第4章ー1話 懐かしき珍客
「あれ?」
いつも通り、店に出勤した優志は首を傾げた。普段なら優志が訪れる頃には窓のカーテンは開け放たれおり、扉には『開店』のプレートが下げてある。しかし、何故か今日は窓は閉じたおり、プレートも『閉店』のままだ。
(白杜さん、具合でも悪いのか?)
優志が不思議に思いながら扉に近づくと、店の中から人の話し声が聞こえてくる。
「なぁ、頼むよ。姉貴」
と男の声が聞こえた直後、白杜の呆れた声が答える。
「都合のいい時だけ姉貴と呼ぶのは止めてください」
白杜の声は普段、聞かないような鋭さが籠められていた。
「その時は悪かった。謝るよ」
「感情が籠っていません。やり直し」
「え、酷い」
聞いているうちに、「あれ?」と優志は首を傾げた。白杜が話している弟らしき相手の声に聞き覚えがあったのだ。誰だっただろう、と考えを巡らせているうちに白杜が答えを口にする。
「いい加減、帰ってください。
名前を聞いたと同時に思わず、優志は扉を開ける。
店の中には白杜と一人の男が立っていた。男は明らかに白杜より年上で、三十代手前と言った顔立ちをしており、かけている黒縁の大きな眼鏡が特徴的だ。
「
優志がつぶやくと、振り向いた男は眼鏡の奥で瞳を見開く。
「お前、優志か……⁉」
映画監督という肩書を持つ友人、
「姉貴、何で此処に優志が居んだよ」
「何でもなにも、一年前から働いてもらっている従業員です」
「はぁ⁉ 嘘だろ⁉」
赤羽は目を瞬かせて、驚愕を声にする。
「赤羽、それに白杜さん。これは一体?」
赤羽も驚いていたが、優志も同様に驚いていた。
どうして此処に友人である赤羽が居るのか。
何故、赤羽が白杜を姉貴と呼んでいるかがさっぱり分からない。
二人が混乱している中、白杜は動揺一つ見せずに静かに説明を始めた。
「優志さん、此処にいる赤羽秀吉は私の元義理の弟です」
「も、元義理の弟?」
「はい、私の妹と結婚しましたが、のちに別れたんです。ですが、未だにこの人は私を『姉貴』と呼んでいます。意味不明ですが」
白杜が言うと、年甲斐もなく赤羽は頬を膨らませた。
「親しみを籠めて呼んでるんだろ、それを意味不明って酷くないか」
「知りません、そんなこと」
きっぱりと言って白杜は、そっぽを向く。二人の関係性には、納得しかけた優志であったが、まだ頭の中には疑問が残っていた
。
「白杜さんと赤羽の関係は判りました。でも、何で此処に赤羽が居るんだ?」
「それは、その」
赤羽は視線をさ迷わせた後、気まずそうに切り出した。
「次の作品で、輝奏石で作った楽器を使いたいんだ」
「次の作品ってドラマ? それとも映画?」
自然と優志が尋ねると、赤羽は目を丸くし、やや戸惑いつつ頷いた。
「あ、あぁ。映画だ」
「へぇ、どんな映画なんだ?」
興味が出て、優志が尋ねると赤羽はさらに目を丸くして白杜を見やった。
「何ですか、秀吉」
「あ、いや、何でもない」
視線に気づいた白杜がきょとんとして問うと赤羽は首を振ってから、優志に目を向けた。
「『奏でる人』っていうタイトルで、その、天才ヴァイオリニストのスランプへの突入から脱却までの話なんだ」
スランプという言葉に僅かに眉根が寄るが、それも一瞬。
優志はすぐに笑みを浮かべると「そうなのか」と頷いた。
「それでストーリー上、スランプ脱却の糸口になる楽器を輝奏石で作りたいと思って、俺は依頼しに来たんだが……」
赤羽は頭を掻きながら、白杜を見やった。
「なぁ、姉貴。作ってくれよ!」
「嫌です」
いつもと違って、すぐに白杜は断った。相手の事情を聞いたうえで、ほとんどの依頼を受けてきた白杜にとっては珍しい言動で、優志は目を丸くする。
「何で駄目なんだよ」
赤羽が文句を言えば、白杜は鋭い視線で赤羽をねめつけた。
「そもそも輝奏石は大衆の眼に晒されるものではありません。存在を知る者だけが細々と商いをし、技術を守り、それを知った僅かなお客様がやって来る。それが輝奏石を作るということです。映画に使われれば、大勢の人の目に留まってしまい、輝奏石の在り方とは異なります」
「相変わらず、お堅いこって」
茶化すように赤羽は言うと、溜め息をついた。
「別に大衆の眼に止まって何が悪いんだ。確かに輝奏石というものは一般的には知られていない代物で、技術も門外不出だった。でも、それは過去の話だろう。ずっと昔の考え方に囚われたら何も始まらないと思うぜ」
赤羽の言葉にぴくりと白杜の眉が動く。
「赤羽、それ以上は止めろ。白杜さんが怒ってるだろ」
優志が間に入ると、赤羽は驚いた顔をする。
しかし、それも僅かで赤羽は白杜へと視線を向けた。
「とにかく、俺の映画には輝奏石で作った楽器が絶対に必要だ。どうしても駄目というなら、引き下がるが。本当に駄目なのか?」
赤羽が問うと、白杜は口元に手を当てて考え始めた。
数分間、無言になった後に白杜は赤羽を見据えて尋ねた。
「もし、仮に楽器を作ったとして、それは作中で演奏されるのですか?」
「あぁ。短いシーンだが、演奏する」
「……そのシーンは誰が演奏するのですか?」
「まだそれは決めていない。一応、プロに頼もうとは思ってる」
赤羽が真剣に答えると、白杜は唇を噛み締めた。
「プロ、ですか」
「嫌なら、姉貴が希望する相手にするが」
赤羽が言うと、白杜の眼が輝いた。
「本当ですか?」
「姉貴に嘘は言わないさ」
「では」
白杜は一旦、言葉を切ると優志に目を向けた。
「優志さんに演奏してもらいます」
「……え?」
何を言われたのかが理解できず、優志は口を開けて唖然とした。
赤羽も目を丸くする。
「優志さん」
「あ、はい」
反射で返事をした優志を白杜は鋭い眼で見据える。
「やってくれますか」
たった一言ではあったが、そこには力強さと重みが熱となって乗せられていた。あまりの熱量に優志は、咄嗟に口を開いてしまう。
「は、はい」
優志は頷くと、白杜は満足そうに笑って赤羽を見やった。
「ということなので、その依頼、お受けいたします」
「え、へ?」
赤羽は状況が掴めていないのか、目を瞬かせる。
「あ、姉貴が作った楽器を優志が、演奏する?」
「はい、映画の中で私の楽器を出すなら、優志さんも一緒に出してください」
抑揚のない喋り方で淡々と白杜は言う。
「つまり、演奏するシーンで優志を出演させろと⁉」
「はい」
白杜が頷き、優志も頷いた。
二人を見比べてから赤羽は優志に駆け寄る。
「でも、お前。あれだろ、そのスランプだろ」
「まぁ、そうだな……」
「そうだなって、分かってるのか。お前、出演しろって言われて出来るのか⁉」
赤羽の心配はもっともだ。優志が体調不良になり、台本が読めなくなるまでスランプに陥ったことを赤羽は知っている。
「出来るかって聞かれると、よく分からないけど」
ブランクもある上に、最後に演じた時はスランプだった。不安もあるし、出来ないと言ってしまう方が楽なのは分かっていたが、優志ははっきりと赤羽に告げた。
「出ろっていうなら、俺は出る。いや、出たい」
優志は「だから」と赤羽に向き直った。
「俺を出してください」
優志は赤羽に深く頭を下げたのだった。
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