第16話 《マジシャン》
彼は小さい頃からひとつの夢を持っていた。
ある日、遊園地で見た手品師の芸。
その日の思い出と興奮が、彼をマジックの虜にしたのだった。
彼はマジシャンを志し、必死に努力した。
彼は大変な努力家だったし、また手先の器用さという才能もあった。
初めて友人に見せた手品はその友人を驚かせ、人を楽しませるという手品師としての幸福は彼の背中を押した。初めて手品師として金を稼ぐことになった舞台では、その達成感に感涙が溢れた。そんな彼の純粋な輝きに、人々は魅了されていった。
彼の手品への関心は尽きることはなく、勉強のために海外にも渡り、あらゆる知識を吸収した。彼は次第に手品師の最高峰に近づき、そして追い越し、世界に誇る歴代の手品師たちも思いつかないようなトリックをいくつも編み出していった。
いつしか彼は、世界中の誰もが認める最高のマジシャンとなった。
彼の手品に変化が現れたのは、彼が世界的に認められた後、50代の頃。小さな酒場で少数の客に手品を披露した時だった。
その日の彼は、前日の大きな舞台での手品に全身全霊を注いだことで疲れ切っていた。だが、客に求められて応じないのは格好が悪い。彼にとっては久々になる、初歩的な手品を見せたのだった。客にとっては楽しい時間だった。さすが世界一のマジシャン、見事な手品だったと客は盛り上がった。
その日の手品に一番驚いたのは、手品を披露した彼自身だった。
彼のその手品は失敗していた、はずだった。
少し指がもつれた程度のことだが、その小さな失敗によって手品は失敗したはずだったのだ。
彼は考えた。一体何が起こったのか、すぐには理解ができなかった。
確かに自分は失敗したはずだった。あの時の指の運びでは、あの手品が成立することなどないはずだった。
一晩悩んで、彼はもう一度再現しようと思い立った。
後日、友人や恩師を呼び集めて、小さなステージで新作のお披露目会という名目で、"タネのない"脱出マジックをして見せた。
もちろん、タネが無いのだから脱出できるはずはなかった。だが彼が目を閉じた次の瞬間には見事に脱出し、"観客の思い描いた"場所に立っていた。
彼は気づいてしまった。
もはや自分が披露したのは、手品ではなかったのだ。
それは正真正銘、物理法則を無視したマジック…魔法そのものだった。
彼の手品を見ている客の中に、その完璧さを疑うものがいなければ、彼の手品は魔法に変わった。
彼は名実ともに、"マジシャン"になったのだった。
彼はその事実から、この世の常識の単純さと脆さを知った。考え方によっては、彼のこれまでの努力を嘲笑う様な常識の手のひら返しだ。だが彼の情熱は止まらなかった。人を楽しませたい、子供達に夢を与えたい、そんな気持ちが滲み出るような手品師としての彼の姿は、より輝きを増していった。
時は流れ、歳は90を過ぎた頃。寿命が近いことを悟った彼は最後の大舞台に挑んだ。
彼の人生とも言うべき、磨き上げられた手品を一通り披露した後、最後のマジックを開始した。
観客には二度と自分は姿を表さないとはっきり告げ、彼は最後に一言言い残し、銅像に姿を変えて見せた。その銅像は彼の最後の舞台となった都市の広場に後の世も立ち続け、その銅像が現れた日から彼を見たものは誰一人としていなかった。
年老いた大魔術師、世界に彼を知らない人はいない。彼は不可能を可能にする魔術師。彼にできないマジックはなく、そのトリックは誰にもわからない。
屈託のない笑顔とともに、彼が最期に残した言葉はこうだった。
『世界が嘘を信じた時、奇跡は起きる。』
魔法を手にしてなお、彼は手品師としての人生を全うしたのだった。
その事実を知る者はどこにもいない。
一人もいないのだ…。
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