第11話 双子との水族館デート・後半
【6/20 午前11時半 @マリンワールド館内】
「すっごい、1匹のクジラみたいに見えるねー。」
「なんで同じ様に動けるんだろうなー。頭の中繋がってるのか?」
目の前には精一杯に見上げても揺らめく水面がかろうじて見える位に深い大きな水槽がそびえ立っている。視界いっぱいのアクリルガラスの向こう側にはイワシが群生してまるでひとつの個体の様に自由に泳ぎ回っている。一匹一匹が一つの生き物の鱗のようにきらきらと光を反射していた。
「みーくん。展示の説明読んでみよ?」
「ああ、そうだね。」
ふと気がつくと、俺達の隣に同じ展示を見学していた子どもたちが説明を読みに来ていた。そっと、子どもたちが読めるようにどいてあげる。
「ん?」
子どもたちの存在に沙羅も同様に気がついたようだ。
「あ、ごめんね。お姉ちゃんと一緒に見ようねー。」
「うん。ありがとう!」
真ん中を避けて子どもたちとしゃがみこんで一緒になって展示を見ている。その様子をそっと見守る。沙羅は少しだけ子供っぽい天真爛漫さが目につく、だけれども今は幼稚園の先生のように優しい顔をしていた。
ああ、ネット用語の尊いってこういうことなのね。
沙羅が説明を読み終えたようで俺の横に戻ってきた。
「みーくん?どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。」
「なんか、いい事あったの?」
ちょこんと小首を傾げて人差し指をそっと唇にあてている。
「優しいね、サラは。」
「みーくんも、いっぱい優しいよ。えへへ。」
沙羅は顔の前で両手をぽんっと叩いて屈託のない笑顔で微笑む。
「説明、ちゃんと読めた?」
「あー。えっとね、イワシのこの辺りに感覚器が……。」
自分の喉元を使ってイワシの構造を説明したり、ヒレを模すように両手を小気味よく振ったり、全身の身振り手振りを使って説明してくれる。
「……だからぶつからないでまるで1人みたいにいられるんだって。」
「てっきり皆おんなじ遺伝子とかなのかと思ってた。」
正直に言うと彼女の説明の半分も聞けていなかった。彼女の動き1つ1つが目に余るほどに可愛い。
「同じ遺伝子であんなにいっぱいいたら、好きな人見つけるのも大変だね。」
イワシの説明で恋愛に結び付けられるのは女の子らしい。俺には絶対に出せない発想だ。
「好きな相手も同じ遺伝子でいっぱいいるから大丈夫かもね。」
パンフレットの謳い文句によるとこの水槽には数万匹の魚の群れが形成されているらしい。それをどうやって数えてるんだよとか、思わなくもないが。
「みーくんはちょっと現実的だね。」
「サラはロマンチックだな。いい感性だと思うよ。」
「そうかな。えへへ。」
同じ時間に、同じものを見る。たったそれだけで彼女のことがもっと知れたような気がする。そのあとにもっと知りたくなる、そんな事を考える。ロマンチストなのは俺の方だった。
⁑
次の展示を見に行こうと、一旦屋外へと続く階段を登る。どうやら雨天であってもイルカのショーは実施されるようだ。観客席には屋根が備え付けられており大丈夫らしい。イルカたちとパフォーマーの飼育員さんは雨に濡れてしまうが元から濡れるので問題がないのだろう。
「みーくん、ショーの時間ちゃんと見ていてくれたんだね!」
「サラが見てみたいって言ってたからな。ちゃんと調べておいたよ。」
3日前からの考えすぎの予習しすぎの成果が功を奏している。入念に下調べをしておいて良かった。
「あ、始まるよ!」
会場にショーの開始を告げるアナウンスが流れ始める。静かに水槽をぐるぐると周っていたイルカたちが放り投げたフラフープを見事にくぐり抜ける。
「おー!」
「ピッタリだね!」
ちょっと小さなイルカだったが迫力は満点だ。その後も次々と芸を繰り広げていく。芸の見せ場で歓声が上がる度に俺達も合わせて拍手をする。沙羅も小さな手でパチパチと拍手していた。
「わ、シャチかな。でっかいよー!」
一段と大きな魚影が水槽をすり抜ける。先程よりもずっとずっと大きい。下手すると三倍はあるかもしれない。
「前列のお客様はしっかりと、備え付けの防水シートを準備してくださいー!」
ショーのアナウンサーの注意喚起を受けて俺達は二人できちんと準備をした。……つもりだった。
シャチはぐっと全てを引き寄せるように深く潜って、一瞬水槽から消える。そう思った次の瞬間に、全身のしなやかな動きをつかって真っ直ぐと、天井に届くくらい高くへ飛び上がる。
「わ。すごいすごい!」
沙羅がその光景にちょっとだけ油断したのだろう。大きく飛び上がったシャチが水面に戻ってきた衝撃で発生した大きな波が水槽を超えて前列に降りかかる。できる限りは彼女を庇ったが限界があった。
「わぁー!すごぉーい。えへへ!」
「うわっ。あはは。」
水しぶきが掛かっても彼女はニコニコと笑っている。俺もなんだか水に濡れるなんて忘れて可笑しくなって二人して笑い合っていた。その後、雨の中でも観客を楽しませるためのプロ根性を忘れていないイルカ達は容赦がなかった。
⁑
「えへへ。みーくん。庇ってくれてありがとう。楽しかったー。……あ、折角だから写真とっておこ?」
「二人のずぶ濡れ記念だな。」
濡れないように彼女のカバンに入れていたカメラを取り出して先ほどと同じ様に精一杯に手を伸ばして二人が写るように写真を撮る。写真の中の俺達はさっきに比べてよりいい笑顔をしているように見える。
「えへへ、これも思い出だね。」
そう言ってくれて嬉しかったが、彼女の上着はなんとか守れたけれども、少しだけスカートが濡れてしまっている。
「ごめんね。スカートちょっと濡れちゃったね。」
「あ……。」
濡れた先をじっと見つめている。おろしたてだったのだろう、ハンカチをそっと彼女に渡した。ただ、これで拭き取れるほどではないだろう。
「ハンカチ使う?」
「ふふ、みーくんのほうがビチョビチョだよー。」
ハンカチを受け取った彼女は先に俺の服を拭いてくれる。
「俺の服なんてほっていたらそのうち乾くのに。」
「風邪ひいちゃうかもしれないからダメだよー!はい、これくらいかな。」
沙羅は俺を吹き終えて、自分のスカートも拭いていたがやっぱり染みついた水はなかなかとれない様子だった。
「そのうちに乾くかな?」
「乾く……とは思う……あー…ん……。」
「……?」
ちょっとだけ小声の彼女は歯切れが悪い。
「みーくん!ごめんちょっとだけ待ってて!」
急に駆け出した彼女は眼にも止まらない速さで駆けていった。追いかける間もなかった。
「え、あ。はーい。」
夏が近づいてきた日とはいえ、濡れたシャツのままだと寒かった。イルカショーが終わったゲートで何故か沙羅に取り残されてしまった。
「タオルでも買いに行ったのかな?」
【間章 6/20 同刻 @マリンワールド館内】
「ごめん、あーちゃん。ほんとごめん!」
「さーちゃん、イルカショー楽しかった……?」
コソコソとした声と拗ねた顔で愛が問いただしてくる。一つのトレイの個室に二人は狭かった。
「楽しかった!みーくんが守ってくれたし!」
沙羅は小声ながら楽しそうな声音になる。
「いいなぁーー。」
「もっかい行く?」
「さすがに怪しまれ過ぎちゃうよー。」
むーっと膨れながらも愛は沙羅との入れ替わりため、彼にばれないように濡れたスカートを交換する。
「まぁ、一緒にご飯食べられるしいいや。」
「えへへ。それで許して!」
「んー。仕方ないな~!」
「ありがとう!」
「でも、スカート濡れちゃったのは災難だったねー。よしっ!」
狭いながらも二人は入れ替えを完了した。その後、双子は気がついた。
「「あれ、入れ替わらなかったら、スカート変えなくても良かった?」」
「「……。」」
「「えへへ。」」
二人の静かな笑い声が女子トイレの個室でそっと響いた。
【6/20 12時半 @マリンワールド館内】
しばらく待っていると沙羅は申し訳無さそうにそっと戻ってきた。濡れたスカートはそのままだったのでタオルなどを買いに行ったのではないのだろう。
「サラ、体調悪かったりしてない?」
「ううん。大丈夫!急にいなくなってごめんね!」
「何かあったらちゃんと言ってね。」
「うん!」
その様子は元気がないようには見えない。ちょっと変な行動が気にはなったがひとまず追求はしないでおいた。
「沙羅はお腹空いてきた?」
「えっと。あの……ペコペコ……。実は今日、朝ごはん食べてなくて……。」
沙羅はお腹をそっとなでながら恥ずかしそうに俯いている。
「じゃあ、食べに行こうか!」
「みーくんは何食べたい?」
「今日はお魚さん以外かな?」
「確かに!今日はそうかも!」
時間帯がちょうどお昼時なので少し混み合っていそうだったが空腹には勝てない二人は行列に並び始めた。
「みーくん。またシェアしてくれる?」
最初は緊張していたが、沙羅と一緒にいることは慣れてきてはいた。ただ、流石にこの提案は相変わらず照れてしまう。
「え、ああ、いいよ。沙羅は……食べ合いっことか苦手じゃないんだな。」
大学の友人だと鍋の共有が苦手なやつとかがいた事を思い出していた。
「んー。知らない人だったら嫌だけど、家族とか、みーくんなら。いいよ。私、半分こ好きだし。」
よかった、俺の清潔感が不足していることはないらしい。
「鍋とか、食べ物を一緒に食べるのが苦手なやつがいてね。」
「あー。そうなんだね。私は大丈夫だよ。冬になったらみーくんとか湊先輩と一緒にお鍋したいかも!」
そう言ってくれて嬉しかった。その返答を聞いただけで冬が待ち遠しくなる。今から、何を頼んで食べ合おうか。彼女の好きな野菜が多めの料理をじっと探していった。
⁑
【6/21 午後3時半 @喫茶店 La Lune】
「ねえ、その話そろそろ終わる?」
昨日の思い出に浸りながらニコニコとアルバイトに勤しんでいた俺は休憩時間に白波先輩から理由を問いただされていた。
最初は何も話さないようにかわしていたが、追求が激しかったのでぽろっと口に出しはじめてしまったら気がつくと思い出というか、沙羅の可愛いところを語るだけのマシーンになっていた気がする。
「あれ、話しすぎました?」
ずいぶんと呆れた顔か、疲れた顔か、死んだ目をしている。
「はぁ。私にもイケメンが降ってこないかなー。」
「先輩が聞いてきたんじゃないですか!」
「もうお腹いっぱい。消化不良。」
「まだお昼ごはんくらいまでしか話してないですよ?」
「つづきは湊ちゃんが聞いてくれまーす。」
気だるげな態度を隠すことなく先輩は足取り重く仕事場に戻っていった。
「惚気すぎたかな……。」
ほんの少しだけ反省をしておく。みーくん、みーくんと俺を呼んできてからかってくる先輩に一矢は報えた気もする。
しばらくして、俺も休憩を切り上げようとしたタイミングで、スマートフォンがメッセージの着信を告げる。沙羅から写真が四枚送られてきた。
館内で二人一緒に並んでとった初めての写真、俺が取った水槽に写り込む沙羅の写真、イルカショーを終えてびしょ濡れになって楽しそうな二人の写真。それに加えてわざわざその3枚を写真用紙に印刷して、部屋の壁に貼りその様子とともににこやかにピースをしている沙羅の自撮り写真。
どれもこれも素敵な写真だった。沙羅はとても写真が好きなようだ。次は彼女が風景がいっぱいとれるようなところに誘おう。そうだ、夏祭りの打ち上げ花火とかに誘ってみるのもいいかもしれない。
「先輩―!写真みますー?」
「見ないー。絶対見ないー!」
今なら勝てる。武器を手に入れた俺は先輩にいそいそと近寄っていった。
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