第2話 ここは伊賀の里

 どのくらい寝たのだろう。心日しんかは気づくと、見たことのない部屋のベットの上にいた。ベットの横には、学習机と本棚があり、机には、教科書らしき本やノートだけが立てられてあった。心日はゆっくり起き上がると、机の上に置いてある自分スマホを見て、少しだけほっとした。


「あれから2日も経っているのか。」


 とりあえず部屋から出ようとドアを開けると、右側に階段があった。下から味噌汁のような匂いがしてきて、怪しい場所ではないように思えたが、異常なことばかり経験した心日は、それでも安心することはできず、一階にいるであろう住人に気づかれないように、一段一段そうっと降りていった。



「おはよう、心日くん!」


 あと3段というところで突然声をかけられ、心日はこけそうになった。


「あら、びっくりさせちゃったね。私は2日前からあなたの養母になった伊藤琴波ことは、よろしくね。そして、ようこそ伊賀の里へ。…ってね。」


 階段を降りると、右側はダイニングになっていて、テーブルのそばに琴波という女性がいた。髪は少し赤く染めてあって、縁の太い眼鏡をかけていた。年齢は養母というには若く、20代くらいに見えた。心日は、昨日から奇妙な人間ばかりに出会っていたため、気楽に挨拶もできないでいた。


「もう少しで、ごはんの用意をするから、…その前に着替える?服はこれ着てね。」


 心日は自分が見慣れないパジャマを着ていたことに気づいた。そして、琴波が言う通り、椅子の上に制服が置いてあって、上着は背もたれにかかっていた。


「あの、…オレの服は…」


「泥だらけだったから、洗っておいたよ。」


 心日は嫌な予感がして、パンツを見た。


「ああ、下着も替えておいたから。」


 さらっと気になっていることを言われ、心日は真っ赤になった。


「あー、まだ恥ずかしい年頃だね。大丈夫、私看護師で全然気にしないから。」


 問題はアンタじゃないと思いながらも、部屋に戻って、訳も分からず朝の身支度を整えた。



 温かい食事をとると、琴波という人に対する警戒感が薄れてきた。


「俺って、どうやってこの家に来たんですか?」


「役所の人が、3人がかりかな。夜遅くに運んできてね。…その後説明聞いたりしたけど…。養母の役割とか、君が来たわけとか。」


「そうですか。それで、琴波さんは、どうして養母に?」


「ウフフ、随分聞きたいことがあるんだね。いいよ。じゃあインタビューだと思って答えてあげる。私はねえ、去年両親が亡くなったのよ。2人とも…、すると家が1人じゃもったいないでしょう?だから里親の希望出してたのよ。ただ、こんなに大きな坊やが来るとは思ってなかったけどね。」


 という言葉が引っかかったが、そこはスルーして話を進めた。


「そうなんですか、あと…。」


 2日前のことが気になって、心日はどうしても聞きたいことがあった。


「こんなことを聞くと、変に思われるかもしれないけど…。」


 もじもじする心日に、琴波は笑顔で返した。


「いいよ。答えられることなら何でも。」


「琴波さんて、何か、技持ってたりしますか?」


「わざ?」


「空飛んだり、突然消えたりとか。」


「ハハハハハ、そんなことできたら、ここにいないわよ。」


「そうですよね。ハハハ。」


 心日は自分でもバカな質問をしたなと思った。


「ジェロニモってやつがそんなことやったの?」


「ジェロニモ?あーあいつそんな名前なんですか?…あっ、技ですよね。みんな何かやったんです。だから琴波さんもかな?って。」


「そっか、随分な能力者様に囲まれたんだね。」

「それよりさあ、その琴波さんってのやめようか。私、養母なんだから。」


 なるほど、養母だという人に、それはおかしいな。と心日も思った。


「お母さん…ですか?」


「それ、もっとダメ。私29だから、…そうねえ、琴ねえがいいかな。」


「分かったよ、琴ねえ。」


 心日は少しはにかみながら言った。


「まっ、対応早いわね、しんちゃん。」


「オレしんちゃんなんですか?」


「フフフ、そこはオレじゃなくて、オラって言わなきゃ。」


 明るい琴波の性格は、心日の強い警戒感をほどき、新しい生活へ導く大きなきっかけとなった。また、心日自身、母親が望んだ伊賀に来れたことを嬉しく思った。




 朝食後は琴波の車で、高校に向かった。もちろん、薬とお守りは忘れなかった。


「ごめんね。両親亡くして、すぐに学校っておかしいよね。でも、あなたを連れてきた連中が、そうしろって言うのよ。その方があなたもスッキリするだろうって。」


 車は学校近くのコンビニで停まった。


「あれがあなたの通う国立伊賀高校ね。」


 そこから見える校舎は、いたって普通に見えたが、門だけは古いやぐらのようで、まるで昔の城の入り口のようだった。


「明日からはバスで行ってね。それと、手続きはしてあるから。…そのままB組に行けばいいらしいよ。じゃ、がんばってね。」


 琴波は手を振って、さっさと行ってしまった。


 心日は、コンビニの前を歩く高校生たちに混ざって歩いた。


 校門に向かうと、2人の先生が生徒たちを迎え入れていた。心日が挨拶すると、女の先生が声をかけてきた。


「児島心日くんね。教室へ行く前に、私について来なさい。」


 心日は事務室や職員室の前を通り、校長室に通された。ソファーに座るように促され、女の先生と対面して座った。スラリとした体形に細身のスーツが似合う40代半ばの先生だった。


「一昨日は、色々と大変でしたね。児玉心日くん。」

「名乗るのが遅れましたが、私が校長の厳島いつくしまです。校長って言うと歳とったおじさんを想像するかもしれないけど、これでも10年近く校長を続けているんですよ。」


 心日は、どうしていきなり校長室に連れてきたのか聞きたかったが、そんな間も与えてもらえず、厳島校長は早口で、話し続けた。


「初めにこの高校のことを説明します。この国立伊賀高校は国の機密機関であり、そのエージェントを育成する学校でもあります。そして闇に現れる異形の者を見つけ、処罰する方法も研究しています。歴史的には、昔で言う忍者、忍術を現代に受け継ぎ、発展させる役割も担っています。」


「今日は、教室に入る前に色々聞きたいことがあるのではないかと思って、ここへ連れてきました。あなたもそれを聞かないと、現状を受け入れられないでしょう?私が答えてあげますから、今思っていることを何でもぶつけなさい。」


 ようやく喋る機会が与えられたが、たくさん聞きたいことがあって、整理がつかなかった。そして色々迷った挙句、まず狙われた訳を尋ねた。


「どうして僕たちは狙われたのでしょう。」


「まず、狙われたのは僕たちではなく、僕です。そして信じられないかもしれませんが、君はかつてこの学校に通っていました。それが狙われた原因です。あなたは2年前、両親のもとに帰りたいと行って、この高校を出て行ったのです。ただ、この学校の掟として、出て行く時に、学校の記憶を消すことになっていて、それに従って、あなたの記憶は消されました。ただ、記憶を消したと言っても、全て消せる訳ではありません。彼はその記憶のカケラが欲しかったのです。情報は大切ですから。」


 記憶を消すなんてことができるのかと一瞬思ったが、襲われてからの異常な出来事を思い起こすと、何でもありな気がしてきた。


「それじゃあ、ジェロニモの目的は、オレ…僕の記憶だったんですか?」


「そうです。あの男は黒魔術を使って、君の頭を覗こうとしていたのです。」


 その時、心日はジェロニモが額に手を当てて何かを言っていたことを思い出した。


「僕、ひょっとすると、覗かれたかもしれません。やつは、ここにこう手をやってきたんです。」


 心日はうまく説明できず、身振り手振りを入れて話した。


「そうですか。でも大丈夫ですよ。一度消した記憶は、短時間で覗くことは不可能ですから。いかに彼の黒魔術が強力でもね。」


「黒魔術。…って言うんですか。魔術…?魔法ですか?」


「まあ、そんなものね。」


 そんなものを使うやつに敵うはずがない、と心日は思った。


「では、その後消えたのも、黒魔術ですか?そして、そのあと現れた男たちも。」


「フフフ、片方は当たってますが、片方はハズレです。ジェロニモは黒魔術を使いますが、そのあと現れたという方達は、伊賀者ですから、そんな術は使いません。彼らは次元の扉を開けただけです。…こうやって。」


 校長は人差し指で円を描いた。するとその円の中に、どこかの教室が現れた。


「こんな感じで開けたのですよ。そしてこの扉を通る時、あなたは気絶したのです。」


「そんなこと、誰でもできるのですか?」


 心日は、立ち上がって円の向こう側を覗き込んだ。


「難しいですね。この技はかなりの鍛錬が必要です。簡単に見えるかもしれませんが。できるのは…私を入れて10人くらいです。」


 黒魔術の話や、この技について聞くと、心日は心配になってきた。


「そんな技が使えるなら、またすぐに襲ってきたりしませんか?」


「我々のそばにいるか、この町にいれば大丈夫です。この町は、簡単に襲ってこられないし、ある程度の術者がそばにいれば、敵に自分たちの存在を感知されないように、術をかけてもらえるからです。」


 そう言うと、校長は立ち上がった。


「今日はこのくらいにしておきましょう。教室に案内します。」


 立とうとした校長を心日は引き留めた。


「待ってください。最後にどうしても聞きたいことがあります。両親は、…父と母は、どうなったのですか?」


「残念ですが、2人ともジェロニモに殺されました。2人とも優秀なエージェントでしたが、ジェロニモが桁違いに強かったのです。」


「えっ?父さんも殺されたのですか?」


「あなたは見てなかったのですね。そうです。伊賀者らしい、立派な死に方だったそうです。」


 父まで殺されたと聞いて、ジェロニモに対する怒りがこみ上げてきた。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。」


 心日は、拳を握りしめて、何度もつぶやいた。

 つぶやきながら、何もできなかった自分が情けなく思えて、頭の中がかき乱されほどの強い怒りと陰々滅々とした感情でいっぱいになった。


「先生、ここはエージェントを育てると言いましたよね。オレ訓練でもなんでもしますから、ジェロニモを倒せるようにしてください。」


「随分ストレートなお願いですね。でも、伊賀者にとって、復讐心は時として身を滅ぼすこともあります。その事だけを考えて、学ぶのはやめなさい。」


 怒りをあらわにした今の心日に、この言葉の意味は分からないし、分かりたくもなかっただろう。両親を亡くしたという落胆と怒り。それらを抱えて、心日は立ち上がった。



 校長は、記憶を消されたことは、他の生徒に話すと混乱するので、他言しないように心日に念を押し、教室へ案内した。そしてB組に入ると、転入生お決まりの自己紹介が求められた。あまり乗り気ではなかったが、第一印象を悪くしないよう、努めて笑顔で話した。その後、席に案内され、数学と現代文の授業を受けた。特殊な高校ではあったが、教室も教科も普通の学校と変わらず、違うのは、午後の全ての授業が、術法と武術の時間になっていることだけだった。


 心日は、かつて通っていた高校なら、少しは記憶が残っているのかと思ったが、顔を見ても誰も思い出せず、そればかりか、周りの人間も初めて会ったかのように話しかけてくるのだった。


「オレ、播磨輝空はりまこうきよろしく。」


 髪がボサボサで目つきの悪い男が心日の前に立った。


「両親のことは残念だったな。オレも5歳の時に家族全員やられてるから、いっしょにあいつら倒しまくろうぜ。」


 この男も、2日前の出来事をすでに知っているようだった。


「両親のことって言ったけど、オレの事どのくらい聞いてんの?」


「今朝、担任が言ってた。両親がジェロニモに殺された男子が転入してくるって、ただそれだけさ。」

「でも、すげえな、ジェロニモに会うなんて。いきなりラスボス登場って感じだろ?どんな奴だった?」


「どんな奴?」

 そう聞かれても、なかなか一言では説明できなかった。


「あっ!ごめん、嫌なこと聞いちゃったかな?心日が話したくないなら話さなくてもいいよ。2日前のことだもんな。」


 心日は、いきなり呼び捨てにしてくる輝空こうきの自由さに呆れたが、そのまま話を続けた。


「いや、すぐに話せなかっただけだから、…やつは、ジェロニモは体は小さいし、女みたいだった。でも空から降りてきたり、黒魔術で消えたり、本当に恐ろしくて、最後は何もできなかったよ。」


 心日は、言いながら、怒りがまたこみ上げてくるのを、感じた。


「そうか、女みたいか…教科書と一緒だな。…でも悔しかっただろうな。聞いてごめんな。」


 輝空はまた謝ったが、それよりも気になることがあった。


「教科書といっしょ?」


「ああ、日本史に載ってるだろ?天草四郎時貞。いろんな言い方されてるんだけど、そいつがジェロニモ。そうやって呼ぶとやつが嫌がるって事で、いつのまにかみんなジェロニモって呼ぶようになったんだって。ココ何年も見つからなかったらしいけど、高校生捕まえるためにわざわざ出てくるなんて、心日、何か狙われる理由でもあるのか?」


 狙われた理由は、さっぱり分からないととぼけた。心日はそんな事よりも、ジェロニモが天草四郎というのはどういうことなのか聞きたかった。しかし、その後すぐにチャイムが鳴ったため、聞かずじまいとなった。ただ、教科書によると、天草四郎は悪魔に魂を差し出し、吸血鬼となることで、長年、青年の姿を維持し、キリシタンを先導して反乱を起こしたというようなことが書かれてあった。この高校の日本史の教科書は国語辞典のように分厚く、しかもその半分くらいは戦国時代に割かれてあった。そしてその大半が心日の知らないことだった。



 次の授業は、術法の時間だった。教室に入ってきたのは、つり目でショートカット、ちょっと太ったおばさん先生だった。


未知瑠みちる先生かわいい。」


 全員が心日を見た。心日がそんなことを言うはずもないが、声は間違いなく心日の口から出たのだった。心日は訳が分からず、顔が赤くなった。


「ありがとう、児島くん。」


「先生、転校生からかわないでください。」


 輝空こうきが言った。


「そうね、ごめんなさい。明日は播磨くんにするわね。」


「今日は、今やった口移しの術の練習をします。」


「えーっ。」

「面白そう。」

 生徒の反応は様々だった


「その反応、いいわね。口移しは難しいけど、使えると便利よ。さっき児島くんにやったようなことができるんですから。」


「ハハハハハ。」


「この術のカラクリを簡単に説明すると、相手の声帯を震わせて、あたかもその人間が話したように錯覚させる術です。今日はみんなでしっかり声を出して、練習しましょう。まずは、この紙を3メートル先において、紙を震わせる練習ね。」


 未知瑠先生はうちわのような形をしたものを出した。形はうちわだが、骨組みは周りだけで、金魚すくいで使うのようになっていた。


「先生、コツはなんですか?」


「人に聞こえない音域の声を出すことですよ。」


 全員にそれが配られ、ベアを作って練習するように指示された。


「私とやりましょう?」


 隣の笠置かさぎ唯香ゆいかが声をかけてきたので、2人で紙を持ち合い、練習を始めた。唯香は一見大人しそうな女子だったのだが、いざ実習が始まると、「もっと地面と垂直に持って。」だの、「うちわを強く握って。」だの細かい注文ばかりするので、心日は辟易としてしまった。しかも、人に聞こえない音域の声を出すことなど、初めての人間にとって、不可能に近く、15分も練習すると、2人ともヘトヘトになった。


「あーダメ、ちょっと休憩。」


 椅子に腰掛けた唯香の横を一匹の猫がすり抜けていった。猫は机に乗り、輝空を見つめた。


「なんですか?山下先生。いたずら禁止ですよ。」


 また山下先生の悪ふざけだった。


「今から呼ぶ生徒は、これが終わったら、任務に入るにゃん。」

 猫が喋り始めた。


は入りませんって。」


「播磨、蔵王ざおう、それと対馬つしま、車で待ってるにゃん。」


「はいはい。」

 輝空は呆れ顔で返事をした。


 猫は山下先生の胸元へ飛び込み、気持ちよさそうに眠りについた。


「さあ、私のゴロウちゃんも寝ちゃったし、今日は終わりますよ。次の時間までに、この紙を震わせられるように練習してくること。いいわね。」


「はい。」


 号令とともに授業は終わり、指名された3人は、残りの授業を受けずに出ていった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る