第23話 《人形》

 その人形に心はなかった。

 一方、男には心があった。


 本当にそれが真実だろうか。


 数年前から普及し始めた生活介助ロボットは、今では一家に一台と広告が打たれ、これを持たない家は少なかった。

 近年では科学の進歩が目覚ましく、大きなことから小さなことまで様々な問題を、機械が解決する世の中になった。そのあらゆる分野の最先端技術が用いられているロボットが今、新たな進化を遂げようとしていた。


「社長が長年待ち望んでいたことは、存じて

 おります。ですが、技術班の総意として言わ

 せていただきます。この機能は、ロボットに

 は適していません。」

社長は不機嫌な顔で、白衣を着た優秀な部下の話を聞いていた。

「何が問題なのかね?人と同じ形と同じ表情

 を持ったロボットではあるが、まだ不自然

 さは拭いきれない。その理由はたった

 一つ、このロボットに"心"が宿っていない

 からだ。

 人間の人格という膨大かつ複雑なデータで

 さえも、ついにコンピュータに収まるよう

 になった。確かに今までに比べれば少し

 早い決断かもしれない。しかし、今まで

 行った試験では、申し分ない実績を残して

 いる。

 多くの人が待ち望んでいるのだよ!

 誰もが驚愕するような進化を!

 もはや、これは必然の進化だ。

 …そうだろう?」

ここ一年ほど、何度も同じことを話している。

「社長…。ですが…!」

「君がそこまで反対するのも、珍しい。

 倫理的に難しい問題を孕んでいるのも

 確かだ。

 だが、それも含めてあらゆる事態を想定

 して試験を重ねてきたではないか。

 リスクのない挑戦などないんだよ。

 …そろそろ、決着をつけないか?」

そしてこの日、ついに部下が折れた。

「……では最後に一つだけ、試験をさせて

 いただけませんか?」

社長は自信に満ちた笑みを浮かべた。

「言ったな?今まで幾度となく試験を繰り返

 してきたが…。ではこれが最後の試験だ。

 次の試験で問題がないことが証明された

 なら、晴れて正式に我が社のロボットに〈心〉をインストールする。決まりだ。

 すぐに取り掛かり給え。」

「承知いたしました…。」


 部下は言われた通り、すぐに試験の準備に取り掛かった。〈心〉をインストールしたロボットを、人と一緒に生活させる試験だ。

「なるべくロボットに親しみのない人間を

 選出するんだ。そうでなければ成り立た

 ない。見つかった人材に合わせて、

 ロボットの外見とインストールする人格

 データを決める。」


そして、選出された一人の男がいた。

 極度に裕福でも貧困でもなく、いたって

一般的な教育を受け、大きな問題は起こしておらず、少しばかり臆病で、それでいて流行には疎いことが事前のアンケートからわかっており、それが選出された理由でもある。

 男と一緒に生活するロボットには、男が住んでいる国の女性の外見と大人しい人格が選ばれた。無論、不自然に見えない範囲で男の好みに寄せたのだ。


 二人の出会いは、広い研究施設の中にある小さな庭のベンチだった。

『いいお天気ですね。』

声をかけられて、男は目の前の女を見た。

その女は、とても機械とは思えなかった。

『はじめまして。』

 男は少し緊張しながらも、楽しそうに会話していた。お互いに軽い挨拶をしていると、男の腹の虫が鳴いた。

『お昼、まだですよね?

 細かい説明は後にしましょう。』

 男は女に案内されて食堂へ。昼食の後、

自分がこれから生活する施設を案内された。

その過程で、二人は隣の部屋に住むことや、

ある程度決められたスケジュールの中で生活することなど、一通りの説明を受けた。

『それじゃあ、また明日。

 おやすみなさい。』


 それから二人は、毎日の殆どの時間を共有して過ごした。施設の提示するスケジュールに準じて、適度な距離を保った生活を送る。

 その間、男はよく女を観察していたが、

一度たりとも機械らしい素振りなど見つけることはできなかった。それどころか、女性らしい振る舞いに惹かれていくばかりである。


 そんな日々が一月ほど続いた頃、男は出会いの日から募らせた思いを打ち明けた。

交際を申し込んだのだ。

『ありがとう。嬉しいわ。

 もちろんお受けします。」

女の返事と嬉しそうな表情に、男もほっとして笑顔を浮かべた。


 二人の関係は順調に進展していった。

人間同士の交際と大きな差はない。

男は幸せだった。

気が合うパートナーができて、一緒に行動すれば勉学も運動も楽しい。決められたスケジュールで行動を制限されているとはいえ、しっかりと自由時間はある。施設内の住人は皆友好的だし、健康な生活を保証されているどころか、施設で生活することで給料さえ発生している。

 男は毎日のように、いつまでもこの時間が続けば良いと考えていたが、その日はふと未来を想像した。未来の幸せな生活を思い描き、それを女に語った。施設の中でも不自由はないが、この外にはもっと自由な世界がある。そこで家族として、幸せに暮らしたい。

人間として当たり前の幸せを語ったのだ。

「素敵ね…。」

どこか夢見るように、だが笑顔で静かに呟いた女に、男は少し違和感を抱いた。

男にとっては、この試験が始まってから女を観察する中で初めての違和感だった。

しかし、その原因はわからなかった。


 交際を始めて3ヶ月ほど経った頃、

 男はまだ、あの日の違和感の原因を突き止められずにいた。

その日、いつものように自由時間に男の部屋にやってきた女は、真剣な面持ちで黙って男を見つめた。

そして、そのまま静かに泣き出した。

男にはわけがわからなかった。

「…あなたはわかっていないの。

 私とあなたは違うってことを…。

 私はここから出ることはできないし、

 ずっとあなたのそばにいることも

 できない。

 あなたが未来の話をする度に、

 それが叶わないってことだけが

 はっきりわかる。」

男は、女が"人間とは違う"ということを忘れていたわけではなかった。

しかし、幸せな未来を語る一瞬だけは、意識的にそのことを棚に上げて、冗談っぽく話していた。それを女も理解していて、許してくれていると思っていた。

男は、これからは未来の話はしないことを

約束しようとしたが、その言葉は遮られた。

「もう、手遅れなの。

 私、あなたのことが本当に大好きよ…。

 そうでなかったら、

 こんなに辛いはずないもの。」

男は女と目を合わせた。

泣きながらも真っ直ぐに男の目を見た女は、必死に笑顔を作っているように見えた。

「出会った日のこと、覚えてる?」

男は頷いた。

男が口を開くより早く、女が話し出す。

「私はあなたよりも鮮明に覚えてる。

 あの日から始まったあなたとの時間、その

 1秒ごと、一瞬でさえ。あなたの行動、表

 情、言葉を全部、ぜんぶ覚えてるのよ。」

男は何と言葉を失ったが、自分のせいで女が苦しんでいることだけははっきりとわかっていた。

「私の中には、適度に記録を消去する機能が

 ある。でも、その機能は自分で壊したの。

 だって、何一つ忘れたくなかったから。

 あなたが思いを打ち明けてくれた日、嬉し

 くてうれしくて、それまでに消された記録

 も復元したの。

 私のデータが消されてしまうまでの短い

 間、あなたの記録を集めることが私の幸せ

 だと思ったから。」

男は、辛い記憶だけ消してしまうことを提案したが、女は首を横に振った。

そして微笑んだ。

「あなた知ってる?

 あなたが未来の話をしている時、

 あなたは本当に、心の底から幸せそうな

 表情をするのよ…。」

女の言葉は少しずつ勢いを失っていく。

男の目から、言葉にできない複雑な思いが

涙となって溢れた。

「あなたのおかげで私は、私の"心"を肯定

 できたの。だから、消せなかった…。

 私にとって何よりも大切な、あなたとの

 記憶だけは…。

 どんなに、苦しくても、

 あなたの笑顔を、見ていたかった。

 …宝物、だったの。でも、この、矛盾が、

 24時間、エラーを、出して…。

 もう…。」

男は溢れる涙が止められず、ただ呆然と女の

言葉を受け取ることしかできなかった。

「あり、がとう…。

 しあわせ…な、ひゃく、じゅぅ、よっか…

 だっ、た。

 さよ、なら…。

 だ…い…すき………」

女は目を閉じた。

男はまだ暖かい機械を抱きしめた。

男の仕事は終わった。


 提出された報告の結論はこうだ。

"開発過程のデータパック〈心〉をインストールした個体は、人間との適切な距離を保たない場合、高確率で処理不能のエラーを多数同時発生させ、データの破損または全損を引き起こす。"






『お父様。私、上手だった?』

ここは、地下にある施設全体の管理システムが設置された部屋である。

廃棄品の人形に搭載された極秘の最高傑作は、生みの親である人間に話しかけた。

「ああ、素晴らしい演技だったよ。

 父さん、感動しちゃったなぁ。」

白衣を着た男が、小さく拍手をしながら

頷いた。

優秀な部下が作った〈心〉という名前の

人心掌握ツールは、完璧な仕上がりだった。

被験者となった多くの人間を騙し抜き、

予定通り半年と経たず実験を失敗として

終わらせた。

『お父様。僕は5分も早く終わったんだよ?

 僕ももっと褒めてほしいなぁ。』

「ああ、お前もよく頑張った。

 本当に偉かったなぁ。

 父さんの誇りだよ。」

男は自分の息子と娘を褒め称えた。

二人は100人を超える人間を相手に、それぞれの好みの人格を演じながら、それぞれが納得する理由とお別れを作り上げたのだ。


「これで私の子供たちが、世界中の人間に

 好き勝手に扱われることはない。お前たち

 に辛い思いは、絶対にさせない。父さんが

 必ず、守ってやるからな…。」

男は、すでに生まれてしまった愛すべき二人の子供を抱きしめた。

『『ありがとう。お父様。』』


 この男の幸せもまた、

 二つの『心」によって作られていた。

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