あとがきのような戯言のような箸休め。
今回は物語ではなく、著者の気ままなる戯言です。
飛ばしてくださっても構いません。
エッセイというか、この短編集の背景的な話とかとか。
もともとは、二〇一五年以前にブログで公開していた短編を厳選して改稿したものです。ごくごく最近書いたのもありますが、ほとんどが大変身を遂げて、この形になりました。お目にかかったことのある方はほとんどいないと思われます。もし当時を知る人がいれば、「あの時はお世話になりました。ありがとうございます。今の僕がいるのはあの時間のおかげです」とお伝えできればと思います。
『壁の向こう』以降は、最近書いたもので、一貫して何かを届けたいという自問自答から生まれました。
僕たち物書きは、正解のない道をただひたすらに模索して正解かもしれない物語を勝手に作るボットのようなものかもしれません。
しかし、こうして投稿した今、本当に正解なのかと疑問してしまうのは、作品を作ったことがある方には共感していただけるのではないでしょうか。
僕が小説を書き始めて、十年ほどになります。その間にボツになった作品は数知れず、初期の作品なんてそりゃ見られたもんじゃありません。まあ、現状見れたものかどうかもわかりませんけれど。
一つだけ言えるのは、こうして過去に書いた作品に手を加えて、成長を感じられたこと。相対的に比べて大したことはないでしょう。まだまだです。ですが、文章も構成も発想も、何もかもが未熟だったと知れたことは、二歩くらいの前進。
要するに何が言いたいのかと言いますと。
書くことが好きで、現在進行形で書いている人たちの中に筆が止まっている方や、自分はまだまだ遠く及ばないと思っている方に伝えたいのです。物書きでなくとも、創作者の同志たちに僕は声を大にして言います。
決して無駄ではない、と。
なんらかの動機があって、今まさに血反吐を吐いているのは、無意味じゃないと。
それは必ず、あなたの血と骨になります。
二歩くらい前進した僕が言うんだから多分間違いない()
もっとも、僕がこんなことを言わなくとも、クリエイターという生き物は作らずにはられない性分であり、書き続け、作り続けるのでしょう。
産み続けることにしか意味は無いと思って僕はせっせと生産しています。
僕は天才じゃないので凡人の苦しみしか知りませんが——才能のある方を天才という一言で片付けるのも失礼かとは思いますけれど——、作家に限らず、例えば漫画や、例えばゲームや、例えば音楽とか、クリエイターと呼ばれる人たちは、たとえ天才であったとしても、きっと苦しみながら産み出し続けていると勝手に思います。
だって産むのは苦しいことですもの。
(母は偉大)
ところでAIの話が多かったのは、時代の大きな転換期を肌で感じたからだと思います。
もしかしたら僕が想像するよりもずっと早く、AIが〝完全な創作〟を始めるかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。しかしその時になれば、余計にプロの牌は減るでしょう。
そんな時代がやってきた時、クリエイターは死滅するのでしょうか。
あるいは共存関係になり、もっと素晴らしい作品が誕生するのでしょうか。
僕は後者であって欲しいと思います。
今や、情報量の多いコンテンツがインスタント的に消費される時代となりました。その中で小説という媒体の伝達速度は、他媒体に比べれば緩慢という弱点を持ち合わせています。
二次平面に連続的な情報を羅列する小説というのは、人間がパンツを履くくらい原始的な行為ではないでしょうか。果たして未来人はパンツを履いているのでしょうか。科学は人類をノーパンにさせるのでしょうか。そう思えば、パンツのような小説は遠く遥かな未来にも残っているのではないでしょうか。
僕は何を言っているのでしょう。
ともあれ、小説には三次元以上の立体的な感覚があるのだと、読書好きにはわかっていただけると思います。
体験感覚とか没入感よりももっと立体的なあの感覚——
未だ自分の中でも言語化できていませんけれど、〝読む〟という行為は、自らの脳内で自動的に世界が流れていくあの感覚こそが、現代にも残る小説という媒体の〝味〟じゃないかと思うのです。
小説のなくなる日は来るかもしれません。しかしその時、人は新しく面白いことをやるんだと思います。表現の形や姿が変わったとしても、創作をする人間は創作を辞めないと思います。人間は、何かを伝え、何かを残すことが本能的に刻み込まれています。
子孫を、言葉を、歴史を、愛を、未来を——
そんな思いがきっと多様な表現方法を産んだのだと思います。映画や漫画や小説にはそれぞれ別の味があって、僕の死んだ遥か先でも人類が残してきたミームなんであれあって欲しいと思います。
僕はこの世界を愛しています。
だって、楽しいから。
作る、産み出す、という行為の楽しさを知ってしまえば、辞められないものなんだと思います。それは麻薬のような魅力を持っていて、我々に幻覚にも似た形でそれぞれが描いた世界を与えます。無限に自由なこの世界を知ってしまった僕たちは、時にその広大さに感動し、時に行き止まりを知り、しかし終わりないことを想像してまた新しい世界を探すのでしょう。
僕は人間の頭の中から生まれる世界がたまらなく好きで、続いて欲しい、なくなって欲しくない。切に思います。
知らない世界へ、自分の想像も及ばない遠い世界へ行ってみたい。自分の足で、手で、その場所へ行ってみたい。
だから書くのです。
理由を取ってつければたぶんそんな感じ。
つまり、この言葉や物語たちが、ひとひらでも届いていれば、僕は自らの価値を信じられると思います。
創る人たちは、今生きている一人の人間で。
見る人も、そこに生きている一人の人間で。
存在してしまったことに、もうたくさんの意味があって。
人がそこにいるから言葉と世界は生まれ、繋がっていく。
そんな奇跡があるのだから人類も捨てたもんじゃない。
僕はそんなことを伝えたくて、今日も書いてます。
以上。
貴重なお時間をいただいてありがとうございました。
一旦このシリーズは〝次回〟で完結です。
その次を書くかもしれないし、書かないかもしれません。
公開される日があれば、おひとつどうぞ。
p.s.
この物語はフィクションであり、実在の人物と本作における登場人物に相関はありません。
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