第2話「調教師じゃありません」


『グルルルルッ』


ワンちゃんが唸る声がする。

おぉ、神はここにいたか!

すがるような眼でワンちゃんを見ると、私の前方に向かって唸ってる。

そっちじゃないよ、魔王。

そう思ってると、カサカサと、木々が揺れる音が大きくなる。

ガバっと後ろから囲うように、身体を拘束された。


「ひぃ!殺される!」

「安心しろ。我々がいる。」


お前らが危ないんじゃ!

震えながら、拘束する人物を見上げると、剣を構えながらワンちゃんと同じ方向を見てる。

他の二人も、それ以外の人達も、臨戦態勢のように集まってきた。

なに?何が起きるの?

もう、色んな意味で緊張しながら、じっと森の奥を眺める。

じっと見つめる。

誰一人言葉を発さない。

ふとんがふっとんだ、とか言ったら、本気で殴られるんだろうな。

掌で、トカゲが何かを吐き出そうと、懸命にケポケポしてる。

このタイミングで戻さないでおくれよ、ぷりーず。


「ぐお…ぅ。」


遠くから、何かが叫ぶ音が聞こえて、思わず顔を上げる。

確実に、近づいてる。ヤバいものが。

今までにない恐怖を感じてか、カタカタと震えだした身体。

啖呵たんかを切った相手に伝わりそうで、恥ずかしい。

どうにか抑え込もうとしてたら、身体を囲う腕の力が強くなった。

絞め殺す気か。

少し緩めてもらおうと、腕をつかんだ時に。

トカゲの口から、何か赤いものが見えた。

今はヤメテ!


「ぎゃおおぅ!」

「ひっ!」


奇怪な声と共に、ゾンビのような生き物が大量に押し寄せてきた。

ものすごく速くて、あっという間に目の前まで迫っている。


そこからは、戦争映画のようだった。


目の前で繰り広げられる、命のやり取りに。

本当に、目の前で起きているのか、信じられなかった。

ゾンビから飛び散る、緑の液体。

その中に、人から出たであろう、赤い血を付けたやつもいた。

何が、どうなっているのか、わからない。

目の前で、ゾンビが倒れるのを眺めつつ、その先に、怪我を負った騎士が、足を引きづりながら、応戦してる。

夢なら、本当に覚めて。

魔王が切りつけたゾンビの、返り血が顔にかかった。

その、やけに生暖かい温度に。

吐き気をもよおした。

でも、今は吐いてはいけない。魔王の邪魔になる。

どうにか、吐き気を堪えていると、優しい声がした。


「目をつぶっているといい。」


その声と同時に、私の身体は反転して、魔王に抱き着くような体制になる。

優しく背中をさする手が温かい。

その優しさに、泣きそうになった。

でも、今はやめて。

マジで吐きそう。


それから、思ったよりも早くに終わりを迎えた。

魔王が動きを止めて、私を伺うように覗き込んだのを見て、それを知った。

相変わらず、無表情だけど、目は温かい気がした。

視界が開けたからか、周りの惨状が目に入った。

緑の液体。

うっ。きもちわるい。

魔王から離れて吐き出そうと、よろよろと草むらに近づこうとした。


「待て。」


ぐっと掴まれる腕。

もう、我慢の限界なんですけど。

もう片方の手が、私の顔に伸びてきた。

顔に触れる直前。

私の防波堤は決壊した。

そして、理解した。

夢じゃないっぽい。




「…すみませんでした。」

「構わない。」


私は川で、魔王の服を洗っている。

私は、綺麗に魔王の服にリバースした。

魔王はそれを特に気にする事なく、テントで休むようにと、私を連れて行こうとした。

でも、吐いてスッキリしたのか、やけに身体が楽になったせいで、自分の仕出かしたことに、申し訳なくなった。

カイジン退治で汚れているから構わないと言っていたが、どう見ても、私の汚物の汚れが一番大きい。

頼むから!後生だから、洗わせておくれ!とすがりつくと、微妙におびえたような顔をして、しぶしぶ私を川に連れてきた。

魔王から衣服を奪うようにぎ、川の水でゴシゴシ洗う。

やっと、落ちた。

ふぅっと汗を拭い、服を絞る。

いつの間にか肩に乗ったトカゲが、動きに合わせて背中や頭に移動しては、楽しそうな声を上げる。

遊園地のように扱われているな、私の身体。

近くの日が当たる岩に、服を広げて置く。

そして、申し訳なくなって、謝ったのが、今。


魔王は本当に気にする事なく、私の好きにさせくれたようだ。

私の様子をじっと眺めるのも忘れずに。


「洗濯は手慣れていたようだが、いつも自分でするのか?」

「自分の手ではやりません。洗濯機があるので。」

「せんたくきとは?」

「…え?」

「せんたくきとは?」


また、変なところに火がついた。


「せんた、」

「あの、そういう風に、問い詰めるの、やめた方が良いですよ。」

「なぜだ?」

「不快な気分になるから。」

「そうか。」


ふむ、と考え始めたようだ。

こっちが悪い事はしたけれど、イライラさせられるのはいただけない。


「あと、ありがとうございました。守ってもらいまして。」

「当然の事をしたまでだ。」


魔王はポケットからハンカチを取り出すと、私に差し出した。

おぉ、紳士的だな。


「顔を洗った方が良い。吐瀉物としゃぶつが付いている。」

「オブラートってないのかなぁ?」

「おぶらーととは?」


無視を決め込み、顔を川でバシャバシャ洗う。


「おぶら…。」


本人も気づいたらしい。二回目は飲み込んだ。

差し出されたハンカチで顔を拭いてうかがうと、知りたいという変な力の籠った目をしてた。

無表情だと思ったけど、意外と目で語るタイプなのかも。


「ところで。」

「はい?」


油断して魔王を見上げると、ガシッと両腕を両手で掴まれ。


「我々がおかしいとは、どういう事だ?」


…忘れてなかったんかーい。

意外と根に持つタイプだな。


「これは聞いても構わないだろう?」

「えっと…。」

「どこがおかしいのだろうか?何か改善点があるのだろうか?何か気になる点があれば教えてほしい。」


いつになく饒舌じょうぜつになったな。


「えと、なんで、そんなに聞きたいんですか?」

「我々、王国騎士団は、国民を守るために、日々精進している。だが、君は我々をおかしいと言った。狭い世界で見ているとも。」

「へぇ。そんな事言いましたかねぇ、私。」

「言った。クズ共とも。」

「あはは、はは。」

「君がいた異世界では、どんな方法がとられているのだろうか?」

「あ、私を異世界人だと信用したんデスネ!」

「比較的最初の方からそうだと確信している。」

「へ?なんで?」

「ラウルが気配を読み切れなかった事と、まほうという単語を説明できた事。」

「え?あれで?」


騙されやしないか、それは。


「異世界人の多くは、まほうという言葉を必ずと言っていいほど発するらしい。まほうというものが無いと知ると、わかりやすくガッカリする。」

「まぁ、そうですね。異世界って言ったら、魔法って思うんで。」

「そして、その事は、国の中枢の人間しかしらない。」

「えぇ~?そうなんですかぁ?」

「疑っているようだが、この騎士団でもその事を知っているのは一握り程度だ。」


そうですかねぇ。私が出会った人間のほとんどが知ってたみたいですけど。


「君を異世界人と確信している。だから、そちらの知恵を恵んでくれ。」

「えぇっと。」

「どうすれば、」

「はい。そこまで。」


私と魔王の間に、大きな手が現れた。

びっくりして、手の主を見ると、大男と言えるような大きな男性がいた。

魔王も十分、180センチくらいはあるのに、それを超える大男。

でも、雰囲気はかなりマイルド。

ダンディなおじさま。

金髪と相まって、ナイスミドル。


「何をそんなに切羽詰まって聞いてるの?」

「それは、異世か、」

「怖い思いしたでしょ?大丈夫?」


魔王の言葉を聞く気がないと見た。


「あ、大丈夫です。」

「うちの子は、真面目なのは良いんだけど、根詰めちゃうから、面倒でしょう?」

「団長!私は、騎士団の、」

「こんな堅物は放っておいて、私とお話しませんか?お嬢さん。」


ナイスミドル、万歳!

やっと、私の気持ちを代弁してくれる人が!

この人も綺麗な顔をしているから、相当モテるな。


「団長!」

「まぁまぁ。君とだと、話が進まないだろうから、丁度いいじゃない。」

「えぇ。本当に。」

「…っ!」

「じゃあ、私の自己紹介から。私の名前は、ギルベルト・アトラール。王国騎士団で、団長をしています。」


あ、外国っぽい名前なんだなぁ。

そう言えば、みんな彫りが深いっちゃ深いから、目鼻立ちハッキリしてるもんな。

私なんて、のぺっと見えている事だろう。


「お嬢さんの名前は?」

「あ、茜・鳥飼です。」

「さっきは、とりかいあかねと言っただろう。なぜ言い換えた?」

「それは、私の国では、苗字が先だけど、ギルベルトさんにならっただけです。」

「そうかぁ。君の国では、苗字の後に名前なんだね?」

「はい。」

「なぜ、さっきと同じように、」

「ダニエル。もしかして、君は、自己紹介もしてないんじゃない?」


ピタリと、魔王が止まる。

私もつられて止まる。

それくらい、声の雰囲気が変わった。


「何も知らない子に、問い詰めるだけ問い詰めた?」

「…。」

「前にも言ったよね?そういう、人を犯人扱いするような言動はつつしめと。」

「私は別に、犯人扱いなど、」

「自分ではそう思っていなくても、相手はそうとらえてしまうって、前にも話したよね?理解できていなかったのかな?」


まるで、魔王が子供のようだ。

天空の城で、悪役がつぶやくような気分になったわ。

それくらい、ぐぅの音も出ない魔王。

いいぞ、もっとやれー。


「それは…。」

「ダニエル。君は、訓練以外で、もっと学ぶべきことが沢山ある。」

「はい。」

「人との交流も、大事な騎士団の務めだよ。人とキチンと対話が出来なきゃ、何も伝わらない。それでは、人々に理解してもらえないよ?」

「私も、同意見です。」


ここぞとばかりに、同意した。


「アカネちゃんも、そう思う?」

「はい。気になる単語があると、まるで壊れたラジカセのように、同じことを繰り返すので、会話になりません。」

「らじかせ…?」

「ほら!またスイッチ入った!」

「すい、」

「やっぱり、そう思うよねぇ。探求心は素晴らしいんだけど、限度があるからねぇ。」

「えぇ。TPOも。」

「てぃぴぃ、」

「そうだよねぇ。ちゃんと、相手と弾む会話が出来るようにならないと。」

「えぇ。そうですね!」

「アカネちゃんも、同意見で良かった。」

「こちらこそですよ!理解者がここに!」


うんうんと、嬉しそうに私の手を握りながら頷く、ナイスミドル改め、ギルベルトさん。

おぉ、仲間よ。


「じゃあ、アカネちゃんがダニエルを特訓してくれるかな?」

「………は?」

「アカネちゃんなら、うまくいくと思うんだよねぇ。」


ちょっと待ってダンディズム。

こやつの調教は無理でっせ。

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