第4章ー2話 出演に向けて


 赤羽がやって来た翌日、白杜は楽器の制作を始めた。

 扉に『閉店』のプレートを下げたままで、二階の作業部屋では足早に歩き回って準備をする白杜の姿があった。


「あの、白杜さん。純粋な疑問なんですけど。楽器ってどう作るんですか」


 道具を準備していた白杜に優志は尋ねる。


「輝奏石って水に濡れると勝手に音がなりますよね? それを楽器にするのって難しいと思うんですけど」


 優志の問いに白杜は「そうですね」と頷いた。


「輝奏石は本来、水につけて放置しておくものです。奏者を必要とはしません。ですのでこれを使います」


 白杜は言いながら、作業台の横に置いていた段ボールを覗き込んだ。


「それって、確か『曇天どんてん』?」


 白杜が段ボールから取り出したのは、以前見せてもらった『曇天』の原石だった。


「笛にするんですか?」

「そのつもりです。普通の笛よりは大きなものとなると思いますが」


 白杜は頷きながら『曇天』を作業台の上に乗せると、棚から設計図の束を持ってきた。そこには様々な形をした奇妙な楽器が描かれている。


「実は何代も前から『曇天』を楽器にする試みはされてきました。しかし、完成したものは一つもありません」


 言いながら白杜は椅子に腰を下ろす。


「じゃあ、楽器が出来たら白杜さんは、伝説の人になりますね」


 何気なく言った優志の言葉に白杜は顔を上げた。


「……それは、何だか楽しいですね」


 顔を綻ばせて、白杜は言う。今まで見た中で一番、楽しげな笑みだった。


「優志さん」

「はい」


 呼ばれてすぐに返事をすれば、白杜は目を細めて、柔らかに笑って告げる。


「貴方は楽器を吹いたことがあると、おばあ様から聞きました。どんな楽器が好きなんですか?」

「好きな楽器かぁ」


 問われて考えてみると様々な楽器が頭の中に浮かんだ。


「俺、楽器全般っていうより音が綺麗な鳴るものが好きだっただけだからなぁ。ピアノとかドラムとか。ああ、でも長く吹いてたのはサックスですね」

「なるほど、サックスですか」


 頷いた白杜は『曇天』の原石に触れて微笑んだ。


「判りました、やってみます」


 白杜は楽し気に笑いながら金槌を手にとった。


          ※     ※     ※


「で、進捗はどうなんだ?」


 白杜と出会ったファミレスで、テーブル席に座りながら赤羽が問う。

 その質問に優志は溜め息を返した。


「かれこれ一か月経ったけど、大まかな形すら出来ていない」

「マジかよ」


 唖然とした赤羽に優志は頷く。


「白杜さんはやる気もあるし、モチベーションは高い。でも、輝奏石を使った楽器なんて今まで誰も作ったことがないんだ。いくらご先祖様が設計図を残していても前例がないんじゃ、作るにも時間がかかる」


 優志はドリンクバーで淹れて来たコーヒーに目を落とす。


「輝奏石の加工に関しては、俺は素人だからな。店に居ても白杜さんの戦力にならない」

「それで、俺をファミレスに呼び出したのか」


 呆れ顔で赤羽は言う。


「やることが、ちまっこい上に情けないぜ。優志」

「うるせー、そんなことは判ってるんだよ」


 苛立ち混じりに呟いて優志は珈琲を飲み干した。


「白杜さんが大変な時にすることがない。その上、友人呼び出して相談に乗って貰ってるなんて情けない。そんなのは俺が一番、判ってる。けど、他にどうすればいいのか判らんないんだよ」


 優志が言うと、赤羽はにっと笑みを浮かべた。


「お前、変わったな。いや、吹っ切れたというべきか?」

「は?」


 赤羽の言葉の意味が分からず、優志は首を傾げる。 

 にやにやと奇妙な笑みを浮かべながら、赤羽はフォークとナイフを使ってステーキを切り分け始めた。


「いやさ、役者を辞めるって言った時のお前といったら、顔は死人みたいだし、笑う時は自嘲気味で気味が悪かった。何もかも投げやりで、そのまま海に飛び込んじまうぜって態度だった」

「どんな態度だ、それ」

「いやいや、マジだって」


 赤羽は言いながら、ステーキを頬張る。


「で、この前、再会したら覇気は戻ってるし、言動も明るいしさ。一度、死んで生まれ変わったのかと思ったぜ」


 赤羽はステーキを食べ終えると、フォークとナイフを置き、水を飲んだ。


「特に姉貴と関わるお前は本当に別人みたいだった。そもそも、姉貴の感情を読み取れてるのが凄いよ」

「感情を読み取る?」

「ほら、姉貴が怒ってるとか表情みただけで察してただろ。あの人って感情が分かりにくいから普通だったら、ぼんやりしてるのかなとしか思わないしな」


 赤羽の言葉に優志は首を傾げた。


「いや、白杜さんは感情が分かりにくいっていうより、隠してるだけだろ。みてると結構、感情豊かだしさ」


 腕を組み、唸りながら優志は言う。


「でも、白杜さんって中々に嘘つきだよな。あと、分かりにくい気遣いが多すぎる」

「……そこまで判ってるなら、大したもんだよ」


 赤羽は笑いながらコップの水を飲み干した。

 そして、短く息を吐いてから空になったコップを見つめる。


「あの人って気難しい人だから、ちゃんと仕事出来てるのか心配だったんだ。この前、お前と一緒に働いてるって聞いて不安になったしな。でもまぁ、俺の杞憂だったみたいだ」


 赤羽の言葉は元義理の姉を想うというには深みがあった。

 優志は迷いを持ちつつも、赤羽に尋ねてみた。


「赤羽、どうして其処まで白杜さんを気遣う? 姉貴って呼び続けるのも何でだ?」

「うーん、何でって聞かれると困るんだが。呼び方に関しちゃ、もう定着しちまったからとしか言えないしな」


 赤羽は頭を掻いてから僅かに首と肩を傾けた。


「強いていうなら、お前と同じかもしれないな」

「俺と同じ?」

「好きなんだ」


 さらりと言われた一言に、優志はどきりとした。

 誰を、何を?

 疑問に思った時、赤羽が簡単に答えを話し出した。


「姉貴の作る輝奏石が好きでさ。ずっと見てられるんだよな、俺。だから姉貴に好きなだけ仕事してもらいたいし、気も自然と遣う」

「あ、ああ。そっちか」


 ほっと安堵の息を漏らすと、赤羽が揶揄いながら口角を上げた。


「お前、今、警戒したろう。俺が姉貴を女として好きなんじゃないかって」

「そ、そんなこと……」

「誤魔化すな、誤魔化すな。お前の腹のうちは読めてんだよ」


 赤羽はにやにやと笑いながら、コップの淵をフォークで叩いた。


「姉貴は美人だもんなぁ。まぁ、前の伊達メガネの方が俺は好きだけど」

「……伊達、メガネ?」

「黒縁の眼鏡してたんだけどな、俺の元嫁さんがオシャレしろーって贈った奴。姉貴、視力だけはいいから結局、レンズはいれなかったみたいだけど」

 

 赤羽の言葉で優志は思い出した。

 ファミレスで待ち合わせた時、白杜は黒縁の眼鏡をしていた。

 その時、彼女は何と言って眼鏡を外しただろうか。


「嘘だろ」


 そう呟いた優志は机にうつ伏せて、思わず呻く。


「おいおい、どうした」

「ただの自己嫌悪だ。気にしないでくれ」


 深い溜め息を繰り返したのち、優志は米神を揉み解す。赤羽は訝し気に優志の様子を伺いながら「そうだ」と持っていたバッグから紙封筒を取り出した。


「台本、持ってきたぞ」


 赤羽の一言で自然と背筋が伸びた。

 差し出された紙封筒を受け取り、中を見ると厚い台本が入っている。


「試しに読んでみろよ」

「判った」


 頷いた優志は封筒を開けて、台本を取り出した。

 以前は文字が自然と消え、台本を読むことは出来なかったが、今はどうだろうか。

 鼓動を速めながら、優志は思い切って頁を捲るも、咄嗟に目を閉じてしまう。


「優志、目を閉じたら読めないだろ」

「わ、判ってる」


 少しずつ瞼を開き、隙間を作っていく。

 時間をかけて完全に目を開けると、優志は台本を見やった。


「よ」

「よ?」

「読めない」


 優志が言うと、赤羽の表情は期待から落胆へと変わる。

 肩を落とした赤羽だったが、すぐに気を取り直したように身を乗り出して来た。


「読めないって全部か? やっぱり、真っ白にみえるのか」

「いや、前よりはマシだ。今は所どころ読める」


 虫食い文字のようにはなっているが、すべて白紙に見えていた頃よりは幾分かは回復したと言えるだろう。


「じゃあ、こっちはどうだ」


 赤羽は鞄からCDを一枚と新品の音楽プレーヤーを取り出した。


「聞いてみろ」


 言われるがまま、音楽プレーヤーに繋がっているイヤホンを耳に差し込む。電源を入れて、入っていたトラックの一番最初を再生する。すると。


『1、 小泉駅・駅舎・表。夕闇の中、閑散とした道路を見つめる石田―――。』


 赤羽の声で読まれる内容に途中で驚いた優志は顔をあげた。


「これって台本?」

「そうだ。トラック1は台本の丸読みしたもの。トラック2は台詞の掛け合いのみになってる。台本が読めないなら、これで覚えてみろ」


 嬉しそうに笑う赤羽に優志は驚きを隠せぬままに尋ねる。


「赤羽、わざわざ用意してくれたのか?」

「わざわざって程でもない。ただ読んだだけだ」


 トラック2を聞くと、今度は台詞の掛け合いが収録されていた。

 そこには赤羽の声だけではなく、複数の人の声が入っている。


「俺の声だけだと混乱するだろうから、知人に手伝ってもらった」

「そんな、こんなに色々とやってくれるなんて。本当にすまない」

「謝るなって」


 自然と涙声になった優志の肩を赤羽は叩く。

 友人の支えを強く感じながら、優志は台本を掴む手に力を込めた。


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