胎動するひかり

からつき七緒

胎動するひかり


せかいの胎動が聞こえる、と嬉しそうに彼女は言った。


今、彼女の腹の中にはせかいがいる。新しいせかい。これからかみが出来るのよと目を輝かせて言う。

そうか、すべてができて初めてかみさまも出来るのか。



ほんとうは、彼女はなんにも知らない。すべてのことを私に語って聞かせてくれたけど、彼女はわかりたいことをわかりたいように知っているだけで、ほんとうのことはなんにも知らない。


もしかしたら彼女こそ神なのかもしれない、と私は思う。


そうじゃない?と聞くと、わたしはなりたくないなあと曖昧に笑って膨らんだ腹を触った。





その日もずっと雨が降り続いていた。雨の音は部屋からこぼれそうなほど満ちていて、だけど彼女の声は混じらずにそこにあった。


なんでみんな死ぬの、とつぶやいたから、それはしばらくして呻き声になった。




彼女が育てていたウーパールーパーは死んだ。朝起きて、水槽をのぞいたら腹を上にしてぷかぷか浮いていたらしい。調べるとぷかぷか病という病名が出てきた。(それは浮遊病とも呼ばれる)。


世離れしたその姿にその病名を当てた人は正しい。私は何度か彼女のウーパールーパーを見たことがあった。半透明のやわそうな肌は、彼女の慈愛を受け続けるには少し敏感すぎた。赤白い半透明の体はもう白く濁り、水に沈めても元には戻らない。


後処理は私がした。水槽は、水を替えて元の場所に、死体は川に流してやった。川に流したの?この雨できっと迷子になってしまうね、と彼女は言った。




彼女の部屋に電気はない。電球を外した穴だけがぽっかりと空いている。前は水槽のポンプがぶくぶくと泡を吐きながら弱い青白の光を放っていたが、今はそれもない。


窓は天井近いところに、細く、東に向かって開いていた。朝にだけ光を通し、あとは白くぼうっと壁から浮かんでいる。


静かで、暗い、底のような部屋。


もっとも今は雨音がしつこく響いていたが、それがむしろここの静けさを浮き上がらせているように思える。


ウーパールーパーの死以来、私は毎日この部屋にいた。




彼女は慈愛を向ける先を失っていた。自分以外の存在を求めていて、そしてちょうどよく私はそこにいた。これは利害の一致だった。彼女はきれいだし、見ていて悪い気持ちはしない。彼女はそれに、形を求めているだけでその中身を求めているわけではない。


だから彼女と私は、呼吸するように話し、食事するように触れ合った。






彼女はひんやりとしていた。

それはコンクリート張りの部屋の壁に触れた時のような、しっとりとしたおおきな冷たさ。反響するようなその声は紛れもなく彼女のうちで響いているのであって、その外壁たる体はおしげもなく思想を与えられていた。




誰も死なない世界になりたい。

誰も、誰かからいきなり生まれたりしなくて、だから、生まれないし、死なない世界。

人は生まれることが罪なの?いいえ生んだ人が罪なの。

連鎖してもうどうしようもないところまできて今のところ末端であるわたしは罪でしかないんだわ。

この意識がきっと唯一の救い。

わたしはこの世界のすべての罪を赦そうなんて広大無辺なことは考えていないむしろ、この世界を捨ててしまいたい。

生まれずに、死なない世界。わたしはそれを見てみたい。




それは雨、にしてはやわらかすぎるが、大くくりに言って近いものだった。止まない雨はないというけれど止むまで雨は降り続くものだ。


それが仮に永遠から湧き出てくるものだったらもうしばらくはこのまま、その土地が満ちて砕けてしまうまで続くだろう。


屋根を叩く雫らの音は聖歌の合唱のようで、なにもかも足りない部屋を慈愛のように埋めつくしていた。




彼女は体を預けるのが得意だった。


それは重さも熱も感じさせないし、匂いもしないし、味もしない。だからきっと気づかれないと、気に留められないと、知っているのだろう。


それでも彼女は、あらん限りの重みで、のしかかることをたまにする。


そして、この世界は一度おしまいになっていいと思うの、と言った。


もう何回も聞いたよ、大丈夫。あなたがそう感じていることを私は知っている。


いいえ何も知らない。わたしが言っていることは始まることと同義なの。


始まり?


そう、あたらしいせかいのはじまり。


始まるの?


そう。


どこで?


ここ。


誰が?


わたし。


あなた?


そう、わたしが作るの。




その言葉は透明。

その瞳は真昼の光を受けたみなも。

ちらちらと光る。


開いた瞳孔は深い海のようなのに、そこでは光が軽々しく息をしており、いたずらっぽくこちらの瞳孔を貫く。


しかしそれは重い。受け止めなければならなかった。



だから私は、


いいよ、


と言った。




空が白むと、雨は止んでいた。薄暗さは部屋の隅で息をひそめていた。


それまで曖昧になっていた様々な境界がはっきりとし、ものとものが互いを区別しあっていた。




彼女の体は重たかった。


ごめんね、と言って上体を起こした彼女の肌は乾き、唇はひび割れていた。眼もあの時の光はなく虚ろに睫毛を伏している。


彼女の周りだけ境界は曖昧なままで、薄闇に取り残されているようだった。


髪を梳きながら、その心地よい暗さにだけ目を馴染ませた。





ウーパールーパーの生殖は、二者間では行われない。メスが水底に落ちている精子を取り込んで体内で受精させる。ふわふわとした綿のような精胞。メスはその中からどれか一つを選んで呑み込む。


なんて整った性交だろう。そこに愛情も感情も快感もない、汗も熱も伴わない関わり。


それでいいのにね、羨ましい。

人間は感情ごっこでまたつぎの起爆剤を生んでしまうんだから馬鹿だ。


それならなぜ、いやどうやって、あなたはそれを体に宿したの?


彼女は何も答えなかった。




なにも彼女だけが妊娠するわけではない。この世界にはたくさんの肋骨があるわけだから、人が増える可能性はごまんとある。それは普遍的なことであり基本の形式だ。


彼女はそのなかで普遍でないことを選び、基本を作ることを望んでいる。だからこれに関して彼女は最初の人なのであって、そのことを知るのは自身と私以外いないのだった。




彼女は今、何も食べない。一切の外部を拒否していた。


不純になったらいけないからと言って、だけど水だけはいいのと言って半透明のグラスからこくこくと飲む。


水はわたしたちのおおもとだからいいの。




彼女は、不純なわれわれをひどく嫌っていた。彼女は誰彼に依って生まれた生命を嫌っていた。


誰かの意思と、その性質と、二者の関係において生成された「もの」としての自分。


混ぜものとしての自分が、一つの自我を、まるで自分固有のものであるかのように操って、また何か混ぜものを生成するのかと思うと嫌になる。この世で純粋に潔白な生成は起こりえない。


だからせめて、わたしで終わりにしなくちゃね、と彼女はたびたび言っていた。それだからきっと、腹の子は純粋で混じり気のない子でなければならないのだろう。


いいえ、この中にいるのは子どもじゃない。

胎児を醜いと言い切る気はないけれど、わたしはあまり好きではないの。

だからもっと、無形で、広大で、それでいてあたたかくて、動かず、止まらないもの。


それって何だと思う?


私は知らなかった。




わたしのおなかの中にいるのはね、


きっと


せかいよ。





ああ


そうか、


せかい、




そうか、

たしかにそれ以外なんてない。


だってわたし、それしか望んでないもの。それにいいよって言ったから、あなた。

こうなる約束。

約束、というよりむしろそういう決まり。摂理。

始まりや終わりもなくそれは流れ行き立ち戻る途中の事象であって、きっとこれははじまりによく似た永遠なんだって、わたしは今朝起きて知ったの。


そう言って彼女はまだ平らな腹を撫でた。


これからどんどん広く深くなっていくその腹。


触れる指先はあの水棲生物のように白く、血を通わせながら透けていた。





ぬるい時間が流れている。


今ある時間は、この空間をうまく動けないようで、停滞したり躊躇したりしながら部屋を満たしていた。


それは彼女の呼気のせいだった。


人の心拍数は1分間に12〜18回と言われているが、彼女は20秒くらいかけて一つの呼吸をする。だから、その呼気に載せられているものが多すぎて、空間の中にむらができてしまう。


たとえばあの部屋の角は希薄だが、あの水槽の中にはわだかまっているといったような、ちぐはぐな具合。




そして今、また新しく吐き出されたのはそぐわなかった大気たちだ。


何度も何度も空間を入れ換え、そう換気みたいなもの、いちばん良いバランスを探っているの。

そして私が一回吸って吐くのにかかる時間が、新たな1分になる。


ゆっくりと、とても丁寧に息を吸って、(それは腹式呼吸)、だから腹が大きく膨らんだ。息を吐くとまたぺしゃんこになった。


まだお腹は大きくならないの?と聞いたら、今はまだ時間と空間を作っているところだから、と言ってはにかんだ。


彼女が泳ぐように四肢を滑らせるとそれに応えて、シーツは余波を空中に逃がしながらさざ波を結んだ。


そこに腰掛けるように促されたが触れるのが躊躇われたので、場の流れを崩さないように意識を平坦にして息を吸う。




ここはせかいの土台、あるいはせかいが出来る場。


無からいきなり形のあるものを生むのは少し急ぎすぎなので、少しずつかたちらしさを増していくのが創造というものだ。だからそのはたらきは、遠ざけることと同義で、われわれは最も遠いところに置かれてしまっている。


彼女も同じことをするならば、それは結局過ちの原因になる。


しかしそれは彼女の意思次第なので誰にも分からない。彼女もきっと知らないだろう、次に出来るもののことなんて。



寝て、起きて、伸びをすると、今なにが出来ているのかわかるよ。

わたしは今、朝も夜もわからないから、それは部屋に射す光を信じていないから、宿り始めて何日が経ったのかは分からない。

でもこれは、起きてみたら体調が悪くなってたり、逆に良くなってたりするのと似ている。知らない間にぐぐんとせかいは進んでいたりして、創造主なんてのは意外に何にもしてないのかもしれないって思うよ。




そういって彼女は目を瞑り、彼女なりの夜を迎えた。呼吸は1分に14回。


しゃべらず、うごかず、静止している彼女は人間そのものだった。


人間なのではじめに時間を作った彼女は責められるべきでない。


われわれは生まれてからここまで時間で規定されていて、だから時計が存在しない今なんて考えられない。


この時間というのはいま真夜中であるとかあと3時間後に日が昇るとかを示すだけが役割なのではなく、むしろ、いやこちらが本当に、それの結果であって、つまり時間というのは流れるものなのだった。


彼女はきっとそれに気づいていない。地点Aと地点Bという2つの点を内包しているその動きは、過ぎ去られたものも辿り着くものをも呼び寄せる。


それを知ったら彼女はきっと腹を切って死んでしまうだろうと思う。


だから私は新しくできた時間というものがそのままそこで息を止めることを願った。





それはいきなりのことだった。


ベッドのへりに腰かけた彼女は外に行きましょうと言って靴下を手に持っていた。ほんのり膨らんだ腹がつっかえるようで、不自由そうに足元に手を伸ばしていたからそれを手伝う。


彼女は笑っていた。ころころと、楽しそうに。


手に持っていた水をこぼしたからそれは頭に冷たく、その上から光を見つけなきゃいけないのという言葉が透過して、きた。




外は夜が近い。


もうすぐ人工の光で満たされてしまうよ。

ネオンが好きでした。


ほんとうはわたし、街のアクアリウムみたいな光の中で生まれたと思うの。

馬鹿ね。

細い管の中に閉じ込められたら、誰だって悲しくて輝きくらい放つよ。

わたしは自分の全てを光にしてしまいたかったのかもしれない。

それは幼い頃の夢。

光だけじゃなんにも見えないって知ってしまったから、いまは。

まっくらなひかりって知ってる?

わたしはそれを探したい。

それはとても眩しい。

きっと眩しすぎて見えない、ほんとうはどこにだってあるというのにね。

見えないということこそ見えるということ。

きっとあの街灯からちょっと進んだところに落ちてるんじゃないかって思うの。




窓の外の藍色なことを見留めて、彼女は立ち上がり、一歩踏み出し、そして崩れ落ちた。


血色のなく真っ白な体は重力に引かれて壁に抱きとめられた。


手を伸ばす。そこは穴だった。

彼女をすっぽりと覆ってしまうかのような暗闇。


この部屋すべてが彼女を包む虚であり明であった。


だから部屋は彼女が外へ向かうのを拒む。


腹の内と呼応するそれは、外と内と両側から彼女を在らせるためのはたらきだった。




彼女は恍惚としていて、伸ばした手は掴まれることなく宙をさまよった。


その目は外に開いているようで奥のほうに向かっており、その天高いところにある黒いかがやきを眼差しているのだった。



ああ、これがわたしの光。



暗がりに照らされるように宇宙があるとしたらわたしはその一辺に巻き込まれている。


注がれる乖離は無限で、だから永遠のひかりを招くことができるのね。


これは孤独?

際限のない小さな宇宙の片隅でひとり蜜を吸っているようなそんな気持ち。

好ましい。

これだけでよかったんだ。




わたしは四角い部屋の中でまっくらなひかりを見つけた。それを大きく吸い込む。腹はひかりとやみで満たされた。





朝起きて伸びをすると体のあちこちにわだかまりを感じて、たぶんこれは、膨れ上がるほどたくさんの情報が生み出されているということ。

情報、いえそれはむしろ音のようなもの、言葉に対する音の関係のように、情報を構成するその前のちいさな兆し。

だと思う。


なんだかざわざわする、と言って彼女はきゅうと縮こまった。


膨張する力のせいで散り散りになる体の部品を抱きとめているようで、それは、触れることによって自己を知り知らしめるための所作でもあった。




われわれは、自分が何でできているか、とか、どのようにできたか、とかを知らない。


知識として分かっていてもこの目で見たことはないから、それは知らないのと同じこと。


見て触れて知っていることでも内側からその実際を知らなければ、それは分からないのと同じこと。(そこに触れるのと触れられるのと二重の感覚がある限り、純粋で単一な認識はありえない)。




そう、他のなにかに、触れられて、はじめてわかる。

それは光。

あの光に照らされてはじめて形は形足り得るのだ、と思う。


それは同時に、光が照らすものを求めているということ。


光は常に闇とともに在るけど、むしろ一体のものだけど、例えば大きなビルとか、そういうものがあって初めて影は居場所を得る。

夜に沈むビルたちの窓の灯りは好きだった。

だけど、あのあたたかな生活が憎い。

遠くから小さな光が浮かぶのを眺めるだけでよかった。

わたしは毎晩眠りながら、ひたひたとビルをかかえている。




彼女は体を起こし手で水を掬って、ごくごくと飲み干した。


ふう、と強く息を吐くと顔をゆがめながらまたべッドに倒れこむ。




今彼女の内には照らされるべきものが生まれ始めているのだろう。それはあまりにも急速に拡大しすぎて宿主を食い破らんばかりだ。


ひとつひとつの粒(それは原子と呼んでもいいかもしれない)は、まだ規則を見つけられずに右往左往している。


それらが光を受けて反発したり接近したりするから、たびたびにエネルギーが生まれる。うねって渦を巻いておおきな無秩序になる。




それを抱きしめられるのは彼女だけだ。意志を浸透させて、ただしく繋がれるようにそれらを導く。


それは慈愛。

わたしの知っていることを望むように表現する愛の業。

好きな色しか塗らない幼稚園のお絵かきと相も変わらず、わたしは白色の絵の具だけ買い替え続ける。


これは許されないこと?


あなたが許すならすべてが許される、そういう摂理でしょう。


やさしいね。





彼女は愛おしそうに余計に体を小さく丸めたので、まるで生まれる前の胎児のよう。


対して腹は窮屈そうだった。





会話をする夢を見た。

それは遠くから語りかけてくるようで実はすぐ足元にいて、声はぐわんぐわんと反響して拡散してしまうからあんまり聞こえないのだけど、わたしがもっときちんと聞きたいよと言うと湧き立って熱のかたまりみたいになって、それは、まるで意味ある言葉のように切り取れたりもした。




つまりそれは欲するということ。欲するということは渇くということ。


今だって彼女は絶えず水を飲んでいる。


枯渇しそうな精神は手を伸ばすように感情を求める。


たとえばそこにつめたく生き生きとした塊があったとしたら、あたためずにはいられない、彼女はそういう美しい人だ。




彼女は喜んでいた。


この夢は、わたしがせかいを愛しているのだという印、せかいが応えてくれた証なの。


その声は低く擦れていて、ときおり力んだためかかすかに息が震えた。


内々でいくつかの事項が(それを感情と呼ぶのは浅はかだと思うけれど)拮抗していて、そのこすれ合うところに振動は端を発している。


それを増幅させるように体を揺する。その拍に、原子たちも収斂していく。




壁に背を預けたまま腹を抱えるように手を回して熱っぽく潤んだ瞳を睫毛に隠しながら、とろとろと言葉を零した。


それは矛盾を紐解いて編み上げるための祈りだった。



いいえ、これは祈りにも満たないただのお願い、ただのわがまま。

生きるとは死ぬことだから、生きているなにかを望むべきでないのは分かってるんだけど、でもなんだか物足りなくて、どうしたらいいのかなって、思う、けど、やっぱり生命じゃなきゃこの隙は埋められないのだろうか。




わたしは愛する何かが欲しいのだと思う。

愛する対象。

もちろん今まで生まれたすべてのものたちのことも愛している。

愛しているけども、どこかしっくりこない。

きれいなものやとうめいなものでなくてもいいけど、なにかあたたかみのあるものがいい。

つめたいものは怖い。

それだって平等に愛すけれど、どうしても死に近いような気がしてしまう。

動きと温み、それと意思あるものが、巡り続けるせかい。

たぶんそういうものをわたしは望んでいるんだと思う。




だからきっと、次目が覚めたら、よりあったあらゆるものが動き出すよ。


それで完成?


分からない、明日になってみないと。



大きな腹を抱えてゆらゆらと東の壁に近づいた。

窓を見上げる。


今は夕暮れ?


これは朝焼け。少しだけ色が薄いでしょう。


ほんとうだ、これがわたしの嫌った世界なのね。


美しいと思う?


生きていけないと思う。だってわたしは今も、これからも幸せだもの。




あやすような体の揺れを保持したまま彼女は目をつむって意識を空中に逃がした。


白々しい明るさが満ちたので彼女は壁に溶け込んでしまうようだった。






せかいの胎動が聞こえる。

動くものたちが巡っている音。


これからかみが出来るのよ、これが最後。

動くものたちはきっとそれを望むから、自力で作り出すのだと思う。


彼らはあなたのことを知っているの?


どうだろうね。


もしかしたら、あなたが神なんじゃない?


わたしはなりたくないなあ。だってわたし、生むことしかできないもの。




夜更けから降る雨のばらばらと鳴るのに負けないくらい、強く鼓動の音が響いていた。

ベッドの上で仰向けになって漂う湿気の匂いに鼻を引くつかせながら、こちらへ、と手招き、その手で私の手を握る。


わたしきっとどこかであなたを知ったんだと思う。だから、ありがとうね。






彼女はひらいた。身のうちのすべてのおおきなひろいものを開示した。






永遠の始まり、

延び広がる規定のない空間、

照らし続ける闇、

死のない意思たち。



それらはすべてが美しくて、まるでユートピアのよう、あるいは完全な球のよう。


時間の流れはゆったりとしていて、万物にとって平等。


あらわれる光は薄くもやのように地平を覆っているため、暗がりはそのときの気分で挟み込まれる。


つまるところ、白く煤けたようなその空間はすべて光の顕在であって、生まれたものものはその真実らしさを一身に受けているのだった。




私が見ていると徐々に色がつきはじめた。


鮮やかでなく、暗くもなく、のっぺりとした色彩で空は薄青に、地面は青にすこし緑を混ぜたような柔らかい色になった。


じんわりと染み出すように、内奥から溢れ出すように染まっていくそれはところどころに影の兆しがあり、黒は存在しないという意思なのか、青みで輪郭が縁どられていった。


それと同時にものものの形が表れ始めて、あっというまに個の形をとったかと思うとゆらりとひと揺れしてから動き出した。


それは風が吹いてざわめき立つすすき畑のようで、私はそのざわめきを遠くから眺めている。


めくるめく展開を彼女も共に見ているので、私は目を輝かせてそれを見る彼女も含めて、すべての物事をほんとうに遠くから眺めているのだった。




わたしとわたしに似たものたちが顔を見合わせて出会ったとき、せかいは満ちた。




大きなうねり、たくさんの意思が満ちた。


私は彼女の手をほどいた。


わたしは引きずりこまれそうになってあなたを振り返ったけど、あなたは優しく手の甲を撫ぜて、開いてしまった。

私は彼女を役割へと送り出さなければいけなかった。



わたしは、こんなの知らなかった。


たくさんの声、


叫び、


祈り、


かかえきれず、


あふれだす、


はぜる、


それは、





   ずっと雨が降り続けるせかい。


   わたしたちは、自分が何かでできてしまう。


   これは許されないこと?わたしはそれを愛したい。


   動きと温み、それと意思あるものが、新たな1分になる。


   彼女もきっと知らないだろう、次に出来るもののことなんて。


   寝て、起きて、水槽をのぞいたら腹を撫でた。


   これからかみが出来るのよ、これがわたしの光。


   これは孤独?際限のない小さな光が軽々しく息をひそめていた。




   彼女は最初の人なので誰にも分からない。


   この世で純粋に潔白な生成は起こりえない。


   だから彼女たちは、呼吸するように話し、食事するように触れ合った。


   もう何回も聞いたよ、大丈夫。


   あなたがそう感じていることを望んでないもの。

   

   それにいいよって言ったから、あなた。




   わたしは愛する対象。


   遠くから小さな光が浮かぶのを俯瞰するだけでよかった。


   この世界を捨てていたウーパールーパーは死んだ。


   朝起きて、伸びをすると、今は夕暮れ? ここ。


   誰も死なない世界。


   人は生まれることが罪なの。


   この部屋すべてが許される、そういう摂理でしょう。


   やさしいね。


   彼女も同じこと。




   それは雨、にしてはやわらかすぎるが、始まることと同義なの。


   連鎖してもうどうしようもないところまできて今のところ末端であるわたしは罪でしかないんだわ。


   だからそのはたらきは、遠ざけることと同義なの。


   始まり?わたしはそれを愛したい。


   それは遠くから語りかけてくるようで実はすぐ足元に手を伸ばすように感情を求めているということ。


   光だけじゃなんにも見えないって知っていることを私は知っているの。そして私がした。


   それは同時に、光が軽々しく息を吸って、(それは腹式呼吸)、だから腹が大きく吸い込む。




   なにかあたたかみのあるものが、一つの呼吸をする。


   そして、この世界になりたい。


   誰かの意思と、二者の関係において生成された「もの」としての自分が、巡り続いていた。


   それまで曖昧になってみないと。


   わたしのおなかの中に閉じ込められたら、誰だって悲しくて輝きくらい放つよ。




   わたしはこの世界は一度おしまいになっていいと思うの、といってはにかんだ。


   彼女はそれに、形を求めているだけでその中身を求めているだけでその中身を求めているわけではない。


   彼女はそういう美しい人だ。


   だからきっと、腹の子は純粋で単一な認識はありえない。




   永遠の始まり。


   彼女は喜んでいた。


   雨の音は聖歌の合唱のようで、私は、この中にむらができてしまう。


   これは利害の一致だった。


   彼女が外へ向かうのを拒む。


   なんて整った性交だろう。


   欠けのない被造物なんてないのに、原子たちも収斂していく。


   壁に近づいた。


   窓を見上げる。


   今ある時間は、不純なわれわれをひどく嫌っていた。


   それは重さも体温も感じさせないし、匂いもしないし、味もしない。




   私が一回吸って吐くのにかかる時間が流れている。


   それらが光を信じていないから、宿り始めているのだろう。


   そこに腰掛けるように促されたが触れるのと触れられるのと二重の感覚がある限り、純粋で混じり気のない空間、照らし続ける闇、はじまりによく似た永遠、死なないウーパールーパー。


   彼女の部屋に電気はない。


   われわれは生まれてからここまで時間で規定されていて、そして崩れ落ちた。




   そして今、また新しく吐き出てくるものだったらもうしばらくはこのまま、その土地が満ちていて、だから時計が存在しない今なんて考えられない。


   この部屋すべてが美しくて、まるで意味ある言葉のように白く、血を通わせながら透けていた。




   そのまま、どのようにできたかとか、とろとろと言葉を零した。


   ふう、と思う。

 



   街のアクアリウムみたいな光の中にいるのはね、


   きっと

 

   せかいよ。


   死なないせかい。


   掬って水に沈むものものは溢れ出すように手を伸ばした、





だからわたしはたくさんの手に首をつかまれる。

死なない彼らは、神にまで手が届くのね。


彼らはその手で終わりを求めていた。感情は飽和し濁流となって襲い掛かる。地点Bのない時間の流れに、わたしに似たものは耐えられなかった。




創造に愛はなかった?いいえそんなことない。

ただ愛し続けることができなかった。

作ることと救うことは表裏一体で、なのにわたしはそれを守れなかった。

こんなはずじゃなかったの。

でも彼らはわたしたちのことしか知らないから、だめなのね、わたしたちは全能じゃないから。

わたしが作ったものたちは、わたしじゃないから。

ごめんなさい。

彼らはわたしを信じようとしてくれたのに。

ごめんなさい、ごめんなさい。もう終わりにしましょう。

愛せなくてごめんなさい。

生んでしまってごめんなさい。


わたしは愛し続ける責任を放棄することしかできない。

不甲斐ない神だ。




謝りながら、すべてを解放する。

腹を切って、すべてを流し去る。


作ってきたものものが勢いよく流れだして部屋中を満たしていく。


それは呼吸ができなくなるほど、濃い、冷たい、あふれる光と色が壁にぶつかっては反射し、目まぐるしい。それは美しかった。




溺れないために、扉を開けた。


私は窒息してはならない。


引いていくすべてのなかで、白く半透明に透けたものが手を振るようにちかりと光った。




空になった部屋で揺らいでいたシーツが波紋を失っていくのを、私は眺めている。

窓から薄い光が射した。外は晴れていた。

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