第7話 服部 一真(1)

 廊下から女子達の歓声とも悲鳴ともとれる声が、心日たちに聞こえてきた。


「何かあったのか?」


 ちょうど教室に入ってきた隼之介に、輝空が尋ねると、準之介は肩をすぼめて答えた。


「A組の服部一真ですよ。オレと同じ時に校舎に入るものだから、ここまで来るのに苦労しましたよ。」


「なに?その服部一真って。」


 心日が興味深げに尋ねると、輝空は不承不承に話し始めた。


「心日は、知らないよな。一真って言われても。やつはずっと任務つきだったから、学校来てなかったんだよ。それだけ実力があるってことなんだけど。やつは、エリート中のエリート。名門服部家に生まれ、実力も最高。2年の2学期には、術法も含めて全ての技を習得して、高校生でありながら特殊任務にも参加してるっていう、伊賀者100年に一度の逸材と言われている男だ。しかも、イケメンでな。(おれは思わんけど)女はあいつのことになると、もうアイドルというか、王子様というか、キャーキャーワーワー騒ぎ立てて…。」


 話しながら、不機嫌そうになる輝空だったが、心日は一層興味を駆り立てられ、飛び上がるように椅子から立ち上がった。


「そんなやつなら見てみたいな。」


 廊下に出る心日に


「おい、オレの話聞いてたのか?見てもムカつくだけだぞ。男としては。」


 輝空も、グダグダ文句を言いながらも、心日の後を追った。女子の声が次第に大きくなり、顔1つ分背の高い一真が見えてきた。


 サラサラの黒髪をなびかせながら、歩く姿は、育ちの良さを感じさせ、シュッと引き締まった体つきからは、100年に一度の逸材と言われる資質の高さが感じられた。


 真っ直ぐに前を向いて歩いていた一真だったが、輝空の姿を認めると、その場に立ち止まった。周囲は何事かと静かになり、全員の視線が2人に集まった。


「君が、播磨くんか?」


 あと50センチくらの距離に近づいてくる一真に、緊張した輝空が答えた。


「あっあー。そうだ。」


「そして君が、児玉くんだな。」


 心日は、突然苗字を言われ、戸惑ったが、それ以上に人気者の一真という男が会ったこともない自分に声をかけてきたことが、たまらなくうれしく思えた。


「やあ。」


 心日が軽く手を挙げて、挨拶すると、一真は軽く頭を下げていった。


「香川と長門の最後を看取ってくれたらしいな。ありがとう。2人が逃した風魔はオレが必ず捕獲するから、今度どんなやつだったか教えてくれ。」


 真っ直ぐ爽やかな物言いからは、エリートにありがちな高慢さは微塵も感じさせず、心日は一層の好感をもった。


「A組の2人、そんな名前だったんだ。オレ達は看取ったつもりはないけど、2人は勇敢に戦ったよ。…死んだのは、残念だったけど…」


 心日が答えると、集団の後ろの方から声がした。


「みんな、早く教室に入りなさい。…ちょっと右に寄って。何だね、この集団は。」


 担任の六浦むつうら先生だった。定年間近の白髪頭で小太りな先生だ。


 先生の指示もあり、全員が教室に入った。


「なかなか、爽やかで性格の良さそうなやつだな。」


 心日が言うと、


「そうか?」


 輝空はやや不満そうに答えた。輝空はエリートでイケメンというのが、どうも気に入らないようだった。


 六浦先生は、教壇に立つ前、輝空の側により、肩を叩いてきた。


「播磨くん、あと1つ任務をこなしたら、A組に行けることになったよ。」


「やったなあ、輝空。」


 周りの生徒が祝福した。


「ぬっぺっぽうと炎の組み合わせが、高く評価された結果だ。ガンバんなさい。」


 輝空はガッツポーズをして席に着いた。



「さて、今日は呪いの術法を学びますよ。」


 全員に神札しんさつが配られた。A4の半分くらいの紙にお経のようなものが書かれてあるのだが、心日たちにはさっぱり読めなかった。


「呪いの術法を行うには、霊的な力を宿さなければなりません。ですから皆さんには、かけ方ではなく、術にかからない方法と、かかった時の解き方を学んでもらいます。」


「まず、呪術は、伊賀者の専売特許ではなく、黒魔術でも可能です。つまり種子島(鬼の総称)も呪いの呪文をかけてくることがあるということです。呪いの幅は広く、体の一部に痛みを与えるものや、病に導くもの、命を奪うものなどがあり、その方法も様々です。」


「今日は皆さんに弱い呪いをかけます。ダメージは残らないので安心してください。一度全員にかけてみます。」


「先生!そんないきなり!」


「あっ!」「キャー!」

「先生。やめてください。怖すぎです。」


「いきなり?怖い?当たり前でしょう。敵がわざわざ呪いをかけることを予告すると思いますか?するはずがありません。むしろ、誰からかけられたのかすら分からない。これが呪いの怖さです。」


 説明を聞きながら、心日は怖さではなく、不安を抱えていた。今全員が何かの呪いにかけられたようだったが、心日には何の変化もなかったからだ。


「一度解きますよ。」


 術が解け、みな一様に安堵の声をあげた。


「ではもう一度かけますから。今度は、神札を呪われたと感じる部分に当ててみてください。」


「いきますよ。」


 呪いが発動したが、今回は誰も騒がす、持っていた神札を目に当てた。


「うわ、見えるようになった。先生、この札すごい効き目ですよ。」


 全員に神札の効果が表れ、生徒たちは呪いから解放された安堵感から、呪いの恐ろしさや神札の素晴らしさについて興奮気味に話し始めた。その中で相変わらず呪いにかからなかった心日は、神札を眺めながらつまらなそうにしていた。


「おや、きみは呪いにかからないようですね。」


 六浦先生は、そんな心日のそばへ来た。先生は少しの間、心日を観察すると、心日の胸を指して言った。


「心日くん、君、内ポケットに何か入れてますね。」


 心日はお守りをポケットから取り出して見せた。


「ほお!そんな素敵な物を持っていたとは、それを持っていれば、大概の呪いを跳ね返すことができます。もちろん、私の術もね。…この授業の間だけ、それは後ろにしまっておきなさい。周りの生徒にも影響を及ぼしかねない代物だ。」


 心日がお守りをしまうのを見届けた六浦先生は再び教壇に立ち、1枚の紙を広げた。


「呪いはたしかに神札で、解くことができます。しかし神札はいつでもあるわけではありませんし、できればかけられる前に防ぎたい。特に戦いの最中であれば。」


「そんな時に使うのが、この印です。今は霊を憑依する時に指を絡めますが、あれは印とは違います。印は密教の流れをくむもので、こちらの方が歴史が長いのです。」


「その中から、今日は一番基礎的な印を伝授します。私の真似をしてください。」


 その後、全員で印を結ぶ練習が行われた。正しく速く、念を込めて行うことが大切だと言われ、全員が真剣に打ち込んだ。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」



「はーい、練習やめ。」


 20分あまりの練習で、全員がなんとか印を結べるところまで、上達した。


「では、これから全員の成果を確かめます。もし解けなくても、神札があるから、安心して印を結び続けなさい。」


「はじめ!」


 全員が一斉に印を結び始める中、心日も呪いを跳ね返すことをイメージして、印を結んだ。


「では呪いをかけますよ。」


 先生の声がしたが、この間も全員が呪文を唱え、印を結び続けた。


「どうですか?今、呪いにかかっていない生徒は、印を解いても大丈夫ですよ。」


 4人の生徒が印を解き、その中に心日もいた。その後も続々と呪いを解く生徒が現れる中、心日は六浦先生に尋ねた。


「先生、自分、結局かからなかったんですよ。初めから。…なぜなんですか?」


「もともと呪いの耐性が強いのか、あのお守りの効力が強すぎるのかどっちかだろうが、呪いにかからないのなら、それはそれで喜んでいいことですよ。」


「そうですよね。でもみんなと同じ体験してみたかったというか。」


「何を甘えたことを。…本当に呪われたら、そんなこと言っておれませんよ。ほれ、解けない者の焦った顔を見てみなさい。」


 六浦先生はそう言うと、まだ解けない生徒の目に札を当てていった。


「今日はこれで終わるが、呪いを軽く見ないこと、今日のは鼻くそみたいな呪いだから、この程度で済んだと認識しておきなさい。」


 授業が終わると、心日たちは輝空の周りに集まった。もう一つ任務をこなしてからという制約があり、輝空自身はまだおめでとうは早いと照れたが、輝空の思いを知っている仲間は、友の昇格を自分のことのように喜び、褒め称えた。


「お祝いに家に泊めてやろうか。」


「心日ん家?行く行く。」


 これに食いついたのは、輝空と隼之介だった。


「うそだよ。泊めるなんてのは、でも遊びに来いよ。この前来れなかったし。琴ねえも陽介を追いかけてくれた輝空を見てみたいって言ってたから。」


「うわ、マジか。琴ねえ楽しみぃ〜。」


 輝空の中で妄想が膨らんでいるようだった。




 3人は、家の位置が分からない隼之介のために駅で待ち合わせをした。


 駅前から歩道を歩いていると、「たい焼き50円」の看板が見えた。


「おっ、あれあれ、最近評判のたい焼き。50円だって、安いよな。買ってこうぜ。」


 輝空がいち早く飛びつき、店の前に行った。



「たい焼き3つでいいかな?」


 たい焼き屋のオヤジは輝空たち3人を見て言った。


「いや、オレは…」


 心日と隼之介は輝空に付いて来ただけと断ろうとしたが、


「今なら、ほら、焼き立てだよ、にいちゃんたち。絶対うまいから。」


 結局、おじさんの迫力に負けて心日は買い、隼之介はあんこが苦手ということで、店から離れていった。


「あーうんめえー。なんか今まで食った中で一番うまい。」


 隼之介を誘うように食べながら話す輝空に対して、隼之介は断固拒否した。


「大げさですねえ、輝空は。オレはあんことか甘いの嫌いだから、いくら言っても欲しくなりませんよ。」


「いや、確かにこのたい焼きうまいよ。ただ、オレはそれほどたい焼き食ったことないから、比較はできないけど。」


「心日まで。…だったらオレはコンビニでカフェオレでも買って来ますよ。この辺にコンビニありませんか?」


「コンビニなら、あっち…」


 心日はコンビニのある南側を指しながら不思議そうに言った。


「あっちなんだけど、なにか人が集まってる。」


 隼之介も心日の指差す方を見た。確かに色んな建物から人が湧き出るように集まっていた。人数にして4、50人くらいはいるようだった。人の年齢や性別も様々で、かなり小さい子から杖を持った老人まで見えた。異様に感じたのは、その人達の歩き方だった。全員が手をだらんと下げ、口をぽかんと開けて、一点を凝視して歩いているのだった。


「おい、輝空!」


 心日が輝空の異変に気づいたのはその時だった。食べかけのたい焼きを地面に落とし、ゆっくりと集団に向かって歩いていたのだ。心日と隼之介は輝空の前に回り込み、顔を見た。


「この顔、イッちゃってますよ。あいつらもそうなのでしょうか?」


 隼之介が言う通り、輝空の目は遠くの一点だけを見つめ、思考が停止しているような表情をしていた。


「抱きついて止めるか。」


 心日の呼びかけに隼之介も反応したが、一瞬早く、輝空は走り出していた。


「しょうのないやつだ。」


 2人は輝空を追いかけた。いつもなら足の速い心日が追いつくはずなのだが、なかなか追いつけず、結局集団の手前まで来た。


「おい、あいつ!」


 隼之介は高く飛び上がる輝空を見た。輝空は人々の頭上を飛び越し、集団の前に出ようとしていた。もちろん全員を飛び越えることは不可能で、人の頭や肩に飛び移って前へ前へ出ようとしていた。


「どうしましょう。心日。」


「仕方ない、行くか!」


 2人も輝空と同様、人の体を押しつぶしながら前へ出た。そしてようやく集団を抜けた先には2人の伊賀者がいた。


 一真と連れの女だった。一真は刀を持ち、集団で取り囲む一般市民を警戒していた。


 輝空は集団の前に出て、一真目がけて体当たりをした。一真は鞘の先を輝空のみぞおちに当て、かわした。


「彼をどうにかしてくれないか。…児玉くんたちは、正常なんだろう。」


 輝空以外の人間も次々と一真に襲いかかった。一真は一般の人を傷つけないように、鞘と手で捌いていたが、人数が多すぎて、さすがに限界がきていた。


「一真、一旦引き上げよう。」


 女の呼びかけに一真が反応した。


「そうだな。この人達を傷つけるわけにもいかないし。」


 2人はポケットから煙玉を出し、爆発させた。辺り一面風と煙に覆われて、心日もしばらくは、視界が確保できなかった。


 煙が晴れると、一真たちはいなくなっていた。一真の周りに集まっていた人々もその場からいなくなり、たい焼き屋の方に向かって歩いていた。


「あいつらに混ざって歩いてみるか。」


 心日と隼之介は、前を歩く集団の中に入った。


 2人とも集団に混ざるのは、それほど難しいことではなかった。上半身を脱力させ、遠くの一点だけを見て、うっすら口を開けて歩けば、違和感はなかったからだ。


 その集団は、たい焼き屋のそばにあるスーパーを通り過ぎると、歩道を外れて右に曲がり、海に向かっていった。海沿いには廃工場がそびえ立っていた。かなり大きな工場で、入口の手前には、使用されなかった大量の鉄板や鉄骨が放置され、人の高さくらいまで積み上げられてあった。それらの横を通り過ぎると、大型トラック一台が通れるほど巨大な入り口があり、人々はそこからまっすぐ奥へ進んで行った。そして一番奥まで入ると、2階に上がる階段から1人の男が下りてきた。たい焼きを売っていたオヤジだった。





















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