第6話 湊とサラの出会い

【5/9 午後2時半 @喫茶店 La Lune】

 このカフェでのアルバイトは大学一年の夏から始めた。そこから考えるともう半年以上は働いていることになる。きっかけは何でもなかった。たまたま学生サポートセンターで見つけた求人だった。接客だけのバイトだと苦労が多いかと思い、男ならきっと内勤になるおしゃれなカフェを選んだ。

 そのカフェの店長、宮下みやしたさんは誰にでも気のいい喋り方をする兄のような人間。面接を受けるため初めてこの店を訪問したときも、そのときはただの学生に対して、気を使ってわざわざ冷たい飲み物を用意する出来た人だった。他のバイト仲間含めて人間関係はとてもいい職場だ。


三崎みさきくん、今日は3時半上がりだっけ。」

「ええ、今日のシフトだとそうですね。」

桐山きりやまさんとどこかゴールデンウィークは遊びに行ったのか?」

 店長は俺とみなとが好き合っているか、あわよくば付き合っていると勘違いしているのか、時折こうして動向を伺ってくる。

「湊とはどこにも行ってないですよ。店長、別に湊と付き合ってはいないですからね。」

「そうなのか。どう見てもお似合いだとおもうけどな。」

 傍から見ればそう勘違いする人もいるのだなと、世の中色々なものの見方があるようだ。湊の身長は俺とそこまで変わらない。男としては平均的でも、女性の中ではかなりの高身長だ。ヒールを履いている姿は滅多に見ない、多分そこまで身長を大きく見せたいのではないのだろう。

 湊と付き合う姿を想像しても着飾った彼女には身長で負け、しようがない言い争いでもしようものなら舌戦で言い負かされて、そしてきっと否を認めて許してくれるのも彼女のほうがずっと早い。というかそもそも喧嘩なんて彼女はしないだろう。

 包容力や甲斐性、そんな言葉で現されるすべてのパラメータが劣ってしまっている。彼女は自分には出来すぎた人間だ。


「湊は俺には勿体ないくらいよく出来た子ですよ。」

 そういう事をいえば、サラなんて勿体ないなんて言葉はもう優に越している。実はこの1週間はドッキリでしたなんてプラカードを持ってきても0.1秒で信じられる。信じられるけれども、でもその後家に帰ったらずっとベッドで落ち込む。人生で一度砕けた繊細なガラスのハートが、さらにもう一度粉々になる。

「そうか、まあ人生は色々あるからな。何かまたあるかもsれいない。」

「店長―。人の色恋に突っ込みすぎるとセクハラになりますよー。」

 白波先輩がすっと身を乗り出してきて横槍を入れてくる。ランチタイムが終わり一息ついたこともあって店内は静かな談笑と隣の本屋から持ち込まれた本をめくる音がしっとりと鳴っているだけだった。

「やっぱり、これもセクハラになるのかい?世知辛いね。」

「なりますよー。なりますー。三崎くんを困らせちゃだめですー。」

「はは、ごめんよ三崎くん。」

「いいえ、いいえ。何も困ってないですよ。そこまで畏まられたらそれこそ困っちゃいます。」

 白波先輩が明るくフォローを投げてくれている。仕事ぶりには厳しい人だが彼女もとてもいい先輩だ。


「白波先輩ありがとうございます。」

「なんのことー? ふふ、可愛い後輩がおじさんに困ってたらお姉さんいつでも助けてあげるからねー。……前みたいにぼーっとしてなければね。」

 ぐぐっと釘がさされる。ただ、やはり頼りになる良い人だ。でも、先輩は身長が俺よりも二周りは小さい。姉面されるにはちょっとだけ可愛らしすぎる。

 下の名前は檸檬れもんという。飲み会の席かなにかで他の先輩にそそのかされて、先輩をレモン先輩って一度だけ呼んでみた。言われた彼女は面食らった顔をした後、顔を真っ赤にしてからそれはもう鬼の様に怒られた。もう絶対に二度と言わない。


 ⁑


「御波、先上がったよ。」

「あ、じゃあ俺が上がるまでちょっと待っといて。」

 カウンター越しによく響く声を投げかけられる。湊の方は今日の仕事が終わったようだ。今日の私服はショルダーカットのトップスにハイウエストのパンツを合わせている。

「桐山さん、三崎くんを待つのかい?」

「ええ、ちょっと場所をお借りしますね。水出しコーヒー1つください。」

「借りるなんて言わなくていいよ。三崎くん、出してあげて。」

「はい、わかりました。」

 店長が湊に気がついて声をかけている。言われたとおりの注文を作り始める。湊はテラス

 側の影にそと座って眼鏡をかけて本を読んでいる。爽やかなショートカットが春の終わりの初夏すら感じる陽射しの反射を受けてキラリとひかり空調の風でなびいていた。



 さっさと手を動かして先程の湊の注文の商品を作り終えた。普段の配膳なら先輩や他のウエイター仲間へ渡し配膳をしてもらうが、湊が相手なので自分で渡しに行こうとした。

 ちょうどその時ポケット中でスマホが震える。確認をしようと取り出そうとして、一旦トレイを置いたそのとき。


「みーくん。こんにちは!」

 天使の鐘がなり弾くように、軽快で活発な声が響く。店の入口、目の前にはその声と一見合わない楚々そそとしてたおやかな少女が立っていた。濡鴉ぬれがらすの羽のようにしっとりとした黒髪、吸い込まれそうな虹彩。キラリと光る髪留めが彼女の髪をより映えさせている、まさに錦上添花きんじょうてんか。それでいて八面玲瓏はちめんれいろう

 ああ、勢いが余って知っている美人を指す言葉を全て使ってしまった。


「サラ、いらっしゃい。」

 見惚れずに返事が直ぐに出来ただけでも俺は確実に進歩している。

「えへへ、ちゃんと来れたよ。エプロン可愛いね、みーくん。」

「サラは制服なんだね。学校に寄ってたのか?」

 彼女は何故か制服を着ている。藍色や灰色が使われたチェックのスカート、紺色のブレザー。襟元と袖口には真っ白なシャツがみえる。スカートと同じ柄が使われた胸元のリボン。以前にみた写真の通り。全く非の打ち所がない。

「今日は午前だけ特別授業があったからねー。荷物だけ置いてそのまま来ちゃったー。」

 その反応だけで、えへへ、って俺も言いたい。


「三崎くん、彼女は後輩かい?」

 そっと近寄ってきた店長が渋い声で聞いてくる。

「あ、店長。そうです、後輩……、友達ですね。」

「え、三崎くんにこんな可愛い後輩いたの? え、嘘だよね……。」

 白波先輩と店長が俺と沙羅を信じられない顔で見てくる。よかった、もしかしてドッキリだとしても嵌められているのは俺だけではないらしい。

「梅ヶ谷 沙羅です。御波先輩には良くしてもらっています。どうぞ、よろしくおねがいします。」

 沙羅は楚々としてお辞儀をする。普段俺に見せてきている姿とは違い、お嬢様のような立ち振舞だった。


「こちらこそ……、おねがいします……。」

 白波先輩はトレイを胸に抱えて震えている。その反応は流石に驚き過ぎではなかろうか。

「……。梅ヶ谷さん、うちで働かないか?」

 店長はアルバイト募集なんて、今はしていないのに沙羅をウエイトレスにする気だった。

「みーくん、あ、御波先輩と働けるなら嬉しいですけど、今はちょっと時間がないので出来ないです。ごめんなさい。」

「そうか、また時間が出来たらいつでも考えてね……。」

 すごく店長が落ち込んでる……。あれ、この店って顔採用だったのか?

「みーくん?みーくん!?」

 白波先輩が俺を凝視しながら更に震えている。他のお客さんにそろそろ迷惑になりそうだったので彼女を湊のいる席へと連れて行こうとする。

「サラ、もうちょっとバイトの時間があるから湊と先に会っておいてくれないか?」

「うん。あ、すいません、お邪魔しますね。注文は後でしますから。」

 ペコリと頭をそっと簡単に下げ一礼して彼女は俺についてきてくれた。

「みーくん。ごめんね、あだ名で呼んじゃった。」

 後ろから彼女が小さい声で謝ってくる。

「大丈夫だよ、アイ。」

 ああ、なんてキザなセリフだろうか。こんな言葉を女の子にかけられる日が来るとは夢のなかの夢でも見たことがない。

「ふふ、仕返し?」

 首をそっと捻って嬉しそうに微笑んでいる。とても楽しそうでよかった。


 ⁑


 湊が座るテーブルへと到着する。

「湊、注文貰ってたコーヒーだよ。」

「御波、ちょっと遅いんじゃない?お水なくなっちゃった……」

 湊はすっと眼鏡を外して、本から顔を上げて俺を見つめた後、後ろにいた沙羅に目線が奪われていた。

「サラも来てくれたから、遅くなった。」

「ああ、サラちゃんこんにちは。はじめまして。桐山 湊です。」

「え……?」

「職業は大学生で本屋のアルバイト、あと世界を救う光の戦士でナイトです。」

 湊はニッコリと年上らしくキレイに挨拶する。ここまで驚いた沙羅の表情は初めて見たかもしれない。サプライズというか湊の努力はちゃんと実を結んでいるようだ。

「え、ミナトさんって、男の人じゃ?」

「湊は女だよ。」

「え、だって、みーくんが端正でカッコいいって。あと、ボイスチャットでかっこいい渋い声してるし……。」

「自分で言うのは恥ずかしいけど、昔から女の子にカッコいいって言われるね。」

 湊がキレイに口元を上げて微笑む。流石の湊も直接初めて見た沙羅に驚いていたが、直ぐに冷静さを取り戻したようだ。

「ごめんねサラ、悪い意味で騙すつもりはなかったんだよ。」

 あたふたとする彼女をフォローしておく。

「えー。えーー。すごーいー。えー。あ、私は梅ヶ谷 沙羅です……。職業は高校生で、白魔道士です!」

「知ってるよ。でも、こっちでは、はじめまして。」

 湊と湊はそっと握手をする。とても絵になる光景だった。


「みーくんの周りってもしかして美人さんばっかり?」

「御波は幸せ者だね。」

 湊は見た目に反して結構テンションが上がっているようだ。普段言わないような明るい口調でしかも冗談を言っている。

「はは、ご注文はいかが致しますか?」

 とりあえず沙羅の注文を聞いて、この場を去ろう。あまり仕事をしなさすぎるのは良くないというか。後ろから白波先輩と店長がじっと見ているのが分かる。

「じゃあ、みーくん、アイスミルクティーお願いします!甘くしてね。」

「御波、いってらっしゃい。」

 沙羅はそっと湊の席へ同席していった。さて、伝票に注文をとったし、カウンターに戻るか……。あと30分くらい、平和に働くことはできるだろうか。

「三崎くんにもう優しくしなくっても、いいかもしれないナー。」

 トレイを相変わらず抱え込んだ先輩は遠い目をしている。

「先輩、勘弁してくださいよ。」

「看板ウエイトレスになってくれないかナー。そうしたらもっと売上伸びたり……。」

「店長、ちょっとゲスいです。いつもの店長に戻ってください。」

 新しく入ってきたお客様が来るまでは二人とも俺よりお使い物にならない様子だった。



【5/9 午後2時45分 @喫茶店 La Lune前】

「あそこがみーくんと、ミナトさんがアルバイトしてるとこ?」

「地図見るとあそこだし、看板も間違いないよー。」

「あ、カウンターにみーくんいない?」

「え、どれどれ?」

「ほら、あのエプロンの。」

「あ、可愛い。あーちゃん、見て見ていいなーあの制服、隣の女の人の制服ほらー。」

「えーいいね。あれ、なんかまた凄い美人さんが来たよ。」

「お客さんかなー。スタイルすごい綺麗。羨ましいねー。」

「あんな服私も着てみたいな、さーちゃん、身長ちょっと頂戴。」

「あーちゃんが沙羅にくれたっていいいんだよ!」

 店が見える木陰からそっと制服姿の双子の姉妹が覗く。

「あ、そろそろ時間になるし行かないとダメかな。」

「うん。行ってらっしゃい。計画通り入れ替わりは電話の振りでね。」

「はーい。見計らって連絡するね。」


 沙羅は愛を見送って、そっと見つからないように近くの別の喫茶店へと足を運んだ。すでに暑いといえる陽射しは紺色のブレザーには堪える。早く夏服に着替えたい。冷房が効いた店内に入り、冷たいミルクティーを注文してほっと一息つく。

「もうちょっとしたらまたみーくんに会えるなー。えへへ。」

 そんな彼女に一通のメモが届く。

 ・ミナトさんが女性。しかも美人すぎる。これは緊急事態?


「え。えー。えーー。どういうこと! ミナトさん男じゃないの? みーくん、ミナトさんと付き合ってないよねー?ああ、あーちゃん大丈夫?私、大丈夫?。」

 冷静に務める愛の心の中は近くにいた沙羅がしっかりと表していた。




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