第12話 夏の始まり

【間章 7/7 午後5時 @梅ヶ谷家】

 7月が始まって1週間が過ぎた日、もう立派な真夏の暑い陽射しが夕方をすぎても窓から差し込む。世間は七夕祭りで賑わっていたが、高校3年生の双子姉妹は期末試験期間の真最中だった。

 模試も直前に控えてちゃんと勉強をしながらも、こっそりと恋をする彼に交互に電話をかけている。片方が電話している時、もうひとりはそっと静かに親が来ないかを確認しながら見守っている。ただ、彼も前期試験に入る時期だったためなかなかタイミングが掴めずにやきもきしていた。


「あーちゃん……。勉強疲れた。」

「さーちゃん、頑張ろうよ。」

 2つの机が並び合って置かれている部屋は冷房が効いており快適なはずだったが、沙羅はぐったりと疲れた様子。愛も肩が凝ってきたのかぐっと伸びをする。

「んぅーうぅーはぁ……。」

「みーくんとデートしてから3週間!あれから1回しか会えてないよー?」

「一昨日はさーちゃんがみーくんと通話してたじゃないー。」

「えへへ。それはそうなんだけどね。」

 沙羅さらは肩肘を付きながら頬を手に乗せて愛の方を向き直す。さっきまでと一変して疲れた表情から満面の笑みを浮かべる。

「次は私だからねー。あーあ。会いたいなぁ。でも、みーくんの邪魔はしたくないよねー。」

 あいは水族館で撮った写真を壁からそっと剥がして見つめる。

「あー。あーちゃん、また写真見てるー。」

「うん。初めてだったから。嬉しくって。でも、さーちゃんもこれこっそりと見てるの知ってるよ?」

「ええーみてたの?」

「かまかけしただけー。ふふ、引っかかったね。」

「あー。騙されたー。じゃあ、もうこっそりしないでいよー。」


 沙羅は椅子から立ち上がり、そっと愛の後ろから抱きつく。

「あーちゃん、見せて。」

「さーちゃん、あつーい。」

「いいじゃない、いいじゃないー。体温だってきっと同じだと思うよ。」

 仲よさげにじゃれ合う二人。生まれてきて喧嘩らしい喧嘩なんてしたことがない。愛が本当に嫌がることは沙羅にだってわかる。

 彼が撮った鏡写しで対になった写真のように、ころころと変わる表情を含めてもそっくりな二人は他人からみると判別がし難い。


「試験終わったら、ダメ元でみーくんのお店行ってみる?」

「いきなりいってみる?」

「「……。」」

 沙羅か愛、提案をしたのはどっちだろう。ただ、確かに笑顔でこっくりとうなずいたのは二人同時だった。



【7/10 午後3時 @喫茶店 La Lune】

三崎みさきくん、アイスティーフロート2つね。」

「はーい、わかりました。」

 白波しらなみ先輩がこの時間帯では珍しく忙しそうにしている。大学生の俺達は、試験期間を目前に控えたこんな暑い夏の日でも生活費を稼ぐ必要があるため相変わらずアルバイトに精を出していた。


「フロートがこんなに売れるなんて、やっぱり暑いんですね。」

 陽射しを避けて休憩をするためなのか、最近はずっとお客さんが多い。次々と入れ替わり立ち代わりにやってくる客の案内と会計をそつなくこなしながらも、じっと店の中を見守る店長に声をかけた。

「これだけ暑かったらアイスが食べたくなるからなあ。」

「デザートメニューにアイスのラインナップ増やしてみたらどうですか?」

「うーん。たしかになあ。」

 蓄えた無精髭をそっとなでながら損得勘定をしているのだろうか、じっと眉間にシワを寄せて真面目に考えている。

「店長、ならアイスカタラーナ増やしてくださいよ。」

 耳の良い白波先輩が俺達の会話を聞きつけてやってきた。配膳の合間を縫って自分の要望を伝えていく。


「卸しの洋菓子店にできるか聞いてみるか……。」

 前から思っていたが、店長は白波先輩に甘くないだろうか。さっきまでうーんと悩んでいたのに、彼女のその一言でメニュー増加が決まりそうだ。

「まあ、女の子が好きそうなラインナップの方がいいですよね。」

 そっと作り終えたドリンクを待機台の上に並べて伝票に印をつける。

「10番お願いします。」

 淡々と仕事ができるようになったのも、ここでのバイトに慣れてきた証拠だろう。シフトの調整など希望もちゃんと聞いてくれるので、可能だったらあと2年間も続けていきたい。


 ⁑


「そういえば、みーくんが手を出してる子最近来ないね。振られた?」

 忙しさの波の合間なのか凪のように仕事がなくなったタイミングで休憩を取っていると、先輩がまたこっそりと近づいてきた。

「振られてないです!……まだ、そもそも付き合ってないですし。」

「……まだ?」

「……まだ。です。」

 店長に色恋沙汰を聞くのはセクハラなどなんだの言っていた先輩はどこかに消えてしまった。

 先輩は俺と沙羅との関係に興味がつきないようだ。さんざんと惚気話を聞かせて飽き飽きさせたと思ったのに何度もちょっかいを出してくる。なんだかんだ気になるようだ。

「前までは毎週みたいに来てたのにねー。」

「ちょうど、今週くらいまでテストらしいですしね。」

「ああ、高校生ってそんな感じだったね。」

 2年の俺がもう随分と高校の授業形態を覚えていないように、先輩もすっかりと忘れてしまったようだ。

 彼女からチャットはそこそこな頻度で飛んでくるが、お互いに電話はなかなか出来ていない。彼女への恋煩いにかかりかかっている俺には随分とこの期間が辛いものだった。


「月末辺に息抜きにでも誘ってみたら?勉強ばっかりしていると息が詰まるよ。」

「んー。邪魔かなってちょっと誘いづらいですよね。」

「男の三崎くんから誘ってあげた方が喜ぶと思うけどなー。」

 やっぱりそういうものなのだろうか。確かにリードできる男にならなければならない気がする。


 そうしていると、カランとベルが鳴った。

「あ、ちょっと行ってくるね。」

 店の扉が開く気配を感じた先輩がバックヤードから出ていった。また忙しさの波がやってくるのかもしれない。まだあと5分程休憩時間が残っていたが仕事に戻ろうとした……。

「みーーくーん。お客様ー。」

 ニヤリといやらしく口元を上げた先輩が踵を返して俺の目の前に戻ってきた。

 何事かと思い彼女の後ろへ目をやるとそこには天使がいた。


「えへへ。こんにちは。みーくん。」


 沙羅が小さな顔の横でさらに小さな手を小刻みに振っている。駅からここまでそんなに距離がないにも関わらず、彼女の夏服と額には微かに汗が滲んでいる。

「え、ああ、サラ?」

「お客様、ご案内してあげて?」

 ぐっと先輩に背中を押されて彼女の前にとんっと躍り出てしまう。

「わっ、ああ、一名様でよろしいですか?」

 びっくりした俺は辛うじて挨拶をかけることができた。

「あの。もしかしたら後で二人になるかもしれないです。よければ……ですけど…。」

 少し遠慮がちに笑う沙羅はちょっとだけ小悪魔みたいな表情をしていた。

「では、二人席にご案内しますね。」

「はい。」

 その表情にドキリとした胸を抑えながら、彼女をいつもの席へと案内していく。試験は無事に終わったのだろうか。聞きたいことは沢山あったが、仕事中だったので少しの間は我慢だ。

「飲み物はお決まりですか?」

「ふふ、いつものください。」

「かしこまりました。」

 伝票にアイスミルクティーと記載する。そっと彼女を離れる前に耳打ちする。

「まだ一時間半かかるよ?いいの?」

「うん。まってる。」

 芝居がかった先ほどまでの声と違って耳元で聞こえるその声は、電話越しよりもずっと柔らかく甘い砂糖菓子のようだった。離れがたい気持ちをぐっと押さえて戻っていた。カウンターからそっと彼女を覗くと、スマホを少し触りながらカバンからノートを取り出して勉強を始めていた。試験終わりなのだろうにとても真面目な子だった。


「会えてよかったねー。私が引き寄せたかな?」

「……。もしもそうだとしたら先輩を崇めますよ。」

 あと90分が待ち遠しい。きっとこの間は、今日働いていた4時間よりもずっと長く感じるはずだ。



【間章 同刻 @喫茶店 La Lune】

“さーちゃん、みーくんに会えたよ!”

“こっそりと覗いた時はいなかったけど、入ってみてよかったね!”

 愛は相方の沙羅へ潜入ミッションの結果報告をしながら、彼の低い声での耳打ち思い出してそっと自分の耳を触る。

“また何か進展があったら報告します!”

“らじゃー!”

 沙羅からの返事を確認した愛はそっとスマホを閉まって、店内のBGMに聞き入りながら勉強し始めた。ただ、時折その目線は本からちらりと離れて彼を見つめていた。



【7/10 午後4時半 @喫茶店 La Lune】

 体感的にかなり長い時間をようやく消化した俺は急いで沙羅の元へ向かう。

「ごめんね。お待たせ。」

「あ。みーくん。ううん。全然待ってないよ!」

 彼女はそっと広げていたノートを閉じて俺の場所を作ってくれる。

「期末試験、大丈夫だった?」

「出来はどーかなー。あ!でもみーくんが教えてくれた数学はバッチリだったよ。」

 バッチリを身体で表現するためか、にっこりと笑いながらピースをしている。

「じゃあ、よかった。」

 俺もそれに合わせてピースをし返した。


 そうしたら、沙羅は自分の指の先と、俺の指の先をちょんと乾杯するようにぶつけてくる。さりげない所作が可愛らしい。

「本当にありがとー!みーくんは今から試験だったっけ?」

「そうだね、来週から始まるよ。」

 2年の前期科目が漏れなく取ることができれば、後期はそこまで詰め込まなくてもいいはずだ。


「邪魔してたらごめんね。ちょっとだけ、会いたくって来ちゃった。」

 開始1分も立たない内に俺の精神はもうHPがない。ダイレクトアタックが多すぎる。

「気にしないで。沙羅がいいならいつでも来ていいから。」

「じゃあ、うん。またいっぱいくるね。」

 傍から見ればラブラブのカップルに見えてしまうのかもしれない。内実ともに恋人になれるように男らしく告白ができる胆力が欲しかった。


「大学の試験はいつ終わるの?」

「24日には終わるよ。毎日数科目ずつだからね。全くない日もあるし。」

 沙羅は俺の話を聞きながらすっとストローをつかって飲み物を飲んでいる。グラスを置いた衝撃崩れた氷をカランと夏らしい音を立てる。

「夏服、いいな。沙羅の高校は冬も夏も可愛らしいね。」

 真っ白の夏シャツと青色のチェックスカートはとても清涼感がある。リボン風の白の襟元はセーラー服のようになっていた。沙羅の長い黒髪は、もしかすると本人にとってはとても暑いのかもしれない。だけれども傍目には相乗効果で涼しげに見える。

 中学生の時にクラスの女子が制服を理由に彼女の高校を選ぼうとしていたが、偏差値がそれなりにあるので諦めていた事を思い出した。

「みーくん。なんでも褒めてくれるね。前のお出かけで着ていた服も褒めてくれたしー。」

「センスがいいし、似合っているから言ってるだけだよ。」

「えへへ、嬉しいー。あ、そういえば湊さんの服もかっこいいよね。」

「背が高いからな。スラッとしているし。」

 彼女は細身のジーンズを好んで履いている。たしかに細い脚がスッとみえて格好がいい。

「みーくんの周り、ちょっとだけ女の子が多すぎ?」

「ええ、そうかな。大学だとそうでもないよ。」

「ゲームの中でも結構いた気がするけどー。」

 彼女の指摘には思い当たる節はあまりなかった。

「俺達のギルドにそんなにいたっけ?」

「みーくんは知らないだけかもねー。」

 実はあのギルドにも裏で女の子コミュニティーとかあるのだろうか。

「え、誰だろうな。」

「ふふ、いつかわかるかなー。」

 喫茶店の椅子は誰にとっても少し高めになっている。沙羅は届かない足を子どものように揺らしていた。

「めっちゃ気になるけど!」

「なーいしょ。」

 沙羅は優しく目を細めて、人差し指を立ててそっと唇にあてながら嬉しそうに微笑んでいた。




 ⁑


【7/10 午後9時半 @桐山家】

「ねえ、湊。あの……。」

「んー?どうしたの?」

「御波……元気?」

「はぁ……。自分で返事して聞きなさいよ。」

「だって……。今更……。」

「何年も拗れているわね。本当に。」

 湊は通話相手の親友に呆れてしまった。彼女よりも御波の方がよっぽど傷ついているのに。ただ、そうは思っても彼女に冷たくできないでいる。

「元気よ。年下の可愛い女の子と楽しくやっているわ。」

「え、うそ。彼女?しかも年下?」

「まだ付き合ってはいないんじゃないかな。」

「ふーん。そっか……。」

「それよりもちゃんと謝りなさいよ。」

 自分のことは棚に上げて偉そうに彼女に説教を垂れているのが少し嫌になる。

「わかってるわよ。……今年のサマーバケーションに帰った時には……頑張る……。」

「何度目かしら…、そのセリフ。」

「……。だってー。」

 この調子だとこの子と御波が和解するまでに、沙羅が御波を虜にして上手く納まりそうだ。

 あの子思っていたよりもしたたかで小悪魔っぽいし。あのタイプの女の子慣れしていない御波はすぐに沙羅のアタックに折れるだろう。

 彼がちゃんとした恋愛で幸せになるのならそっちを応援したい。

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