(夏)
諸君、
耳の穴をかっぽじってよく聞くがいい! いや、これはモノローグであるから、目ヤニを取ってから凝視するが良い! さあ
わかっている、ああ、わかっているとも。
アリサさんとは誰ぞやと疑問にはもちろん答えよう。
あまり引っ張ってもアレなので、単刀直入に告げる。
行きつけの喫茶店のあの子である。
一目惚れしたあの子である。
輝かしい金髪に
おやおや、どうやら諸君の頭にはたくさんのはてなマークが浮かんでいるのが手に取るようにわかるぞ。無慈悲なオチがあったあとで、しかもチキンの王、つまりチキングな僕がどんな大どんでん返しであの難局を乗り切ったか気になるところであろう。
テンション高すぎて、前回のキャラが崩壊気味であることにはどうか寛大な心で許してやってほしい。
さて、あのあとに何があったかというと。
「実はとある音楽家さんから、ある曲を歌って欲しいと言うお話をいただいておりまして、しかし日本語の歌詞を口語では理解できても、文語として認識するのは難しいのです」
口語と文語の区別がつくこの人は僕より日本語がお
「しかしとても魅力的な提案でしたので、是非協力させていただきたいと思うのですけれど、やっぱり歌うとなると、ちゃんと背景を知っておきたいのです」
という理由で、アリサさんは僕を日本語教師として教えを乞いたいとのことだった。十万字も叩きつけた僕を日本語のプロだと勘違いされてしまったようなのである。
というか、ん?
どこかで聞いたよーな話のよーな?
「あの、一つ確認です」
「はい?」
「とある音楽家とは……もしかすると、」
「『ロリポップ』という方です」
世間は狭かった。
いや、ここは音無に感謝せねばならない。
僕がA4用紙の束、質量にして約四〇〇グラムに込めた重たい恋は無残に焼却されることなく、こうして第二クォーターに繋げてくれたのだから、今度動画が出来上がったら焼肉
「でもアリサさん。あなたはとても綺麗な日本語を話せていますし、すぐに文章も理解できると思うのですけれど」
曰く彼女の母は日本人で、日常会話に日本語を使うことはあったそうだ。
「ですけれど、高校生まで向こうの学校に通っていましたもんで、書くことには触れてこなかったのです。ひらがなは何とかなりますけれど、漢字となると、チョット難しいれす」
最後の発音はわざとなのだろうか。
ちょっとかわゆし。(サ行変格活用、連用中止法(文語))。
「わかりました。そういうことなら是非協力させてください。そうですね、手紙のやり取りなんてどうですか?」
「お任せします」
アリサさんは嬉しそうに笑った。僕は嬉しくてニヤついた。
そんなわけで、僕はアリサさんの日本語レッスンが始められるのである。
もちろんアリサさんと文通をしたかったなどという下心は九割しかない。
とはいえ、いきなり互いの住所に手紙を叩きつけるのも非常識なので、とりあえず彼女のバイトが終わってから閉店時間まで、喫茶店内の一角で筆談のやり取りするところに落ち着いた。
僕は普段使っているメモがわりの大学ノートを取り出して、自分の名前とか出身地とか書いた。
ノートを差し出すとアリサさんは丁寧に文字を書き始めた。
やはり、アリサさんは留学生のようだ。日本文化に
これまた運命の悪戯か、芸大生らしく、なんと僕や音無たちの後輩であった。とはいえ、アリサさんは創作分野ではなく、服飾が専門らしい。
「こうやって改めて書くのはなんだか照れますね」
と、表情を緩めるアリサさんに、僕は三度目の恋に落ちた。
何だか交換日記みたいである。こんな学生時代があったら、さぞかし僕という人間はもうちょっと根暗ではなかった気がする。
でもたまにはロマンスの神様も仕事をしてくれるらしい。
その翌日も、僕と彼女の日本語教室は滞りなく始まったのだけれど、アリサさんはエプロンのポッケから折りたたんだ印刷用紙を取り出した。
「今日はこれを先に翻訳したいのです」
そこに書かれていたのは、詩の文体だった。
「これ、お話を受けた曲です」
ちなみにアリサさんは趣味で〝歌ってみた〟投稿をしてたらしく、そこに音無が目をつけたという寸法なのだろう。これまたちなみに、歌詞をつけたのは僕ではなく、音無だ。
「ちょっといいですか」
と断りを入れ、僕は音無の書いた詩を読み込んでいく。
用紙にはふり仮名が当てられ、行間には英語で翻訳がなされていた。勉強熱心というか、受けた依頼に対し、彼女は真剣に歌詞の理解に努めていた。大筋でアリサさんの英訳と曲の解釈は間違っていなかった。
同じ言葉を扱ってはいるけれど、小説と詩では、硬式野球と軟式野球くらいに違う。あるいは同じ水泳でもクロールと平泳くらい違ってくるのである。
小説とは、いかに文章を読ませるかが
対して詩は、いかに端的に情景を訴えるかにかかっていると僕は思う。また、これはただの詩ではなく、曲にも掛かってくるだろうから、正直言って僕の専門とは大きく違っていた。
とはいえ、紙芝居動画のストーリーを手掛けた手前、曲の解釈はさほど難しいことではなかった。
「アリサさん、あなたはロリです」
「???」
アリサさんはきょとんと首を傾げた。
「……書間さん、ちょっとひどいです。確かに童顔だと自覚していますけれど、私だってもうそれなりにちゃんとしたレディなのです」
むくっ、と頬を膨らませる彼女は
「あなたは超SF装置で、記憶と意志を宿したままちっちゃい女の子に戻ってしまったと思えばいいんです」
「???」
アリサさんは終始首を傾げっぱなしだった。
「ああだから、何が言いたいのかと言いますと、大人になった今、子供の頃のことを思い出してお母さんを語ればいいんですよ。多分、この曲はそういう気持ちで歌えばいいんだと思います」
するとアリサさんはパァっと顔を明るくした。
「なるへそ!」
どこでその言葉を知った。
その後、アリサさんはとても前向きに質問を重ね、時間はあっという間に過ぎていった。
楽しい時間は駆け足で過ぎていき、梅雨の季節がやってくる。
相変わらず僕は毎週の短編退治に行きつけの喫茶店に通い、アリサさんとの日本語勉強会を行う日々だった。僕としても普段なんとなく使っていた言葉を改めて調べ直すことになり、とてもいい勉強になった。もちろんそれ以上に、僕とアリサさんの仲は筆談を通して、急接近していることと思われる。
このじめじめとした季節は、しかし僕の心に毎日虹の渡るような日々であったと、作家っぽいことを言っておこうと思う。
ちなみに例の長編はボツにした。改めて冷静な気持ちで見返してみると、あんな黒歴史を読者の皆様に届けるのは全裸で街を徘徊するようなものであった。
喫茶店にいる以外の時間は別の長編を書き始めていて、これが我ながら手応えが良かった。担当さんの反応も良好で、残るはラストの展開のみだったから、すぐ終わるだろうと高を括っていた。気が大きくなっていたのだと思う。人生の運気が上向きまくりだと勘違いしてしまっていたのだと思う。
『今度、遊びに行きません?』
と、書いたノートに渡してしまった。
僕という人間はチキンの中のチキン王と言っても過言ではない。実際に面と向かってデートにお誘いすることなんでできやしない。しかし、こと文面に起こしてみれば、僕は
だけれど遅れて後悔。
「や、それはやっぱりなしで——」
と、ノートを回収しようとしたのだけれど、アリサさんは物凄い力でノートを引っ張った。
僕は、勢いに任せて行動すると失敗することを知った。まあ、断られた時は、なんでもない風にごまかそう。「ジョークジョーク、HAHAHA」……なんて
アリサさんは字を指でなぞって、丁寧に理解に努めている様子だった。この時の僕の心臓の暴れ牛加減と言ったら肋骨を破壊する闘牛のごとし。
アリサさんはやや不思議そうに首を傾げると、
「それは、デートですか?」
と、真っ直ぐな瞳を向けて問いかけた。その純粋な眼差しに気押された僕は
しばし返事を躊躇いはしたが、
『……はい、そのつもりです』
僕はそう文字に起こした。
するとアリサさんも筆記を始め、
『なら、ショッピング行きたいで
だからその言葉をどこで……。
しかしである。想像していたよりもあっさりデートを認可されて、僕は面食らっていた。
「え、いいんですか?」
「行かないです?」
「もちのろん! ショウロンポウ!」
勢いのまま発言してしまい、しょうもない駄洒落までつけてしまった。
当然アリサさんは疑問符を浮かべていた。
「麻雀? 小籠包って美味しいやつですよね?」
そこは突っ込まないで。死にたくなる。
「……えっと、もちろん行きましょうってことです」
「よかったです」
彼女は嬉しそうに笑った。
四度目の恋だった。
「私、地図も苦手で、ガイドさんが欲しかったです」
あ、デートじゃないのね。
しばし時は流れて約束の日である。
梅雨明けのからりとした夏の日差しが眩しい季節であった。
僕はタキシードで決めるか、裃で決めるか非常に悩んだ。しかしそんなものを用意するお金などなかったので、普段通りのジャージだった。
いや、言い訳させて欲しい。
初デートにジャージを着てくる奴なんて、常識的女子からすればもちろんお断りなのはわかってる。
わかってるけど!
だってなかったもん。女子とデートするのなんて初めてなんだもん。そんな機会一回もなかったもん。どんな格好が女子受けするか、ネットで調べたよ? 調べまくったよ? 人生で初めてこんなにファッションのことに時間を使ったよ。
使いすぎて気づけば約束の日だったよ!
「……はあ」
でも僕はワンチャンあると思ってる。
このダサ男をコーディネートしてくださいと、提案すればどじゃろか。あ、このシナリオ完璧だわ。「じゃあ今度は私もあなた好みにしてくれませんか?」なんて結末が見えていると言っても過言ではなかろう。
うふふ、その時はどんな風にアリサさんをコーディネートしてあげようかしら。
と、盛り上がっているところにアリサさんの登場である。
「お待たせしました?」
うん、なんて言ったらいいんだろう。ここは数々の文豪の如く、シンプルかつ端的に説明しよう。
まるで天使のようだった。
眩い後光さえ放たれている気がして、彼女を直視できなかった。アリサさんは白いワンピースに身を包み、頭には輪っかがあって、背中には翼があった。
「ん、あれ……?」
アリサさんは天使であった。
僕は彼女を直視できなかった。
周囲の、世間の目が痛々しく突き刺さっていた。
コスプレだった。
「あの……もしかして私……」
アリサさんは異様な空気を感じたらしく。
「私、日本文化の、特にコスプレ文化にとても感銘を受けて、ぜひ私もコスプレしたいと思ってまして、でも、コスプレしてる人あまり見ないので……もしかして間違ってます……?」
アリサさんは服飾デザインを学ぶ芸大生である。
「大丈夫です! あなたは正解です! 今日は皆さん、一般人のコスプレをされる日だっただけなんです! だから僕も今日はあえてジャージで! でもほら、中には天使がいたっていいですよ! 可愛いですよ! 僕は好きですよ! 天使!」
待ち合わせに来た女子のファッションを褒めるため、作家らしいロマンチックなセリフを僕は用意してはいたけれど、ここまで
「……あの、」
と、アリサさんはしおらしい様子で僕の
「そのジャージ……貸してくだされ」
ありをりはべり、いまそかり。
ラ行変格活用、命令形。
そこには切実な願いがこもっていた。
「……あ、ハイ」
その日、ジャージ天使が街を徘徊していたと言う噂がSNSでちょいバズだったとか。
んで。
無事(?)に僕たちはショッピングモールに到着し、アリサさんは翼と頭の輪っかを外して羽織りものを買って、偽装工作に取り掛かったのだった。彼女の気持ちを
「あの、すみません。私のせいで、なんだか変な空気になってしまって」
あー、空気はわかるんだ。
「それでです。お詫びに、お洋服をご馳走させてくれませんか?」
「服は食べられないからね」
「ホースホース」
「???」
「美味しいご飯を食べた時の擬音です。ホースホース」
「ああ、うまうまってことね」
アリサさんはくすりとした。
わかってて言っているのか、天然なのかわからない。けれど、そんな彼女のキャラを僕はどんどん好きになっていく。
そんなわけで
僕たちは洋服店に入ったのだが。
「着替え終わりました?」
アリサさんにコーディーネートされて、なんとなーく疑問を感じなくもなかったけれど、着替え終わってみるまでまさかなとは思ったけれど。
「あのー、アリサさん。質問よろしいでしょうか?」
「次のデートはこれで行きましょう」
ふりふりのワンピースだった。
ニコニコ
「すみません、デートの件に付きましては前向きに検討した上で、方向修正をお願いしたいところでありますが……いかがでしょう」
「そうです、海に行きましょう! 可愛い水着も買ってあげますよ! ふりふりの! ひらひらを!」
来週の短編は男の娘モノで行こうと思った。
事実は小説よりも非人道的。
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