第3話 マイナー作家の小説
コーヒーショップで突然店員から声を掛けられた。声を掛けてきたのはマレーシア人。
日本人ですか?
珍しいこともある。
大体自分は中国人と思われ、違うと言えば次に韓国人かと訊かれるからだ。
ここへやってきた来た当初はそんなことがなかった。いつでも日本人であることが周囲にばれていた。
なぜ最近日本人と思われないのか不思議だったけれど、一つ気付いたことがある。
ここに六年も住んでいると、いつの間にか身につける物全てが現地調達品になっていることだ。
シューズ、服、時計、メガネと、こういった物が全てこちらで買ったもの。
そして散髪は、最初は敬遠していたインド人のやっている超ローカルバーバー。これがめちゃくちゃ安い。その代わりひげ剃りも洗髪もない。
知り合いの日本人が、そんなに安いならとインド人バーバーに髪染め液持参で髪を染めてくれとお願いしたら、気持ちよく引き受けてくれたものの洗髪はないと言われ、カチコチに固まった鉄腕アトムのような頭で自宅へ帰る羽目に。
彼は「えろう恥ずかしいわあ」と関西弁で喚いた。
さすが超ローカルバーバー。料金はニ百五十円くらい。
とにかくこうやって僕はじわじわ現地化し、現地人から見ても現地人に見えるようになったらしい。
話しを戻すと、コーヒーショップ店員に日本人であることが見抜かれていた。
その彼によれば、年配の日本人に部屋を貸していたが、そのご老人が日本へ一時帰国している間に亡くなってしまった。
仕方なく自分で部屋を片付けたが、彼が愛読していた多数の日本語小説だけは捨てるのがしのび難い。読んで頂けるならただで譲りたい。
こんな要件だった。
おそらく彼は、数々の本にご老人の魂が宿っているように感じられたのだろう。
愛読書というものは、そういうものかもしれない。
じっくり時間を掛けて、ご老人の感動や共感や涙や笑いを誘った本。
何かが宿っているような気になるのも理解できる。
僕は日本の活字には飢えているから、それは是非にと彼の部屋へお邪魔して、車のトランク一杯分の本を貰った。
全部でハードカバー本がニ百冊くらい。
我が家に運び込むのも一苦労だった。
こうして僕は、急遽向こう一年分くらいの未読蔵書を抱えることになった。
よく見たらマイナーな作家の小説も多い。しかし出版社はそれなりの大手。
一先ずメジャー作家の作品を中心に読み進めた。
どれも面白い。あっという間に読破。
自分で選んだ本ではないから変な偏りがない。だから新鮮さもある。
残るはマイナー作家の作品。ここで言うマイナーの定義は自分が全く知らない作家。
ただし自分の読書量はそれなりにあるので、自分が知らなければ少なくとも書店で平積みになる作家ではない。
それでもとにかく読み始めた。
読み始めて僕は唸りに唸った。その辺のメジャー作家より独創的で面白い。素晴らしい。目立っている作家より味わい深い。
どうしてこんな作家たちが埋もれているのか。いや、実は埋もれているのではなく、自分の視野が狭いのか。こんなに凄い作家たちの本でも書店で平積みにならないのか。
衝撃的だった。
プロ作家のレベルの高さをまじまじと見せつけられた。
自分の小説などケツの青々とした赤子以前。変に煮詰まっているから将来性もない。
だめじゃん。決定的にだめ。
謙遜など微塵もない。参りましたとひれ伏すしかない。
別にプロになろうと熱烈なわけではないのに、なぜかへこんだ。
しかし本の所有者だったご老人は、そんな自分に天国で微笑んでいるような気もした。
彼の愛した数々の本が真剣に読まれ、そして何かを他人の中へ残したわけだから。
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