第5話 週末の予定と内緒の電話
【間章 @
特に
顔が見えないっていうのはコミュニケーションが取りづらい。ボイスチャットを使わない限りは会話にだって制限がかかる。想いを正しく伝えるのだって一段と難しいのだ。
サラと出会った時は御波がまた優しくして初心者を拾ったくらいにしか思っていなかった。彼女はタイピング慣れしていなかったのか、チャットを返すのだってもの凄い時間が掛かっていた。でも、その所作や言葉少ない行間から読み取れる彼女の考え方は育ちの善い人間だということはすぐに分かった。仲間になるまでに時間はそれほど必要にならなかった。
御波がいいやつだってことは私もよく知っている。ちょっと男女交際関係のことになると急にヘタレで人生が下手だし、ステレオタイプな童貞っぽいし、悩むとウジウジするし……。ああ、違う。いいやつだって話だった。
付き合ってみたら分かる。困っている相手の一番役に立つように、相手に貢献できる。相手の立場を客観的に見てアドバイスができる。一緒に悩んで行動ができる。……自分の恋愛以外。
私だってそんな彼の性格が気に入っているから今だって一緒にいるのだ。
「私が休日ゲームしてるって言ったら、周りは似合わないって言ってくるんだよね。」
「桐山さんはすっごくカッコいいし、そういうこと言うやつがいるのも分からなくない。だけど、今すごい楽しそうだし。似合うとかそんなことどうでもいいでしょ。」
その答えは分かっていた。でもずっと心の中で詰まっていた、その答えをいとも簡単に代わりに取り出してくれた。そう、今が楽しい、ここが楽しい。だったら他人なんて
長くなったけれど、話を戻しましょう。サラのことだった。
【5/7 @学生食堂】
「サラが可愛いかったことはもう分かったから。話が砂糖食べているみたいで食事が進まないんだけど。」
ゴールデンウィークがあけて、講義が再開された。長期休暇あけということもあって学生たちの士気は低い。前期の中間考査までには徐々に戻るだろう。講義をする側の教授達も何かと理由をつけて適当に講義が流されている気がしなくもない。それに対してこいつは元気いっぱいだ。一つエピソードを話すとサラの仕草をわざわざ交えてくる。
「え、ああ、ごめんごめん、そんなつもりはないんだけど……。」
「はぁ。来なきゃヨカッタナー。」
「ええ、湊くらいしか相談出来ないんだって、頼むよ。」
必死な彼の役に立てるのが私しかいないのなら致し方ない。もう暫くは付き合おう。
⁑
【5/7 @学生食堂】
「それで、バイト先にも来てくれるって。湊に文芸学部の話が聞きたいって言ってたからさ、良かったら会ってやってくれないか?」
サラとの約束を果たすためには湊の協力が不可欠だ。もしもダメだった仕方ない。彼女に迷惑をかけてまでするべきことではない。
「そんな時間使って彼女の勉強は大丈夫なの?」
桜ヶ丘だとすると電車で20分もかからない。あまりにもかまけ過ぎない限りは彼女野邪魔に鳴らないだろう。
「そんな何度も来るんだったらまずいけど、一度くらいなら良いんじゃないか?」
「まぁ確かにね。そうね、土曜日だったら早番だし、終わった後に話しやすいんじゃないの。」
「じゃあ、そう伝えておくよ。湊が女ってことは当日まで内緒か?」
「それでいいんじゃないかな、サプライズ。私のボイスチェンジがどれほど上手くいってるのか確認してみたいし。」
傍から彼女の声を聞いている限りは絶対にバレてないと思うが、確認したい気持ちも理解できる。ないよりもサプライズで驚いた顔を見てみたいのは俺も同じだ。騙すというよりも楽しんでほしい。
「勉強も良ければ一緒に見てやって欲しい。まあ、どれもこれも湊が気に入ってくれればだけど。」
「いいんじゃない?ちょうど本屋だしね。私の店の売上に貢献してくれるように参考書を紹介してあげるわ。」
アルバイトとはいえ仕事熱心なやつだ。彼女が家庭教師だったらさぞ厳しい先生になるだろう。そういえば彼女は教員免許を取るための授業を取っていたはずだ。実習にこんな凛とした先生が来たら男子生徒だけじゃなくて女子生徒も盛り上がるだろう。
「お手柔らかにしてあげろよ。」
「サラならきっと頭いいから大丈夫よ。ふわふわしたお姫様みたいな喋り方してるけど飲み込みは早いわ。」
概ねの評価は俺と変わらない様で安心した。本当に湊は頼りになる。俺の友人の中でダントツに信頼している。
「でも、だからって御波は調子になって手を出したらダメだからね。せめて大学に合格するまでは彼女の邪魔になったらダメよ。」
急ににらみつけるように冷たい目線を俺に向ける。性癖がそっち方面ならたまらないような冷たさだ。心が氷漬けになりそう。
「ハイ、肝に銘じています……。」
厳しいところだって素敵な女性です……。
【5/7 午後8時 @自宅】
“ミナトの許可も貰えたから、土曜日の夕方に都合が良かったらおいで”
サラに向けてチャットメッセージを送っておく。彼女はいまオフラインマークだからきっとしばらくしないと返事が来ないはずだ。そう思ってスマホを放り投げて今日の簿記論の講義で出た事前課題へ取り掛かる。中間考査に持ち込める自分用のメモも兼ねているので少し真面目に取り掛からないとならない。パソコンと参考書を使って分からない関係性を整理する。問題を読んでから計算に少しでも早く取り掛かれるようにしないと。
そうして30分ほどは集中出来ていた。だけれども着信を告げるスマホの通知LEDが目の端に映ったら集中力は綺麗サッパリ、粉々の散り散りになった。
いそいそと投げ捨てたはずのスマホを取り通知を確認してみる。しかしながら、サラからのメッセージではなくてただのゲームフレンドからしょうもない画像だった。怒りのあまり危うくスマホを握り潰すところだった。ため息をついて勉強を再開しようと適当なリアクションを返しておく。
するとサラのアイコンの右上端がちょうど緑色になってオンラインを告げる。それと同時に彼女からの待望のメッセージが届いた。
“じゃあ、3時にいくねー。んー。楽しみー!”
“ミナトも楽しみにしていたよ。”
“やったー。どんな人だろう?カッコいいのかな?”
彼女の容姿は確かにカッコいいが、どの様に伝えようか悩んでいるともう一通メッセージが届く。
“本当は今日、静かにしたほうが良いんだけど、みーくんの声聞きたいな?”
先程の怒りなんてもう遥か昔のようだ。心がこの一言でこんなにも舞い踊る。今日もありがとう神様。
でも、こんな調子で彼女の邪魔にならないなんてできるだろうか?少し心配になりながらも都合の良い返事をしてしまう。
“いいよ、いつでもかけて来て。”
返事から数秒もたつと、着信が飛んでくる。
「もしもし。」
たしかに今日は小さな声を出している。まるで布団の中で話しているようなくぐもった声だ。
「サラ、こんばんは。」
釣られて俺も小さな声になってしまう。
「えへへ。こんばんは。私はイヤホン付けてるから、みーくんは声小さくしなくても大丈夫だよ?」
「あ、そうだったね。釣られちゃった。」
くすぐったいような甘い声が耳から頭を震わせる。そういえば子供の頃の
「こうやって話してると、内緒話してるみたいで楽しいよね。」
「親御さんに見つかったりして怒られないか?」
「ちゃんと入り口を見張ってるから大丈夫だよ。えへへ。」
「そりゃ、ずいぶんと悪い子になってるな。」
「そう、ちょっとだけね。悪いでしょう?」
開いた傷口はすぐに元通りにふさがり、お釣りが来てしまった。たまらなくなってきたので話題をそっと変える。
「ああ、そう言えばミナトだけど、
「えー。すごーい。イメージそのままだね。」
嘘はいっていない。本当は意外と乙女趣味だったりしたりするのだが、本人にそれを言うと結構恥ずかしいのか照れ隠しで怒られるので言わないでおく。
「隣の本屋でアルバイトしてるから、後で合流できるよ。」
「みーくんはカフェでアルバイトしてるんでしょう?」
「そうだよ。サラはコーヒーと紅茶だったらどっちが好きだ?」
「サラは冷たくて甘い紅茶が好き。だから甘くしてね?」
「ふふ、ガムシロップ多めに入れておくよ。」
「ありがと。みーくんは何が好き?」
「俺はコーヒーが好きだよ、甘いほうが良いけどね。」
「じゃあ、一緒。ね。」
ああ、恋愛ソングってこういうテンションで歌詞書くんだなー。俺の脳で幸福神経物質のエンドルフィンが野外フェスでも開いているような感覚になる。エンドルフィンっていうバンドありそー。関係ない感想がぐるぐると頭を駆け巡る。
「そうだね一緒だった。」
こっそりと笑い合いながら、傍から見ればどうでもいい話で盛り上がる。一言でいえば幸せだ。ひとしきり笑った後に、彼女がふと変わった事をお願いしてくる。
「ね、一回アイって呼んで?」
「ああ、あだ名だったっけ。別にいいよ。」
相変わらずよくわからない名前だったが、お願いなら聞くしかない。
「アイ?」
「……。」
「サラ?聞こえてなかったか?」
急に押し黙った彼女が心配になる。回線が悪くなったりしてないだろうか?
「……えへへ。聞こえてるよ。」
「そんなに好きなんだな。友達に呼ばれてるのか?」
「うん。そう、どっちも私の名前だよ。」
ちょっと思ったよりも不思議ちゃん入ってるのかなー。でも可愛いからいいよね。脳機能が低下していく。
「あ、ちょっと、ヤバいかも。ごめんね。また、土曜日に!」
「ああ、おやすみ、アイ。」
「みーくん。またねっ。」
最後の“またねっ”にハートが付いていた気がする。これは流石に妄想だけれど。
かなり短い通話だったが、密度は十分だった。今日もこの幸せを誰かへとお裾分けしたい。布団を抱いてベッドでゴロゴロと悶える。
「乙女か!俺は!」
布団を放り投げて一人でツッコミを入れる。一人の夜が今日も更けていっていくが以前と違って決して寂しくはない。
【5/7 午後9時 @梅ヶ谷家】
「
「「はーい。」」
急いで布団から這い出てきた愛がちゃっかりと床の机の前に座っている。
「あーちゃん、みーくんと何を話してたの?」
「えっとね、みーくんはコーヒーが好きなの。」
「他には?」
「愛って呼んでもらっちゃった。“おやすみ、アイ”だって。」
「えー、今度は私も言ってもらうよー。」
「今日はさーちゃんより幸せもらっちゃったからいいよ。次呼んでもらって?」
「絶対そうしよー。」
沙羅は浮かれた愛をみて心に誓った。
「沙羅―愛―。どっちからでもいいから、行きなよー?」
「「ごめん、お母さん、今行くねー。」」
今日も梅ヶ谷家は賑やかに夜を過ごしている。同じ夜の下には浮かれる男、浮かれた男からのメッセージを面倒そうに見てため息をつく女、楽しそうに笑う双子姉妹がいた。
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