第44話 前日譚①

 この世界には色々な生き物がいる。

 生き物は様々な種類に分類されているけど、中にはどの分類にも属さない生き物がいる。その生き物は普通の人間の目には視ることも触ることもできない。

 だけど稀に、その『生き物』達を視ることができる人間がいる。視える人間達は、その『生き物』達をこう呼んでいる。


 アヤカシ、と。


 アヤカシの種類は多種多様で大きさや形、性質、食べる餌はアヤカシの種類によってそれぞれ違う。

 僕、米田優斗は『アヤカシを引き寄せる』という特別な体質を持っている。アヤカシの中には人のエネルギーを餌として生きているものがいるけど、僕のエネルギーはそれらのアヤカシに好まれるのだそうだ。なので、僕はよくアヤカシに憑かれる。

 アヤカシに憑かれると、そのアヤカシにエネルギーを吸われてしまい、体調に悪影響を及ぼす。小さいアヤカシならば吸われるエネルギーの量は少しで済むけど、大きなアヤカシに憑かれた場合、吸われるエネルギーの量も多くなるため、命に関わる。

 前に、僕はヒグマ程の大きさもあるアヤカシに憑かれ、死にそうになったことがある。


 そんな僕を助けてくれたのが、『アヤカシを封じる』力を持った猿木さんだった。

 偶然通りかかった猿木さんは、僕に憑いたアヤカシを封じ、命を救ってくれた。以来、猿木さんは僕の友人となった。


 その時、僕は猿木さんとある契約を結んだ。

 契約内容は≪今後、僕がアヤカシに憑かれた場合、僕に憑いたアヤカシは猿木さんが無償で取り除いてくれる。ただし、取り除いたアヤカシの所有権は猿木さんにある≫

 というものだった。

 僕にとっては何のデメリットもない内容だったので、喜んで僕はその取引に応じた。

 何故、猿木さんは僕にそんな取引を持ち掛けたのか?それは、僕から取ったアヤカシを売るためだった。

 普段は『猿木骨董店』の店主をしている猿木さんだけど、実は裏では封じたアヤカシを人に売るという商売もしている。

 毎月五、六人程の人間がアヤカシ目当てで猿木さんの店を訪れているらしい。

 アヤカシを購入する目的は人によって、愛玩用だったり、何かに利用したりと様々だ。

 猿木さんが売ったアヤカシの利益が僕に回ってくることはないけど、僕にとっては無料で憑いたアヤカシを取ってもらえるだけで大助かりだ。


 猿木さんは僕から取ったアヤカシを売り、お金を得る。

 僕は自分に憑いたアヤカシをタダで取ってもらえる。

 僕と猿木さんの関係は互いに利益を得られる非常に良好なものだと言えるだろう。


 ところで、猿木さんは僕に憑いたアヤカシだけではなく、他にも自分で捕まえたアヤカシも売っている。

 ある日、僕はいつものように、猿木さんの自宅兼店で憑いたアヤカシを取ってもらっていた。すると、誰かが猿木さんの店の戸を叩く音が聞こえた。

「今日は休みにしているんだがな……」

 猿木さんは店の方へと歩いていく。一人残された僕はとりあえず、猿木さんが淹れてくれたコーヒーを飲んだ。うん、おいしい。

 すると、店から猿木さんが戻ってきた。

「米田、ちょっと来てくれ」

 猿木さんは僕を手招きする。

「お客さんは?帰ったの?」

「いや、まだいる。私に相談したいことがあるらしい」

 猿木さんに相談? なんだろう?

「どうして、僕も一緒に?」

「お前も居た方がいい相談だからだ」

 僕が居た方がいい相談……まさか。

「猿木さん、その相談って……」

「ああ」

 猿木さんはニヤリと笑う。


「アヤカシに関する相談だ」


***


「はぁ……行きたくないなぁ」

「どうした?暗い顔して」

 助手席でため息をつく僕に、車を運転している猿木さんは不思議そうに尋ねた。

「怖いんだよ。単純に!」

 僕のテンションは朝から下がりっぱなしだ。

 そんな僕を猿木さんはハッと鼻で笑った。

「お前は本当に怖がりだな。別に幽霊が出るってわけじゃないんだ。気楽に構えていればいい」

「幽霊は出ないけどアヤカシは出るかもしれないんでしょ⁉」

 僕は猿木さんとは違い、アヤカシを封じることなんてできない。アヤカシが視えて触れるだけ。ただそれだけだ。

アヤカシに襲われた場合、僕にできることは何もない。

「それに、小説も書かないといけないし……」

「小説を書いたところで、どうせまたダメだろう。いい加減諦めろ」

「くっ」

 僕の夢は小説家になることだ。それで今、小説を書いている。

 でも今の所まだ芽は出ていない。出版社へ何度か書いた小説を送ったりしているけど、全く手ごたえはない。とても悲しい。

「いいか?相談者は今、とても怯えている。自分は殺されるのではないか、とな」

「うっ……」

「お前は、あの相談者を助けたいとは思わないのか?恐怖から解放してやりたいとは思わないのか?」

「ううっ……」

 胸がズキンと痛む。これは良心の痛みだ。

「お前は優しい奴だと思っていたのになぁ。そうかそうか、自分だけ助かりたいから相談者を見捨てるのか。あの相談者はきっと、勇気を振り絞ってやって来たのだろうになぁ」

「うううっ……」

「お前がそんなに薄情な奴とはな。まぁいいさ。降ろしてやるから帰りたければ帰れ。だが、もしかしたらお前が帰った後で私と相談者はとても危ない目に……」

「分かった!分かったよ!ちゃんと手伝うよ」

「うむ。それでこそ米田。それでこそ我が友人だ」

 猿木さんは実に楽しそうに笑う。

「ところで、そろそろ小説家になるのは諦めて、うちで働く気はないのか?」

「ないよ」

 僕は即答する。猿木さんは何度も僕に『猿木骨董店で働かないか?』と誘うが僕の答えはいつもNOだ。

「いつか僕は小説家になるよ」

 僕がそう言うと、猿木さんは「ふぅ」と少し呆れた様子で息を吐いた。

「なら、せいぜい頑張れ。ほら、着いたぞ。ここが相談者が泊っているホテルだ」

 僕の決意を軽く流し、猿木さんは二十メートル程先にある大きなホテルを指差した。

 ホテルに着くと猿木さんは相談者に今着いたと連絡する。

 しばらくフロントで待っていると、一人の女性が駆け寄ってきた。

「お久しぶりですね。茜さん」

「……あ、はい。猿木さん。お久しぶりです。えっと、確か、そちらの方は……」

「米田です。よろしくお願いします」

「あっ、そうでしたね。すみません」


 女性の名前は鮫西茜さんという。

 年齢は二十八歳。ショートカットで背は低く、とても可愛らしい人だ。もう暖かくなるというのに長袖の服を着ている。


 彼女はどうも自分の名字があまり好きではないようで、自分のことは「茜」と下の名前で読んで欲しいとお願いしてきた。

 特に断る理由もないので、僕も猿木さんも彼女のことは下の名前で「茜さん」と呼ぶことにしている。

「……」

 そんな茜さんは、猿木さんの顔を見たまま呆けていた。

 その頬はほんの少しだけ紅くなっている。きっと猿木さんの顔に見惚れているのだろう。無理もない。猿木さんは背が高いし、顔はとても整っている。運動神経も抜群だ。そのため、女性に凄くモテる。羨ましい。

「では、行きましょうか?」

 僕と話す時とは違った丁寧な口調で、猿木さんは茜さんに話し掛ける。

「は、はい!い、行きましょう」

 ホテルを出た僕達三人は車に乗り、目的の場所へと向かった。

 数十分程走り、車はとある場所に到着する。


 そこは古い木造の民家だった。周囲を鉄筋のビルに囲まれ、ポツンと建っているその家は、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。


 茜さんは家の鍵を取り出し、ドアを開ける。

 その瞬間、屋根裏から何かが走り回る音が聞こえた。

「どうぞ、お二人とも中へ」

 しかし、茜さんはそれらを気にする様子もなく僕達を家に招き入れようとする。

 僕は猿木さんを見る。このまま中に入ってもいいのだろうか?

「お邪魔します」

 迷っている僕をしり目に、猿木さんはさっさと家の中に入った。家の中に入った猿木さんはチラリと僕を見る。

「お前も入れ」とその目が言っていた。どうやら、入っても大丈夫のようだ。

「お邪魔します……」

 ビクビクしながら、僕も家の中に入った。

 僕が家の中に入った瞬間、またしても屋根裏からバンバンと何かが走り回る音が聞こえた。

思わず、天井を見上げた僕に茜さんは言う。

「やはり、分かるんですね」


 それから茜さんは僕達を居間へと案内した。そこにあった椅子に僕達が座ると、茜さんはお茶を出してくれた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

「い、いただきます」

 丁寧な動作でお茶を飲む猿木さんを真似て僕もお茶を飲む。

「美味しい!」

 そのお茶はとんでもない美味しさだった。相当高級なお茶なのではないだろうか?

 家の中を見渡しても高価そうな物がいくつも置いてある。

「猿木さん、米田さん。本日はわざわざありがとうございます」

 茜さんはそう言って深々と頭を下げた。

「どうか、私達を助けてください」

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