ヒューマノイド

 暗いトンネルを進んでいくと、パッと視界がひらけた。


 旧地下鉄のホームに到着したわたしはプラットフォームに身を乗り上げて、殺風景ですたれた駅をぐるりと見渡す。


 するとベンチ下で、クリーム色をしたネズミが視界に入った。


 わたしは思考に再演算をかけて、プライオリティレベルの変更が許可されると、ベンチ下に手を伸ばす。一応ウイルスの類を警戒したが、ハード的にもソフト的にも害はないようだ。


 わたしは本物のネズミというものを見たことがない。


 四〇三九年現在、かつて地上にいた生物たちはほとんど絶滅している。


 検証してみた結果、このネズミは人工生物やロボットの類ではなく、本当の生物らしかった。


 幸運だ。

 生きているネズミは幸運の象徴だ。


 とても頭の良いネズミのようで、わたしの手の上に立つと、前足を揃えてペコリとお辞儀をした。何か食べ物がないかとポケットを探り、クッキーバーを砕いてやると、ネズミは器用に前足でクッキーのかけらを掴んでもしゃもしゃした。


「君はどこからきたんだい?」


 ネズミは手の上で立つと、体を線路の先へと向けた。


「そうか、あっちなんだね?」


 ネズミはコクコクと頷き見せた。


 わたしは任務を再開し、旧地下鉄内を歩き出す。


 個体数はかなり減ったが、ネズミはまだこの地上に生息する生物のうちの一つ。わたしたちの間では、〝電気を運ぶ幸運のネズミ〟と言われている。


 現代ネズミは電気の匂いを嗅ぎとれる。


 実際のところは、電気分解された水素・酸素が漏れ出して、再度生成された水の匂いを嗅ぎとれる個体が生き残ったゆえ、との説が有力だ。


 要するに、ネズミは水のありかを求めて、その近くには高い確率で充電池が存在するという寸法である。


 わたしのような探す者サーチャーにとって、電気のありかを知らせてくれるネズミは電気の次に重要だ。


 自然エネルギーによる文明維持のための電力供給はもちろん行われているけれど、地下での活動が多いわたしたちヒューマノイドにとっての電池は、人間でいう所の食糧補給に等しい。電気はいくらあっても足りない。数十億にものぼるヒューマノイドを維持するためには。


「チュチュ」


 ヒューマノイドのわたしが珍しいようで、ネズミくんは会話を持ちかけた。


 曰く、この辺りにが出てきて、逃げてきたところらしかった。この地上で奴らを知らないヒューマノイドも、あるいは生物もいやしない。奴らとは地球史上最悪の生物であり、かつてあった文明も自然も破壊の限りを尽くした最凶の種である。


 わたしは物資をコロニーに運ぶ仕事のほかに奴らの駆除も手掛けているが、正直、感情の希薄なわたしでさえ、奴らにはあまり遭遇したくない。


「チュチュ、チュチュチュ」


「へえ、そうなんだ」


 ネズミくん曰く、彼はいろいろな生物に出会ったそうだ。ありたぬきにゃんこなんかにも会ったそう。どれも現代では絶滅されたとされている生物だ。


「チュッチュ、チュチュチュウ〜」


 さすがに猫と友達にはなれなかったそう。


 しかし話の中でも私の興味を特に引いたのは、だった。ネズミくんを疑うわけじゃないけれど、ニンゲンの絶滅は千年以上前に確認されている。まさか生きているなんてヒューマノイドのわたしが信じるわけにもいかなかった。


「チュチュチュ! チュチュッチュ!」


 しかしネズミくんは本当に見たんだと力説した。


「チュチュ、チュぅ〜」


 ネズミくんは〝楽園〟のことを口にした。


 噂レベルでわたしも楽園のことは知っている。世界が奴らの登場によって崩壊する直前に、方舟を使ってわずかな個体が安全な場所に移送されたとか。しかし、この千年の間にそう言った地域やコロニーが確認された報告は皆無だ。


「チュチュ!」


 だがネズミくんはその〝楽園〟からやってきたのだと強く主張した。


「もし本当なら、ぜひ行ってみたいものだよ」


 でもどうだろう。


 わたしはヒューマノイドだからきっと楽園には入れないだろう。


 肉体の四割近くは有機物で構成されてはいるけれど、生命や生物の定義から、やっぱりヒューマノイドは外れてしまうのだ。


 楽園とは、生命最後の地。そういう風に言われているから、きっとわたしたちヒューマノイドは楽園にはいけない。もっとも、楽園とやらに憧れを抱かないヒューマノイドはいない。


 そうこう言っているうちに、ネズミくんはわたしの手から降りて、ある通用路の前で顔をあげた。その先に水があるらしい。


 わたしは個人防衛火器PDWを構えて扉を開けた。


 奴らに出くわせば心許こころもとなくあるけれども、ないよりはマシだ。未だに旧時代の銃火器が現役であるのは、奴らに対してあらゆる化学的兵器が通用しないことが理由である。


 例えばレーザー兵器などの指向性エネルギー兵器は確かに有用であるけれど、数で勝る奴らに莫大ばくだいなエネルギーを消費するエネルギー兵器はコスト効率が悪すぎる。外敵駆除にエネルギーを使う余裕はコロニーのどこにもないのだ。


 通用路の保存状態は悪くなかった。足場は崩落する様子もなく、わたしは道を進んでいく。


 旧地下鉄網から離れていくと、水道管やガス管のひしめく旧ライフライン路に合流した。


 わたしは錆び付いた管に耳を当ててみる。

 流れていた。水の音が聞こえた。


 端末を取り出したわたしは改めて電子地図を広げて周囲の施設を確認した。付近にコロニーや施設などの類が稼働中であるとの情報は記されていなかった。


 もしかしたら今回は大当たりかもしれない。

 頭の中の計算機が非常に高い確率で何らかの施設があると告げていた。


「チュ、」


 そう呟いて、耳をそばだたせたネズミくんは血相を変えるように飛び跳ねて、下水道の脇を走り去っていった。


 わたしは緊張感を高めた。


 微かに聞こえる音紋おんもんは八〇%の確率で一致。奴らのうめきだ。足音からして距離はまだあるようだが、さて、どうするか。


 いや、考えるまでもない。迎え撃——


 その時、わたしは背後から何か強い力を感じて、身を引っ張られたのであった。


 振り返ったわたしは、まず、自分の手が引かれていることに戸惑いを覚え、またその背中に疑問を抱く。この時、わたしの演算装置は稼働率を跳ね上げて、その生物の識別に処理を割り振っていた。


 データベースとの照合のたび、Unknown……Unknown……Unknown……の文字が視界に映り込む。そして、最後にもやっぱりUnknownの文字が出た。


「——あなたは、」


 わたしの手を引いていたそれは振り返った。

 その時、データーベースが完全一致を見せた。


「……まさか、」


「そう、人間だ」


「……嘘、だ」


 わたしは男の手を振り解いて、足を止めた。


 男を見据え、至って冷静に告げる。


「もしあなたが本当に人間であるなら」


 規定に従うままわたしは銃口を向けた。


「ここで処分しなければならない」


「ああ、その通りだろうさ」男は少し物憂ものうれいげな顔を伏せた。「いずれ


 奴ら——すなわち史上最悪の生物としてこの地を喰らい尽くしたのは、変異しただ。


 約二千年前に新種の病原体に感染した人間は絶滅の一途を辿っていた。しかしその中で開発された新薬にひとまずの安寧あんねいを得た。だが、そこから代を経ていくごとに徐々に人間は変異していったのだ。


 凶暴で、凶悪で、強靭きょうじんな姿へ。


 あらゆる病気に対し耐性を持ち、強力な再生能力を持ち、脆弱ぜいじゃくだったはずの人間は地上で最強の生物たり得た。だが強者であることは同時に大量のエネルギーを必要とし、一日当たり、数トンにも及ぶタンパクを摂取しなければならない個体となった。


 ゆえにこの世の生物は喰らい尽くされたのだ。


 それを止めるため、当時、かろうじて機能していた各国の軍は〝新人類〟の駆除と同時に、苦肉の策として〝旧人類〟のを行った。まだ完全に変異していない人間に対して処刑を行った。


「なぜ……あなたは生きている?」


 わたしはこの目で見た。人間が生きているはずなんてない。


 


 人類を絶滅させたのだ。


「今でも少数ながら選ばれた人間がこの地球上のどこかで生きている。それは事実だ」


「選ばれた人間……」


 わたしは目をすがめた。


「誤解があるようだから訂正しておくが、変異の少なかった人間が残されるべき種に選ばれたと言うだけのこと」


「だとしても……」


「ああ、俺たち人間は君らヒューマノイドに虐殺された。だから中には未だに君らを許してはいない連中も多い。だから今まで君たちと連絡は取り合わなかった」


「ではなぜ今更接触した?」


「……出てしまったんだ。俺らのコロニーで変異体が」


 男は唇を噛んだ。


「今はシェルターに避難しているが、そう長くはもたない。だから君に協力を仰ぎたい」


「嫌だと言ったら?」


「ここでお別れだ。別に俺たちは君らに何かする気はない。そんなことをしても俺たちは簡単にやられてしまうからまるで無益だ。だけれども君は俺と別れてすぐ、仲間に連絡するだろう。この事実を知ってしまって隠し通せるほど、君たちは甘くはない」


 無論、彼の言う通りだった。


 人間はいかなる人物であれ処理命令が出ている。もしもここで彼を見逃してしまえば、わたしの思考回路は一旦クリーンナップされる。それは、人間で言うところの死に等しくもある。わたしは、人間たちの代わりとして文明を再開させたヒューマノイド連合の一部なのだから、規定に反することは許されない。


 だからわたしは、銃のトリガーに指をかけた。


「そう、それでいい。そして君は、この先にある楽園の変異体も駆除すればいい。それ以外に君に選択肢はない。君たちは正しいことしか選べないのだから」


 あおられていることはわかったが、わたしはかすかな躊躇ためらいを持っていた。


「ひとつ聞きたい。正しさとはなんだ?」


「生憎さま、俺たちは答えを持っていない。何が正しかったかなんてのは、あとからしかわからないし、あとからでもわからない。でなければ、今頃世界はこんなことにはなっちゃいなかったろう」


 ああ、これが人間だ。わたしたちにはない思考アルゴリズム。


「最後に聞きたい。ニンゲン、あなたの名前を聞かせて欲しい」


「なぜそれが必要だ? これから死んでいく人間を覚えておく価値などないだろう?」


「わたしが覚えておきたい。それでは不足か?」


 彼はやや驚きを見せたが、やがて表情を崩した。


「君は……なんと言うか、ヒューマノイドらしからぬ個体だ」


「わたし自身もそうあって欲しいと思うよ」


 すると男は名を告げた。


 わたしは銃を下ろして、ナギという男にやった。彼は懐疑的な表情を浮かべていた。


「これで勝てるかは微妙なところだが、心臓に当てれば、奴らを殺せる。これはわたしの経験則だから間違いはない。だが、一センチでもずれてしまえば強固な筋繊維にれてしまう。よく狙え」


「……だとして君は?」


 わたしは身を翻した。


「もう一匹、楽園に向かっている奴がいる」


 さっき音を検知した個体だ。


「わたしはそいつを処分する。もしもわたしたち二人が奴らに勝てたとすれば、あなたたちは生き残れる」


「だが、君には武器が……」


 その時わたしは、初めて笑えたような気がした。


「わたしはヒューマノイドだぞ。隠し武器の一つや二つ、仕込んでいる。胸とかお尻にな」


「……そうか、武運を祈る」


 まだいぶかしげな様子だったが、彼は信じてくれたようだ。


 この選択が正しかったことなのかわたしにはわからない。だがわたしは正しかったのだと思う。


「ナギ、君に会えてよかったよ。わたしは初めて希望を知れた。この世界を残したい意思が生まれた。あなたにわたしの存在する意義を教えてもらった。そんな気さえする」


「また会えるか?」


「もちろんだ。その時はぜひ、酒とやらを奢ってもらいたい」


 不思議な感覚だった。

 ヒューマノイドのわたしもどうやら夢を見るらしい。


「ああ、最高の酒を用意しておこう。約束だぞ」

「心配するな、ヒューマノイドは約束だけは守る」


 わたしたちは微笑を向け合い、互いの守るべき方向へと進んだ。


 だがナギ、先に謝っておくよ。

 ヒューマノイドの最後の武器は。




 燃料電池の水素爆発だ。

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