第3章ー4話 琥珀の歌


「また来たのか」


 義夫はベッドに座ったまま、顔に呆れを浮かべて白杜と優志を出迎えた。


「二度も三度も来ても変わらんぞ」

「いえ、これが三度目の正直ってやつです。ですよね、白杜さん?」


 優志は口角を上げながら白杜を振り返った。白杜は頷くと、正方形の木箱に入れられた琥珀色の輝奏石に目を落とした 整った三角錐の石は、灯りを反射して温かみのある光を放っており、白杜が取り出すと真衣は目を丸くした。


「きれい!」

「そうね、本当に綺麗だわ」


 真由子も頷く。

 しかし、義夫の表情はいつもと変わらず、不機嫌なまま。


「そんなもの」


 ぽつりと呟くも、義夫の視線は石から離れない。優志は用意して来たコップに水を汲むと、ベッドの傍らにあるテーブルに置いた。


「では、入れますね」


 白杜は言ってから、出来上がったばかりの『琥珀』を水の中に落とした。

 『琥珀』は輝きながら、回転し、笛によく似た音を奏でた。それから、人の声によく似た音が、『琥珀』から洩れた。ゆっくりと紡がれた歌にm白杜と優志以外の瞳が見開かれる。


「家路、か」


 茫然と言ってから、義夫は美しく回り続ける『琥珀』に手を伸ばした。コップを手に取り、義夫はじいっと見つめる。真衣が言っていた祖母も祖父も家路が好きだった、という言葉から優志は思ったのだ。

 もしかして、元の『琥珀』には『家路』が流れていたのではないか、と。

 『琥珀』の試作品を持ってきたときの義夫の台詞もヒントとなった。

 義夫は「こんな歌じゃない」と言っていた。「こんな音じゃない」と言っていない為、音は合っていたのだろう。違ったのは歌だけ。しかも、歌となれば歌詞があるはずだ。となると、『琥珀』に入っていたのは『家路』だった可能性が高いと優志は答えを道びだしたのだ。


(でも、俺は想像しただけだ。本当に合っているのか、分からない)


 失敗したらまた怒鳴られてしまうだろう。

 それも優志ではなく、製作者である白杜が責められるのは目に見えている。

 どうか合っていてくれと優志が手を合わせて願った時、義夫が穏やかな声を漏らした。


「これだ」


 義夫は言うと、愛おしそうにコップの淵を撫でた。


「これだった」

 

 ゆっくりと皺だらけの指でコップを包み込み、義夫は幸せそうに笑った。そして、何かを思い出すように目を閉じる。

 亡くなった妻のことを想っているのだろうか。

 やがて、部屋の中が『琥珀』の音色で満たされる。

 真衣も真由子も微笑みながら、流れる旋律に耳を傾ける。


「……職人さん」

「はい」


 ふいに義夫が呼び、白杜が返事をして前に出た。


「すまない。それに、ありがとう」


 押し出すような細い声だった。白杜はそれに満たされた笑みを返す。

 無粋にも「何を」と白杜は問い返さなかった。


「いえ、こちらこそ耐え難い経験を頂き、ありがとうございます」


 そこで白杜が後ろに下がると、代わるようにして真衣が義夫に駆け寄った。


「おじいちゃん、これ? お婆ちゃんが持っていた石はこれ?」

「あ、あぁ。そうだ」

「おじいちゃん、嬉しい?」

「嬉しいとも」


 真衣の問いに、義夫は歯を見せて笑った。

 義夫の答えに満足がいったのか、真衣は「やった」と声を上げて飛び跳ねる。

 そんな微笑ましい様子を見守っていると、優志の服の裾が不意に引かれた。

 振り返ると、口元に人差し指を立てた白杜の姿がある。白杜に腕を引かれるまま、優志は部屋の外に出た。真衣たちに気づかれないように扉を閉めると、白杜は淡々と告げる。


「帰りましょう」

「え?」


 白杜の言葉に優志は目を見張った。


「義夫様の求めていた『琥珀』は完成しました。私たちの仕事は終わったんです」

 

 だから、帰りましょう。

 と続けて白杜は廊下を足早に去っていく。優志は一瞬、迷った後に真衣たちに声もかけず、その場を去ろうと歩き出した。しかし、それからすぐに背後から真衣の呼び声が聞こえた。


「お兄ちゃん!」


 呼ばれた優志が立ち止まって、振り向くと必死な様子で真衣が追いかけてきていた。


「帰っちゃうの?」


 真衣は優志の側に駆け寄ってくる。


「うん、俺たちがすることはしたからね。ね、白杜さん」

「はい」


 白杜が頷くと、真衣は驚きの表情を浮かべた。


「え、でもお金とか、払ってないよ」

「『琥珀』を作った代金ならば不要です。初めて来客された方からはお金は貰いませんので」


 無表情で、白杜は優しい嘘をつく。

 ここでようやく優志には、白杜が早く帰りたがっていた理由が分かった。

 彼女は真衣たちからお金を取りたくなかったのだ。

 白杜の内心を何となく理解した優志は、その嘘に乗ることにした。


「そうだよ、真衣ちゃん。お金はいらないんだ」


 真衣は戸惑うように白杜と優志を見比べた後に、ズボンのポケットに手を入れた。しばらくポケットを弄った後、真衣は白杜に向かって拳を突き出した。

 白杜が手の平を伸ばせば、真衣は拳を開き、掴んでいた十円玉を離した。


「これは、十円ですか」

「うん、今はこれしか持ってないから。後で絶対に全部のお金、払うね!」

「……そうですか、判りました」


 絶対、店に来ても白杜はお金を受け取らないだろう。

 優志は、そう思いながら白杜と共に廊下を歩きだした。


「お姉ちゃん、お兄ちゃん。ありがとう!」


 そう言って笑う真衣に手を振り、優志は白杜と共に歩き出した。

 老人ホームの入り口に差し掛かり、優志は「あ」と声を上げて立ち止まる。


「あの、白杜さん」

「何ですか」

「俺、少し用があるんです。寄っていってもいいですか」

「別に構いませんが」


 優志の言葉に白杜は、頷く。


「ありがとうございます」


 優志は深く、頭を下げてから踵を返した。


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