2 ギャルだと思ってました
しかし少々引っかかる点がある。それは、香澄が池田さんのことを忘れていたことだ。確かに香澄は人の顔を覚えない人間だが、今の話を聞けばまた別問題になってくる。
何を言いたいかというと、香澄は植物を間に交えた人との関わりならば決して忘れることはないのだ。
現に、その出来事はしっかりと記憶している。それはその人の外見だって例外ではなかったはずだ。
「ねえ池田さん、もしかして池田さんって、小学生の時と見た目がだいぶ違ってるんじゃない?」
制服の袖で涙を拭い、池田さんが顔をあげた。
「はい、香澄さんみたいになりたいって思って……と言っても、身長が少し伸びて、髪を伸ばしてストレートパーマかけたくらいですよ、あとは制服を着てることですかね。本当は香澄さんみたいに髪も染めてたんですけど、入学式で思いっきり怒られちゃって、やめちゃいました」
シュンとして叱られた子犬のように縮こまる池田さんを見て、私は笑いを堪えきれなかった。
「そりゃそうでしょう、校則違反だもん」
「でも香澄さんは染めて……あっ高等部だからか!」
「違う違う、香澄のこれは色素が薄いだけだよ、地毛なの。ついでにこの制服の着崩しもただだらしない性格なだけだからね。それも真似してるみたいだけど」
不慣れなりに努力したのだろう、ぎこちなく制服を着崩す池田さんの全身を観察する。池田さんは勘違いが恥ずかしかったのか、しゃがみ込んで膝を抱えた。
「ギャルだと思ってました……」
その言葉に、私はお腹を抱えて笑った。
「ギャルって……だから最初に怖いって思ったの?」
「はい、『うわ、不良が近付いて来た!』と思って……でもすごく優しくてかっこよくて、こんなお姉さんになりたいなって」
「その思いで学園にまで入学しちゃうんだもんね、香澄の実家の近くってことは池田さんも寮生だよね。そこまでするって、香澄が相当大きな目標になってたんだね」
「はい、また会えて嬉しいです」
香澄を見上げてにっこりと微笑む池田さんはとても幸せそうで、この幸福な笑顔をもたらしたのが香澄だと思うと、私もつい嬉しくなってしまう。
「あの、香澄さんの名字は何というんでしょうか。すみません勝手に下の名前でお呼びしてしまって。まだお名前を聞けてなかったので……」
申し訳なさそうにして顔を俯ける池田さん。そういえば自分ではまだ名乗ってなかったのか。
それにしても、コロコロと表情が変わって面白い子だ。
「いいよ別に、気にしないで。名字は長谷。長谷香澄」
香澄が名前を言うと、池田さんは眩いばかりに目を輝かせ、両手を合わせた。
「長谷先輩……お名前もかっこいいです。あの、お姉さまってお呼びしてもいいですか?」
どうしてそうなった。無邪気にとんでもないことを言いなさる。
ほら、さすがの香澄も戸惑ってるじゃないか。
「え、うん、いいけど……妹なの?」
「私のことは是非、雛子って呼んでください!」
「うん……雛子」
池田さんが頬を緩ませる。
私はいったい何を見せられているのか。ちょっと胸やけがしてきた。
大体香澄も香澄だ。こいつは能天気に物事をよく考えない気質を改めるべきだ。まあ今更改善の余地はないと思うし、私としてはこういう香澄が好きで一緒にいるわけだから別段構わないのだが……少々考え物だ。
ごちゃごちゃと思考を巡らせていると、池田さんが今度は私に視線を移した。そして恐る恐るといった様子で頭を下げた。
「あの、先程は失礼な態度をとってしまってすみませんでした。つい、ほんの出来心といいますか……」
ほう、ちゃんと自らを省みて謝れる良い子じゃないか。私の心はインド洋並みに広大だから、許容の精神もいくらだって持ち合わせているというものだ。
「先輩もすごく優しくて素敵な方だってわかりました。それであの、お名前をお聞きしてもいいでしょうか」
「八重山薫だよ。ところで、それ、いつまで手に持ったままなの?」
池田さんが抱える四角い箱を指さす。
「あっ、そうでした!あの、お姉さま、これずっと渡したかったけど渡せなくて遅くなりましたが、バレンタインのチョコレートです!」
顔を真っ赤にした池田さんが、箱を香澄に差し出した。
というかバレンタインって……本当に遅すぎる。今はもう四月中旬なのだが。
香澄は相変わらずの調子で、「ありがとう」とお礼を述べて何の疑問も抱かずにそれを受け取った。
しかしこのチョコレートがポケットから出てきたということは、香澄を探しながらずっと持ち歩いていたということだろうか。少なくとも学園に入学してからそうしていたと考えても、二週間弱。
「池田さんさ——」
「あっ、八重山先輩も是非私を雛子って呼んでください!」
私のことはお姉さまとは呼んでくれないのか。別にどうでもいいけど。
「雛子さ、これいつ作ったの?」
雛子は、どうしてそんなことを訊くんだと言いたげに首をかしげ、「昨日ですけど」と言った。
よかった、チョコレートの状態は心配しなくてもよさそうだ。
「でもここのところチョコばっかり食べてて、さすがに私は飽きちゃいました」
「え、まさか毎日作ってたの?」
雛子が当然だと言わんばかりに力強く頷く。
「お姉さまにはできるだけ新鮮なものを、と」
学園に入学してまで香澄に会いにきたことといい、とんでもないバイタリティだ。私には到底真似できないだろう。真似したいとも一切思わないが。
雛子の執着心と忍耐力に驚嘆していると、私はふととある考えに思い至った。
雛子の香澄に対する熱心な行動を考えれば、いけるかもしれない。いや、間違いなく釣れる。
「あのさ雛子、もう部活は決めた?」
「いえまだですけど」
よしきた。
「私と香澄ね、園芸部なんだけど、よかったら入ってみない?」
園芸部員は、現在私と香澄のふたりだけ。
しかも私と香澄は高等部三年で、来年から園芸部と、園芸部が管理する温室と小庭園をどうしたものかとやきもきしていたところだったのだ。
今時好き好んで土いじりをしたい人は少ないのだろうか。温室や小庭園の華やかさに誘われて部活の見学にくる生徒もいるにはいるが、その仕事内容を知ると入る前にすぐに離れて行ってしまう。
見るだけで満足、それ以上のことはしたくない、と。
そんなときに降って湧いた大チャンス、これを逃さない手はないだろう。この雛子ならばきっと、香澄の好きなことは喜んで受け入れるに違いない。
そして園芸部は中高で活動を共にするため、中等部の雛子でも問題ないというわけだ。
雛子はその提案に、案の定、即座に輝かしい笑顔で首を縦にふった。
「入ります! お姉さまは園芸部だったんですね、素敵です!」
計算通り、私にかかればこんなものだ。まあ九割方、香澄のおかげだけど。
これで一年かけて雛子にしっかりと園芸の教育を施せば、来年からの園芸部、そして大切な温室と小庭園も安心して任せられる。
「よろしく、雛子」
香澄に歓迎され、雛子は嬉しそうに無邪気な笑顔を返した。
そんなふたりを横目に、私はしたり顔でほくそ笑んだ。
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