第42話 新作
僕と華我子さん以外の人がどうしているのかというと。
まず、鯰川さんは蝶野さんまで重体を負ったと聞き、ショックで小説が書けない状態になってしまった。なんとか良くなって、また小説を書いてほしいと思う。
雀村はゴーストライターを雇って小説を書かせていたということが週刊誌に暴露されてしまい、窮地に立たされている。大物小説家がゴーストライターを雇っていたというニュースは連日テレビで放送された。
ゴーストライターのことを暴露される少し前に雀村は新作を発表していたが、それらの小説の発売は停止となった。雀村が最近始めたSNSも大炎上だ。
雀村の元には連日マスコミが押し寄せている。僕がゴーストライターの執筆を断った時には「後悔させてやる」と息巻いていたくせに、今ではゲッソリとやつれて見る影もない。
今後、雀村が小説の世界で生きていくことは難しいだろう。
そして、蝶野さんは僕が面会した約一か月後に急激に容態が悪化して亡くなった。
最後はとても苦しんだのだと聞く。彼女が三人もの人間を殺した殺人者であることは、僕と華我子さん以外、誰も知らない。
『次のニュースです。逮捕された鏡恭二容疑者の裁判が始まりました。傍聴席には、この裁判を見ようと多くの人が……』
テレビに視線を向けると、ニュースキャスターが鏡恭二の裁判について報道していた。
逃走中の鏡恭二が殺人を犯したということで、この事件は大きく報道された。
逮捕された鏡恭二は犯行の動機を金目的だったと自供している。実は鏡恭二は逃亡する前から薬物に手を出していたことが警察の捜査で分かった。詐欺で奪い取った金と会社から盗んだ金はすっかり消えていたそうだ。
猿木さんを刺した理由は逃亡資金と薬物を買う金が欲しかったためだという。
現在、鏡恭二は裁判に掛けられており、犯行当時の責任能力の有無が問われている。
僕はテレビを消した。
「怒っているか?」
華我子さんが不意に尋ねてきた。
「私は私以外の感情が分からない。もし、怒っているのなら言ってほしい。貴方とは、これからも良好な関係を保ち続けたいからな」
「怒ってはいません。ただ……」
「ただ?」
「悲しいです」
僕に憑くアヤカシをこれから食べてもらうことを華我子さんに了承してもらった後、僕は華我子さんに猿木さんが所持しているアヤカシを全て食べてもらうように頼んだ。
その際、華我子さんは僕に『一つだけ聞いていいか?』と尋ねた。
『なんです?』
『もし、その人間が私の食事の邪魔をした場合、その人間を排除していいか?』
『排除……』
その言葉がどのような意味を持つのかは分かる。
『いえ、猿木さんが華我子さんの食事の邪魔をすることはありません』
僕はきっぱりと言った。
『華我子さんがアヤカシを食べている間、僕が猿木さんを引き留めておきます。華我子さんの邪魔はさせません』
『……分かった』
僕の言葉を聞いた華我子さんはゆっくりと頷いた。
「約束を破ったのは僕です。僕は猿木さんを止められなかった。でも、華我子さんは猿木さんを殺さないでくれました。ありがとうございます」
「あの人間のためじゃない。私は貴方に嫌われたくなくて、あの人間を殺さなかった」
「それでもありがとうございます。猿木さんを殺さないでいてくれて」
猿木さんが死んだのは僕のせいだ。もし、あの喫茶店で僕が猿木さんを止めていれば彼女は鏡恭二に殺されることはなかった。僕はどんな手を使っても、猿木さんを止めなければならなかったのだ。
それが出来なかったことが悔しくて、悲しい。
華我子さんが、そっと僕の手を取った。
「これからは、私がいる。アヤカシに憑かれる以外にも何かあったら言ってほしい。直ぐに助ける」
華我子さんはまっすぐな目で僕を見つめる。
「ありがとうございます。何かあれば華我子さんも言ってくださいね」
華我子さんは「ああ」と頷いた。
「話は変わるが、今度新作を出すことになった」
「新作?『捕食探偵』ではなく別の作品ってことですか?」
「そう。さっき、原稿が完成した。読んでほしい」
そう言って、華我子さんはプリントアウトされた原稿の束を僕に差し出した。
「ええっ?」
僕は目が飛び出るかと思うくらい驚いた。
「こ、これ、編集の方には見せたんですか?」
「まだ見せていない。貴方が初めてだ」
「えええっ⁉」
僕は腰を抜かすほど驚いた。
「ど、どうして僕に?」
「最初に貴方に見てほしかった」
「で、でも……」
「見たくない?」
「うっ、ううっ」
倫理的に考えれば、最初は編集の人に見てもらうのが筋だ。同じ会社で出版しているとはいえ、僕と華我子さんはライバルでもあるのだから。
でも……華我子麻耶の新作が読める。しかも、世界中で誰よりも先に。そんな誘惑を振り切ることができるだろうか?
いや、できない。できるはずがない。
「よ、読みます!」
心の中で何度も謝りながら、僕は華我子さんから原稿用紙の束を受け取った。
華我子さんの新作のタイトルは『相利共生』。
互いに協力して生きる怪物と人間の話だった。
華我子さんの新作は、想像を超えた面白さだった。読み進める目と手が止まらない。そんな僕を華我子さんはずっと見ていた。
これよりさらに数か月後、華我子さんの新作『相利共生』は、発売されるや否や『捕食探偵』に並ぶ大ヒットとなる。
原稿を全て読み終えると、すっかり日が暮れかけていた。
「今日はありがとうございました。憑いたアヤカシを食べてもらうだけじゃなくて、新作の小説まで読ませていただいて……」
玄関まで見送りに来てくれた華我子さんに礼を言う。
「こちらこそ、美味しいアヤカシをありがとう。それと小説を読んでくれてありがとう」
華我子さんは「またな」と言って手を振った。ほんの少しだけ微笑みながら。
「はい、また」
僕も手を振り、華我子さんの家を後にした。
「はぁ~」
帰る途中、僕は大きなため息をついた。
僕は華我子さんの小説を読んだことを深く後悔していた。編集の人にもまだ見せていないという原稿を見たことによる罪悪感もあったが、それだけではない。
あまりの面白さに自信が砕かれたのだ。
「はぁ~どうしよう」
実は僕も現在、新作の小説を書いている途中なのだ。すでに編集の人には見てもらい、OKをもらっている。だけど、あの小説を見た後だと……。
僕は新しい担当編集者に電話を掛けた。
「もしもし、米田です」
『あ、米田先生。どうかしました?』
「実は、この前見せた原稿なんですが、もう少し話し合いたくて」
『えっ?でも、この前……』
「はい、確かにOKはもらいましたが……」
『……もっと面白くなると?』
「はい」
『……分かりました』
新しい担当編集者が笑ったのが電話越しに分かった。
『もっと面白くなるように打ち合わせをしましょう!』
「あ、ありがとうございます!」
僕はその場でペコペコと頭を下げる。
『では、さっそく今から打ち合わせをしますか』
「今からですか?」
『当然です。こちらにも予定があるのに先生が書き直されたいというのですから。今は一分一秒が惜しいです』
「わ、分かりました。打ち合わせはどこで?」
『この前の喫茶店にしましょう』
「分かりました。では、また!」
僕は急いで、あの喫茶店に向かって走り出した。
喫茶店に向かう道中、僕はこれからのことについて考える。
華我子さんと一緒にいれば、僕は自分に憑くアヤカシを食べてもらえる。
僕と一緒にいれば、華我子さんは労せずアヤカシを食べることができる。
人間である僕とアヤカシである華我子さん。僕達の関係はまさに華我子さんの新作小説のタイトルでもある『相利共生』と言えるだろう。
でも、この関係がいつまで続くかは分からない。何故なら、『相利共生』はあくまでも両者に利益がある時に起きる関係だからだ。
どちらか一方が利益を感じなくなれば、『相利共生』の関係はそこまでとなる。
何らかの理由で、華我子さんが僕に憑くアヤカシを食べてくれなくなった場合、僕は自分に憑くアヤカシを取り除く手段がなくなる。もし、その時、命に関わるようなアヤカシに憑かれれば、そこで僕の人生は終わりだ。
四年間続いた猿木さんとの関係だって、突然終わった。いつ、僕と華我子さんの関係も終わるか分からない。ずっと続くのかもしれないし、明日終わることだってあり得る。
もし、そうなっても僕は後悔したくない。
これから何があるのかは分からない。未来がどうなるのかは分からない。だけど、これだけは分かる。何が起ころうとも、僕はこれからも小説を書き続けるだろうということだ。
今回の事件で、多くの人の命が失われた。僕にとって大切な人も死んだ。
僕は一生忘れないだろう。
それでも僕は小説を書き続ける。何故なら僕にとって小説を書くということは、生きることそのものなのだから。
心地よい風を感じながら、僕は走るスピードを上げた。
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