トライアングル・チョコレート

やまめ亥留鹿

1 お慕いしています

 春の陽気を感じつつ、中庭で友人と昼食を食べているところへ、打ち付けに春嵐が到来した。

 もちろん、春嵐と言っても本当に雨風が吹いて降ったわけではない。あくまで、私の心持ちの問題である。


 私、八重山やえやまかおるとその友人、長谷はせ香澄かすみの前に突如として現れた少女。

 仁王立ちをした彼女は、


「やっと見つけました!」


 と大声を散らした。

 見つけた? 何を? 私たちを? 申し訳ないが、いっさい身に覚えがない。

 少女はせわしなく首を左右に動かして、私と香澄を交互に見比べている。そんなに激しく首を振る必要もないだろうに……。


「急にどうしたの。大声なんか出して、はしたないよ」


 少女が身に纏う、中高一貫のこの学園の中等部の制服に目を留めながら、私はひとまず声をかけてみた。

 すると少女は何が気に入らないのか、唇を尖らせて不満を露わにした。

 その表情がいやに子どもっぽくて、あどけなさに頬が緩みそうになった。


 少女の胸元には黄色のリボン、ということは、中等部の一年生だろう。

 少し前までランドセルを背負っていたのだ。あどけなさにも納得だ。


 少女は私をじっと見て、眉根を寄せた。


「誰ですか?」


 おっ、小生意気なやつめ。

 まあ、ここは一旦、子どものすることだと思って不躾な態度も大目に見よう。

 私の心は広大だ、たぶん日本海よりも広い。


「あなたこそ誰、何しに来たの?」


 私の問いにはたと手を打って、少女が思い出したように制服のポケットを探る。

 そして手に掴んだのは、丁寧にラッピングされた四角い箱だった。


 意味有り気な箱を両手で大事そうに持って、もじもじと照れくさそうにしている。

 少女の態度の移り変わりに、なんだかすでに疲れてきた。


「あ、あの私、池田いけだ雛子ひなこっていいます。私のこと、覚えてませんか……?」


 不安そうに顔を俯け、池田さんとやらが上目遣いでちらと見たのは、私の隣に座る香澄だった。

 こいつか……。私の知らないところで一体何があったのやら。


 当の香澄はというと、箸でつまんだ卵焼きを口元まで運んだところで静止していた。ぼけっとして池田さんを見返すこの顔は、間違いなくさっぱり覚えていない顔だ。

 私は肘で香澄を小突き、「何か言ってやんなよ」と囁いた。

 香澄がぴくりと動き、あっ、と弱弱しく消え入りそうな声を出した。

 そして、何の脈絡もなく「あーん」と言って卵焼きを池田さんに差し向けた。

 こいつ、記憶にないからって誤魔化そうとしやがったな。


「えっ、い、いいんですか?」


 池田さんは池田さんで、目を爛々と輝かせ、前のめりになって香澄に聞き返した。香澄がコクコクと頷くと、


「で、ではお言葉に甘えて、いただきます」


 と、小さな口を開けて卵焼きを口に含んだ。

 なんて幸せそうな顔をして食べることだろう。これはあれか、この子が何やら香澄にご執心という認識で相違ないのだろうか。

 そしてその原因を香澄はすっぱり忘れている、と。


「ちょっと香澄、本当にこの子のこと覚えてないの? どこかで会ってるみたいだけど」


 香澄に耳打ちをして訊くと、口をへの字に曲げて困ったという顔をした。


「全然」

「全然?心当たりは?」

「これっぽっちも」


 香澄は普段からぼけっとしているし、他人への興味が薄いためか人の顔をなかなか覚えないから仕方ないのかもしれない。


「ふたりだけで内緒話をしないでください! ずるいです!」


 いつの間にか、池田さんは幸福の時間から帰ってきていたようだ。小声で話をする私たちに、というよりも主に私に嫉妬の眼差しを向けてきた。


「卵焼き、おいしかった?」


 香澄の声に、池田さんがぱっと表情を明るくする。香澄、ナイスだ。


「すっごくおいしかったです。もしかして手作りですか?」

「うん、そう。やえのね」


 池田さんは、「やえ?」と呟いて首をかしげた。やえとは、私のあだ名だ。八重山だから、やえ。

 香澄が、「こちらの方」と言って左手で私を示し、やえの正体をバラした。

 池田さんはあからさまに苦虫を噛み潰したような顔をした。なんだこの反応の落差は。


「あのさ、池田さん。話を戻すけど、少し説明してくれないかな。香澄とはどこで会って、何があったの?」


 池田さんがプイとそっぽを向く。


「香澄、覚えてないんだってさ。それは百パーセント香澄が悪いけど……それ、プレゼントでしょう?」


 私の言葉に今にも泣きそうになりながら、池田さんは両手で持ったままの箱を胸の前で抱きしめた。


「それを渡すんなら、ちゃんと思い出してもらってからの方がいいよね?」


 池田さんは私たちから顔を背けつつも、素直に首肯した。


「ほら香澄、あんたからも何か言うことがあるでしょ」

「あ……ごめんね。本当に覚えてなくて。私あんまり人の顔とか見てなくて……でも今度はちゃんと覚えたから。それで……よかったら私も教えてほしいな」


 私たちにゆっくりと向き直ると、池田さんは香澄と出会った時のことを訥々と話してくれた。


*****

 

 香澄さんに出会ったのは、去年の年末でした。私が小六の時です。

 その日は雪が積もっていて、私、妹と一緒に公園まで遊びに行ったんです。


 公園には私たちの他にも何人か子どもが遊びに来てました。

 私は妹とふたりで雪で遊んでたんですけど、途中で妹が雪の中に咲くお花を見つけたんです。花壇に植えられたものじゃなくて、公園の端っこの地面に咲いていたお花です。

 ピンクのお花が、白い雪に映えてすっごく綺麗でした。それを見つけて私に教えてくれた妹も、きれいなお花見つけたよって嬉しそうでした。


 それで妹が、寒そうだからお家つくってあげようって言ったので、私たちは小さなかまくらを作ったんです。

 かまくらは無事に完成したんですけど、公園で遊んでいた子が走り寄ってきたかと思ったら、悪ふざけでお花をかまくらごと踏みつぶしてしまったんです。

 そしたら妹は大泣きしてしまって、私も思わず怒っちゃって、その子を追いかけようとしたんです。


 その時に私たちの前に現れたのが香澄さんでした。正直最初は、なんか怖いお姉ちゃんがきたと思ってびくびくしました。もちろん今はそんなこと思ってないですけど。

 香澄さんは無言で潰されたお花の前にしゃがんで、お花にかぶさった雪をどかしました。

 見ると、根本がぽっきり折れちゃってました。

 すると霞さんは急に立ち上がって、水道の方に行きました。すぐに戻ってきた香澄さんは、水を汲んだペットボトルを持ってました。

 香澄さんはまたお花の前にしゃがんで、その折れた部分を迷いなく千切りました。千切ったお花を水につけて、ポケットから取り出した可愛い形の小さいはさみで、折れていた部分を切り落としました。

 そして私と妹に言ったんです。


 「ホトケノザは強いんだよ。春になったら、ここにたくさん咲いてるかもね。ほら、この子もまだまだ元気だから、お家に連れて帰ってあげて」って。

 ペットボトルにさされたお花を渡された妹は、すぐに泣くのをやめました。

 香澄さんは私と妹の頭を優しく撫でてくれました。

 「君たちは優しいね。そのお花、大事にしてね」。そう言ってくれました。


*****

 

「私、香澄さんのことをお慕いしてます。香澄さんに会いたい一心で、香澄さんの着てた制服からこの学校を見つけて、お母さんにわがままを言って受験させてもらったんです。そしてようやく、こうしてまた会うことが叶いました」


 話を終えた池田さんは、潤んだ瞳で香澄を見つめた。

 なるほど、香澄らしい話だ。

 香澄は顔を俯け、しばらくの間沈黙していた。そして突然、「思い出した」と首をもたげた。


「去年実家に帰った時のあの子か。そっか、会いに来てくれたんだ」


 懐かしそうに目を細め、どこか嬉しそうに微笑をこぼした。

 池田さんの頬に、一筋の涙が伝った。腕に顔をうずめ、静かに泣き声を漏らした。

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