第1話 『遠隔操作』
両頬を真冬の冷たい空気が掠めてゆく。視界には、明かりの灯った窓たちが上ってきては直ぐに消えて行くのが見てとれた。
ぼんやりと眺めていると、もうすぐ地面に着く。
落下の衝撃を全身のばねを使って吸収する。まともにやれば即死は免れない高さからの着地を秋斗は音も立てずに成功させた。
背中に装備があることを確認して辺りを見回す。
「あの、月城さんですよね?」
すると、秋斗に気づいた警察官が駆け寄ってきた。
神妙に頷く。
「お待ちしていました。私は如月と申します」
警官はそう言ってお辞儀をする。
「早速ですが、事故車両が暴走したことについては聞いていますか?」
「暴走ですか?」
事故車両が暴走したというのは初耳だった。
秋斗が尋ねると、警官はうなずきながら続ける。
「午後8時12分頃に無人運転の大型貨物車3台と陸空両用自動車1台が衝突する事故が発生しました」
ここまではご存じですね?、と確認する警官に秋斗は頷く。
「しかしながら衝突した大型貨物車は警察が到着するまでに再び動き出し、現在環状3号線の大久保インター付近を逆走中です」
「そうですか。それは、」
本来なら自動車が勝手に動き出すことはない。つまり、
「誰かが遠隔操作して意図的に事故を起こしているということですか?」
「その可能性が濃厚です」
「『マキナ・アイ』は?」
「丁度メンテナンス中だったそうで」
やられました、と苦々しげな表情を浮かべる警察官。彼らも通常の業務でいろいろと手が回らなかったのかもしれない。
しかし、そういう言い訳は通用しないほど事態は深刻だ。交通量の多いこの時間帯。逆走車が1台現れるだけでも甚大な被害が出ることは容易に想像がついた。
「わかりました。俺はその暴走車両を止めればいいんですね?」
「お願いします。警察車両が周囲の一般車を退避させつつ追跡していますので、そちらまでお連れします」
そう言って、警察官はそばに駐車していた車両に秋斗を誘導しようとする。
しかし、
「それには及びません」
誘いを断り、秋斗は着ていたコートを警察官に渡す。警察官は怪訝な表情を浮かべるが秋斗は気に留めない。
そして、
「行ってきます」
右足に力を込めたのちに一瞬で加速。瞬く間に現場を立ち去る。
「え?……」
取り残された警察官は状況を飲み込めずにただ呆然と立ち尽くす。
しんしんと雪の降る中、彼が全てを理解するまでしばらくの時間がかかった。
景色が飛ぶ様に過ぎ去っていく。手元の端末で速度を確認すると優に時速300キロは超えていた。
「スピード違反だな」
一人つぶやきながら、地面を蹴って更に加速する。本来なら速度超過で捕まるところだが、今は非常事態で任務遂行中。多少のことは多めに見てもらえるだろう。
道路案内板に表示された距離を確認しながら到着までの時間を計算する。人の視認能力をはるかに超えるスピードでも秋斗にははっきりと周囲の状況を知覚できていた。
1歩で80メートルくらい。
新宿までおよそ5キロ。つまり、目的の暴走車両まではあと1分もかからずに到着できる計算だ。
「あれか」
しばらくして、それらしき大型貨物車両が見えてくる。
車はふらつきながら車両通行帯にまたがり、明らかに危険な走行をしていた。その後ろには警察車両が2台、ぴったりと張り付いている。
秋斗は速度を落として警察車両に追いつき、中の警察官に窓をノックした。
警察官は目を見開いて驚いた様子だったが素直に窓を開けてくれる。
「公安局の月城です。今からあの暴走車両を処置したいと思いますので離れていてください」
「処置……? わかりました」
一瞬間が空くもそこは現場慣れしたプロ。警官はすぐに状況を飲み込んで了承してくれる。
秋斗はもう一台にも事情を伝え、徐々に警察車両は離れていった。
暴走車の周りには車両がいなくなる。
秋斗は端末から地図を開いて空中に表示された地図を確認する。それによると、どうやらこの先数百メートルは直線が続いているらしい。暴走車を止めるには申し分のない距離。
安全を確認したのち、秋斗は一気に車に追いついて背中に挿していた剣、高周波ブレードを引き抜いた。
特殊合金でできた刀身が鈍い光を放つ。
そして一足で接近。標的を見定め、剣を逆手に持つと、
ーー次の瞬間、体を捻る勢いで一気に後ろの両タイヤを切り裂く。
大きな亀裂が入ったタイヤが破断し、ホイールが路面を擦って火花が散った。車はガリガリと音を立て煙を上げながら、徐々にその速度を落として行く。
秋斗はすばやく立ち回り、残り2両のタイヤも切り裂いて減速させる。
強引なやり方だが、結果、3台の暴走車は道路に爪痕を残しながらもカーブに差し掛かる直前でぎりぎり停止した。
「何とか上手くいったな」
秋斗は後輪の壊れた貨物車両に目をやる。摩擦で赤熱したタイヤからは未だに煙が燻っていた。
しばらくして先程別れた警察車両がやって来る。
「お疲れ様です!」
無事停止した貨物車両を見て、彼らの表情には安堵が浮かんでいた。
「いえ、このくらいならお安い御用です」
秋斗は率直な感想を述べる。RMAにより筋力を底上げした今、秋斗は大した労力をかけずとも驚異的な身体能力を引き出せる。
「それでも助かりました」
やはり公安局の特殊部隊はさすがですね、と警官は笑みを浮かべる。そう言ってもらえると秋斗も仕事のし甲斐があると言うものだ。
ベルトにつけた懐中時計を確かめると、
「では俺はこれで戻ります。そろそろ迎えも来ると思うので」
一足先に撤収させてもらうことにする。
「わかりました。あとは私たちに任せてください。お疲れ様でした」
そう言って警官は敬礼をする。秋斗も敬礼を返し、近場の側壁から飛び降りた。
「やっぱり凄いなぁ。公安局の特殊部隊は」
残された警官が秋斗の飛び降りた側壁を見ながらポツリと漏らす。
誰の耳にも届かない小さなつぶやきは、雪が降りしきる空気の中、静かに吸い込まれていった。
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