第3話 白い大蛇③
「『紅い蠍』はその呼び名の通り、全身が紅く染まった巨大な蠍の姿をしたアヤカシだ。元々、異国の山の主だったが、何らかの理由で日本にやって来た。『紅い蠍』は自分の住む土地を探して放浪し、最終的に蛇ノ山に辿り着いた。『紅い蠍』は蛇ノ山の主だった『白い大蛇』と争い、勝利した。そして『白い大蛇』を追い出し、蛇ノ山の新しい主となった」
「主の座を『白い大蛇』から奪ったってことだね」
「そうだ」猿木さんは首を縦に振る。
近年、外国から持ち込まれた生き物が国内で繁殖する『外来種』が問題となっているが、それは何も目に見える生き物だけの話じゃない。
猿木さん曰く、最近は外国のアヤカシが船などを通して日本にやって来ることがあるそうだ。
外国からやって来たアヤカシは、その土地に元々住んでいたアヤカシを食べたり、追い出したりして、その土地のバランスを壊すことがある。一旦、バランスが崩れるとその土地に様々な悪影響が出る。しかも崩れたバランスは中々元には戻らない。
「幸いなことに今の所、蛇ノ山では大きな問題は起きていない。『紅い蠍』は蛇ノ山の新しい主として、生態系にうまく組み込まれたようだ。まぁ、将来的に何か起きるかもしれんが、今はとりあえず大丈夫だろう。問題は『白い大蛇』の方だ。さっきも言ったが争いに敗れ、蛇ノ山から追い出された『白い大蛇』は人が住む都会に現れるようになった」
「何か問題が起きたの?」
「元々、『白い大蛇』は蛇ノ山にいた時、山に住む他のアヤカシを食べて暮らしていた。では、人間が多く住んでいる都会にやって来た『白い大蛇』は何を食べるようになったと思う?」
「それは……」僕は少し考える。
「都会に住んでいるアヤカシを食べるようになったんじゃないの?」
僕がそう答えると、猿木さんは「正解だ」と言った。
「アヤカシは山や森など自然が残る場所に生息していることが多いが、人間が住む都会に適応したアヤカシもいる。人間が多く住む都会にやって来た『白い大蛇』は、人間の住む場所で暮らしているアヤカシを捕食するようになった」
「それって……何かいけないことなの?」
「アヤカシの恩恵を受けている人間にとっては、『白い大蛇』は大きな脅威になる」
「恩恵……」
「鏡商事という会社を知っているか?」
「うん、もちろん」
鏡商事といえば、複数の事業を手掛けている誰もが知っている超大手の会社だ。
いや、超大手の会社『だった』。
鏡商事はある日、突然倒産した。この倒産は鏡商事に勤める多くの社員も知らなかったことで、まさに寝耳に水だった。自分の会社の倒産をニュースで知ったという社員もいるとのことだ。
鏡商事の社員、十数万人は一夜にして失業した。
それだけじゃない。鏡商事が倒産したことによって、鏡商事と取引していた多くの企業も急激に業績が悪くなり倒産するという連鎖倒産が全国で多発した。
路頭に迷った人の中には自殺したり、罪を犯してしまった人間もいる。鏡商事の倒産は経済に大きなダメージを与えた。
社長の鏡恭二は、会社が倒産する寸前、新しい事業を展開するためと称し、多くの人間から資金を募った。だが、それは全くの嘘で鏡恭二は出資金と会社の資産の一部を持ち逃げして逃亡。現在、詐欺罪で告訴されているが消息不明となっている。
鏡恭二は全盛期にはテレビにも出て自身の金持ちっぷりを自慢していたというのに……。
「最近、この辺りで起きた路上強盗の犯人が鏡恭二に似ているという話もある。気を付けろよ」
「それは分かったけど……鏡商事の倒産とその『白い大蛇』に何か関係があるの?」
猿木さんはコクリと頷く。
「鏡商事は代々、鏡一族が経営していた。そして、鏡一族の家には昔からあるアヤカシが住んでいた」
「どんなアヤカシ?」
「『未来を予知できるアヤカシ』だ」
「ええっ⁉」
思わず叫んでしまった。アヤカシの種類は多種多様で、特殊な能力を持っているアヤカシもいる。でも、まさか、未来を予知することができるアヤカシがいるなんて知らなかった。
「まぁ、レア中のレアだな。もし、そのアヤカシに値段を付けるとしたら、人生数回生まれ変わって遊んで暮らしても、まだおつりが来るくらいの金額になるだろう」
猿木さんはコーヒーを一口飲む。
「鏡一族は代々アヤカシが視える体質で、家に住む『未来を予知できるアヤカシ』を大切に祀っていた。会社の経営に関して何か選択を迫られた時には必ずそのアヤカシの予言に従っていたらしい」
「アヤカシが予言を⁉」
「一族の中で最も適性のある一人の人間に『未来を予知できるアヤカシ』を憑かせ、その人間の口を借りて未来の出来事を言わせていたらしい。もっとも、片言のような口調でしか話せなかったようだがな」
僕はアヤカシに憑かれた一人の人間が大勢の前でこれから起きる未来を予言する光景を思い浮かべた。まるで巫女やイタコだ。
「『未来を予知できるアヤカシ』の予言は正しく、ほぼ百パーセントに近い確率で未来を的中させていたようだ。一族はアヤカシに未来を教えてもらう対価として自分達の血を与えていたらしい。鏡一族は、そうして代々富を築いてきた」
「ねぇ、猿木さん」
「なんだ?」
「僕は今まで 多くの人がアヤカシの存在を知らないのは、アヤカシを視ることができる人間が、アヤカシを視ることができない人間よりも少ないからだって思っていた。でも、ひょっとして……」
猿木さんはニヤリと笑う。
「そうだ。権力者や富豪の中にはアヤカシによって利益を得ている連中もいる。そんな連中がアヤカシによって得られる利益を独占するために情報を統制している。だから、世の中の大部分の人間がアヤカシという生き物の存在を知らないんだ」
「……そうだったんだ」
「まぁ、そのせいでアヤカシが視える人間は、視えない人間達から頭がおかしいと言われる事になっているんだがな」
「……」
僕もアヤカシが視えることで苦労した。アヤカシから受けた被害はたくさんあるけど、アヤカシが視えない人間から受けた被害もたくさんある。
「でも、『未来を予知できるアヤカシ』がいたのに、どうして鏡商事は倒産したの?」
「何故だと思う?」
僕は今までの猿木さんの話から一つの答えを出した。
「まさか……『白い大蛇』が?」
「正解だ」
猿木さんは首を縦に振る。
「『未来を予知できるアヤカシ』によって莫大な富を得てきた鏡一族だったが、ある日、一族は『未来を予知できるアヤカシ』を失うことになる。『白い大蛇』が鏡一族の家に侵入して、『未来を予知できるアヤカシ』を喰ってしまったからだ」
僕は唾をゴクリと飲みこんだ。話の先を聞きたくて姿勢が自然と前のめりになる。
「『未来を予知できるアヤカシ』は自分が『白い大蛇』に喰われる事を予言した。鏡一族は『白い大蛇』が家に侵入しないように対策をしたらしいが、『白い大蛇』はそれらをやすやすと突破して家の中に侵入したらしい。結局、『未来を予知できるアヤカシ』は自身が予言した通り、『白い大蛇』に喰われることになった」
住処の山を追い出されたとはいえ、相手は元主だったアヤカシだ。その力は人間がどうにかできるものではなかったのだろう。
「それからの鏡商事は悲惨なものだった。『未来を予知できるアヤカシ』をその身に憑かせ、予言を行っていた人間は『白い大蛇』が『未来を予知できるアヤカシ』を捕食すると、全身が溶けるように焼けただれて死亡した。アヤカシの予言を得られなくなった鏡一族は大混乱し、以降、鏡商事の業績は急激に傾いた。業績悪化は社員や取引先には、ギリギリまで秘匿していたがやがてそれも不可能となり───最終的に倒産してしまった」
僕は驚きのあまり、少しの間声が出なかった。まさか、鏡商事の倒産の裏でそんなことがあったなんて。
「鏡商事の倒産以外にも『白い大蛇』による被害は報告されている。ある人間は重い病気を患っていたが、『病気の進行を止めるアヤカシ』が憑いたことによって命を繋いでいた。しかし『白い大蛇』がそのアヤカシを捕食したことで、止まっていた病気の進行が再び始まり、最終的にその人間は死んでしまった」
「……」
「また、ある人間は視力を失っていた息子に『視力が戻るアヤカシ』を憑かせていたが『白い大蛇』にそのアヤカシを喰われたことで息子は再び視力を失ったらしい」
「……」
「これらの話はアヤカシが視える人間達から聞いた内のほんの一部だ。アヤカシが視えない者の中にも気づかぬ内に『白い大蛇』に被害を受けている人間が大勢いるだろうな」
僕の想像以上に『白い大蛇』は人間に大きな影響を与えているらしい。
「さっき、僕に『白い大蛇』を見たことがあるか聞いたけど、今、『白い大蛇』がどこに居るのか分からないの?」
「以前は『白い大蛇』を危険視し、監視していた人間達によって『白い大蛇』の居所は常に把握されていた。だが、ある日『白い大蛇』は忽然と行方をくらました。今はどこにいるのかは分からない」
「そうなんだ」
「だが、最近この辺りで『白い大蛇』を見かけたという話を聞いてな」
「えっ?」
僕は目を見開いた。『白い大蛇』がこの辺りにいる?
「それって本当なの?」
「ああ、この近くで『白い大蛇』を視たという人間がいるんだ。そこで……」
猿木さんはニヤリと笑った。嫌な予感。
「まさか、『白い大蛇』を捕まえるのを手伝え。なんて言うんじゃないよね?」
「良く分かったな。その通りだ」
「分かるよ!今まで、何度連れて行かれたと思ってるの⁉」
猿木さんは時々、僕にアヤカシ捕獲の手伝いをさせることがある(無償で)。僕が一緒にいたほうが、アヤカシを捕まえられるチャンスが上がるからだ。
「どうだ?一緒に……」
「嫌だよ」
僕は即断った。
「何故だ?」
「危ないからだよ。決まってるでしょ⁉」
普通のアヤカシを捕まえる時でさえ危ないのだ。元とはいえ、主だったアヤカシを捕まえるなんて自殺行為だ。
「だが、『白い大蛇』を捕まえなければ、これからもっと被害を受ける人間が出てくるかもしれないぞ?」
「うっ……」
「いいのか?これからそんな人間が出てきても?お前は見て見ぬ振りをするのか?」
「ううっ」
猿木さんはまるで詰将棋のように僕を追い込んでいく。
確かに『白い大蛇』はこれからも人間に被害を及ぼすかもしれない。捕まえることができたら、未然に被害を食い止めることになるのかも……。
「さぁ、どうする?」
「うううっ……」
悩んだ末に僕は答えた。
「じゃあ、せめて『白い大蛇』がどこにいるのか正確に突き止めてから誘ってよ。『白い大蛇』をこの辺りで視たって話も確証はないんでしょ?その話が間違っていたら完全な徒労だよ?」
「チッ」
猿木さんは不満そうに口を尖らせながら軽く舌打ちをする。なんとか危機は回避できたようだ。
「それにしても『白い大蛇』を欲しがる人なんているの?」
「ん?」
「いや、元主のアヤカシなんて危険でしょ?そんな危険なアヤカシでも欲しがる人はいるのかなって」
「危険だから欲しいという人間はいる。そんな人間ほど高く買ってくれる」
「もし、『白い大蛇』を捕まえても欲しいって人が現れなかったら?」
「その時は……ずっと封印し続けるしかないな」
一瞬、猿木さんの表情が氷のように冷たくなったが、直ぐに元に戻った。
「じゃあ、万が一『白い大蛇』を見たら連絡をくれ」
「分かったよ」
僕は少し冷めてしまったコーヒーを全て飲み干し、猿木さんの家を後にした。
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