第43話 二人の刑事の蛇足な会話

 警察署内で一人の刑事がとある資料を見ていた。そんな刑事に別の刑事が話し掛ける。

「橋田さん何してるんですか?」

「山下か。いや、ちょっと気になることがあってな」

「それって、この間の鏡恭二が起こした事件の資料ですか?」

「ああ」

 橋田が見ている資料は、数か月前に鏡恭二が起こした殺人事件の記録だ。

「なんで今更そんなものを?」

「さっきなんとなくこの事件のことを思い出してな」

「はぁ、そうですか。何が気になるんです?」

「鏡恭二の自供だよ」

「自供……ですか?」

 逃亡中だった鏡恭二は女性を刺殺し、金を奪い取った。だが、その後あっけなく逮捕された。所持していたナイフから、被害者の血液が検出されたため、直ぐに彼が犯人であると断定された。

「鏡恭二は、強盗の目的を逃亡資金の調達と麻薬を買うためだと供述した」

「詐欺で得た金と会社から盗んだ金はかなりの金額だと聞いていますが……それもすっかり使ってしまっていたそうですね。しかもクスリにまで手を出していたから余計に金の減りは激しかったでしょう。それで?その自供のどこが気になるんですか?」

「気になるのはこの供述だ。『被害者とは顔見知りだったのか?』という質問に対して鏡恭二は『知らない』と答えている。だが、『あの女があそこを通るのは知っていた』と言っているんだ」

「えっ?害者(*警察の隠語。被害者のこと)があの場所を通ることを知っていた?どうしてですか?鏡恭二と害者は顔見知りじゃなかったんでしょ?」

「鏡恭二はそれについてはこう言っている。『教えてもらった』と」

「教えてもらった?誰にです?」

「『白い大蛇』」

「白い……大蛇?」

「巨大な白い蛇。それに教えてもらったと鏡恭二は言った」

「大蛇って……まさか鏡恭二とあの四件の事件とは何か関係が?」

「さぁな。それは分からない。何しろ当の本人が自殺しているからな」

 逮捕されてから数か月後、裁判が始まった矢先、鏡恭二は拘置所内で自殺した。

 盗んだ金の行方など、鏡恭二の自殺によって多くの謎を残しながら、事件は幕を閉じることになってしまった。

「上の連中は鏡恭二の証言を『麻薬中毒による幻覚か妄想』と片付けてしまった。だが、私にはどうしても、この事件とあの四件の事件が無関係とは思えない」

 三人の男性と一人の女性、計四人が犠牲となったこの事件は、『蛇事件』と警察官の間で呼ばれている。『蛇事件』は全て原因不明の事故として処理された。

 だが、巷では都市伝説的な話として、少しだけ広まっている。

「『蛇事件』は妙な事ばかりだ。四人の死因も謎だが、捜査が早々に打ち切られたことも謎だ。まるで、誰かが今回の事件をもみ消そうとしているようにすら感じたよ」

「ちょっ、ちょっと橋田さん。滅多なこと言わない方が……」

「ううむ」

 橋田は再び資料をじっと眺め始めた。

「……橋田さんはどう考えているんですか?鏡恭二の事件と『蛇事件』を」

「そうだな」

 橋田は資料を置き、部下の山下の方を向く。

「鏡恭二の事件と『蛇事件』は何らかの繋がりがあると考えている」

「どうしてですか?」

「今回の『蛇事件』よりも前に似たような事件があったことは知っているか?」

「もちろんです」

「だったら、その時死んだ人間の名前は憶えているか?」

「えっ……ええっと、何でしたっけ?」

 戸惑う山下に橋田は呆れた視線を向ける。

「たくっ、しっかりしろよ。死んだ人間の名前は……『猿木康』だ」

「猿木……って、あれ?鏡恭二に殺された害者の名前も確か『猿木』って」

「そうだ。数年前に死んだ『猿木康』と鏡恭二に殺された害者は親子だ」

「親子⁉」

 山下は目を剥いて驚いた。

「本当ですか?」

「ああ、間違いなく『猿木康』と鏡恭二に殺された害者……『猿木恵』の二人は親子だ。どうだ。これは偶然だと思うか?」

「……むむっ」

 不審死した人間の娘が不可解な事件に巻き込まれて命を落とす。その確率はどれほどのものだろうか?

「橋田さんは……本当にいると思いますか?巨大な蛇の化け物が」

「さぁな。常識的に考えればそんなものいるはずがない。だが『蛇事件』は常識では片づけられない事件だ。仮に鏡恭二の言う『白い大蛇』の化け物がいるという前提で考えれば、事件もある程度はつじつまが合う」

「じゃ、じゃあ。『仮に』鏡恭二の言う蛇の化け物がいたとして、その化け物が四人……いえ、数年前の事件も含めて五人の人間を、殺したのは何故でしょうか?」

「さぁな。そこまでは分からない。殺して魂を食べるかもしれないし、恨みで殺したかもしれない。ただ単に快楽として殺したのかもしれない。あとは……誰かに命じられたとかな」

「命じられた?」

 山下は声を大きくする。

「誰かが蛇の化け物を操ったってことですか?」

「ああ、そうだ」

 橋田は首を縦に振る。

「お前、呪術は知っているか?」

「呪術?人を呪うあれですか?」

「そうだ。古来より呪術は色々とあるが、蛇を使ったものも存在している。その中に蛇の化け物を使役し、相手を呪い殺す方法がある。今回の事件も誰かが蛇の化け物を操っていたのかもしれない」

「の、呪い……」

 山下はゴクリと唾を飲む。

「い、一体誰がそんなことを?」

「おそらく、蝶野聡子だ」

「えっ!蝶野聡子?『蛇事件』最後の犠牲者の?」

「犠牲者……本当に蝶野聡子は犠牲者だったのか?」

「ど、どういうことです?」

「さっき言った呪術についてだが、実は一つ大きなデメリットがある」

「デメリット?」

「呪術は失敗した場合、その呪いが自分に返ってくる。『人を呪わば穴二つ』という諺があるが、あれは人を呪った場合、自分も呪われる覚悟をしなくてはならないという戒めだ」

「そ、それでどうして、蛇の化け物を操ったのが蝶野聡子だと?」

「お前は、どうして蝶野聡子だけ、他の犠牲者と受けた被害が違うのだと思う?」

「それは……確かに俺も気になっていました。どうして蝶野聡子だけあんな状態で発見されたのか……」

 蝶野聡子がうわごとで「ヘビ」と言っていなければ『蛇事件』とは別の事件だと処理されていた可能性もある。

「こうは考えられないか?蝶野聡子は蛇の化け物を使って、他の人間を殺していた。だが、ある人間を殺そうとした時、ある理由で呪術が失敗した。そのため、その反動が蝶野聡子に返ってきた。蝶野聡子の死以降、『蛇事件』が起きていないのはそのためだ」

「ま、待ってください!じゃあ、橋田さんは『蛇事件』の犯人は蝶野聡子だと?」

「数年前の事件に関しては分からんが、三件の事件についてはそうだと思う」

「た、確かに蝶野聡子の死亡を最後に『蛇事件』は起きていませんが……」

 混乱する山下は橋田に問う。

「で、でも蝶野聡子が犯人だとして、どうして呪術が失敗したんでしょう?」

「そこで鏡恭二の供述だ。鏡恭二は『白い大蛇』と話したと供述しているが、根津、伊那後、灰塚の三人を殺した蛇の化け物と、鏡恭二が話したと言っている蛇の化け物は果たして同じ化け物だったのだろうか?」

 山下は、ハッとなる。

「まさか、蛇の化け物はもう一匹いた?」

 橋田はニヤリと笑う。

「例えば、蝶野聡子が使役していた蛇の化け物は、 。としたらどうだ?蝶野聡子が化学薬品を全身に浴びたような状態で発見されたのは、蝶野聡子が操っていた蛇の化け物がもう一匹の蛇の化け物の腹の中で溶かされたからだ。だから、そのダメージが蝶野聡子にも及び、まるで硫酸を浴びて、溶けたかのような火傷を全身に負った」

「ええっ!だ、だとすると……」

 山下は頭を働かせる。

「鏡恭二に害者……ええっと『猿木恵』を殺すように誘導したのは、三人を殺した蛇の化け物を喰ったもう一匹の蛇の化け物ということですか?」

「そういうことになるな。鏡恭二が殺人を犯した時、蝶野聡子は病院のベッドの上だった。私の考えの通り、蝶野聡子が使役していた蛇の化け物をもう一匹の蛇の化け物に喰われ失ったとするなら、鏡恭二を誘導したのはもう一匹の蛇の化け物……鏡恭二が『白い大蛇』と呼んでいた方だ」

「で、では、『白い大蛇』も誰かが操って?」

「そうは思えないな。『白い大蛇』の方は自分の意志で動いているように感じる。まぁ、刑事の勘というやつだ」

「もう一匹の蛇の化け物……『白い大蛇』が鏡恭二を誘導して猿木恵を殺した理由はなんでしょう?」

「さぁな。人間の殺しと一緒で、動機なんてものはたくさんある」

「じゃあ、どうして、その……『白い大蛇』の化け物は猿木恵を殺すように鏡恭二を誘導したんでしょう?自分で殺せばいいのに……」

「二つ考えられる。まず、一つ目は『白い大蛇』には直接人を殺す力はなかった。だから、鏡恭二を利用して猿木恵を殺したという考え方。しかし、もし『白い大蛇』が、蝶野聡子が使役していた蛇の化け物を喰ったとするのなら、『白い大蛇』の方が力は上ということになる。だから『白い大蛇』にも人を殺せる力はあると考えたほうがいい」

「もう一つは?」

「人を殺す力はあったが、何らかの理由で自分では殺せなかった場合だ。だから鏡恭二を利用した」

「人を殺せない理由?」

「最初に思いつくのは、他の人間に見つかるのを恐れた……だな。『白い大蛇』は『警戒心が高く臆病で神経質な性格』なのかもしれない」

「……なるほど」

「あとは……そうだな。『誰かに嫌われたくなかった』なんて理由だと面白いかもな」

「嫌われたくなかった?」

「『白い大蛇』は特定の誰かと交流していた。『白い大蛇』は猿木恵を殺そうとしたが、人間を殺すと交流していた誰かに嫌われるかもしれないと思った。だから鏡恭二を誘導して猿木恵を殺させた。自分が人を殺したと、交流していた誰かに知られないように」

「……ッ!」

「蛇は狡猾だと言われるが、この考えが正しいのだとすると、『白い大蛇』は非常に狡猾な奴だな」

 橋田は、フッと笑う。

「その……『白い大蛇』が嫌われたくなかった相手って……誰なんでしょう?」

「米田優斗」

「───ッ!」

「かもしれないな」

 橋田は唇の端を少しだけ上げる。

「『蛇事件』の三人はいずれも米田優斗と接点があった。そして、猿木恵と米田優斗は親密な関係だったらしい」

「えっ?マジですか?俺、そんなこと知りませんでした」

「鏡恭二の犯行が明らかだったため、害者である猿木恵の交友関係までは調べていないからな。猿木恵と米田優斗が親密だったということは私が個人的に調べたことだ」

「米田優斗と猿木恵は恋人関係だったと?」

「恋人かどうかまでは分からんが、親しい間柄だったことは間違いない」

「ということは……米田優斗は『蛇事件』と鏡恭二の事件の二つに関わっていることになりますよ⁉」

「そうなるな。だから、もしかしたら米田優斗は、蛇の化け物の一匹、『白い大蛇』と交流があったのではないか。と思ったわけだ。まぁ、これも刑事の勘だな」

 橋田は苦笑する。対して、山下は頭を抱えていた。

「すみません。なんだかこんがらがって、俺の頭じゃ理解が追いつきません」

山下が謝罪すると橋田は「はっはははは」と笑った。

「ああ、すまん。私が今言ったことは全部単なる推理……いや、推理とも呼べないな。妄想だ」

「妄想ですか……」

「お前が言った通り、この話は『仮に』蛇の化け物がいたら……という前提で話したものだ。実際に蛇の化け物がいるとは証明できていない」

「まぁ、そうですが……」

 蝶野聡子が三件の事件の犯人だと言う話も、蝶野聡子が使役していた蛇の化け物を『白い大蛇』が喰ったとする話も、『白い大蛇』が鏡恭二を誘導して猿木恵を殺したという話も、全ては蛇の化け物が実際にいるという前提がなければ、そもそも成り立たない。

「さっき私は『蛇事件』と鏡恭二の事件に繋がりがあると言ったが、それもあくまで私自身がそう考えているだけだ。実際は『蛇事件』と鏡恭二の殺人には何の関わりもないのかもしれない」

「で、でも数年前に起きた『蛇事件』の害者である『猿木康』と鏡恭二が起こした事件の害者の『猿木恵』は親子で……」

「別々に起きた事件の害者同士が実は親子だった。一見すると二つの事件には関りがあるように見える。だが、全くの偶然という可能性も十分ある。鏡恭二の供述の中に『白い大蛇』という単語が出てきたが、それすらも偶然という可能性だってある。、『

「……」

「蛇の化け物は本当にいるのかいないのか?いたとして本当に殺人に関わっているのか?蝶野聡子は三件の事件の犯人なのか?それとも単なる哀れな被害者なのか?米田優斗は事件に関係していたのか?それともいないのか?私には分からん。証明すらできないだろうからな。まぁ、何にせよ上が捜査の打ち切りを命令した以上、これはすでに終わった事件だ」

 橋田は資料を手に取ると、それを元の場所に戻し、鍵を掛けた。

「ところで、お前は私に何か用があったんじゃないのか?」

「ああ、そうでした。課長に橋田さんの休憩が終わったら、自分の所に来るように伝えてくれと頼まれました」

「何の用だ?」

「例の『人体自然発火』の捜査に橋田さんも加わるようにと……」

 橋田は、「はぁ」とため息をつく。

「やれやれ、いつの間に私は超常現象専門になったんだ?」

「お疲れ様です」

「しょうがない。ちょうど休憩が終わったところだ。今から行ってくる」

 橋田は飲みかけのコーヒーを一気に飲み、ゴミ箱に捨てると、資料室を後にした。

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