#08 なくした言葉のこと
親愛なるきみへ
お久しぶりです。お元気ですか。
ぼくは元気で過ごしています。
夏の森は忙しいです。庭の草はすぐに伸び放題になってしまって、草刈りのための道具がどこにあったかも分からなくなってしまうくらい。
ハーブもいっぱいとれたから、これからのお茶の時間が楽しみ。
お茶を飲むとき、もしきみがここにいたらどんな話をするんだろうって時々考える。
話したいなって思ったことを、せっかくだから手紙に書きます。
このあいだ、森から歌が聞こえてきたんだ。
◇
森のなか、どこからともなく聞こえてくるのは誰かの歌声。
同じメロディを繰り返しながら、一度も同じ言葉では歌わない。
やがて、こんな歌詞が聞こえてきた。
「おもーいーだせなーいな~」
途方に暮れて空を仰ぐのは、背の高いひと。
「思い出せないの? それとも、そういう歌?」
「ううん、違う。なんだったっけなー」
考えごとに気を取られていたそのひとは、ぼくに返事をしてから「わあっ」て驚いて、ずれた眼鏡を押し上げた。
「君、どうしてこんなところにいるの。今の聴こえてた?」
「ぼくはこの先に住んでるの。今の歌、聞こえてたよ」
お客さんは、リードって名前だった。どうしても歌詞が思い出せない歌を口ずさみながら散歩をしていて、気づいたら森にいたんだって。
「この歌のこと、思い出したいんです。全部歌いたいのに、どうしてもつっかえてしまう」
リードは歌手なんだ。
たくさんのお客さんの前で歌をうたう。
でも、歌詞を思い出せない歌のことが気がかりで、最近はうまく歌えないんだって。
どうしても自分で思い出したくて、もう何日も悩んでる。
「誰が作った歌か、覚えてない。いつどこで聴いたのか。どうして知ったのか。中途半端に思い出して、ずっと落ち着かない気持ちだ。でも、ひとに聞くのはどうしてか躊躇われる。なんだか秘密を感じるんだよ」
思い出すきっかけになればと思って、いろんな場所に案内したよ。
歌詞がおぼろげなその歌に乗せて、リードはたくさん歌ってくれた。
夏の湖。水面が強い日差しを受けてきらきらしている。
「水面が綺麗だな」って歌ってくれた。
サンルーム。なかに入ると汗ばむくらい暑いから、少しだけお茶をした。
「お茶がおいしいな」って歌ってくれた。
鳥篭の部屋。たくさんの鳥たちに驚いて、珍しそうに眺めたあと。
「鳥がかわいいな」って歌ってくれた。
だんだん楽しくなってきて、ぼくも一緒に歌ってた。
いろんな気持ちを曲に乗せて、歌ってみた。
そのうち、鳥篭のなかから歌が聞こえた。
そこにいたのは灰白色の大きな鳥。お喋りが大好きな、かしこい鳥。
尾だけが赤くて、火のついたろうそくをさかさまにしたみたい。
ゆらゆらと身体を揺らして、音楽に乗っているように歌う。
ぼくたちが歌っていた曲に乗せて、ぼくたちが歌わなかった言葉で歌う。
「……それだ!・ ああ、思い出した」
と、リードは言った。
「思い出したよ、ルクレイ。そうだ、この歌詞だ」
リードはしばらく鳥の歌に耳をすまして、懐かしそうに眼を閉じる。
「そうだった……この歌は私が昔作っていた歌。でも、ずっと忘れていたんだよ」
リードは昔、作曲をしていたんだ。
でも歌うほうの仕事ばかりが忙しくなって、曲を作ることから遠ざかってしまった。
「あの頃に作り残した私の歌だ。でもなぜこの鳥が知っているんだろう? 完成しなかったから、まだ誰の前でも歌っていないんだ。私ひとりの部屋でしか」
「もしかしたら、ずっと見えないところで、そばにいたのかも」
「だとしたら不思議な巡りあわせだね。こんなところで再会するなんて。でも、おかげで歌が完成しそうだよ」
リードは森で一晩過ごして、一曲の歌を完成させた。
翌朝、まだ陽射しが強くなる前。
庭でぼくと灰白色の鳥に歌を聴かせてくれた。
こんな天気のいい朝にずっと聴いていたくなるような、気持ちのいい歌だった。
鳥は心地よさそうに身体を揺らして、一緒に歌をくちずさんで、やがて大きな翼を広げて飛び去っていった。リードも同じ方向へ帰っていたよ。
◇
素敵な歌だったんだ。ぼくはとても気に入った。
きみにも聴かせてあげたいと思った。
手紙でも歌を伝えられたらよかったのに。
もしきみが森に来ることがあれば、そのときはぼくが歌ってあげる。
でもきっとうまく歌えないから、いつかどこかできみの耳にも届くといいな。
それじゃあ、また手紙を出します。
歌はむずかしいけど、文字ならぼくにも届けられるから、また書くね。
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