それでも魔女は毒を飲む

稀山 美波

それでも魔女は毒を吐く

「来たよ、『毒突どくづき』が……」


 この手狭な講堂では、小さく呟いた言葉も大きく反響する。女子生徒がこっそりと隣の学友へ耳打ちした言葉ももちろん、彼女の耳に届かないはずはない。『毒突』と呼ばれた彼女は、その悪態にも似た台詞を聞きながらも、何事もなかったかのように教壇へゆっくりと歩を進めた。


「今日は詠唱の基礎、特に治癒魔法の基礎についてやっていくわ。はい、じゃあ教科書と杖を出して」


 腫物を一瞥するかのように自らを見る多くの目を感じながら、『毒突の魔女』は懐から本と杖とを取り出しながら気怠そうにそう告げる。溜息をつく、悪態をつく、眉間に皺を寄せる――そんな女学生たちには目もくれず、魔女は彼女らに背を向け、床から天井まで広がる巨大な黒板へと対峙した。


「……なに?」


 魔女がチョークを宙に浮かべ、背の丈以上もある黒板へ文字を書き始めたその最中、彼女は背中に気配を感じた。どうやら教壇に一人の学生がやってきたようだったが、魔女はその学生に視線をやることもなく、背を向けたまま学生の意図を問う。


「あ、あの、ベルベット先生。じ、実はですね――」

「学籍番号と名前。用件は端的に」


 ばつが悪いように言葉を濁す女学生に、魔女は背を向けたまま冷たく言葉を返す。氷のように冷ややかで刃のように鋭い魔女の口調は、一瞬にして講堂内の空気を張り詰めさせた。


「……学籍番号422031、シンディ・キャンベルです。今日実は、杖を忘れてしまいまして」


 気まずそうだった女学生の口調に、少々の苛立ちが混じる。それを感じ取れない魔女ではなかったが、特に意に介することもなく、そこで初めて彼女は振り返ってキャンベルと名乗る学生と向かい合った。


「私がこの講義で一番初めに言ったこと、覚えてる?」

「……杖とは、魔女の命、魔女を魔女あらしめるもの。だから片時も手放してはいけない」


 かつて魔女が言った台詞を復唱するキャンベルは、魔女の目を見ることもなく、ただ俯いて言葉を床へと零していく。その様子は、気まずいだとか申し訳ないだとかそういう感情によるものではなく、ただひたすらに気怠さや面倒くささによるもののように見えた。


 そして何よりも、魔女は女学生の声に聞き覚えがあった。

 間違いなく、先ほど魔女を『毒突』と呼んだその声に、相違ない。


 毒突。

 それは魔女の二つ名というか、あだ名というか、蔑称というか、まあそのような類のものだ。


 その二つ名は、なにも彼女が毒を主要とした魔法を使うだとか、毒の扱いに長けているだとか、毒で要人を暗殺した経緯があるだとか、そういう理由で付いたものでは決してない。


 『毒突の魔女』。

 彼女がそう呼ばれる理由は、ただ一つ。

 


「覚えてるじゃない。それを聞いてなお杖を忘れるって、魔女になる気がないか、それとも私に喧嘩を売ってるかの二択ね。それともその両方かしら。それにしても貴方、魔女を志す学生にしては濃い化粧ね。魔女より娼婦の方が向いてるんじゃない? 娼婦なら、この『王立魔法女学園』よりも、裏路地にある『悶絶××チョメチョメ女学園』って店の方がおススメよ。そこで、汚い中年の下半身にある杖を扱っていた方が、よっぽど身の丈に合ってると思うわ。ああそうだ、魅力チャームの魔法くらいは覚えていったほうがいいかもね――」



 口を開けば、毒を吐く。

 人と向き合えば、毒突く。

 だから彼女は、『毒突の魔女』。


 この学園で講師として教鞭を振るう彼女は、その性質故に学生からの人気は皆無と言っていい。学生だけでなく、同僚たちからも距離を置かれているので、この学園で彼女はひどく孤立してしまっている。


 口は禍の元とはよく言うが、常に毒をまき散らす『毒突の魔女』の存在は、まさに災いと言ってよい。学生を指導する身として、大人として、汚い言葉は慎むべきなのだろうが――



「……うぅ」

「あら、泣くの? 厚く塗りたくった化粧が落ちるわよ? というか貴方、化粧が落ちると地味な顔ねえ。中庭で生物部が育ててるマンドラゴラみたいな顔してるわ。魔女にとって化粧は必須ではないけれど、娼婦にとっては必須よ? 中年の脂汗が染みついても落ちない化粧をぜひ学んでね――」

「うわあああああん!」



 それでも魔女は、毒を吐く。

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