第8話 双子のケアレスミス

【6/6 午後3時 @喫茶店 La Lune】

 梅雨らしい灰色の空に覆われた土曜。風が吹かずに真っ直ぐに落ちる雨はしとしとと地面を着々と濡らしていく。夏を感じさせるわずかに高い気温と湿度が原因で、じっと汗を垂らしてくる。ただ、冷房のしっかりときいた喫茶店内では全く関係のないことだったが、

「もう1ヶ月になります、後輩がめっちゃ可愛い女の子を仕事場に連れ込むようになってから……。」

 隣で話しているのは白波しらなみ先輩と店長だった。5月のゴールデンウィークが明けてから毎週末の頻度といっていいだろう。沙羅は俺と湊を尋ねてきて、お茶を飲みながら勉強を教えてもらいに来ている。彼女は数学が特に心配だと言っていたが、確かに数IIの範囲が確かに苦手のようだった。その辺りを今は見てあげている。

「もう1ヶ月になる、三崎くんが可憐な少女を私の店連れ込むようになってから。バイトに来てくれないかな……。」

「なんでモノローグを語るように切なく言葉を発しているんですが、先輩、店長。」

「なんでみーくんって呼ばれてるの!?」

 先輩は強い不信感を拭いきれないようだ。

「三崎 御波でハンドルネームがMillerだからじゃないですか!前も説明しました!」

「じゃあわたしもしーちゃんって呼んでもらう。」

 先輩が壊れたか?目線が虚空を向いている。

「れーちゃんでもいいんじゃないですか。」

 あ、口が滑った。昼にオリーブオイルたっぷりのパスタを食べたからかも知れない。一方で先輩は油の切れたようなロボットのようにギギギっとこちらに振り向く。

「勝者の余裕ですね。三崎くん……。」

「えっと、そういうわけでは……。」

 じとっと冷や汗が出てきたが先輩に怒られはしなかった。


「二人は付き合ってるの?」

 ぐいっとカウンターに入り込んできてウェイトレスの仕事をまた放棄している。空いたテーブルの清掃とかできることはあるんじゃないだろうか。

「色恋について聞くのはセクハラじゃないんですか?」

 首を反らして必死に話題を避けようとする。

「今は大学の先輩後輩として、友達として聞いてるから。」

「アカハラだ……。」

 むっとした先輩が口を尖らせてそっぽを向く。トレイを胸の前で抱えてなにかを蹴り飛ばすように所在なさげの足先がツンツンと動いている。わかりやすくなにかに拗ねている。見た目も合わさって少しおしとやかに見える。

「付き合ってはないですよ。彼女、高校生なんで。」

「じゃあ、大学になったら付き合うんだー。」

 ちょっとおしとやかとかいう表現をつかったらすぐに本性を現したように食いついてきた。


「三崎くんは今年で20歳、彼女は18歳。大学3年と1年だったら気にしない関係なのに、高校生って響きがつくだけでヤバい香りがするね。」

「ヤバいんで手は出しません。」

 みなと様からも毎度のように釘を刺されて、もう刺さる場所がないくらいだ。

「でも、彼女それはもうみーくんにぞっこんだけど?」

 沙羅の明け透けな恋慕の心にはいくら鈍い誰でもが簡単に気がつくらしい。

「そこまでわかりやすいですかね。」

「君が勉強教えてた時に、三崎くんは必死にメモ帳にグラフを書いて説明していたら、沙羅ちゃんはそっと髪をかき分けて見つめているの。メモじゃなくて、三崎くんの顔を!!ああ、乙女か!」

 そろそろいらっしゃるお客様が驚いて帰ってしまわないか心配になる頃合いだ。ちょっと声のトーンを落とす。

「……二人でどこかにレジャーは行くくらいなら大丈夫ですかね。」

「例えば?」

「どこだろう、水族館とか遊園地とかですかね。」

「まー。高校生ならそれくらいだろうな。お酒も飲めないしな。」

 関係のない話だが先輩が酔うと質が悪くなる。顔を真っ赤にしてひとしきり後輩をからかった後にすぐ寝る。気がつくと寝ている。こんな調子だといつか持ち帰りされそうだ。

「日帰りで、健全な時間に解散していたら良いと思うよ。」

「じゃあ、ちょっと考えてみます。」

 この近辺となると、東京まで出てもいいし遊べる場所はいくらでも広がる。ただ、いずれも沙羅が望んで来てくれるのならっていうのが条件だ。

「いいなー。アオハル。」

「あえて青春って言わない辺りがなにか捻くれてないですか?」

「また生意気!くそー先輩にもあれくらい優しくしてもいいの……。」

 そんな感じで昼下がりの先輩と戯れをしていたらお目当ての子が今週も来店してきた。



「みーくん。こんにちはー。」

「サラ、こんにちは。」

「いらっしゃいまーせ。」

 3者3様の挨拶をかわして、もう定番となった流れが始まる。

「アイスミルクティーでいいか?」

「うん。みーくん、いつもみたいにとっても甘くしてね。」

「はいよ。」

 通常ガムシロップは1ついれたら十分だ。もともとの紅茶にも砂糖は含まれているので2つも入れるとどの市販品よりもずっと甘いものが出来上がる。

「すぐに上がるから適当なテーブルに座っておいてね。はい。」

 さっとつくった商品を彼女に手渡しておく。

「ありがとう。みーくん。」

 上目遣いの瞳が俺を捉えて、そのまま目が離せなくなりそうだ。テーブルの方へ向かった後も後ろを振り向いて小さく手を振られる。

「三崎くん、上がって大丈夫だよ。」

 ぬっと店長が後ろから現れる。

「え、ちょっと時間余っていません?」

「君にはあの子を大学生になったらこの店の看板ウエイトレスにするというミッションを授ける。いってらっしゃい。」

「え、え、いいんですかー?」

 店長に押さえながら男子の着替え部屋に連れ込まれてしまった。ここまできたらもう切り上げよう。俺の時給計算がどうなっているのかはわからないが。エプロンを外して簡単なシャツ一枚になる。もうすっかりと暑さが増してきたこの季節。この長袖一枚でもじっとり汗が出てしまう。そろそろ衣替えしないといけない。



「あれ?はやいね、みーくん。」

「店長から気を利かせてくれて早く抜けさせて貰ったよ。」

「じゃあいつもより一緒にいられるね?」

 俺にだけしか聞こえないような声でそっと囁かれる。一瞬二人だけしかこの世界にいないのではと勘違いしそうになり、心臓の鼓動がまた一段と跳ね上がる。心臓の寿命は決まっていると聞いたことがあるがどんどんと削られている気がする。

「ちょっと長く勉強できるな。」

「うん!みーくんといられるなら何でもいいよ。あ、目的が入れ替わっているね。くすくす。」

「俺もサラと一緒にいられるなら勉強以外でもいいよ。今日はちゃんとするけど。」

 また釣られて同じ様なセリフを吐いてしまう。嘘じゃなくて純度が高い下心が原因だ。

「えへへ。じゃあ大学の模試が終わったら、どこか行きたいなあ。……みーくんと。」

 倒置法を用いることで三崎にはよりダメージがある。

「じゃあ、行き先考えておくよ。賑やかなところ好き?」

 彼女はカバンからそっと勉強道具を取り出して準備をしている。

「んー……。どうだろう、みーくんとだったら静かなところに行きたいかもしれないね。……二人だけとかね。」

 倒置法?を用いることで三崎にはよりダメージがある。

「ふふ、わかったよ。じゃあそれまではきちんと見ておこうな。」

「はーい!御波先輩。」

 勉強モードに入ると先輩と呼んでくれる。彼女にいろんな側面の魅力が見えてくることがとても嬉しい。

「合成関数の微分が、ちょっとやっぱり苦手で……。」

「ああ、どこで分けるかがわかりにくい?」

「というよりも、こうやっていくつかの関数が複合されると……。」

 そっと彼女のメモを確認すると切り分けに苦慮していて、計算過程が見やすく整理出来ていないようだ。

「まずは落ちついて、カッコが一番深いこういう場所から取り出して……。」

「うん。うん……。」

 沙羅は決して努力をしない子でもないし一度理解してもらったら次からは自力で解けるようになっているから教えやすい。なによりも話を聞いている時はちゃんと聞いてくれている。ただ、視線の先だけは偶にペン先じゃなくて俺をじっと見ている気もする。



「あ、解けたー。えへへ。御波先輩、ありがとう。」

「サラの理解が早いから大丈夫だよ。」

「そこまで言ってくれるの、みーくんくらいだよ。とっても嬉しい。」

「サラの笑顔は本当に嬉しそうに見えるね。」

「私、なにか嘘っぽい顔したことある?」

 沙羅は首をかしげてちょっとだけ小悪魔みたいな表情をする。

「いや、いつも人を幸せにできるみたいな顔だよ。」

 余裕そうだった彼女の口元がピクッと動き、ちょっとだけこちらを睨んでくる。睨むと行っても全く怖くない。

「みーくん、そんな言葉いつも女の子にかけてないよね?」

「かけてないよ。沙羅くらい。」

「……。これからもそうしてね……?」

 なんて思わせぶりな態度なんだろう。冷房が急に壊れたように暑くなる。



「御波、サラ。今日も頑張っているの?」

 湊がそんな俺達に声をいいタイミングかけてくれる。

「あ、湊先輩。はい!」

「御波はデレデレとしてただけよね。」

「そんなことは……。」

 湊がくすくすと快活に笑ってくれる。

「はは、今日はちょっと用事あるから声かけただけ。二人共またね。」

「はい、またです!」

「いってらっしゃい。おつかれー。」

 現れて早々に湊は立ち去っていった。


「いつ見てもカッコいい女性ですね、先輩。」

 それにはいつだって同意する。立ち振舞いや所作が完璧だ。

「高校の頃から女の子にもててたしな。俺も同性なら追っかけにでもなりそうだ。」

「みーくんに追っかけはいなかった?」

 高校の頃に女の子から手紙かメッセージの一つでも貰っただろうか?

「俺の顔見て追っかける女の子なんていないよ。」

 そういうと沙羅はちょっとだけ安心したような顔をした。

「そうですか……。ふふ、見る目ないね。」

 急に、彼女がすっと年上みたいな余裕がある表情に見える。錯覚のようだったが。

「サラはすごく懐いてくれているな。」

「私はね、みーくんの素敵なところいっぱい知っているから。みーくんが嫌じゃなかったら後輩として可愛がってね。」

 可愛がってね。ああ、そんなこと言われたら頭がクラクラしそうだ。幸せでめまいがするんですって病院にいったら処方箋をくれるだろうか。

「アイのこと、ちゃんと面倒みるよ。一緒に大学生になろう。」

 沙羅は満面の笑みを浮かべている。

「私のことももっと知ってほしいし、みーくんのことももっと知りたい。」

「どんなことが知りたいんだ?」

 もう勉強道具は机の上に置かれた飾りになっている。雰囲気だけが残されて。

「んー。みーくんの初恋とか。」

 藍沙ですね。間違いないです。幼稚園から高校までずっとです。

「あ、うーん。そうだな……。」

「誰もいないの?」

 邪気のない笑顔で詰められていく。

「いたよ、幼馴染が好きだった。」

「いいなー幼馴染。えへへ。どんな人?あ、嫌じゃなかったら教えてね。」

「嫌ではないんだけどね。どんな子。うーん。」


 彼女の姿を思い浮かべる。子供の頃は天真爛漫で、真夏の外で一緒にアイスを買って食べた。二人でかくれんぼしたり、お互いの家でゲームをしたり……。ああ、ピアノを習っていた。すっごく素直な性格で可憐で……、でも中学校からはツンツンしてきた。彼女は段々と俺とは遊ばなくなった。高校になってからはほとんど話をしていない。その後、そっと知らない内にパティシエールになるための勉強に留学に行ってしまった。確かに将来の夢はケーキ屋さんだったしな。


「将来の夢がケーキ屋さん。」

 色々考えた結果、この結論に落とした。相手の事を悪く行っても仕方ないし、コミュニケーションを取り入れなかったのは俺の責任もある。

「ケーキ屋さん!女の子の夢の定番だね。」

「今は海外で勉強しているよ。今年の冬には帰ってくるんじゃないかな。」

 たしか2年位の期間だったはずだ。その後はどこかの店で働くのだろうか。湊がまだ連絡をとっているので断片的な情報は入ってくる。俺からのメッセージに返事はないが。

「いろんな進路があるんだね。むぅ、じゃあみーくんはまだその人のこと好きなの?」

「いや、もう好きではないよ。」

 これは本当でちょっぴり嘘。なぜか分からないすれ違いの果に拗れているので今の彼女のことは何もわからない。昔の藍沙のことだったらまだ好きなのかも知れない。でもそれは過去のことだ。


「じゃあ、みーくんが後輩の女の子とデートしていても、誰にも文句言われないねー。」

 沙羅と歩いていたら別の視線が文句を言ってくるが、それは別カウントにしておく。

「だから、どこか出かけてもいいよ。サラがいいタイミングがあればそこにしよう。大学生は融通が効くからね。」

「うん!わかった。じゃあ、またチャットで送るね。えへへ。」

 最近はテキストチャットだけじゃなくてボイスチャットを常用気味になってきている。彼女の可愛い声が耳元から聞こえてくるのは至福だ。


 ⁑


 いつもの通り駅へと沙羅を送り出した後は、自宅へと戻り家事や自分の勉強をする。少し早いがもう寝ようかと思っていたところで沙羅から着信があった。

「もしもし。」

「みーくん。遅くにごめんね。」

「いいよ、どうしたの?」

「今日の範囲もう少しやってみたから合っているか見てほしいの。」

 覚えてから直ぐに復習するなんて真面目だなと思う。忘れる前に再定着を図るのは良いことだと思う。カメラのビデオ通話と一緒に回答の写真が送られてくる。暫く眺めていると今日教えた範囲の箇所で見つけたケアレスミスをもう一度見つけてしまった。

「サラ、今日教えたケアレスミス、またやっているよ。それ以外は完璧。いいんじゃないかな?」

「え、どこー?」

「問7の小問2かな。」

 簡単なミスだから意識していれば直ぐに回避できるとはおもうが、ちょっとうっかりしていたのかもな。


「あれ?うん。なるほど。えへへ、何度も間違えてごめんね。」

「繰り返して覚えていくしかないから、いいんじゃないかな。」

「ありがとう。みーくん。」

「そんなにお礼言わなくても大丈夫だよ。」

「んー。みーくんには普通の人よりも2倍ありがとうって言いたいの。」

 布団に潜り込んだのかまたくぐもった声に鳴っている。内緒の電話の始まりだ。

「じゃあ俺もアイに2倍お礼言わないとな。」

「ふふ、言ってくれたら嬉しい。私がみーくんにお礼言われるように頑張るね。」

 もうすでにいっぱいの癒やしや敬愛みたいな気持ちを貰っている。ありがとうって言いたいのはこちらの方だ。

「内緒話みたいな声を出してるってことはそろそろ時間ギリギリだったんだろう?」

「うん。ごめんね。」

「親御さんに怒られないようにな。」

「うん。みーくん、おやすみなさい。」

「ああ、サラ?アイのほうがいいか。」

「今日はアイがいいな。」

 どちらを呼んでも喜んでくれるが、パーフェクトなコミュニケーションを取るためには彼女の気まぐれの名前あてをしないといけない。

「おやすみなさい、アイ。」

「うん。みーくん。またね」

 終話ボタンを押して天使との通話を終える。俺の頭は沙羅とのお出かけプランの構築で頭がいっぱいだった。



【6/6 午後10時 @梅ヶ谷家】

「さーちゃん。ここのミスしないやり方聞いてないよ~。」

「ごめーん。みーくんの初恋の話しを聞いて、完全にメモし忘れてたー。」

「もー。疑われてないかなー。みーくん賢いから頭悪い子とかきらいとか無いよねー。」

「次からは二人でもっと予習しておこうか。」

「うん!」

 多少の言い合いはあっても双子の姉妹はすぐに仲直りができる。


「そういえばみーくんの初恋って、幼馴染?」

「もう好きじゃないって言っていたよ。」

「むむむ、それは怪しいよ~。思春期特有のすれ違いの末に……みたいな事かもしれないし。」

「あーちゃんは、小説か漫画の読みすぎじゃない?そんな典型的なことあるかなー。」

「意外とあるんだってー。」

「そう言ったら湊先輩だってつれない振りしてじつはみーくんのこと好きとかありそう!」

「意外と?」

「だってなんだかんだ同じ大学でアルバイト先も一緒だよ。今住んでいる学生寮も近いって。」

「「むむむ」」

「追加調査がいりますねー。」

「みーくんには私達二人共好きになってもらわないと。」

「デートどんな服来てく?」

「今度二人で買いに行こう?」

「じゃあ来週の水曜日!学校の帰りに行こうか。」

「いいよ。」

「「じゃあ、いこー!」」

 双子の姉妹は多少のケアレスミスをしたものの、今日も着々と御波を攻略する準備を進めていた。



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