第7話 「皆さん、生きて帰りましょう!!」

 メルキスの街に駐在する二足で歩く犬人コボルトは執拗に鼻を嗅ぐ。

「どうだ?」

 その様子を見ていた豚人オークが尋ねると犬人コボルトは不機嫌そうに返す。

「うるせえな。今やってるところなんだから少し待ってろよ」

「へいへい」

 すんすん、と石畳や近くの壁に鼻を擦り付けながら首を傾げる。

「ここでも無ぇ……お?」

 ぴくん、と犬人コボルトの鼻が震える。

「こっちの方から……新しめの臭いが……」

 彼はその匂いの元を辿っていくと、一軒の家―――彼は知る由もないが、マリアの生家に目をやる。

「こいつかぁ……。へへへ」

 彼は舌を出して喜びの表情を浮かべる。

「女の臭いだ……。しかも若ぇぞ」

 犬人コボルトは仲間の豚人オークに声を掛ける。

「おい。隊長に伝えてくれ。それらしい臭いを見つけたってよ」

 豚人オークもまた嗤う。

 彼らはこう考えているのだ。

 また人間を嬲る機会を得たと。


 集落に警鐘が鳴ったのは、それから数刻もしない間のことだった。

 日の上り切っていない頃、住人の一部はそのけたたましく鳴り響く鐘の音でたたき起こされていく。

 一番最初に集落の木を組んだだけの住居から飛び出してきたのはマリアだった。

 彼女は装備を整えた状態で集落の入り口に目を向けている。

 彼女に続いて武装した男たちが一人、また一人と彼女の元へ集まる。

「勇者様!防衛隊20名、全員揃いました!」

 彼女にそう告げたのは城の元衛兵の一人で、防衛隊の隊長に任命された青年だった。

「ご苦労様です」

 マリアは視線を入口から彼らに移す。

「皆さん、よく集まってくれました。もうすぐ魔物の集団がここに攻め入ってくるでしょう」

 彼女の言葉を聞き、何人かの身体がぴくりと震える。

 そんな彼らの様子に気付いたのか、マリアは微笑を浮かべる。

「皆さん、戦いは怖いですか?」

 彼らは誰も答えない。どう答えるのが彼女の求めるものか分からなかっただろう。

「私は……怖いです」

 マリアは自身の胸に手を当てて呟くように言う。

「戦い、剣を振るうことで失われる命が。私がいくら手を伸ばしても届かない救いの手があることが。常に怖いです」

 けれど、と彼女はその言葉の後に続ける。

「私が最も怖いのは、何もしないことでより多くの命が失われることです。私が助けられるのは一人かもしれない。二人かもしれない。それでも、やらなかったら誰も助けられません。私は、それを悔やみたくない」

 防衛隊の誰も、何も口にしなかった。皆、彼女の言葉に聞き入っている。

「皆さんもきっと同じだと思います。皆さんが何もしなければ、この集落は無慈悲に、無惨に終わるでしょう」

 すぅ、とマリアは息を吸い、吐く。

「私ではありません。ここに集まった勇気ある皆さん、それぞれが勇者なのです。絶対に守りましょう。我々の故郷を、家族を。そして願わくば、全員生還してください」

 マリアは言葉を締め括ると、深く頭を下げる。

「諸君!聞いたな!我々が最後の砦である!死んでも、いや!誰一人欠けることなく!魔物どもからここを守るぞ!!」

 全員が深く頷いた。


「私は空の敵を叩いてから敵陣後方より襲撃を掛けます。それまで深追いはせず、防衛に専念してください」

「はっ!」

 マリアは隊長にそう言うと微笑む。

「また、生きて会いましょう」

「ええ。勇者様も」

 拳を合わせるとマリアは振り返り。呪文を唱える。

重力制御魔法グラビレス

 ふわりと彼女の身体が宙に浮き、空に向かって飛翔する。

 マリアの狙いはまず、上空をうろつく鳥人ハーピーの先行偵察隊だった。

 こちらの戦力情報を知れらる前に彼女達を叩いておく。

 マリアは空中である程度の高さにまで来ると静止し別の呪文を唱える。

魔力武装具現化マジックウェポンマテリアライズ武器種・弓矢カテゴリボウアンドアロー

 唱えると、マリアの手にはうっすらと光る彼女の魔力で具現化した弓矢が顕現する。

 彼女はすぅと息を深く吸い、弓に矢をつがえると遠くに見える一羽の鳥人ハーピー目掛けて放つ。

 魔力で精製された弓はまるで実物のようにしなりを上げ、その矢は目標目掛けて寸分違わずその頭部を横から正確に射抜いた。

 悲鳴を上げる間もなく一羽の鳥人ハーピーが森の木々に巻き込まれるように落下していく。

 マリアはそれを確認すると場所を変え気付かれる前に一羽、また一羽と鳥人ハーピーを撃ち落としていく。

 その精度は百発百中、一撃必殺という他なかった。


 一方森へ足を踏み入れた犬人コボルト達は突如鳴り響いた鐘の音に一度は驚いたものの、すぐににたりと笑いを浮かべる。それは自分たちが『狩る側』であるという思考からくるものだった。

「当たり、ってことだよなぁ」

「ああ。どうしてやろうか人間共」

「食っちまうか?」

「大将の許可無しで食うのはマズくねぇか?」

「一人や二人なら分かりゃしねぇだろ」

「食うならやっぱオスよりメスだろ」

「若さも大事だよな。やっぱ若い方が脂が乗ってるっていうかよ」

 彼らは口々に戦いの後、人々をどうするかでああでもないこうでもないと論争を広げる。

 だからだろうか。遠くの方で木々が揺れ、それが鳥人ハーピーの討ち取られた音だと気付くのが遅れたのは。

「あぁん?」

 そして彼らの眼前には武装した集落の防衛隊。

「はっ、やる気じゃねえか人間の癖によ」

 犬人コボルトの一匹が舌なめずりをする、その間に。

「弓兵隊、放てぇっ!」

 彼らの頭上から弓矢が降り注ぐ。

「ちっ!!」

 犬人コボルトの毛は硬く人間程度の作った矢で簡単に傷付くほどやわではない。そう。弓矢でなら。

「やった!効いてるぞ!」

 防衛隊の弓を放った男が声を上げる。

 彼らが手にしているのはこの森の木で作られた弓ではない。

 防衛隊20名の内、弓兵は僅か5名。だが彼らが手にしている弓は一つ一つが違う物だった。

 そう、彼らが扱っているものはマリアが旅の途中で手に入れた、貴重な素材で出来た特別な弓だった。

 例えばそれは、樹齢数百年を超える神木から作られた神秘を携えた物であったり。

 例えばそれは、風の精霊の加護を授かった物であったり。

 例えばそれは、ある職人が生涯を捧げて鍛えた機械仕掛けの物であったり。

 例えばそれは、ある国で邪竜を封じたという伝説を持つ物であったり。 

 例えばそれは、地に堕ちた星の一部分を使って作られた物であったり。

 それが、只の犬人コボルトの毛を貫通し、彼らの肉に深々と刺さる。

 犬人コボルトは亜人の中でも身体能力が特別高いわけではない。

 彼らの多くは革の胸当てや人間から奪った鉄の剣や盾で武装しており―――遠距離からの攻撃で傷付きはしたものの、致命傷には程遠かった。

「やってくれんじゃねえか―――!!まずはてめぇらからぶち殺して腸引きずってやらぁ!!」

 犬人コボルトの雄叫びが森の中に響く。

「来るぞ!密集隊形!一匹も通すな!!」

 防衛隊の応!!という声が重なる。

 メルキスの集落を掛けた戦い―――人類の反撃開始の一戦は、わずか数十人の規模で幕を開けた―――。

 

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