集合知

「――俺はやっていない!」


 証言台に立つ男は一貫して無実を主張していた。しかしアリバイがないこと、状況証拠的に、被告Aは九九・九九九%の確率で有罪であると、陪審員ばいしんいんAIは判断していた。陪審員AIがコンマ〇〇一の確率を残したのは、ある意味で慈悲を残したのかもしれなかった。


 残るコンマ〇〇一の可能性を我々人間が判断するのみであった。


 当国において陪審員AIが導入されてから裁判は驚くほどスムーズに、そして何よりも絶対に判決を間違えない正確さがもたらされた。一番恩恵を受けたのは検察官で、次に現場の捜査にたずさわる警察官である。証拠をあげさえすれば、優秀な探偵の如くAIがスマートに解を導いてくれるのだ。


 また、陪審員にとってもAIの存在はありがたかった。ミスをしない人間などおらず、『疑わしきは罰せず』という原則がある以上、人をさばくという責任の軽減が陪審員AIによってもたらされたのである。


 こう聞くと、もはや人間による裁判は不要かと思われるだろうが、そうではない。国民感情的に、未だ機械は信用ならない――そもそも人工知能を機械だとのさばる連中は頭が古くてお話にならないが――という理由で、未だに我々のような生身の陪審員が形骸けいがい的に導入されているのである。


 とはいえ、我々の考えは一〇〇%有罪であろうとの見方であった。もはや争点は、男を死刑にするか情状酌量じょうじょうしゃくりょうを与えるかの段階である。


 ここで事件の概要を説明したいところであるが、我々の口から語るのもはばかられるような無残で凄惨せいさんな事件であった。


 資料を見た時、我々は思わず目を覆った。

 中にはその場で嘔吐おうとするものさえいた。


 正直言って我々の感情には、もはや一刻の猶予もなく被告Aを死罪にすべきであると考えている。むしろ被告Aのような人間と我々人間が同類であることすらおこがましい。


「なあ、誰か! 信じてくれ! 真犯人は他にいるんだ! 俺はただめられたんだ! 愛する妻をあんな風に殺すわけがない!」


 往生際の悪い。


 我々陪審員のみならず、傍聴人ぼうちょうにんたちも同じように思ったことだろう。


 男には多額の保険金が降りている事実があった。


 陪審員AIが導いた推理は、保険金殺人だ。そうは思わせないため、被告Aは妻を猟奇的に殺害したのである。被告の主張は、別に殺人鬼がひそんでいるという話だったが、そんな証拠は一切上がっていない。また、被告は現在無職であり、精神鑑定も行われたが、被告は至ってまともな精神状態にあるという事実が裁判の流れを決めていた。


 だが狂わずしてあんな風に人を殺められるなんてのは、尋常な人間のすることではない。被告Aが同じ人間だなんてにわかには信じがたい。それが世論でもあった。これが悪い夢の類であればどれだけ良かったことだろうか。


「本当なんだ……誰か真実を暴いてくれ……」


 こうして目の前で悪魔のような男が主張するたび、我々は嫌悪感と身震いを覚えた。


 現実世界とはなんともおぞましいことで溢れている。




 ――金曜日の午前、裁判官と我々陪審員の間で最後の評議会が行われた。この時、AIは議論に加わらない極まりになっているが、いてもいなくても裁判官を含めた我々の考えは一致していた。


「……皆さんも同じ考えだと思います」


 そう、ふくよかな男が言った。


 あえて核心の言葉を明言しなかったのは、人が人を裁くという事の重たさに我々一般市民は罪悪感のようなものを感じてもいたのだろう。たとえ極悪非道の人物だとしても、まともな感覚を持つ我々からすれば〝死刑〟という言葉を口にするのは躊躇ためらいがあったのだ。


「ええ、私も結論は一つしかないと思います」


 今度はアラサーの女性が口にした。身なりの綺麗きれいさから、おそらく彼女は経営者でもやっているのだろう。先に発言した男も経営者だと、この裁判期間中に聞いていた。


「何か意見がある人はおられますか?」


 と、次に眼鏡をかけた若い男が言った。彼もまた商社に勤めるエリートである。


「いえ、特には。陪審員AIの判断に間違いはないでしょう」


 ワタシは我々の判断を後押しするように言った。


 他の陪審員も特に反論はないようで、各々おもむろに頷き見せた。


「確か被害者の方はフジタさんところの役員でおられましたよね?」


 フジタと呼ばれた男は答える。


「ええはい……彼女は正義感が強く、本当に優秀な人材でした。優秀すぎるくらいにね」


 確か彼は大手通信社の役員だったはずだ。


「こういう言い方は不謹慎かもしれませんが、とむらい、になりますかね?」


「罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますが……人間をあんな風に扱えるなんて……。度し難い事件ですよこれは。必ず我が社でこの事件のおぞましさを伝え、もう二度とこのような事件が起こらないよう伝えたいと存じます」


 これは当事件において全く関係のないことだが、我々は互いのことを知っていた。顔を合わせたのはこれが初めてであるが、どういうわけか、この事件に選抜された陪審員は少なからず接点があったのだ。ちなみにワタシは国家の運営に携わる一人だとだけ説明しておく。


「では、裁判官から述べます」


 そうして裁判官は評議会の決を取るべく被告Aに対しての判決の確認を行なった。我々に反論はなかった。


 その日の午後、被告Aに対しての判決が下る。


「主文、被告に対しての死刑を言い渡す――」


 その時、被告の彼が浮かべた絶望を我々は忘れはしないだろう。


 陪審員AIが有罪といえば有罪だ。


 AIは人間より頭がよく、判断を決して間違えない。そして人間は、その論理的思考性や統計的推論に対して絶対の信頼を寄せている。そのAIを論破するにはそれなりの証拠や弁証が必要である。言ってしまえば、人間にAIの思考力を覆す力などハナからないのである。しかしAIの登場により、悪は完全に裁かれるのも完全な事実ではあった。


 もっとも。

 意図された証拠でなければ、と注釈はつくが。


 正しい証拠が完全に出ていれば、あるいはDNA判定がなされていれば、AIは判断を間違えなかったろう。




 もちろん当事件に関して全く関係のない話である。

 と、我々は強く念を押しておく。

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