝られないような浮き足だった雰囲気が街を包んでいる。
沙羅がそっと俺の前まで1歩踏み出してくる。
「みーくんも試験がんばってね。私も模試頑張るねー。」
「俺は、まあ大丈夫。沙羅も今日の様子見ていたらきっと大丈夫だよ。」
夏の空気に飲み込まれているのは沙羅も一緒みたいだ。いつもなら改札に向かっていく時間だったが少しだけの時間を惜しむようにしている。電車も1本、2本余計に通り過ぎてしまっていた。
先輩が言っていた、息抜きに誘えるチャンスは今だろう。
「サラ、あの。」
「……なあに?」
沙羅は目をパチクリとさせて小首をかしげる。その勢いで肩に掛けていた学校のカバンがずり落ち掛けたので、もう一度掛け直している。
「30日、
たったこれだけのことをいい淀むことを、下らないとは言わないで欲しい。目の前にいる子が俺を慕っていれてくれることは知っていても、いざ彼女の目を見て話すと思考がショートしたようになってしまう。ぱっちりとしたまつ毛、深海な深い色の虹彩が俺の心を惑わせる。
「花火大会!?もちろん!」
沙羅はその顔をいっぱいに輝かせて息を弾ませて快い返事をくれた。
「大丈夫、いいの?」
欲しい一言はもうすでに貰っている。それなのにもう一度確認がしたくなる。
「夏祭り、行きたかった。もちろん、みーくんと。えへへ。誘ってくれないかなってちょっとだけ待ってた!」
沙羅はそっと俺の右手を取ってくる。夏の気温よりもずっと暖かいその両手に手だけではなくて心まで包まれたような気がしてくる。柔らかなその手をそっと握り返した。
「よかった…。また細かいことはチャットで連絡するね。」
「んふふ。浴衣着てこようかなー。」
「いいね。どんなやつ?」
んーっと彼女は視線をそっと上に上げて考える素振りをする。
「それは、当日のお楽しみ!」
髪型だったり、浴衣の色だったり、聞きたいこと、見てみたいことはいくらだってあったけれど内緒にされてしまった。やっとの思いで言葉を伝えられても、ふわふわとしたこの心が着地することはなかった。むしろ余計に宙に浮いてしまったかも知れない。
「みーくんは浴衣着ないの?」
「今まで着たことないな…。どこで売ってるかも分からない。あはは!」
男用の作務衣と甚平と浴衣の区別だってついていない。女性の浴衣の定義なんて聞かれたってわからないのだけれど。
「じゃあ、みーくんは洋服?」
「浴衣かなにかを当日までに用意してみるよ。」
「えへへ、どんなやつ買うの?」
「それは、当日のお楽しみ。」
さっきと同じ会話をそっくりとそのまま返して、手を取り合ったままに笑い合う。手を取り合っていれば笑って揺れる肩の振動だって同調していくような感覚がしてくる。
自信がなくて何度も確かめてしまったさっきの会話がすでに他人事みたいに、触れ合っていればちゃんと気持ちが相手に伝わる気がする。
「あ、サラ、そろそろ帰らないと。」
まだ楽しい時間を過ごしたいのは山々だったが彼女を家に帰さないわけには行かない。そっと後押しする。
「本当だ。電車また行っちゃうね。」
銀色の小さな腕時計をちらりと見て彼女は、くるっと踵を返して改札へと向かっていく。
「みーくんまたねー。」
「またねー。」
遠く離れてもしっかりとみえるように、お互いに少しだけ大きく手を振る。彼女の背中がエスカレーターを登って消えていくまでしっかりと見守った。
⁑
沙羅を見送った後、時刻をスマホで再確認する。夕飯の材料は家にあっただろうか……。食べ終わったらちゃんと自分の勉強をすると心に決めて、自転車を取りに駐輪場の方へと向かう。
ふと、視界の端に白いシャツに青いチェックの制服の後ろ姿が見えた気がする。さっきまで目の前にいた沙羅みたいな長い黒髪も合わせて。身長も同じくらいに見えた気がする。
でも確かに沙羅は改札の向こうへと消えていった。
まあ、この近くの高校なのだからこの場所にも同学生がいたっておかしくはないか。もしかすると彼女に行ってほしくなさすぎて幻覚を見始めたのかも知れない。目頭をぐっと押さえて天を仰いでリフレッシュする。
そのまま夜の駅前を背にして帰路についた。
⁑
【7/20 午後12時 @大学食堂】
前期科目の試験も大半が終了した。残すのは3つ程だけだ。それらは先輩の噂によるとどれも試験はそれほど難しくないらしいので少し手を休めることができる。今日の午後に向けて間があくので食堂でゆっくりとすることにした。
「
「お、
湊もちょうど試験が終わったのだろう。食堂に顔を出してきた。
「あれ?友達はいいのか?」
彼女の後ろ方には同じ学部の友人達が別の席に座って食事を始めている。湊だけがこちらに来たようだ。
「いいの。今日は御波に話があって。」
「あらたまって来られるとびっくりしちゃうな。どうしたんだ? あ、でもまず食べなよ。俺は3限は無いから急いでないし。」
「ありがとう。私も無いわ。というよりも今日はもうおしまい。」
「そりゃいいね。」
彼女の昼食は、今日は定食のようだ。メインはチキンステーキだろうか、もとからカッティングしてあるそれを、箸をキレイにつかってさらに小分けにした上で口へ運んでいく。
箸使いだけじゃなくて振舞いが相変わらずに綺麗だ。ただあんまり見すぎるのも良くない。視線を外してスマホの通知がないかを適当に見ていく。
「サラちゃんとは上手くいってるかしら。あと、彼女の勉強は大丈夫?」
湊が食事の合間にそっと話しかけてくる。
「1週間くらい前にサラと会ったよ。そういえばあの日は湊はいなかったね。」
「多分いなかったと思う。いたらまた先輩が私を呼びに来てたと思う。」
「まあ、模試が明後日にあるって言ってたけど緊張はしてなさそうだったよ。」
「なら、順調なのね。よかった。」
彼女は窓の外を見つめてじっと黙る。黙々と箸を動かして食事を進めてはいるが、彼女には珍しく物憂いをしているような目をしている。
窓の外はじりじりとした陽射しがアスファルトの地面を焼き尽くしている。陽炎のような逃げ水が遠く見える学舎をじんわりと広げていた。
「今日の湊の雰囲気は珍しいな。」
彼女の様子が少し心配になった。
「そう、まあ。そうかもしれない。」
「試験の出栄えが悪かったのか?」
「いえ、それは大丈夫よ。」
念の為聞いては見たけれど、何も問題が無いことは分かっていた。よっぽど高熱でも出ていない限り乱されるくらい軟ではない。彼女のGPAは俺のそれと比べるようなものではない。比較するだけ俺が恥をかくだけだ。
湊はしばらくして食事を終える。紙ナプキンを使って口元を拭き、そっと折りたたんで俺の顔をじっと見る。
「どうしたんだ?」
「……ねえ、御波。
本題に入るのは唐突だった。心構えなんて出来ていない。
「――藍沙?」
幼馴染の名前が急に飛び出してきたことにあ然としてしまった。言い淀んでいた彼女の様子にようやく納得がいく。
「そう、彼女よ。」
拗れてしまった関係を思い出して少し落ち込む。
「……。何を気にしているのか分からないけど別に怒ってはいないよ。むしろ怒ってるのはあっちだろう。……何も教えてくれないんだから。」
「そうね、私から見てもどっちかというと藍沙の方がおかしいと思うわ。」
湊はちょっとだけ目を伏せて返事をするときにゆっくりと言葉を選んでいる。俺達だけの問題なのになぜ湊はここまでしてくれるのだろう。
「今年の夏休みに一度帰ってくるそうよ。就職先を決めたいんだって。」
少し驚いたが、確かに彼女は藍沙と連絡を取り合っているのだった。だから知っているのだろう。
「留学は2年間だったもんな。そうか、そんな時期だな。」
「会いたいって言われたら会う?」
湊の目の奥が揺れている。
「……湊にそんな顔しながら聞かれたら、たとえ嫌でも会うよ。まあ、そもそも嫌じゃないよ、全然ね。」
変に緊張してしまったようだ、喉が急に乾いてきた。水を飲み干すけれども、コップに入っていた冷水はもうぬるくなってしまっていた。
「まぁ……。御波ならそう言うよね。何でこんなに私が緊張しているのかしら。」
「事情はよく分かってないけど、湊が困っていたら俺も力になりたいからな。手に余ったらちゃんと言ってくれ。役に……立てるようにしよう。」
「ありがとう、その時はちゃんと声をかける。」
今日はやっぱり雰囲気が違う。そっと微笑む彼女はいつも俺を見守ってくれている表情ではなくて、ちゃんと同級生だったんだなって思うような悩む表情をしていた。
⁑
「また何かあったら連絡するね。」
「ああ、いつでもどうぞ。今日はバイトも無いのか?」
湊はすっと椅子の引きずる音さえたてずに立ち上がる。食べ終わったトレイを持ち上げて流れるような動作で帰る用意をしていた。
「そう、だから家に帰ってゆっくりする。御波も残り頑張ってね。」
「ありがとう、じゃあ。」
湊はさっと上げた手を1往復くらい振って優雅に去っていった。
一人になるとさっきの彼女の言っていたことが脳裏によぎる。
藍沙、ねえ。どうして喧嘩してるのかどうかすら忘れてしまった。また彼女と上手く話せるのだろうか?
「まあ、でもいない相手のことよりも今はサラとの約束が優先だな。」
ぐっと肩を伸ばして計画を建てていく。どんな浴衣を着てくるだろうか、青でも赤でも、黒でも桜色だってどんな柄でもきっと彼女は自分の色にしてしまうだろう。花火に照らされて微笑む沙羅を想像するだけで心の悩みなんて消えていった。
【間章 7/27 午前11時 @ショッピングモール】
「模試が終わると開放感すごいね!もう全部忘れちゃいそうー!」
「あーちゃん、あれだけ私に勉強真面目にしないとって言ってたのにー。いざ終わったらこれだよ。」
愛は重圧から開放感を全身で表現するように両手をぐっと広げたあと、沙羅の手を上げさせてハイタッチをする。
「結果来るまで知らなーい。とりあえずいいのー。」
「もー自由だなー。ま、私もそう思ってるけど。」
二人は花火大会に着ていく浴衣を見繕うために朝から店に足を運んでいた。
「みーくんの好みの何色なのかなー。」
「ネットみると白とか青が人気だけどねー。」
「ふうん。でもみーくんの好きな色かわからないしなー。」
ハンガーラックから商品を入れ替わり立ち代わり手にとってそっと見ては戻していく二人。
「あ、でもね。みーくん、さーちゃんの制服姿やっぱりじっと見てたよ。だから白系がいいかも。」
「えーいつ見てたの?」
沙羅は手にとった物を自分に当てたまま愛へ向き問いかける。
「この前にさーちゃんが駅でこの約束してたとき。陰からこっそりみてたけどじーっと見てた。絶対見てた。」
「あーちゃん、あの時結構近寄ってたの?大丈夫?バレてない?」
「えへへ、ちょっと危なかったかも……。みーくん振り返り掛けてたし。」
「バレちゃったら計画台無しじゃーん。」
いつか彼から告白してほしい。それまでじっと二人で彼へのアピールを続けるつもりだ。
「次から気をつける!」
両手を合わせて口では謝ってはいるが愛に悪びれている様子はまったくない。
「まー。ならいいけどー……。あー。みーくんと早く恋人になりたいなー。好きな人がいない間に私達から付き合ってって言った方がいいのかなー。」
私達、という点がどこかおかしな会話だけれども二人にとっては当然の会話だった。
「えー。でもやっぱりみーくんから言って欲しいよー。」
「まあ、そうなんだけどさー。初恋の人が急に帰ってきて!とか、湊さんが実は!みたいなのがありそうで。」
恋敵が増えるのはまずい。同年の魅力とかに目覚められるのもまずい。
「じゃあ、せめて夏祭りで少し進展はしときたいねー。」
「進展ってなにするの?」
少しだけど手は握ってくれた。肩も寄せてくれたこともある。次はどこだろう。
「えー。あー、うーん。…………キス?」
「それもうほとんどゴールだよー!え、まだ、あーちゃん先って決めてないよー!」
沙羅が慌ててむっとしたまま愛へと詰め寄る。手にとっていた浴衣は二人に挟まれてしまう。
「じゃあどっちが先?」
「「……同時?……は出来ないかー…。」」
本来の目的をすっかりと忘れた二人は決着のつかない話題に夢中になる。
「それにそもそもまだキスは早いよー……。」
「さーちゃん、結構純情?」
「あーちゃんだっておんなじでしょ!」
「まあ、多分まだ出来ないかも……。」
「「……。まあ、ちょっとだけぎゅっとするくらいなら……。」」
二人が黙って浴衣を見繕う作業に戻る。長い髪に隠れた耳は朱色に染まっている。
ごまかすように元の目的通り浴衣を探し始める。二人は店内をそれぞれに見回るも結局は同じ浴衣の前で立ち止まる。
「「やっぱこれだよねー。」」
二人は同じ浴衣を胸の前にあてて確認する。鏡の前に行かなくたって、二人が向かい合えば鏡の代わりになる。
いつもどおりに向かい合った二人が同時に笑顔になる。あとは同じ商品を2枚選んでレジに進めば完了だ。
「あーちゃん、夏祭りってどうやって入れ替わるの?」
「トイレ作戦使えないよね。電話作戦は最近使いすぎかな。」
「んー。そう、だよねー。」
「何か出店の食べ物でも買いに行くフリする?」
「それ一人になれないよー。みーくん優しいから、きっと一緒に並んで買ってくれそうだし。」
「じゃあ、ちょっとだけ大胆に行かないとダメかなー……。」
「「んー……。」」
会計が終わっても2人の悩みには答えは出ない。同じ方向に首をかしげながら並んで店を後にする二人を、周りの人はちょっとだけ不思議な光景を見守るよるように眺めていた。
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