第8話【激戦の夜】
(一)
月明かりの下、操縦桿を握り雄叫びをあげたハイディさんは、マチュピチュの滑走路で静かに私達を待ち構えている戦車達に向かって猛加速を始めていた。物凄い勢いで座席に張り付いて動けない私は、ただただ
「ハ、ハイディさん、突進してる! 突進してるから!!!」
と、叫ぶ事しか出来なかった。そして彼女は、少しだけ悲しそうな顔をしてそんな私を見たんだ。
「ホント、ごめんよ看板娘、とんでもない事になっちまって。でも、あんなモン持ち出されちまった以上、残り時間を逃げ回ってもジリヒン、囲まれてTHE ENDだ。だから、今あたしに選べる生存率が一番高い方法は…」
「…方法は!?」
その瞬間、正面を睨んだ彼女の目に炎が灯った。
「体当たりでブッ潰す!!!」
そう叫ぶと、さらなる加速を始めたんだ。
『敵戦車の識別番号が分かりました。マチュピチュ所属、六一式、数3。そして…』
『そして何だ、幸君!!』
『同じく、マチュピチュ所属、一〇式(改)、数1です!!』
ヘルメットの中で聞こえる声に緊張感が走った。正直、私には戦車の型式や型番なんて分からなかったけれど、目の前にある絶望的な光景や二人の慌てようだけで、それがとんでもない状況なんだってのを理解するには充分すぎた。
『ちょ、ちょっと待て! なんで一〇式なんて物が、マチュピチュのラボにある!?』
モニターの向こうのタクロウさんが物凄い形相を作った。どうやら奥にいる一台、そう他の三台よりも一回り大きくて角々とした近代的な形の戦車の事を言っているのだと私はすぐに直感したけれど、やっぱり『とにかく怖そうな相手』という以外、全く理解が不能だった。
「…一番後ろのあいつは、手前にいる昭和の骨董品達と違って現行の日本軍主力機だ、次世代は小型化した機動戦闘車に代替わりする予定だが、マイナーチェンジを繰り返したトンデモスペックが何かとヤベぇ。そして何より…」
不意にそう呟いたハイディさんは、さらにモニター越しにタクロウさんを睨んだ。
「三課以外に興味のねぇおまえは知らんかもしれんが、あいつは先週一課扱いで入って来た! OSの全改装、VRの対応実験機だ!!!」
『VRって、こちらと同じ事が出来るんですか!?』
幸っちゃんの問いかけに、ハイディさんも、画面の向こうのタクロウさんも答えなかった。その代わり、張りつめた表情のままゴクリと大きく息を飲み込むだけだったんだ。そして、一直線に突進する私達はついにグランドを走り切り、目の前にはもう道と呼べる物は無くなっていた。それでもハイディさんは加速した。
「ハ、ハイディさん、前、前!!!」
「分かってる! 歯くいしばれ、看板娘!!!」
彼女は手短にそう答えると、テニスコートも、学校とマチュピチュを隔てた壁も、フェンスごと突き破って私達は夜空を飛んだ。そして、そのままラボの職員駐車場まで飛び越えて、一気にマチュピチュの滑走路に着地したんだ。その瞬間、またしても今の今まで足元にあったはずの職員駐車場の地面が破裂して背の高い爆煙が上がった。刹那、私達の乗る戦車は激しい震動と同時に座席からお尻が浮く程の無重力に襲われた。
『…おかしい、どうにも腑に落ちない、どうしてあんなものが動いている!!』
「知るかよ! 動いてるモンは動いてるんだから対応するしかねぇだろッ!!」
次の瞬間、再び着地の振動に体が四方八方に揺れると、ハイディさんはそんなのお構いなしでさらなる猛進を始めた。そう、アスファルトの上をさっきまでよりも激しく車体を滑らせながら群れをなす戦車達目がけて加速したんだ。
どんどん敵が肉迫してくる視界の中、ヘルメットからは『裏切った管制官…招き入れられたテロリスト…。その二つを繋げた仲介屋の長沼…、これだけじゃピースが足りない…』と、呟いているタクロウさんの言葉が聞こえていた。
「しがみつけ、看板娘ぇぇぇええええ!!!」
タクロウさんの独り言に気を取られかけていた次の瞬間、突然聞こえてきたその声に操縦桿に慌ててしがみ付いた私が見たのは、完全に突進を完了したハイディさんが、そのままの勢いでお尻を滑らせ、小ぶりな戦車目がけてハンマーみたいに車体を打ちつける光景だった。
咄嗟に目を瞑り、腹の底から悲鳴を上げた。でも不思議な事にどんなに待っても予想していた衝撃は走らなかった。そして、恐る恐る目を開けると、運転席で悔しそうに舌打ちするハイディさんが見えたんだ。
「チッ、六一式のくせにスバシッコイヤツめ!! ジェットタービンは伊達じゃねぇって事かよ!!」
その言葉に、今の攻撃が空振りに終わったのだけは理解が出来た。そして彼女は一目散、全速力で戦車達から離脱し始めたんだ。
「ど、どういう事!?」
「あの戦車、月曜のデモンストレーションに使ったヤツだ! 潰すなら、まずは取り巻きの雑魚から…と、思ったんだが異常な程にスバシッコイ! 七十年前の機体にハイブリッドの小型のジェットタービンを乗せてやがんだ!」
「…そ、そんなに早いの!?」
「あの小ぶりな車体、今ならこの小桜同様、時速150キロくらい出せるんじゃねぇか!?」
「150キロ!? せ、戦車ってそんなに早く走れるんですか!?」
「…普通なら『NO』だ! せいぜい時速九〇キロ程度が関の山。しかし、論より証拠ッ!」
その言葉に思わず振り向くと、間髪入れずに攻撃から離脱したばかりだと言うのに、三台の六一式と呼ばれる旧型の戦車達は、すでに私達めがけて猛追を始め、ジリジリとその距離を縮めていた。そう、それが星空の下繰り広げられた悪夢のようなカーチェイスならぬ、タンクチェイスの始まりになったんだ。
まるで、複雑な三つ編みを編むように、私達は真夜中の滑走路を駆け抜けた。そして、それはただのタンクチェイスでは無かったんだ。そう、実弾も飛んで来たんだ。走りながら紙一重で砲撃を避けては吹き飛ばされ、バランスを崩してもなお横倒しになりそうになる車体をギリギリでコントロールして着地する。そして、そこに目がけて六一式と呼ばれる小さな戦車が、これみよがしと体当たりを仕掛けてくる。そんな命からがらの逃走劇が繰り広げられていたんだ。私はひたすら操縦桿にしがみついていた。それでも、せめて何か手助けは出来ないかと思って視界の端のアイコンを見たけれど、使えそうな武器なんて、やっぱりゴム弾以外は何も見つからなかった。そしてその時、やっぱり一番下で真っ赤に光っているあのアイコンが目についた。
「ハイディさん! この赤いボタンは何ですか!!」
「知らねえよ! でも押すなよ! 絶対に押すなよ!!」
「…そ、それ、何かの前フリですか!?」
「バカ! チゲーよ!! ここまでで散々思い知らされただろ! あのアニヲタの考える事がどんだけロクでもねぇか!」
その言葉に、私はゴクリと息を飲み込んだ。
「…ロク…でも…ないって、ひょっとして!?」
「ああそうさ、十中八九、自爆のスイッチとかに決まってるだろうが!!」
押すよりも前に聞いて良かったと、胸をなで下ろす。でも、実際問題この状況、自爆ボタンを押さなくても、遅かれ早かれそういう未来が待っているのではないか? と、我ながら皮肉な想像が頭を過ぎって、思わず苦笑いがでてしまった。
『小桜一号! 活動限界まであと五分を切りました!!』
そんな絶望に輪を掛けるアナウンスがヘルメットの中に響いた。そして、半ば諦めたように『私の命もあと五分か…』と考え、最後にもう一度だけ橘君の顔を網膜に焼きつけようと画面を見た時、私は驚いたんだ。だって、皆が緊張した面持ちでモニターを食い入るように見ている中、
―橘君だけが小さな笑顔を作っていたのだから。
『大丈夫! まだ手があります!』
突然、橘君の声がヘルメットの中に響いた。そして、皆の驚く声がそれに重なったんだ。
『マチュピチュのラボにテロリストの姿がありません!』
『…ど、どういう事だ、橘君!?』
『さっきまでラボ側の防犯カメラにプロテクトがかかってて、なかなか介入が出来なくて焦ったんですが、何度かチャレンジしてようやく見えるようになりました! 佐倉さん達の活躍のおかげです! テロリストは一人もラボに残っていません! 全員外に出ています!』
「…そ、それって!?」
一瞬、その言葉の意味が理解出来なかった。何を言いたいのか分からなかった。ラボが無人なのと、今のこの状況と何が関係あるのか考えもつかなかった。でも、その短い私の問いかけに、橘君はほほ笑んだ。
『…今なら無接続送電のスイッチを入れに行けるんだ。僕なら一課の場所が分かる。それなら、佐倉さん達も無茶な短期決戦を挑まなくてもいいし、残った右側のレールガンだって撃てるかも知れない』
その言葉に、一瞬フワっと目の前が明るくなった。でもそれは、すぐ後に湧きあがってきた不安に塗りつぶされてしまったんだ。
「ダメ! ダメだよ橘君! 危なすぎるから! 学校側にはまだテロリストが沢山いるんだよ!!」
私は叫んだ、懸命に叫んだ。そう、それがわき上がった不安の正体だった。でも、画面の向こうの橘君は、もう一度とても優しい顔で笑ったんだ。
『何言ってるんだよ。今危ないのは佐倉さんの方じゃないか。そして、ここから先、佐倉さんが危ないのと、僕が危ないのだったら、僕は喜んで自分が危ない方を取る!』
「!?」
『僕だって、絶対に君を死なせたくないんだ!』
そう告げると同時に橘君は席を立ちあがった。そして、何の迷いもない吹っ切れた顔で背後の螺旋階段に向かって駆けだしたんだ。
「ダメ! 危ないから行かないで!!」
はたしてその叫びが伝わったのかどうか分からない。でも、橘君は一瞬だけ足を止めて振り返ると、
『大丈夫、勝算もあるんだ! 一課の防犯カメラに知り合いが映ってるのを見つけた! きっと夜勤か残業で逃げ遅れたんだと思う! その人と合流しようと思うんだ! 子供の頃から本当のお兄さんみたいにしてくれてる人だから絶対に見方になってくれるはずさ!』
と言って、橘君は勢いよく螺旋階段を駆け上がって行った。そのさわやかに消えて行く背中があの日の記憶と重なった。そう、転んだ私を起こし、颯爽と駆けだしたあの日の背中だ。
…ああそうだ、そうだった。
そういう人だから私はこの人を好きになったんだ。と、改めて思い知らされた。そう、橘君は、リレーのアンカーとして走るよりも、転んでしまった私に手を伸ばしてくれるような人なんだ。きっと、そんな彼の優しさや行動力、頼れるリーダーシップなんかはクラスの皆も良く知っていると思う。だから、ほら、今だって画面に映ってる皆の応援している姿が私にも見えている。
―橘なら大丈夫!
―橘なら上手くやれる!
そういう目で、皆が彼を見送っていたんだ。
…唯一、依然暗い顔のままのタクロウさんを除いては。
『…ちょっとまて、今、ラボに誰か残ってる…と言ったか!?』
ほんの一瞬遅れて聞こえたきたのはそんな声だった。
『はい、知り合いっぽかったですよ。良かったですね!』
次の瞬間、今までの悩んでいたような表情が険しくなった。そして突然、タクロウさんは
『違う! 誰か橘君を止めろぉぉぉおおおお!!』
と、叫び出したんだ。
『いやいや、彼、ウチのクラスで一番足速いですから、もう誰も止められませんよ。それに、今から何人も出て行ったら、さすがに見つかっちゃいますって』
確かに、幸っちゃんの言う事はごもっともだった。それに、全くもって意味が分からなかった。だって、仲の良い知り合いが居るというのはとても心強い、良い事でしかないように思えたのだから。だけど、画面の向こうで必死にキーボードをたたき始めたタクロウさんの表情はさらに険しさを増していた。
『おかしいと思っていたんだ! ピースが一つ欠けていたんだ!』
「何、言ってるのタクロウさん!?」
『管制官が細工して敵のヘリを招き入れた! それはいい、じゃあ、なんで一課所属の機体が動く!?』
「それは、整備班が…」
『僕も最初はそう思った、でも違う! VR対応に換装されてる機体が、オペレーティングも無く動けるか!! いるんだよ! 幸君みたいに、一〇式をオペレートしてるヤツがラボの中に!!』
その声に、一同の表情が凍りついた。
『幸君! 今すぐ橘君が使っていたPCからラボの防犯映像を回してくれ!!!』
次の瞬間、橘君の席へと移動した幸っちゃんが送ってくれた防犯カメラの映像が視界の端にポップアップすると、私は思わず言葉を失ってしまった。
「…なぜ?」
「…どうして??」
どんなに頑張っても、そこから先は言葉にならなかった。
『戻れ、橘君!! そいつが黒幕だぁぁぁあああああ!!!!』
絶望に薄れそうになる視界の中、タクロウさんの声が響いていた。そう、映し出された映像には、パソコンを操る柳川さんの姿が映っていたんだ。
移動砲台KOZAKURA
第八話 【激戦の夜】
…柳川さんが生きていた。
最初に感じたのは喜びだった。
また、あの日の続きが始まる。
もう、二度と無いと思っていた、他愛のない挨拶程度の会話の続きが出来る。
その想いが爆発するように胸の中に溢れ返った。
―事故死。
それは、あまりにも残酷だ。と、私は痛感した。
これが、病死なら随分と違うのかも知れない、とも思った。
病気なら、私達残される側も少なからず心の準備をする時間が与えられるのだから。
少しでも悔いが残らないように、してあげたい事や、かけてあげたい言葉も捜す事が出来るのだろうに、と。
「ありがとう」
「またいつか会おうね」
そんな言葉だってかけてあげられるのに、と。
でも、事故死は違う。
ある時、突然終わってしまう。
奪われてしまう。
何の覚悟も出来ないまま。
何のお別れの言葉も言えないまま。
だから、私はここまで来た。
伝えたい言葉があったから。
伝えたい人が、まだ生きていてくれたから。
なのに、どうして…
…どうしてあなたはそこにいるの、柳川さん。
そんな、私が見た事もないような、全てを憎み、あざ笑うような顔をして。
『マチュピチュ側の防犯カメラがプロテクトされていた!? そりゃそうだろう! 今調べたら、平穏無事な虚構の映像が垂れ流されていた! その上に、日本軍からもラボからも、救援信号が出て無いだと! そんなの、中から誰かが細工してたからに決まってるだろ!!』
激しいタンクチェイスの中、叫ぶタクロウさんの声が聞こえていた。
『僕はまんまとハメられたのさ、柳川と、あの長沼って野郎にね! ほら見ろ、嘘の映像データへの書き換えも、対南海トラフの機密データへのアクセスも、何重にもプロキシかましてやがる上に、ご丁寧に僕のパーソナルコードまで使ってやがる! 今回の事件、全部僕になすりつける気だ! そんな芸当、柳川以外の誰が出来る!!』
確かに、言われてみればそうかも知れない。そうだとすると、全てに合点が行ってしまうんだ。どこか、おかしいと思ってたんだ。あの、他愛ものない喫茶店でのやり取りだけで、こんなにも大事に発展してしまうのだろうか? と。
でも…
じゃあ…
橘君はどうなるの!?
今、一課に向ってる橘君はどうなってしまうの!?
一瞬、目の前が真っ暗になった。そして、すぐさまスカートのポケットへと手を伸ばしたんだ。
教える!
今すぐ教える!!!
もう、それしか思いつかなかった。それしか橘君を止める手立てはないと直感した。でも、
「やめろ、看板娘! 夜中にそいつの着信音は目立ち過ぎる!!!」
という叫びと共に、私の行動はハイディさんの左手に抑制されてしまったんだ。
そして次の瞬間、私達の体が跳ねた。それは、至近距離からの六一式のタックルだった。ほんの一瞬、ハイディさんが私に気を取られて蛇行運転を止めた隙を狙われたんだ。そして、バランスを崩したその時、残り二台の六一式がこっちに向かっていきなり方向を変えて、猛スピードで迫って来るのが見えてもなお、私は戦車の中から何度も何度も橘君の名前を叫び続けたんだ。
(二)
「チクショウッ!」
ハイディさんがそう叫んだ次の瞬間、橘君の名前を呼び続ける私は不思議な光景を見た。そう、手を伸ばせば触れるくらいの距離まで肉迫していた一台の六一式が、衝突もしないまま私達の鼻先を視界の左から右へ、まるでアイススケートのように滑って行ったんだ。
「ハイディさん!?」
何が起きたか理解できずに思わずそう叫ぶと、同じように驚いた表情で視界の先の暗闇へと消えていく戦車を眺めていたハイディさんは、
「…恐らくリタイが切れたんだ!」
と、小さく呟いた。そして、突然ハッとした顔を見せた。
「あの六一式は月曜日のデモンストレーション用に突貫で仕上げられた物だった。たぶん、70年前の古い機体に、新型のハイブリッドエンジンをスワップさせただけだ! パレードするにはそれで十分でも、断続してこんなバカげたスピードを出すには無理があったんだ! 少なくとも、当時のキャタピラは、こんな速度を出すのを前提に作られてはない!」
そして、そう叫ぶと、さらに何かに気がついた様子で、さっきまでの苦しそうな表情から一転して、急にいつもの悪戯っ子のような顔になった。
「看板娘!? あたしゃぁちょっと気になる事があるんだけどさ。あんた、さっきからのヤツらの砲撃、どう思う!?」
「どう思うって、とんでもない威力だとしか言えません! 今、生きてるのが不思議なくらいです!」
「そうじゃない、数だ、数! いくらなんでも4台の戦車に囲まれてるワリには、これって、砲撃が少なすぎやしないか!?」
そう言われて、さすがの私もハっとした。確かに、言われてみれば確かにそうだ。理屈で考えたら、もっと雨あられで撃たれていても不思議じゃないのに、砲撃だけを見てみれば、何十秒に一回あるか無いかの頻度でしか撃たれていないのだから。そして、私がそのままの旨を彼女に伝えると、ハイディさんは猛スピードの蛇行運転しながら高笑いを始めた。
「そうだよな! そうだよな、看板娘! 今まで、波状攻撃を避けるので手いっぱいで考えもつかなかったけれど、言われてみればそうだよな!」
そして、次の瞬間、凄く真面目な顔で私を見つめたんだ。
「看板娘、あんたグラウンドで何人のテロリストを転がした!?」
突然そう言われて、慌てて記憶を辿る。
「たぶん、10人くらいだと思います。あ、でも3~4人は整備兵さんだったから…」
「じゃあ、テロリスト自体は6~7人か…」
「ご、ごめんなさい、ちゃんと数えてなくて!?」
「いや、いい! それで十分だ!」
そう叫んだハイディさんは急激に方向転換をすると、事もあろうか、追走してきた六一式向かって真正面から猛進を始めた。目前には、どんどん大きさを増す大砲の黒い穴が近づいて来て、私は思わず何度も「死ぬ! 撃たれる! 撃たれちゃうから、ハイディさん!!」と、叫んだけれど、真剣な顔で操縦桿を握り、迫る戦車を睨みつけている彼女は、これっぽっちも勢いを緩めなかったんだ。
次の瞬間、まるでフェイントを入れるように進路をズラしたハイディさんの運転で、私の視界の端に激しい衝撃と火花が生まれた。そして、猛スピードのままキャタピラ同士を擦り合わせて一台の六一式とすれ違うと、そのままの勢いで走り抜けた。私は咄嗟に振りかえり、後ろの様子を眺めた。そこには、慌てて方向を変える二台の六一式の様子が見えたけど、なぜか私達と擦れた方だけは上手に向きが変えれずに、その場でコマのように回りだしたから、すぐに今の攻撃が敵のキャタピラを狙った物だという事に気が付いた。
でも…
「ハイディさん! 今のは無茶すぎますよ!! あんな真正面から突っ込むなんて、撃たれてたら死んでました!!」
私は思わず思いついたまま本音をこぼしてしまったけれど、意外にも彼女はニヤリと笑っただけだった。そして、今度は、最後の六一式目がけてまたしても真正面から突進を始めたんだ。
「大丈夫、ヤツらは撃って来ない! さっきのあんたとの会話でそう確信したんだ!」
「…え!?」
「本来、一台の戦車を動かすには最低四人は必要なんだ。運転するヤツ、大砲撃つヤツ、弾を込めるヤツ、そして、通信と指揮するヤツの四人だ。でも、現在稼働してる敵の戦車は四台。普通なら四×四で一六人必要だろ? だけど、ヘリでやって来たテロリストは一〇人強の一個分隊。その上、グラウンドで半分ほどが寝てるのに、どうやってこんだけの数の戦車が動かせる!?」
「!?」
「そう、よくよく考えるとさっきから発砲してるのは一〇式のみ。六一式は、撃って来なかったんじゃない、撃てなかったんだ!! 恐らく、いいや確実にアレには運転してるヤツしか乗っていない! そうと分かればやりようはある! それにッ!!」
そう言ってにやりと笑ったハイディさんは、画面の向こうの幸っちゃんを見つめた。
「幸! 次、一〇式が撃ってきたら口頭で二〇カウント数えろ! 撃ってくる度にだ!」
『え!? え!??』
「理屈はいい! 数えれば分かる!」
そして次の瞬間、またしても滑走路に土柱が上がって車体が揺れると、幸っちゃんのカウントダウンが始まった。
視界の先では、おかしな事が起きていた。ひょっとしたら、大胆なハイディさんの行動に砲手が居ない事がバレたと察した相手は焦っていたのかもしれない。突然、方向を転換したかと思うと、今の今まで私達を追いかけていた側が、今度は全速力で逃げ始めたんだ。そして、ハイディさんの運転にも変化が起きていた。それまで右へ左へ蛇行運転していたのが一変して、直線的に最短距離を六一式目がけて突き進んだんだ。
「ハイディさん! 狙われます! まっすぐ走ったら一〇式に狙われちゃいますって!!」
私は思わずそう叫んだけれど、当の彼女はどこ吹く風で、目前を走る六一式だけを睨みつけていた。そして次の瞬間、急加速についていけなくなった敵のキャタピラが切れ、目の前でコマのように回り始めたのを確認すると、ハイディさんは幸っちゃんが数えるカウントの3、2、1に合わせて急激に進路を変えた。すると、私達が走るはずだったコース上に土柱が上がった。それは、まるで未来を予測した手品のようで、私は思わず言葉を失ったまま、運転席のハイディさんを見つめていた。
「おいおい、おっきな目をさらに大きくしなくてもいいだろ看板娘…。簡単な話さ、あの10式(改)はマイナーチェンジを繰り返して、弾を込めるヤツがいらない自動装填式になっている。それがタネ明かしさ。20秒に1発弾が撃てるんだ。そして、裏を返せば次の20秒間、ヤツはまったくの無防備!!」
それは、唐突にやって来た。今の今まで、先の見えないピンチというトンネルを闇雲に走っていたはずだった。…なのに気が付けば、いつの間にか満天の星空の下には私達と一〇式以外に動く影は無くなっていたんだ。そう、それは形勢逆転の瞬間だった。
『小桜1号! 稼働時間が3分を切りました!』
その声に合わせて急ターンしたハイディさんは、遠くで私達を睨む一〇式目がけて特攻を開始していた。
「勝算は!? 勝算はあるのハイディさんッ!?」
咄嗟の私の問いに、彼女はニヤリと笑った。
「勝算!? そんなの、この二〇秒の間に全力でぶつかる! そんだけだ!」
「そんだけって!?」
「いや、ヤツより重量があるこの小桜一号の全力タックルだ、下手な砲弾より威力ある!中のヤツら、脳震盪程度では済まないはずさ!」
「で、でも、もし不用意に近づいて大砲以外にも武器があったらどうするんですか!?」
「あるにはある! 恐らく主砲が打てない今、中の砲手が内側から使えるのは7.62mmのみ! それならコイツは耐えられる!」
瞬間、ハイディさんがほほ笑んだ。そして、私は彼女を見つめなおすとゴクリと息を飲んで頷いた。正直、ハイディさんの説明してくれる言葉の半分以上は意味が分からなかった。でも、まっすぐ前を見つめる彼女の瞳に、希望の光が宿っているのが見えたから、私は戸惑いながらも前を睨んでもう一度大きく頷いた。
「行こう、看板娘。これで全面クリアだ!」
「はいッ!」
私達の声が、狭いコクピットの中に響き渡った。
(三)
強い風が吹いてた。墜落したヘリコプターが炎を上げて燃えていた。私に撃ち抜かれた日本軍の給油所もその火の手は収まらず、時折大きな爆発を見せていた。巨大な滑走路にはいくつもの大きな穴が空き、走行不能となった三台の戦車からは逃げ出すテロリスト達の姿が見えた。そこは、いつも頬杖をついて教室の窓から眺めていた場所のはずなのに、今の私にはただの地獄のように見えていた。私が知ってる平和でのんびりした日本。ひょっとしたら今の今まで気づかなかっただけで、見て見ぬふりをしていただけで本当のところ、こんな風景はいだって私達と背中合わせに存在していたのではないか。そんな考えが頭を過ぎっていた。
ゆっくりと進む幸っちゃんのカウントダウンが流れる中、ペロリと上唇を舐めたハイディさんは目の前に迫る一〇式を睨みつけていた。突進する私達の相棒、小桜一号の表面には、いくつもの火花が甲高い音と共に弾けて消えていた。それは彼女が予測した通り、20秒間主砲が打てなくなった一〇式が撃つ、7.62ミリ機関銃の雨だった。それでも私達は進んだ。弾丸の雨も気にせず進んだ。これで終わるんだ。これで皆助かるんだ。そんな気持ちを胸に抱いて、私も肉迫する機体を睨みつけた。
「三分もいらねぇ! これでチェックメイトだ! 歯くいしばってしがみついとけ、看板娘! ドリフトで最高速からのヒップアタックくらわしてやる! 今までの六一式とは違う! あいつの最高時速はたかだか九〇キロ、対するこっちは最高一五〇キロだ! 逃げられねぇイカツイ交通事故をくらわせてやる!」
その、物騒な発言も、なぜだかとても安らかな気持ちで聞けている自分がいる事に驚いた。でも、確かにそうだ。こんな大きな鉄の塊が一五〇キロものスピードでぶつかれば、いくら戦車だといっても、もう行動は出来なくなるに違いない。まあ、それは私達も同じなんだけど…。たぶん、『こっちは無傷』ってのはさすがに難しいよね、ムチウチくらいにはなるのかな。まあ、その時は二人で仲良くコルセットをしよう。手を繋いで接骨院に通おう。私は、迫りくる戦車をそんな気持ちで睨みつけたんだ。
そして、ハイディさんが大きく舵を切り戦車のお尻を振ろうとしたその瞬間、私達の体にいくつもの激しい衝撃が走った。そして、それは今までの7、62ミリの衝撃とは比べ物にならないくらいの痛みを伴ったんだ。
フルスイングのハンマーアタックを断念して一〇式とすれ違うと、ハイディさんは慌てて蛇行運転に戻った。何が起きたか分からない私は慌てて戦車の至る所を見た。そして愕然としたんだ。
…蜂の巣。
それは、そんな表現が正しいのだと思う。見渡した装甲の至る所が大きくへこんでいた。でも、装甲がある所はまだマシだった。継ぎ目の部分からは幾つもの小さな炎や、ショートした配線の火花が飛んでるのが見えた。でも、それだけじゃ無かった。きっと機体表面にあるカメラも今ので壊れたんだろう。だって、私のヘルメットの中の360度スクリーンには、幾つもの黒い歯抜けの部分が出来ていたのだから。
…なにが起きたの?
私がそう答えるよりも早く、ハイディさんは
「M2…12.7mm重機関銃… どうしてそんな物が撃てる…?」
と呟いていた。そして、その言葉に振り向くと、一〇式の頭の上にある大きな機関銃が、私達に狙いを定めているのが見えた。
「ハ、ハイディさん!? アレが撃ってきました!」
「分かってる! 分かってるけどあり得ない!! あれはそもそも、人間が外に出て直接操作する機関銃だ! 人も居ないのに勝手に動くはずがねぇ!!!」
だけど実際に私達は至近距離からあれで撃たれていた。だって、その煙を上げる銃口はそう物語っていたのだから。そして、慌てて距離を取る私達の耳には、残酷な20秒のカウントダウンが終了するのが聞こえた。
それと同時にハイディさんは、燃え盛る給油所の炎に突っ込んでいた。そして、次の瞬間、私達の目の前に姿を現した日本軍分屯所のグラウンドが弾けた。爆風と衝撃で小桜一号の片側が浮くと、彼女は斜めになりながらも、分屯所の建物と裏庭の間にある狭い隙間に滑り込み、片側のキャタピラだけで裏路地を走り始めた。そう、離れていたら大砲に狙われて、近づくと重機関銃の餌食になる。それは、そんな悪夢のような状況だった。そして、その事を一番痛感していたのは、私よりも詳しいハイディさんなのだろう。だってさっきから、まるでうわ言のように「どうしてM2が撃てる? …どうしてM2が撃てる?」と呟いていたのだから。だけど、その答えはタクロウさんの『やっとつながった!』という言葉と同時に、意外な人から聞かされる事になったんだ。
『どうして、本来直接人間が外に出て操作するはずの機銃が無人で撃てたのかって、驚いているんだろ!? そんなの決まってるじゃないか! 何のためにあの一〇式が一課に来たと思う!』
突然聞こえてきたそれは、聞き覚えのある声だった。そう、私達の視界の小窓の一つにいつの間にかVRメットを装着した柳川さんの姿が映っていたんだ。それは、今までの防犯カメラからの映像ではなく、タクロウさんが開いた一課とのホットラインの映像だった。
『柳川ッ、お前、そこから機銃を操作したのか!?』
『ああ、そうだとも! お前のように、主人公が機体に乗って操作するのが当たり前のアニオタには想像もつかない使い方だろ、なあ、小金沢ぁぁぁああああ!? 有難いなぁ、お前の考えてくれたVRメットというヤツは!!』
歪んでいた。確かにそれは、顔全体を包み込むVRメットで隠されていたけれど、なぜだか私には歪んだ柳川さんの表情が見えたんだ。
『柳川! お前、なんでこんな事をしでかした!?』
ヘルメットの中で、タクロウさんが叫んでいた。そして、その言葉に柳川さんはさらに声を荒げ始めた。
『何って、金と名誉以外の何があるッ!?』
『金と…名誉…だと!?』
『ああ、そうさ、俺が今までどれだけの研究と成果を残して来たと思う! 余所の国なら、とっくに億万長者だ! なのになんだ、この国は!? 公務員だからこの程度の支払いで我慢しろだと? どんなに功績を残しても、軍所属だから名前は陽の目を見ないだと? ふざけるなッ!』
「…ふざけるなはテメーだ、柳川!」
激しい重機関銃の雨を避けながら裏路地を走るハイディさんは叫んだ。でも、その声に柳川さんは答えなかった。いや、答えなかったというよりも、そもそも私達の声は届いてさえいないように見えたんだ。私は咄嗟に、恐らく柳川さんにはホットラインで繋がっているタクロウさんの声や姿しか届いてないのだと理解した。
『小桜一号…活動限界まで1分を切りました。もう、いつ動かなくなってもおかしくありません…。…逃げて、小桜。私達の事はいいから、そこから逃げてぇぇぇええええ!!』
幸っちゃんの悲痛な泣き声が聞こえていた。そして、その声に合わせて私達の背後にある分屯所の建物が激しく弾けて辺りが真っ白な爆煙に包まれた。だけど、ハイディさんはその一瞬を見逃さなかった。咄嗟に格納庫と格納庫の間をすり抜けて再び滑走路に出ると、その爆煙にまぎれて急バックで無人の格納庫の中に身を潜めたんだ。
真っ暗な格納庫の中、並んだ小型のヘリコプターや飛行機、ジープ達に紛れて、私達はグッと息を潜めた。そしてそれに合わせるように、小窓以外の視界が突然真っ暗になったんだ。あわてて周りを見渡しても、もう三六〇度スクリーンは作動してはくれなかった。そう、全ての電力を使い切った小桜一号は、待機モードに入ると、まるで眠ったようにピクリとも動かなくなってしまったんだ。こうして、私達は反撃の手段を完全に失った。
明かりが消えたコクピットの中で
「…こんな時、動けないのは静かでかくれんぼ向きだよな?」
だなんて、まるで無邪気な子供のような事をハイディさんは言ったけど、その顔は笑いきれてなんかいなかった。そしてやっぱり、実際のところはそんなに気軽な状態でもなかった。三六〇度スクリーンの代わりに幸っちゃんが送ってくれている上空のドローンの映像を見る限り、格納庫の壁と、崩れかけた分屯所の建物を隔てた先で、私達を見失った一〇式が無差別な発砲と破壊を繰り返していたのだから。そしてその度に振動で地面が揺れ、格納庫の至る所が崩れては、私達の上に降り注いだ。
「…ありゃあ、完全に酔ってやがるな」
息を潜めたハイディさんが、そんな不可解な事を小声で呟いた。
「…酔ってる?」
「ああ、恐らくヘリが墜落した時点で完全に帰還は諦めたんだろうな。失敗して帰って生き恥を晒すより、死して憎き日本軍の中枢施設を破壊した英雄になる道を選んだんだろうよ。まったく男ってヤツは、待ってる側の気持ちも分かりやがれってんだ」
そして、とても悔しそうな顔をしたんだ。
視界の端のモニターでは、相変わらずタクロウさんと柳川さんの口論が続いていたけれど、次第に芝居がかった口調になるタクロウさんに対して、私は苛立ちを覚えていた。だって、今は本当にそんな事をやっている場合なんだろうか? という感情が溢れてきて止まらなかったんだ。
『何が俺の発明だ! どれもこれも僕の発明品の焼き直しじゃないか!』
『それがどうした! リファインは日本のお家芸だ! それに、こっちにはお前の小型レールガンのデータもある! 機動戦闘車の現物が手に入らなかったのは痛いが、俺が居れば問題ない。マチュピチュは破壊され、日本の兵器開発も数年は足踏みだ! その間に俺はこの機動戦闘車とレールガンでひと儲けさせてもらうぞ、小金沢! お前が一生働いても到底稼げない額をだ!』
『…貴様、そんな事の為にわざわざ狂言殺人まででっち上げ、研究施設をメチャクチャにしやがったのか!? 自分で言っててその俗物さ加減に嫌気がささないのか!? 黒幕なら黒幕らしく、もっと壮大で気のきいたセリフの一つでも吐きやがれ、この大根役者が! 』
静まり返ったコクピットの中、握りしめている私の拳が震えていた。今はそんな事どうでもいい、早くこの戦いを終わらせてよ! そう叫びたい気持ちが溢れて止まらなかった。そして、その衝動はついには抑えきれなくなり、咄嗟にタクロウさんとの会話回線を開こうとしたその瞬間、ハイディさんが私の震える拳を優しく握りしめてきたんだ。
「…看板娘、太久郎のヤツ、わざと会話を長引かせようとしている。あれを見ろ」
不意に聞こえたその声に、柳川さんが映る小窓を見たその瞬間、思わず声が漏れそうになって必死に両手で口を塞いで我慢した。でも、溢れだした涙は止まらなかった。そう、滲んだ画面には映っていたんだ。
―熱弁を振るう柳川さんの背後、机の影に潜む橘君の姿が。
「太久郎のヤツ、ああやって会話を引き出して、通信方法が無い橘に柳川が黒幕だって事を伝えてるんだ」
頷いた。私は泣きながら何度も頷いた。そして、画面の向こうに小さく映る橘君が無事でいてくれている事に感謝した。そして、それと同時に、お願いだから早く引き返して。橘君が無事ならそれでいいから。という気持ちが溢れて止まらなかった。でも橘君は、モニター越しに私の方を見ると優しくほほ笑んで、そっと人差し指を唇にあてて『静かに』というジェスチャーを送って来たんだ。
『狂言殺人? ああ、あれか。このシナリオを考えたあの軍事ブローカーには感謝してるよ。本当に良い儲け話を持って来てくれた。今も逃走のルートは確保してくれているらしい。まったくありがたいアロハだよ、あの男は』
『貴様…こんだけの事をしておいて、逃げられると思うなよ…』
『…ん? なんだい、小金沢。その握りしめた拳は? 僕に天誅でもくらわそうとでも言うのかい? やれるものならやってみろ、この負け犬が! ほら、ここだ! 殴りたいんだろ、殴れる物なら殴ってみたらどうだ!』
画面の向こうで、VRメットを被った柳川さんが自分の右頬を指さして笑っていた。その瞬間だった、机の影で息を潜めていた橘君が大きく床を蹴って飛びあがるのが見えた。
『バカ柳川、お前が食らうのは蹴りだよ…』
タクロウさんの言葉に合わせて、柳川さんの頭が大きくひしゃげた。そして、くの字に首を曲げたまま声にならない奇妙な音と共にその姿は一瞬で画面から消えたんだ。それは横一閃、無防備な右側をフルスイングで蹴り抜いた橘君のキックだった。
『佐倉さん、気をつけて!』
画面に向かって手短にそう叫んだ橘君は、そのまま踵を返すと背後にある配電盤に向かってダイブした。
『小桜一号、無接続送電開始! 10秒後、再起動します!』
私達のコクピットに、歓喜に溢れた幸っちゃんの涙声が響き渡った。
(四)
最初、それは一匹の蚊だと思った。
再起動を待つ暗いコクピットの中、甲高い羽音が耳元で響いていた。
せっかく橘君が無事だったのに。
せっかく橘君が命がけで無接続送電を入れてくれて、また動けるようになるというのに。ひょっとしたら、今まで電力不足で封印されていた右側の大砲、レールガンだって使えるようになるかも知れないのに、本当に蚊って嫌い。
思わずVRメットの頬を叩く。それでも鳴りやまない羽音。そして、大きく右手を振って蚊を追い払おうとしたその時、ヘルメットの視界が赤く染まった。
「ロックオンされた! そいつは蚊じゃない、ドローンだ!!」
次の瞬間、大きな衝撃が頭の上で炸裂して体が大きく跳ねて落ちた。それと同時に、真っ暗だったコクピットに計器達の明かりがともり始めると、三六〇度スクリーンが復活した。そして私は愕然としたんだ。
―格納庫の左右の壁に大きな穴が開いていた。
そして、貫通した先には、爆煙を上げる建物が見えた。
でも、それだけじゃ無かった。次の瞬間、私は息を飲んだ。だって、頼みの綱だったはずの、封印されていた必殺技だったはずの右側の大砲が、跡形もなく消し飛んでいたのだから。そして、私は何が起きたかを把握した。そう、丸見えだったんだ。あの時、私と幸っちゃんがドローンを使って死角の敵を撃った連携プレイと同じ事が、今度は私達の身に起きたんだ。格納庫に隠れ、息を潜めていた私達をドローンが見つけ出し、視覚を共有した敵が格納庫の壁越しに砲撃してきたんだ。
『小桜、前、前!!』
呆気に取られ、穴から見える星空を眺めていると、幸っちゃんの叫び声に合わせて隣の運転席から舌打ちの音が聞こえた。そして、恐る恐る正面を向くと、それはいた。格納庫の入り口を塞ぎ、ゆっくりと大砲をこちらに向けて回転させている、月を背負った黒い影が。
「クソッ、ヤツらVRメットの扱いに慣れてきやがった! まさか独自のドローンを出してくるとは! しがみつけ看板娘! 次弾までの間に突破する!」
狭い格納庫の中、再び急発進をした私達は、そのままの勢いで目前に鎮座する一〇式に向かってタックルした。全身に激しい痛みが駆け抜ける。だけど、私達の反撃はそこで終わってしまったんだ。そう、助走が足りなかった私達は、敵を吹き飛ばすどころか、その車体に半分乗りあげる形で止まってしまっていたんだ。背後にはむなしく空回りするキャタピラから火花が散っているのが見えた。
もう、完全にお手上げだと観念した。せっかく橘君が命がけで無接続送電を復活させてくれたのに、頼みの綱のレールガンを失い、敵に乗りあげて動けず、そして、ゆっくりとした回転を終えた一〇式の大砲は、私の眉間の前で静かに止まっていたのだから。
情けなくて、申し訳ない気持ちで胸が締め付けられた。
…結局、こんな所まで来て大暴れしたくせに、伝えたい言葉は言えなかった。
ならば、せめてポケを使って…
咄嗟にそう思ってスカートの中に手を入れて、そのまま止めた。
だって、今から死んじゃう女の子に告白されたって、そんなの橘君が辛いだけじゃない?
両想いになった途端に私が居なくなるのって悔しくなるだけじゃない?
だったら、この想いは飲み込んじゃった方がいい…
それとも、橘君は辛くても、悔しくてもいいから私の言葉が聞きたいのかな?
そう思うと、涙が出た。
止まらなくなった。
そして、自分の中に
生きたい。
死にたくない。
という衝動が生まれた。
『赤いボタンを押せぇぇぇぇえええええええ!!!』
その時、ヘルメットの中でタクロウさんの声が響いた。
そして、私は何のためらいもなくその言葉に従った。アイコンの一番下で怪しく光る赤いボタン。それを力いっぱい睨みつけると瞼でダブルクリックした。その途端、再び小桜一号がうなりを上げた。
「こっちに来ないでーーーッ!!」
私はそう叫ぶと、思い切り瞳を閉じて一〇式に向かって両手を突き出した。どうしてそんな事をしたのか、正直自分でもよく分からない。赤いボタンだってそうだ。ハイディさんには自爆装置だって聞かされていたけれど、何故だか私はタクロウさんを信じてみる事にしたんだ。
…だけど無情にも、突き出された両手のグローブからは一○式から私目がけて弾が発射された振動が伝わってきた。
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