第3話 《卵生活》
ある日を持って人類の食事は変わった。
無名の科学者がある学説を提唱し、それが世界中のありとあらゆる学者を唸らせたのだ。
その説を大雑把に説明すると次のようなものである。
"有精卵はやがて動物に成長する。故に、生き物に必要な全ての栄養を含んでいる"
この説を否定できる説は何一つとして見つからず、瞬く間に世界の常識になったのだった。
そしていつしか、世界に溢れるありとあらゆる食事は全て卵料理になった。
その過程で、多くの動物たちが卵を産むように品種改良された。牛も豚も馬も猪も鹿も、肉ではなく卵を食べる。味は改良に改良を重ねられてきた調味料たちによって、過去の食文化では考えられないほどのバリエーションが生まれていた。
卵を食べる人間達はより健康になり、世界の平均寿命は革命的に伸びた。あらゆる動物が卵を生むようになったので食糧難はなくなった。全ての人類は腹を満たし、世界を幸福感が満たした。それによって戦争もなくなった。戦争がなくなって、地球上の人口爆発が起きても地球外への移住が可能になった現代である。人口が増えることにはなんの問題もない。
世界…いや宇宙の人々の卵生活によって、期せずして人類念願の世界平和は成就したのだった。
さて、そんな平和な宇宙のどこかに、前時代の食文化を知るとてもとても長生きなご老人がいた。年齢などとうに忘れてしまったご老人だが、唯一忘れないことがあった。
「……夕食の時間だな…。あれを…。」
と近くの召使いに声をかけると、ほんの数分後には、
「お持ち致しました。」
と召使いは食事を運んできた。
ご老人の前に現れたのは、今では物好きな金持ちの楽しみとなった、噛まずとも舌の上で溶けるような"ステーキ"であった。
人間の三大欲求の一つ、食欲。
一度知ってしまった、科学的には卵よりもずっと体に悪いその味。ご老人はそれに抗う術を知らなかった。
「ああ……うまいなぁ…。…うまいなぁ…。」
人類に忘れられたその罪の味は、ご老人の最期の楽しみとして、彼の胃の中に落ちていくのであった。
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