第9話【優しい光に包まれて】

静かだった。本当に、何も聞こえないくらいに静かだった。

いや、ちょっと違うな。

そう、耳が痛かった。こっちが正解だ。

キーンと耳の奥が鳴っていて、何も聞こえなかったんだ。まあ、そりゃあそうだよね、こんなに至近距離で大砲を撃たれたんだから。それにしても、死後の世界って、思ってたのと全然違う。もっとこう、お花畑みたいな綺麗な場所だと思ってた。でもね、真っ暗なんだよ。真っ暗で耳鳴りがして、とにかくグローブの中の手がビリビリしてるんだ。

「…か…ん…すめ!」

『…まちちゃん!』

『…ザクラ!』

耳鳴りに混じって、遠くから声が聞こえたような気がする。これは恐らく、ハイディさんと、タクロウさんと、そして幸っちゃんの声だな。

…ん!? 

ちょっと待ってよ?

私は突然違和感を覚えた。だって、一緒に乗ってたハイディさんが天国に居るのは分かるけど、どうしてタクロウさんと幸っちゃんまでこっちにいる!?

「目を開けろ、看板娘ッ!!!!」

次の瞬間、耳鳴りを切り裂いてその声が聞こえた。そして、まだ自分が生きている事に気が付いたんだ。

 恐る恐る見上げた天井に大きな穴が開いていた。眩しいくらいの星空が見えた。そして、正面を向いた時に自分の目を疑ったんだ。

―まっすぐ前に突き出された私の両手があった。

そして、その手が、一〇式の大砲を押しのけていたんだ。そう、それはまるでお爺ちゃんが好きな相撲のように、張り手を食らった一〇式はほっぺたを押されて顔を斜めに曲げていた。そして『どうしてまだ生きているか?』その理由だけはとりあえず理解した。そう、私の渾身の突っ張りで、大砲の軌道が逸れて天井に大穴を開けたんだ。

―!?

何故に伸ばした手が届く!?

私は慌てて自分の掌を見つめると、目の前で開いたり、閉じたりしてみた。そして、とんでもない事に気が付いたんだ。

『…こ、小桜一号の上半身部分が、人型に変形しています!!!』

そうそう幸っちゃん、私も今、それを言おうと思ったんだよ。

そう、目の前には、グローブをはめた両手と同じ動きをする、巨大な機械の手があったんだ。慌てて周りを見ると、私はさらに驚いた。だって、視界がさっきまでよりもずっと高い位置にあったのだから。

左右を見ると頑丈そうな肩があった。

俯くと厚い金属の胸板が見えた。

そして、腰から下が戦車だった。

そう、私の視界には、慌てふためきキョロキョロと周りを見渡す巨大なロボットの姿が映っていたんだ。その時、完全に理解した。あの、赤いボタンの正体が何だったのかを。そして、私が今、ロボットと化した小桜一号と、同化しているという事を。

『急げ! 一〇式の砲身にしがみ付くんだ、小町ちゃん!!』

タクロウさんの叫び声に不意に意識が現実世界に戻された私は、慌てて記憶を遡り前回の砲撃から何秒くらい過ぎたか思い出そうと思ったけどダメだった。完全に途中の記憶が飛んでいた。

「は、はいッ!」

まだ頭の芯も、耳の奥も痺れていたけれど、私は大声でそう答えると、タクロウさんの言葉通りに無我夢中で目の前にある一〇式大砲に抱きついた。

ギギギギギと、金属と金属がこすれて軋む悲鳴がそこら中から聞こえていた。

「そのまま一気に砲身を捻じ曲げろ、看板娘!!」

「は、はいッ!!」

私はさらに力を込めた。小桜一号の背中が、肩が、肘が悲鳴を上げていた。ショートする配線の火花がいくつも飛んでいた。そして、益々締め上げる度に色んなトコから細かい爆発音が響いて来たけど、それでも構わず力を入れ続けた。

『やっちゃえ、小桜!』

「う、うりゃぁぁぁぁぁああああああああああ!」

叫びと同時に一気に右腕に力を込めると、甲高い悲鳴を上げて一〇式の大砲がへの字に曲がった。その瞬間、細かい爆発を繰り返していた私の機械の左腕は力なく肩からぶらりと垂れ下がり、そして辺りが静寂に包まれた。静かなコクピットの中には、激しい自分の息遣いだけがうるさいくらいに響いていた。

 

『本当は、ちゃんと二足歩行にしたかったんだ…。でも、あれはあれで課題が山積みなんだ。何せ、歩くごとに中のパイロットが上下に二メートルほど揺れるからね。だから、この中途半端なヒューマノイド形態はあまり人には見せたくなかったんだ…』

照れくさそうにタクロウさんが鼻の頭を掻いていた。

モニターの向こうの幸っちゃんが号泣していた。

そして、ヘルメットの中に皆が歓喜する声が響き渡ると、私は初めて勝利を確信した。



移動砲台KOZAKURA

第九話【優しい光に包まれて】



「お願いだから、そこどいて…」

ハイディさんに指示された通り、辛うじて動く右腕で相手の車体を引き離すと、それに合わせて彼女がバックした。そして、グラリと揺れる振動とともに、私達は乗りあげていた一〇式から地面に戻り、そのまま敵を押しのけるように星空の下を進み始めた。

 ほんと、満身創痍だった。だらりと下がった左手はもう、私の言う事を聞いてはくれなかった。なんとか動く右腕だって、そこら中から火花が飛んでいた。上半身なんてもっと痛々しくも滑稽で、きっと、力いっぱい大砲を曲げた時に、無理した背骨も一緒に曲がってしまったんだろう。三六〇度スクリーンに映る光景が、ちょっとだけ斜めになっているから、実際の上半身も小首を傾げるように斜めになっているに違いない。

 戦車モードには戻れなかった。何度赤いアイコンをクリックしても、その度、軽い震動と力なくモーターが空回りする音が聞こえるだけだった。まあ、こんだけ色んなところが歪んでいるのだから、これも仕方ないと思う。うん、君は本当によく頑張った。

 カタカタと、まるで壊れかけたゼンマイ仕掛けのオモチャのように、私達は滑走路の上を進んだ。「もっとスピードは出ないの?」と、私が聞くと、ハイディさんは両手を軽く上げて『お手上げだ』というジェスチャーをするもんだから、私達は顔を見合わせて笑ってしまった。ホント、あんなに大層に、あんなに鳴り物入りで登場したというのに、戦車らしく大砲を撃てたのは最初の一回だけ。後は転げまわって走り回って、最後には敵に抱きついて。でも、なんだかそれも、私達らしいな…って思えたらまた笑えた。

 フラフラと進む小桜一号の背中で幾つもの激しい衝撃や、細かい機関銃の振動が弾けていた。そして、その度に腰の座っていない上半身は、右へ、左へと揺れながら、色んな部品を地面に落として私達は夜道を進んだ。力なく振り向くと、同じようにボロボロになった一〇式が、機銃を撃ちながら私達の後について来るのが見えた。ゴム弾に撃たれた苦痛に堪えて立ちあがり、再び私達目がけてライフルを構えるテロリスト達の姿が見えた。

「で、どうする、この局面?」

「…とりあえずは、学校に戻りたいかな?」

疲れ切って引きつりながらほほ笑むと、ハイディさんも

「…ああ、そうだな。それがいいな」

と、心底疲れ切った顔でほほ笑んだ。

死にたくないだとか、生きたいだとか、そういうのを考えるのにももう疲れていた。頭の芯の部分が痺れたままで、一〇式やテロリスト達が全ての機銃の弾を撃ち切った時、私達が死んでなかったら生き残ったんだし、死んじゃってたら負けたんだろうな…、そんな程度に考えていた。いまはただ学校へ、皆の所に帰りたい。その一心で、フラフラと青空高校の校庭を目指したんだ。

『ダメ! 諦めないで小桜! ちゃんと生きて帰って来て!』

ヘルメットの中で励ます声が聞こえた。でも、ははは、私達、もう何も残ってないんだよ、幸っちゃん。武器も無い、自慢の足すらなくなった。これはもうお手上げだよ。後は、救援が来るまでのもう少しの間、こうやって敵の注目を集めてフルボッコになれればそれでいいんだ。

 だけどその時、タクロウさんの予想だにしなかった声が響いた。

『小町ちゃん、幸君! 君達、さっき潰れたプール横のプレハブに何が入ってるって言った!!』

ほんと、まったくもってこのタイミングに、予想できなかったその質問。

『小金沢さん、何言ってるんですかこんな時に!』

ほら、言わんこっちゃない、幸っちゃん怒っちゃったじゃない。

「…ピンポン玉ですよ、ピンポン玉。しかも、五〇ケースも。昼間に必死に運んだんです。月曜日に返品する予定だったんですけどね、あんなにペチャンコだともうダメですね。ごめんね、幸っちゃん、私の代わりに叱られてね」

って答えたら、輪をかけて怒られた。叱られるなら二人一緒だとめちゃくちゃ泣かれた。でも、そんな中、タクロウさんが笑い出した。

『大丈夫! まだ反撃の術はある! 君達はそのまま真っすぐグラウンドに戻るんだ!』

そしてそう叫ぶと、VRメットの小窓からその姿が消えたんだ。

「…どうします、ハイディさん!?」

「…とりあえず、あのバカを信じてあとひと踏ん張りしてみますか、相棒?」

私達は互いの顔を見ると、そのままコクリと頷いた。

正面を向いたハイディさんの瞳に生気が灯る。

そして雄叫びを上げると、小桜一号は緩やかに再び加速を始めた。全身から火花を散らし、軋ませながら痛々しくもアスファルトを進む。真っすぐ、青空高校のグラウンド目がけて。そして、私達が突き破ったフェンスの穴を再びくぐり

『二人とも、こっちだ、こっちーーッ!』

という声が聞こえた時、私とハイディさんは思わず顔を見合わせて吹きだしてしまった。だって、まるで花火のように両手に発煙筒を持ったタクロウさんが、プールの上で大きく手を振っているのだから。さすがに、その姿はあまりに突拍子がなくて、グラウンドの上のテロリスト達も、撃つのを忘れて呆気にとられて見てた程なんだから。

『小町ちゃん、君、燻製って作った事あるかい!?』

発煙筒を両手に持って踊るタクロウさんが、また一段とへんな事を聞いて来た。

「なんですか、突然!?」

って、さすがに私も呆れると、タクロウさんは手に持っていた発煙筒を潰れたプレハブ小屋目がけて放り投げた。そして、足元にあった青い灯油のタンクを手に取ると、慌てて発砲し始めたテロリストの弾から逃げ出すようにプレハブ小屋めがけて飛び降りた。そして物凄い勢いで炎が上がったんだ。

『燻製! 木製のチップを火にかけるのに、どうして炎じゃなくて煙が出る!?』

「え、え!? なぞなぞですか!? 分かりません!」

私が咄嗟に答えると、タクロウさんは笑い始めた。

『答えは不完全燃焼! 炎を出すには酸素が必要だ! じゃあ、極端に酸素が少ない密閉された空間で、本来なら燃焼する程に物体を加熱したらどうなる! 答えは炎の代わりに激しく煙が出るだ! そして、この潰れたプレハブの中には大量のピンポン玉、素材はセルロイドだ!』

「スモークグレネードかッ!!」

何かに気が付いたハイディさんが叫んだ。

『そうさ! かつては軍でも使われていたセルロイド煙幕だ! 文化祭前夜なんだろ! だったら〆はハデに行こうじゃないか!』

その声と同時に信じられない量の煙が立ち上り、瞬く間にグラウンドいっぱいに広がって、私達も、私達を追ってフェンスを潜った一〇式も、銃を構えていたテロリスト達さえも一気に飲み込んでしまったんだ。


白かった。

辺り一面、右を見ても左を見ても、上を見たって真っ白だった。

そして、カオスだった。

僅かな煙幕の切れ間に一瞬、むせながら涙を流して逃げ回るテロリスト達の姿が見えた。もう、銃を撃つどころの騒ぎじゃ無いように見えた。今の今まで、小桜一号の上で弾けていた火花も衝撃も無くなっていた。

無くなっていたけれど…

…私もなんにも見えないよ!?

『今だ! 残った右手で一〇式をぶん殴れ!!』

…いやいやタクロウさん、だから何も見えないんだって。

その時、ヘルメットの中に叫ぶ声が聞こえた。

『佐倉! 右だ右!』

それは、聞き覚えのある声だった。そう、幼稚園の頃から、私を『男女!』って言ってからかってた吉岡君の声だった。私は咄嗟に座席のロックを外し、床を蹴ると同時に体を捻って右側の空間を殴った。空振った。

『違う、もっと左だよ、コザクラ!』

次に聞こえたのは、燃えるラテンの女の子、ナイラちゃんの声だった。それに合わせて、今度は左に腕を振る。そしてまた空振った。

『あ! もっと左に逃げたよ小町ちゃん!』

そして、ケント君の声が聞こえてきた。

「あーッ! 右とか左とじゃわからないよぉ! て、言うか、皆いったいどこに居るの!?」

その問いに、クラスの全員が一斉に答えた!

『校舎の屋上!』

『ここから君を見てる!』

『応援してるよ、小桜!』

『今度は、僕達全員で君を助ける番だ!』

その声に顔を上げると、煙幕の切れ間から確かに見えたんだ。新校舎の屋上で手を振る皆の姿が。

「…ダメだよ、外に出たら危ないって」

涙が出た。止まらなかった。

―ずっと、自分の容姿が嫌いだった。

『男女』って私をからかう男子が嫌いだった。

すらっと背が高くて、ウエストくびれてて、出るとこ出てるモデルさんのような移民系やハーフの子達が妬ましかった。羨ましくて好きになれなかった。

でも、今は、そう思ってた自分が恥ずかしくてたまらない。

好き。

みんな、大好き!

『小桜! 今、あなたはクラスの真ん中の席に座ってる。OK!?』

そんな幸っちゃんの声が聞こえて、私は目を閉じた。すると、瞼の裏にいつもの教室の風景が広がった。

『田中の席向かって腕を振れ!』

また吉岡君の声が聞こえると、クラスの真ん中に座っている私は、左斜め前の田中君の後頭部目がけて握った右手を突き出した! すると、微かに小指の先に、何かにかすった感触が走った。

『おしい! 次は、ミュラーさんの席!』

今度は、その声に合わせて床を蹴って反転すると、斜め後ろに座るミュラーさんの顔が見えた。あんなに綺麗な顔を殴るのは気が引けたけど、そんな事も言ってられないから手を突き出すと、さっきよりもしっかりとした感触があった。でも、ためらった分浅かった!

 ヘルメットの中で沢山の『おしい!』という声が響くと、続いて『正面!』『正面に逃げた!』という声が響いて来た。そして、皆の声が重なった!

『教壇の柏をぶん殴れぇぇぇぇえええええええ!!!』

「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!! 鉄拳制裁! 席替えの恨み、思い知れッ!!」

右手に、しっかりとした衝撃が伝わって振り抜いた。目を開けると、それと同時に握りしめられていた小桜一号の拳は、一気に手首までグシャリと潰れて弾け飛んだ。そして、最後まで私達を苦しめた一〇式は、ピクリとも動かなくなってしまったんだ。


 強い夜風が吹いて来てグラウンドを覆い隠していた煙幕がしだいに流されて行くと、そこに残ったのは祭りの後の静けさだった。苦しそうにむせながら転がり回るテロリスト達や、整備兵さん達の姿が見えた。電池が切れたように動かない一〇式の中では、きっと皆が気絶しているに違いない。そしてもう、完全に動けなくなった小桜一号だけが立っていた。中にはそれでも必死に立ちあがり、手に持った拳銃を構えるツワモノもいたけれど、すでに勝負は決まっていた。

 不意にハイディさんがスピードメーターの横に掛けてあるマイクに手を伸ばした。そして、静かな夜空に彼女の声が響き渡ったんだ。

『聞け! テロリストども! すでに勝負はついた! 悪あがきはやめるんだ! もうすぐ日本軍の救援部隊が来る! 立てるヤツは立て! まだ時間はある、逃げるんだ!』

その信じられない言葉に、私は一瞬耳を疑った。でも、運転席に座りマイクを握りしている彼女はその瞳に大粒の涙を浮かべて、グラウンドの上のテロリスト達を見つめていた。

『死んで英雄になるだ!? ふざけるな! あんたらにもいるんだろ、家で待ってくれてる人達が! 女、子供は、これっぽっちもそんな事なんて望んじゃいねぇんだ! 貧しくてもいいじゃねぇか! たった一個のパンを、家族みんなで分けて食べるのも素敵じゃねえか! 女や子供達は、あんたらが遠い異国の空の下で死んじまう事よりも、毎日ちゃんと仕事から帰って来てくれて、毎晩家族一緒に食卓を囲んで笑ってられる方が1000倍嬉しいんだよ、このバカ野郎ども!』

泣いていた、もう、その涙は止まらなかった。そして私は思った、今彼女が見ているのは、グラウンドでもテロリスト達でもなくて、もう地図から無くなってしまった遠い故郷と家族達なんだって。

『死んで遺恨を残すなよ! 無垢な子供達に恨みを引き継がすなよ! あんたらもアジアンなんだろ!? 今すぐパン一になって逃げ出せよ! どうせ地震で大騒ぎなんだ、ぜってーにバレないから、安心しろよ! お願いだから、家族の元に帰ってくれよ! そしてコツコツ働いて、今度は家族で大手を振って日本に遊びに来いよ! そんトキは、あたしがビールの一杯でも奢ってやるからさぁ!』

そして、彼女はそのまま泣き崩れた。

 ゆっくりと立ちあがるテロリスト達の姿が見えた。そしてその中には、ヘルメットを脱ぎ、銃を捨てると服を脱ぎ始める姿があった。…でも、それは全員じゃ無かった。ひょっとしたら、ハイディさんの日本語が分からなかったのかも知れない。もしかしたら、理解しても尚、恨みを優先させたのかも知れない。そんな人達はフラフラと立ちあがると、けん銃やライフルを構えて、また私達に向かって発砲を始めた。

「…バカ野郎」

「…バカ野郎どもが」

運転席では、膝を抱えて俯くハイディさんが子供のように泣いていた。私には、かけてあげられる言葉が見つからなくて、ただただ、そんな彼女を見つめていた。

 ある時、物凄い衝撃が小桜一号の右肩に炸裂した。慌てて遠くを見ると、それはRPGの攻撃だった。一人のテロリストがこちらに向かって何かを叫んでいるのが見えた。その彼には見覚えがあった。そう、初代校長先生の銅像の影に隠れて私達を狙っていた人だ。確かに、あの時私は、幸っちゃんとの連携プレイで攻撃を未然に防いだ。だから、RPGが残っていたのだと納得した。見上げると、小桜一号の右腕は肩ごと無くなっていた。最後まで私達を守ってくれた右腕だった。そして、次の瞬間、私は目を疑ったんだ。

 空になった筒を投げ捨てたテロリストは、そのまま足元にあった新しいRPGを手に取ると、肩の上にのせて狙いを定め始めていた。そして、その目は真っすぐ、コクピットの中の私を睨みつけていたんだ。

…さすがにもうお手上げだ。

私は思った。あのテロリストが引き金を引けば、白い煙の尾を引いて飛び出した弾頭が、まっすぐコクピットの装甲を貫いて、この中で爆散する。そんな未来の映像が脳裏をよぎった。

―でも、その時、私は聞いた。

私の名前を呼ぶ声を。

私の名前を呼ぶ声がある事を。

「佐倉さぁぁぁぁぁあああああああああん!」

―聞こえた。

それは確かに聞こえた。VRメットの回線を通してもいないのに、ポケの通話を使ってもいないのに、私の名前を叫ぶ橘君の声が聞こえたんだ!

 慌てて周りを見渡すと、それはすぐに見つかった。そう、真っすぐマチュピチュの格納庫からこっちに向かってくる一台のジープの姿があったんだ。そしてそれは、滑走路上のテロリスト達を蹴散らすようにして加速をすると、一気に青空高校のグラウンド目がけてジャンプした。私の名前を叫ぶ、橘君が見えた。

 次の瞬間、まるでスローモーションのようにゆっくりと流れる時間の中、視界の端で発射されたRPGが見えた。そして、さらに加速した橘君のジープは、まっすぐ小桜一号のコクピット目がけて飛んでくるRPGの軌道上にカットインした。

弾ける後輪が見えた。

まるで、木の葉のように舞うジープが見えた。

橘君の体は高く夜空を飛び、そのままグシャリとグラウンドに落ちた。

…そして、動かなくなった。

叫んだ。

私は何度も橘君の名前を叫んだ。

そしてVRメットを脱ぎ捨てると、胸のペンダントに手を伸ばし、そのまま中心にある緑の石を押した。プシュゥと、空気が抜ける音がして、コクピットの前面が開く。そして、ヘルメットの中で蒸れた私のうなじを、冷たい秋の夜風が撫でた。

「やめろ! やめてくれ小町!!」

立ちあがったセーラー服の裾が引っ張られた。でも、迷いなんて無かった。

私は静かに振り向くと、ハイディさんを見た。

「初めて、名前で呼んでくれたね」

「…バカ野郎、行くな、行かないでくれ!」

ボロボロに泣いているハイディさんを見つめて私はほほ笑んだ。

「…ごめんね、でも、やっぱり行かなくちゃ。だって、このためにここまで来たんだから」

それだけ言うと、私はコクピットから飛び降りた。

 グラウンドに立つと、テロリスト達は凄く驚いた顔でこっちを見ていた。それは、そうだと思う。だって、こんなセーラー服を着た女子高生が、今まで自分達と戦っていただなんて誰も思ってもみなかっただろうから。

私は歩いた。

真っすぐ、橘君へと。

ホントはね、駆け出したかったんだ。

でもね、もうとっくに腰も抜けちゃってて、じつは歩くだけでも精一杯だったんだ。

ごめんね、橘君。気持ちは飛んで行きたいのに。

ある時、乾いた音が聞こえた。

そして、ふくらはぎに鋭い熱さが走ると、不思議な事に急に立っていられなくなって、そのままグラウンドの上にうつ伏せに倒れてちゃったんだ。

すぐに立ちあがろうと思ったんだよ。

でも、ダメだった。

全然足に力が入らなくって、諦めた。

だから、私は這った。

無様だけど、かっこ悪いけど、真っすぐ橘君に向かって進んだ。

そして、もう一度乾いた音がしたかと思ったら、今度はもう片方の足まで動かなくなって焦っちゃったんだよ。だからね、私、腕だけで前に進んだんだ。

せっかくお婆ちゃんが洗ってくれたのに、セーラー服、またよごしちゃった。

グラウンドの上に横たわる橘君の姿が近づくにつれて、困った事にだんだん目が見えなくなってきた。それでも頑張って前に進んだ私は、ついに彼を抱きしめたんだ。

「好きだよ、橘君!!」

「ずっと好きだった!」

「ずっとそれが伝えたかった!」

私は叫んだ。力いっぱい声を出した。

本当はね、ちょっと自信がなかったんだ。だって、もうほとんど前だって見えてないから、声だって出ているかどうかあやふやだったんだよ。

でも、そのとき奇跡が起きた。

「…僕もね、ずっと大好きだったんだ、佐倉さんの事」

それはもう、消え入りそうな小さな声だったけれど、ちゃんと私には聞こえたよ。

「…あの日、あの運動会の時、本当は1等になれる自信なんて無かったんだ」

「…うん」

「…でも、頑張って走ったんだ」

「…うん」

「…だって、あれで負けたら佐倉さんが悪いみたいになっちゃうじゃないか。だから頑張って走ったんだ。…1等になれて良かったよ」

そしてそれだけ言うと、彼は動かなくなってしまった。

意外とバカだなぁ、橘君。最後の言葉なら、もっと気のきくセリフが沢山あったでしょうに、何も今さら、小学校の頃の運動会の話をしなくてもいいじゃない。

でもいいよ。

問題ない。

だって、これからはずっと一緒じゃない、私達。

話の続きは、天国でいっぱい聞かせてね!

ね、橘君!


そして、いくつもの乾いた音が私達の上に降りそそいだ。

その時、見えない目にも感じる事が出来たんだ。

天から降りてくる沢山の光の粒子が、優しく私達の体を包むのが。

遠くで、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


そして、全てが真っ暗になった。


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