(冬)

「好きかもしれません」


 映画を見た帰りだった。恋愛映画を見たあとだった。お茶をしながら感想を言い合おうという話になって、僕とアリサさんは木枯らしの吹く冬空からカフェに退避した。うわ、めっちゃデートっぽくない? とほくそ笑みそうになるのを抑えつつコーヒーを口にした時のことだった。いつのも如く、流暢な日本語でありながらもたまに言葉足らずな彼女の示す意味は、映画に対する感想だと思った。「ええ、僕も好きですよ」と返したら、アリサさんは顔をくしゃっとさせて、ぽたと涙を流したのだった。


 間髪おかずにアリサさんは口元を覆って、トイレに駆け込んだのだった。


 あれ?


 何その告白が成功した乙女みたいな反応……は。


 僕は頭をフル回転させた。物語のクライマックスに差し掛かる執筆時、たった一つの正解を探し当てようとする時よりも必死に考えた。


 いやまさか。まさかねえ。今のがそんなはず……。


「誰か夢じゃないと言ってくれ!」


 大声をあげたので、お客さんたちの注目を浴びた。僕は平身低頭ごめんなさいした。


 トイレから戻って来たアリサさんは、一旦僕に一瞥をくれたものの、またこぼれ落ちそうな涙を抱えて店を出て行ってしまった。


 追いかけようとしたけれど、『今日は Go Home します』と、メッセが来た。





 一旦冷静になってから話をしようと週明け、いつもの喫茶店に顔を出した。アリサさんの姿が見えてほっとしたのも束の間、彼女は壁に隠れてしまった。


 頭を半分だけ出して、


「てんちょさん、お願いします。私は現在、急性ホームシック症候群です」


「体調悪いなら、今日は上がっていいよ?」


「いえ、彼の顔を見ると故郷に残したベスを思い出すだけなので」


 ベスってなんだ? 犬の名前か?


 すると新たな来店があり、アリサさんは軽やかな足取りで接客に向かった。


「あの、アリサさん——」


 と声をかけようとしたけれど、携帯が着信を告げ、


『顔は見たくありません』


 と、無慈悲な通告。


 そんな僕に心優しい店長さんは「サービスです」と卵サンドをいつもの二倍くれた。塩味もいつもの二倍利いていた。僕の涙の味だった。


「何かあったんですか?」


 と店長さんはボソリと耳打ちをする。


 何かあったとすれば、映画デートのあとのあれ以外になかろう。


「……多分僕が悪いんだと思います。何も考えずにデリカシーのないことを言ったんだと思います」


 これまでの伏線を統合して判断してみればこういう論法が立つ。


 1・アリサさんは僕をペットの犬に面影を重ねていた。

 2・おそらくペットに着せ替えをしていた(ふりふりの衣装)。

 3・したがって男の娘となった僕にベスを思い出した。

 4・急性ホームシックである。


 さらに言うなれば、ペットにしか見えなかった僕に「好き」だなんてのを聞かされて、おそらく彼女の頭では僕が人間であるか犬であるかの認識にひどく混乱が生じていることと思われる。……自分で整理して死にたくなるような話ではあるけれど、これ以上の正解がない気がした。


 まあ、この辺が現実的な落とし所なのだろう。僕のような冴えない男が、特に有名でもなければ才能もない僕が可愛い女の子とラブコメなんて、物語の中だけなのだ。この一年、いい夢は見させてもらったので、これをいい経験として、創作に生かそう。


 そう思ってパソコンを広げようとした時、視界にアリサさんの姿が見えた。


 カウンターの向こうで頭だけ半分出した彼女は僕をじっと見つめていたけれど、僕が目を向けると、モグラ叩きのモグラみたいにぴょこりと頭を引っ込めた。


 すると今度は、店の入り口の方からひょこり。


「……アリサさん?」


 続いて中央、店奥、また入り口方、と繰り返して、ついに店長さんにチョップを食らった。


「痛っ——くはなかった!」


「遊んでないで、仕事してください」


 怒られていた。


「……しゅみましぇん」


 しょんぼりして片付けに取り掛かる彼女は萌えだった。


 何かフォローの言葉をかけてポイントをあげようと思った僕は「アリサさん」と声をかけたのだけれど。


「……ごめんなさい、話しかけないでください」


 と、言われてしまっては立つ瀬がない。

 仕方なく僕は今週の短編退治に取り掛かった。





 普段なら日本語勉強会が始まる時間だったけれども、この日、雪が降り始めて大勢の客が雪崩れ込んでいた。コーヒー一杯で居座るのも悪い気がしたので、早々に立ち去ることにした。一言告げて帰ろうと思ったのだけれど、この時、会計をしてくれた彼女はずっと俯いたままで事務口調だった。


「じゃあ……さようなら」


 きっとそれは、捨て台詞のようなものだった。多分、彼女には行間も、あとに続くだろう言葉も伝わっていないだろう。


 時に言葉はすべて伝わらなくてもいい。


 これが綺麗な終わり方。立つ鳥跡を濁さず。希望を残したままここで幕を下ろそう。


 店を出て僕は音無と入絵川さんにメッセを送った。


『……焼肉奢ってくれ』


 頬に伝う雪が冷たく溶けていく。


 イヴだった。

 ホワイトクリスマスだった。


 僕はポケットに入れていた万年筆の箱を握り締めた。





 ——クリスマスの夜、音無宅で失恋会を祝ってもらった。失恋会を祝うなんて変な日本語な気がするが、ともかく、しこたま酒を飲んで忘れようとした。忘れるどころか、恋情が膨れ上がるだけだった。


 他に行く宛もなく、そのまま音無家に居座った。しかしぐうたら生活を我らクリエイター同盟がするはずもなく、年が終わるまでの約一週間、新曲の制作に取り掛かった。当然、方向性は失恋ソングだった。ありのままをぶちまけた。音無と入絵川さんは号泣だった。


 紅白が始まった頃、無精髭の伸びきった男二人に、目元にクマを作ってフェイスパックをした入絵川さんの三人が膝を突き合わせ、コタツに集う。


「しかしさー、そうなると歌手が問題だよなー」


 僕らはカップそばをズルズルしながら、喫緊きっきんの問題をのらりくらり話し合った。


「でもそこんとこはビジネスライクでいいんじゃない。書間くんの傷も癒えた頃でしょ」


 僕は生返事を返した。


「まー、書間があれだってんなら別の人探すけどさ。けど、やっぱあの人以上の声ってなるとなー。そういや、お前、長編の方はどうなってんの?」


 僕は生返事をした。


「……全然癒えてないじゃん! さっきから書間くん、死んだ魚みたいになったままじゃん! 酒! 酒を持ってこい音無! 早くテンションの上がる酒を給油せよ!」


「了解であります、入絵川隊長!」


 という感じで僕はチューハイを頂いた。プルタブを開けてくれるほどの優しさだった。


「キス……したかったな……」


「誰だ! チューハイなんて危険物を持って来たやつ! 失恋した男の子にチューハイなんてチューを連想するものを持ち込むな!」


「すみません、入絵川大尉!」


 と、慌ててキッチンに戻った音無は自家製酒をテーブルに置く。


「これはな、我が家でじっくりと熟成したチェリー酒……あ」


「誰がチェリーボーイだ! 書間くんはチェリーじゃないから! ね、そうでしょ!? そうだよね書間!?」


 僕は無言で顔を伏せた。


「いやでも! 処女信仰もあるし! 童貞信仰もあると思うから! 今時純粋でいいと思うよ! あ、ちなみに私も処女だから! 同志同志! ね? 音無?」


 音無は顔を伏せた。


「裏切り者ぉぉぉぉぉ!!」


 入絵川さんは号泣して、財布の中からお札を取り出した。


「軍資金だ……書間くん。これで男の子から男になって来な」


 このテンションがなかったら、今頃僕は自宅で乾燥したワカメになっていたことだろう。


「そう言えば、二人って付き合ってるんだよね?」


 僕は話題を逸らそうとずっと疑問に思っていたことを問いかけた。


 すると二人は揃って平伏した。


「「ごめんなさい!」」


「いや、別に……謝らなくても。幸せになることはいいことだよ。その調子で地球温暖化に大いに貢献してくれ」


「「まことに申し訳ございません!」」


「音無、あんた可愛い子紹介してあげなさいよ」

「そういうお前だって優しい子紹介してやれよ」


「あたしに女子の友達とかいるわけないじゃん!」

「俺だってロリ以外の知り合いは元カノだけだし! つか、連絡つかねーよ!」


「……ちょっと待てあんた。もしかして童貞じゃないって……ロリ相手じゃないよね?」


「さすがにそこまでは落ちぶれてねえ! 俺はちゃんとお付き合いした相手とだな……」


「待って! じゃあなんであたしはまだキスもされてないん!?」


「いやそれは……大事にしたいというか……お前に仕事振って必死だったし……邪魔しちゃ悪いと思って」


「音無……」


 僕、帰った方がいいかな。

 と思って、こっそり立ち上がると、


「「殿ぉ〜お待ちをぉ〜っ!」」


 息の揃ったコンビプレイだった。


「二人とも、心遣いありがとう。でもいいんだ。僕はアリサさんが好きだったんだ。彼女の変わりなんていないよ。あの人のキャラは唯一無二なんだ。音無や入絵川さんがそうであるように。もしかしたら将来、別の人を好きになるかもしれないけれどさ、僕はアリサさんを好きになって後悔はしていない。たくさんの夢を見せてもらったし、彼女のおかげで僕の中にあったいろいろな感情を知るきっかけになった。ほら、大学時代の僕ってキャラがなかったでしょ。それを音無に見つけてもらってさ、こうしてまた三人で活動できたりして、そこにはアリサさんの存在があったからこそ繋がれてさ。ほんと、いろいろなものをもらった。……せめて、ありがとうは言いたかったんだけどね」


「書間……」

「書間くん……」


 その時、除夜の鐘を聞いた。


「初詣行くか」

「強制参加だからね」

「ああ、そうだね」





 吐く息が夜に溶けていく。


 ジャージトリオは甘酒で体をあっためたあと、手を合わせ、今年のお願い事をした。


 彼女との恋模様に大逆転は祈らなかった。ロマンスの神様にはこれまで幾度か慈悲をいただいていたのだし、僕が今年願うべきは、もう随分と締め切りを延期してもらっている長編の方である。まあ、音無や入絵川さんやアリサさんたち、僕の周りにいる人が幸せになって欲しいとは願ったけれど。


 そのあと出店をまわり、初日の出を見終えるまでだべり倒した。


 無事、初日の出を見終えて、帰ろうということになった。入絵川さんはすっかり酔いどれて音無に背負われていた。


 音無は「どうする?」と聞いて、僕は「今日は帰るよ」と返した。「そうか」「じゃあまた」とそっけなくやりとりをして、それぞれの家に向かった。


 帰り道、ふと行きつけの喫茶店が目に入って、シャッタの前で足を止めた。


 三が日はお休みらしい。


 まあ、多分もう二度とここへ来ることはないんだろうけれど。


 さて、気持ちも入れ替えたことだし、いよいよ長編の完成に向けて全力を尽くそうかと身を翻した時。


 ぽつと、雨粒が額を叩いてからはあっという間だった。


 傘を持って来ていなかった。


 太陽は出ていたし、多分通り雨だろう。そう思って、喫茶店の軒先でしばらく雨宿りさせてもらうことにした。


 もしかしたら読者の皆さんは、何か勘違いや行き違い、あるいは話し合いでこの物語にハッピーエンドがあるのでは? と疑問しているかもしれないが、ここで慈悲のないオチを語っておこうと思う。


 


 最初に自己紹介をした時、それを知った。もちろん当時は今年のことまで思い至らなかった。


 秋ごろ、「月が綺麗ですね」と言ったあと、彼女と夕食を共にして、アリサさんの将来のことについてちらりと話を聞いていた。


 卒業後は向こうに帰るそうだ。


 そう、だから。

 この物語に慈悲はない。


 僕はチキンではあるけれど、それなりに鈍感ではないと自負しているので、彼女の涙の理由や、彼女が僕を避けようとしている理由についてはもう全部わかっていた。


 だから。


 


 今時、海外なんて飛行機でぴゅーだし、自由の利く職業なのだからいっそのこと向こうに行くことも考えた。


 でも多分、僕は自分が変わってしまうのが怖いんだと思う。この土地で、四季のあるこの国で感じられる空気感みたいなものが、きっと僕の創作のベースにあって、例えば海外に行けば、向こうの感触に変化していく気がしてしまうのだ。


 それは悪いことじゃないかもしれない。もしかしたらいい方向に変化するのかもしれない。けれども、失うものなんてなかった僕には、大切な友人もできて、もし二人が困っていたらすぐに助けたいとも思っている。


 あの二人を言い訳にするわけじゃないけれど、まあ、つまりあれだ。アリサさんではないけれど、僕は今いるこの世界がさほど嫌いじゃないばかりか気に入っている。


 そうやって天秤にかけて、僕はこの場所に留まりたいと思った。それに、この土地ですらまだまだ知らないことがある。僕はもっと知りたい。もっとたくさんの景色や土地の空気感とか歴史を知って、次に会うことがあれば彼女に文化を伝えられればと思う。いや、彼女だけじゃなくて、この小さな島国にいる人たちにちょっとした物語を届けたいと思う。


 とか、理由をつけてみたけれど、やっぱり弱いかもしれない。自分でもうまく言語化はできていないけれど、とにかく、なんとなく離れたくないのだ。


 読者諸兄は笑って欲しい。

 大いに馬鹿にして構わない。


 実際問題、僕は英語とかできないし、アリサさんみたいに強くはない。僕はチキンだ。海外に行けばホームシックになること間違いなし。


 そんなことを頭の中で語りながら、ぼんやりと天気雨を見つめていると、ふと、輝かしい金髪が視界端に滑り込んできた。


 彼女は初詣らしい華やかな和装に身を包んでいた。


「……雨、止みませんね」


 彼女は急な雨に僕と同じように雨宿りをしに来たようだ。


「そうですね」


 そこで会話は切れ、沈黙が落ちた。

 雨音がよく聞こえた。


「風邪、引きますから」


 と、僕はジャージとハンカチをあげた。


「でも、あなたが……」


「風邪を引きたい気分です。締め切り延期させてもらう理由にもなりますし」


 いや、実際のところはわからないが。


「あの、私、すみません。その……こないだは……えっと……」


「好きですよ」


 ここまで引っ張ったたったの一行はすんなりと口をついて出た。もちろん、他意は含めない。純粋に、ただありのまま。


「前のは不意打ちでしたから。ちゃんと言わせてください。僕はあなたという人間が好きです」


 彼女は頬を赤らめて、俯いた。


「でもその、春には卒業して、あっちで就職することになっていて……」


「知ってます」


「だからその……自分が辛くならないために、あなたにひどいことをしてしまいました」


「アリサさん。完璧な人間なんていません。間違えることはよくあることです。それでも、僕はあなたがどんな人なのか知っています。だから自信を持ってこう言います。出逢ってくれてありがとう」


 彼女は顔をくしゃくしゃにした。


 肩を震わせて、ずるずると鼻を鳴らして、僕のジャージをどろどろにしていた。


 僕はチキンで男気なんてないけれど、どうしてか、この場面で僕は泣いてはならない確信を持っていた。


「私も……っ、あなたが……」


 彼女は懸命に何かを訴えたけれど泣き声に音が崩れていって、正確な言葉にはならなかった。それでも必死に訴えようとした気持ちだけはわかった。


 僕はそっと彼女の手を引いて、身を寄せた。


「えっとこれは、寒いですから温めてもらおうという魂胆でありまして……嫌ならその、突き飛ばしてくださっても構わないので……」


 彼女は静かに首をふった。


「湯たんぽ。きりたんぽ」


「……変に詳しいですね」


「今のは笑うところです。実は、常に狙ってやってたんです」


「嘘つけ」


 くすりと笑って、彼女は頬を拭った。


「この一年、楽しかったです。私、性格あんなだし、たまに周りが見えなくなる時があって、文字はあまりできなかったから、迷惑とかかけて、疎まれて……でも、あなたに日本語を教えてもらって、大学でも友達できて、本当はこっちに住みたかったんですけど、パパとママが帰って来なさいって」


「また来ればいいじゃないですか」


「……はい」


 ああ、そうか。

 理由はこれなのか。


 彼女が日本に帰ってくる理由に僕はなりたかったのだ。


「アリサさん。僕はあなたのことが好きです。この気持ちが変わることはきっとありません」


 彼女はへの字に曲げた口元を覆い隠し、顔をしかめながら首を何度も縦に振った。


「男の娘モデルが必要になった時は呼んでください。背中に羽を生やして飛んでいきますよ」


 彼女は涙を拭いつつ何度も頷いた。


「……天使みたいに?」

「ええ、天使みたいに」


 湿っぽかった空が、途端にからりと笑う。


「……実はあの時、この人なら好きになってもいいかなって思いました」


 そうだったんだ。


「でもあの時のアリサさんは本当に可愛かったですよ」

「書間さんだって、可愛かったです」


 僕たちはまた笑い合ったけれど、くしゃみを揃えてそろそろ帰ろうかという結論に至った。


「じゃあ……また」

「うん、また」


「お仕事頑張ってください」

「アリサさんも」


 そうして僕らは別れを告げた。


 互いに進展がなかったのはきっと、互いを縛りたくはなかったからだろう。


 僕たちは同じ人間だけれど、生きている世界はちょっとだけ違っていたりする。同じ人種でも世界が交わらないことはあるのだし、少し言葉が違えば分かり合えないこともある。でもアリサさんは気を利かせ、理解しようとしてくれていた。多分。だから彼女はあえて何も言わなかった。


 締め切りが本当にやばかった。





 ——いつの間にか季節は一周していた。


 冬ごろにやばかった長編の締め切りは、恋した女性のおかげでなんとか脱稿し、少し息抜きに海外旅行でも行こうかなと思った矢先、次回作の依頼がまたやって来て、気が付けば春を迎えていた。


 実は音無たちが卒業祝いをやったそうなのだけれど、不参加であった。


 そうしていつの間にか彼女は母国に帰ってしまい、結局顔を合わせることすらなかった。とはいえ僕はさほど落ち込んでいなかった。失恋に落ち込んでいる暇がないほど、今が充実している。


 担当さんに原稿を渡した帰り、雪解けから覗かせる春の色とりどりな景色にインスピレーションを大いにいただいていると、スマホが鳴った。


「——よ、書間。次の楽曲なんだがな」


「もうアイデアは出来ているよ」


「そか、ならいつも通り最高の物語を頼むぜ」


 そうして僕は桜並木を記憶に留めたあと、自宅マンションに到着する。

 ふと郵便ポストを覗き込めば、お手紙が届いていた。


 ——もしかして。


 そう期待して、慌てて便箋を手にとった。


 それは。


 彼女に送ったはずの恋文。

 宛先が間違っていて、返信されたようだ。




 という感じで、毎回報われないオチシリーズにて、一年に渡る連載の幕を閉じたことを宣言する。果たしてこの話が僕の実体験に基づくフィクションなのか、初めから妄想全開のただの小説だったのかは読者の想像に委ねる。


「さて、書きますか」


 と、僕はキーボードに向かった。


 恋文は届きはしなかったけれど、もう恋を届けようとも思わない。

 僕が届けるのはただ一つ。


 君の表情が豊かに変わることを想像するから僕は言葉を綴る。

 君の存在が僕に色を足し、だから僕は物書きとして存在する。


 僕は、机に飾っている写真をなぞった。


 男の娘と綺麗な女性が幸せそうに笑っている写真からインスピレーションを頂き、今日も僕はキーボードを叩き始める。




 この世界のどこかにいるあなたへ。

 ひとひらの物語を届けようと思う。

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