第4章ー3話 黒鉄の楽器
優志がセリフを覚え、演技の練習をする一方、白杜の楽器制作は難航していた。
依頼をされて二か月が経とうとしているのに、ほとんど何も進んでいない。
「白杜さん、少し休憩したら如何ですか?」
優志は音楽プレーヤーを使って、台本を読み込む傍ら、白杜に休憩を促すようになった。声をかけると白杜は作業台から疲れ切った顔を上げて、頷く。
「…………はい、休憩します」
素直に従ってくれたことに、ほっと優志は息を吐いた。近頃は、休憩しようと優志が言っても頑なに拒み、数日徹夜をするということもあったのだ。
安堵しながら優志は白杜の手を取ると、誘導するようにして歩き出した。作業台の周囲には失敗作の楽器がゴロゴロと転がっており、足の踏み場もない状態だ。
ふらふらと覚束ない足取りの白杜を一階まで連れて来ると、椅子に座らせる。
「お茶を淹れて来るので、待っててください」
「……はい」
こくりと頷いた白杜を置いて、給湯室に優志は向かう。紅茶を二人分入れて、茶菓子にワッフルを添えて、テーブルに戻った優志は白杜と向かい合うように腰かけた。
「白杜さん」
「……はい」
「紅茶、飲みます?」
「……いただきます」
いつもより反応のテンポが遅い。緩慢な動作でティーカップを手にとった白杜は、しばらく紅茶を見下ろして、ぼんやりとしていた。
その様子だけで、相当、憔悴していることが分かる。
納得のいく楽器が作れていない現状、迫って来る撮影日。白杜にとってはどれも苦痛でしかないだろうと、優志は思いながら少しでも白杜の気持ちを軽くできるように喋り始めた。
「白杜さん。全然、ちゃんと言ってなかったんですけど。実は俺、役者でスランプだったんです」
優志が言うと、白杜は顔を上げる。
しかし、これと言って反応はなく、優志は苦笑を漏らしながら言葉を続けた。
「学生時代に演劇部に入っていて、そこから自分ではない別の人間の役になるっていうのが楽しくなって役者になることにしました。親とか反対していたんですけど振り切って、上京して、専門学校に通ったんです。卒業した後は劇団に入って、舞台の仕事とかしているうちにドラマや映画の仕事も貰えるようになりました」
一旦、そこで言葉を切ると過去を思い出して優志は歯噛みした。
「でも、仕事をしているうちに周りからの評価が怖くなりました。周りと自分が求める演技が出来なくて怖くなりました。気が付けばスランプに入っていて。台本は白紙に見えて、カメラも怖くて、誰とも関わりたくなくなって、誰かと視線を合わせるのが嫌になりました」
優志は苦笑いをした。
「役者を辞めようとして実家に帰った時、婆ちゃんに友達の店で働くように勧められました。それが白杜さんのお店で、俺は今、此処にいます」
そこまで言って、優志は白杜を見据える。
「本当にありがとうございました。それと本当にすみません」
深く優志が頭を下げると、白杜は目を瞬いた。
「どうして、お礼なんて言うんですか、謝るんですか?」
「お礼を言うのは、色々と助けて貰ったからです。謝るのは、いまが忙しいことを分かっていて、白杜さんに迷惑をかけるからです」
「迷惑?」
きょとんと首を傾げた白杜に、「はい」と優志は頷く。
「白杜さん、俺は今からただの客です。客として依頼をします」
「依頼、ですか」
白杜の瞳に普段の力強さが僅かに戻る。
「ひとまず、お聞きしますが、その依頼とは何でしょうか」
白杜が尋ねてきたので、優志は真剣な表情で告げた。
「俺に貴方の作った楽器を吹かせてください」
白杜の眼が見開かれるのを見ながら、優志は自らの残酷さを痛感する。
今の白杜に更に「作れ」と追い打ちをかけるのは、あまりにもひどい仕打ちだ。本来ならば、休んでもいいと逃げ道を作ってやらなくてはならない。
しかし、白杜の側にいて、道は違えど一度、挫折したことのある優志だから分かることがあった。
白杜は此処で逃げていいと言われて、逃げられる種類の人間ではない。客の為ならば作った石を壊すことを躊躇せず、何度も作り直すことも厭わない。輝奏石と彫石師という職業に此処までこだわっている頑固者が、簡単に退けるはずがないのだ。
だったら、優志は後押しをする他ない。
白杜が望む場所まで一緒に進むしかないのだ。
「俺は貴方の作った楽器を吹きたい。触れたい。鳴らしたい。だから、作ってください」
優志がきっぱりと言うと、白杜は持っていたティーカップをソーサーの上に置き、手を口元に持って行った。そして、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……私は長年、輝奏石を加工してきました。父や母が加工する様子を見て育ったので、自然と彫石師に興味を持ち、父に弟子入りして、そのまま職人になりました。元々、手先が器用だったこともあって仕事は順調にこなせるようになりましたが、一つだけ加工するのに数年かけた石がありました」
「白杜さんが、数年?」
白杜の作業速度は速い。
楽器作りを除いて、どんな輝奏石も作るのにはひと月も掛かっていなかった。
それが数年かけたとは異常な長さである。
「それは彫石師として一人前と認められる為に必要な課題でした。唯一無二の作品を作るというものでしたが、父や母の真似しかしてこなかった私には、オリジナリティと言えるものがありませんでした」
深い溜め息をついて、白杜はカップを覗き込んだ。
「デザインすら決まらないままに二年が経ち、アイディアはまったく浮かばなかった時、私はある作品を観ました。秀吉が、友人が主演を務めた映画だから、と勧めてきた作品です。それは『櫻の中で』という映画でした」
白杜から出た作品名に優志はぎょっとした。
なにせ、その作品は優志の初主演作品だったのだ。
「その作品の中で主人公がサックスを吹くシーンがありました」
「あ、はい」
確かに作中で、サックスを吹いた。
思い返した優志が頷くと、白杜は懐古するように目を細めた。
「サックスで奏でられる曲が、あまりにも力強く、美しくて。あのシーンを見た時、私は自分も良い音が出る石を作らなくてはと思いました。そう思ったら、自然とアイディアが出てきて無事、作品を作ることが出来たのです」
白杜はそこまで言って、優志を見据える。
「貴方のお陰です。本当にありがとうございました。それと申し訳ありませんが、お願いをします」
深く白杜は頭を下げてから、告げた。
「貴方の依頼をお受けして、必ず楽器を作ります。ですから、どうか私の作った楽器を吹いてください。貴方の演じる人間を私に見せてください」
そう言う白杜の瞳にはいつもの力強さが戻っている。
優志は自然と笑みを浮かべて頷いた。
「はい、必ず」
優志は確かに白杜の想いに応える決意をした。
※ ※ ※
「優志さん、優志さん」
作業室の中にあるソファーでうたた寝をしていた優志は、白杜によって揺り起こされた。
「どうしたんですか、白杜さん」
目を擦りながら優志が体を起こすと、白杜はいつになく興奮したように頬を紅潮させていた。
「出来ました」
「出来たって、なに、が……?」
寝ぼけた思考で、ぼんやりとしていた優志は作業台を見やって驚愕する。
「これって!」
優志は転げるようにしてソファーから立ち上がると、作業台に駆け寄り、完成した楽器を観察する。
「名は『
「黒鉄……」
楽器の名を復唱しながら、優志は白杜を振り返った。
「吹いてみても、いいですか?」
「ええ、是非」
許可を貰って、優志は『黒鉄』を手に取った。
「あの、運指はどうすれば?」
「サックスと同じで大丈夫です。息はそれほど強く吹き込まずに、縦に構えてください。マウスピースも深くは咥えず、これもサックスと同様で大丈夫だと思います」
白杜の説明を聞きながら、言われた通りに『黒鉄』を構えてみる。
「じゃ、じゃあ……吹きます」
「はい」
白杜が首を縦に振ったのを確認してから、優志はマウスピースを咥えると息を吹き込んだ。軽く息を入れるだけで、『黒鉄』は透明度の高い音を放つ。
それと同時に『黒鉄』の本体が、淡い白銀の光を発し始めた。
どんな楽器にも例えることの出来ない唯一無二の音色が室内に響き渡る。
優志は驚きながら、マウスピースから口を放した。
「これは、なんて言ったら、いいんだ」
夢心地で呟いて、優志は白杜を見つめる。
「凄いです、白杜さん。凄いんですけど、他に何て言ったらいいのか、俺、全然分からなくて」
「ちゃんと、聞きますから落ち着いてください」
白杜が呆れ声を漏らすが優志の興奮は冷めきれない。
「いや、落ち着けないって。これ、本当に好きです。こいつの音、俺、好きです!」
優志が叫ぶと、白杜は嬉しそうに笑った。
「そう言っていただけて、光栄です」
白杜は愛おし気に『黒鉄』を見やってから、はっきりと告げた。
「次は貴方の番ですよ。優志さん」
自分はやった。
だから、お前もやれ。
言外に告げられて、優志は身を震わせた。
恐怖からではなく、それは武者震いという奴だった。
「はい、見ててください。白杜さん」
優志は笑って、白杜に応えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます