第3章ー5話 今の話をしよう


「話ってなんだよ」


 呼び出すと、ちょうどよく休憩時間だったらしく緑谷は現れた。以前と同じように優志はロビーで、話をすることにした。今回は向かい合うようにソファーに座る。


「それに誰だよ、あれ」


 緑谷が視線を向けた先には白杜が居る。白杜は数メートル先の壁際に立って、壁に貼られた様々な掲示物を読んでいた。


「俺の今の上司みたいな人」

「へぇ」

 

 興味津々に白杜を見やった緑谷に優志は意を決して、話を切り出した。


「今日はこの前のことを謝りに来た」


 優志の言葉に緑谷は肩を跳ねさせた。

 その後に唇を引き結んだ緑谷が、姿勢を正して優志へと向き直る。

 それを合図に優志は言葉を紡いだ。


「この前は言いすぎて、すまなかった」

「言い過ぎたって、お前は特に何も、言ってないだろ」

「いや、あまりにも失礼な言い方だった。だから謝る」


 優志が頭を下げると、「待てよ」と緑谷が声を上げた。


「お前が頭下げることないだろ、俺の方が餓鬼だったんだから」

「え?」 


 優志が目を丸くして顔を上げると、そこには困ったような緑谷の顔があった。


「あの時はスランプだって聞いて勝手に怒ったけど、俺は怒れる立場にないんだよ。途中で夢を諦めて、結局、親に言われるまま介護士になったから」


 緑谷はそこまで言ってから、頭を下げた。


「この前は、俺の方こそ、ごめん」

「緑谷……」

「ずるいよな、弱ってるお前を攻撃してさ。俺はお前の為に怒ったんじゃないんだ。諦めた時の自分を、今のお前の姿を勝手に映し重ねてたんだ。だから、辞めたって聞いた時に勝手に裏切られた気分になって怒った。お前の人生だから、俺が口出しすることじゃないのにな」


 緑谷はそう言って、顔を上げた。


「黒尾、ごめん」

「いや、俺も悪かった」


 二人で繰り返し、頭を下げてから自然と笑みがこぼれた。

 どちらともなく、笑い合ってから緑谷が話を再開した。


「こういうの、聞くのはどうかと思うけど。何でスランプになったんだよ?」


 緑谷の問いに優志は、一度、息を深く吐いてから答えた。


「どうやら、俺は周りの目が怖かったらしい。いや、正確には周りからの評価が怖かったんだ」


 喋り始めると驚くことに、次々と言葉が出てきた。


「学生の頃はただ好きで、自由に演じていた。でも仕事になって初めて分かったんだ。自分の好きなように演じるだけじゃ、駄目なんだ。演出が求めているもの、脚本家が求めているもの、共演者が求めているもの、視聴者が求めているものを俺は表現しなくちゃならない。でも、俺はそこまで器用じゃなかった。皆が納得する役なんて俺は演じきれないと思った」

「自分の演技に限界を感じたって、ことか?」


 緑谷の問いかけに優志は頷く。


「そうだな、それもあるな。出来ることより、出来ないことが多いと気づいてからは周りが求めているのに応えるのが億劫になった。かといって自分の好きなことも出来ない。周りと自分、誰に焦点を当てて仕事をすればいいのか分からなくなった」

 

 優志は深く溜め息をつくと、顔を手で覆った。


「それから、周りばかり気にして、何もかもが怖くなった。演技を見られるのも嫌で、アドバイスや感想を貰うのも怖くて、誰とも関わりたくなかった。そう思っていたら」

「スランプになったのか」

 

 緑谷の代弁に優志は頷いて、顔を上げる。


「でも、今は少しだけ楽になったんだ」


 優志は壁際に立つ白杜に目を向ける。白杜はちょうどよく優志を見ており、自然と眼が合った。しかし、以前はあった恐怖感はもうない。優志は笑みを浮かべてから緑谷に向き直った。


「あそこに立っている女の人、俺の上司みたいなものって言っただろう? あの人さ、石を加工する職人なんだ」

「石?」


 緑谷は首を傾げたが、優志はそのまま言葉を続けた。


「普段はあまり表情を出さない人だけど、石に関わる時だけ熱い目をする。何処かで見た目だな、と思ってて最近、気づいたんだ。役者であった時の俺と同じ熱が、あの人にはあるんだ。仕事に必死で、人生を賭けている。あの人を見てると、答えが出そうな気がするんだ」

「答えって?」

「役者を続けるか、否かの答え」


 優志の言葉に緑谷は目を見張っていた。


「俺、まだ諦めきれてないんだ。だから、とほんの一握りだけ抗ってみる」


 緑谷はしばし驚いていたが、すぐに笑顔を浮かべると頷いた。


「いいな、それ」

「あぁ。悪くないだろ?」


 優志はにっと子供のような笑顔を浮かべた。


           ※    ※    ※


「待たせてしまって、すみません。白杜さん」

「いいえ」


 空が薄紫に染まる中、二人は帰り道である土手を歩いた。川面と夜に移り変わる空を眺めながら静かに歩く。すでに街灯がつく程度には周囲は暗くなっていた。


「白杜さん」

「はい?」


 呼びかけると、白杜は足を止めて振り向いた。


「何も聞かないんですか」


 緑谷と話をしていた時、白杜は近くにいた。

 会話も筒抜けであっただろうに、老人ホームから帰る道中、白杜は何も尋ねてこなかった。自分のことは興味ないのだろうか、と疑問に思った優志が尋ねると白杜は普段と変わらぬ様子で淡々と答えた。


「改めて私が聞くことなどないと思います。優志さんが話たければ、面と向かって話してくるでしょう。そうでないのなら、私から問うことなどありません」


 きっぱりと断言されて、優志は苦笑を漏らしてから質問を重ねた。


「白杜さん、俺、もう一つ疑問があるんですけれど」

「何ですか」

「義夫さんに持ってこなくていいとまで言われたのに、どうして『琥珀』を作ろうと思ったんですか。諦めようとか思わなかったんですか?」


 義夫の態度は冷たかった。

 自分だったら途中で挫けて、石を再び作ろうとは思わなかっただろう。

 そう思った優志の問いかけに白杜は呆れの表情を浮かべた。


「それを聞きますか」

「え、駄目ですか?」

「駄目とは言いますんが。私はただ、依頼者である真衣様の気持ちに応えようと思っただけです。なんども繰り返して作り直せば、いつかは義夫様たちが求める『琥珀』を作り上げることが出来ると思っていました。それに」

「それに?」


 白杜は言葉を切ると、口元に手を当てる。


「いえ、何でもありません」


 そう言って白杜は足早に歩き始める。

 ぼんやりと立っている優志に背を向けると、小さな声で呟いた。


「貴方が夢を諦めていないのに、私が諦めるわけないでしょう」


 しかし、そんな白杜の呟きは夜風に消えて、優志の耳には届かない。


「白杜さん、何か言いましたか?」

「いえ、何も」


 白杜は微笑んで道を歩いていった。


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