第3章ー3話 過去との軋轢


 数日後、老人ホームに白杜は現れた。真衣と真由子の二人は部屋の外に出て貰い、優志だけが木箱を持って真衣の祖父、義夫の部屋を訪れた。箱を開けると中には琥珀色に輝く石が入っており、義夫はそれを見て目を見開いた。


「『琥珀』か」

「ええ、まだ試作品ではありますが」


 白杜が告げると、義夫の顔は不快に染まる。


「わしは作らなくていいと言ったはずだ」

「私の依頼者はあくまで真衣様です。義夫様に何かを言われたところで、引き下がることは出来ません」

 

 白杜は言いながら、コップに水を入れ、そこに『琥珀』の試作品を放り込んだ。

 水に触れた瞬間、『琥珀』は光輝きながら、旋回していく。

 笛に似た音が鳴り響いた途端、義夫の眉がぴくりと反応する。

 そして、旋律を奏で初めてすぐに表情が冷めたものに変わる。


「違う」

「違いますか?」

「こんな歌じゃない」


 興味下げに呟いた義夫は白杜から顔を背ける。


「帰ってくれ、そんなものいらん」


 投げすてるように言葉を吐いた義夫に対し、白杜は何も言わない。コップを手に取ると、頭を下げる。


「また来ます」

「もう来ななくていいと言っているだろう」


 義夫は顔を顰めて言う。


「うちの嫁さんはもういない。わしは、ちゃんと気持ちにも、心にもけじめを付けている。今更、引っ掻き回すのは止めてくれ。わしも、嫁も迷惑だ」

 

 そこで優志は気づいた。

 義夫は自分ひとりの為に怒っているのではない。

 亡くなった妻のことも想って、怒ってるのだ、と。

 この気持ちに対し、白杜は何と言うのだろう、と優志が伺った所で白杜はまっすぐに義夫を見据えた。


「義夫様の気持ちもよく分かります。ただ、出来れば亡くなった奥様と自身のことだけではなく、今、生きて側に居る方を見て欲しい」

「なに?」

 

 義夫が眉をひそめると、白杜ははっきりとした声で告げた。


「『琥珀』を作って欲しいと依頼された真衣様は、貴方に笑ってもらいたくて、店に来ました。奥様が亡くなった以前のように笑ってもらいたい、と」


 その一言で義夫は目を見開いた。


「ですので、また来ます。失礼しました」


 白杜は頭を下げると、踵を返して部屋を出る。優志は押し黙って何かを考えている義夫に頭を下げてから、すぐに白杜の後に続いた。


「どうだったの?」


 部屋を出て、すぐさま無邪気にも真衣は白杜に尋ねて来る。


「……この『琥珀』ではなかったようです」

「そうなの」


 真衣が肩を落とすと、白杜は短く息を吐く。


「次も、また来ます」


 そう言って無言で通路を進んでいく白杜を追いながら、優志はその背に喋りかけた。


「白杜さん」


 白杜から返事はない。口元を引き結び、コップを持った手に力を籠めて、歩いていく。優志には白杜が考えていることが何となく分かっていた。

 白杜が『琥珀』の試作品を作るに要した時間は五日。

 ほとんど休息をとることなく、睡眠時間を削ってまで作り上げたことを知っている。しかも、妥協もしてなければ、乱雑な加工は一度もしていない。

 琥珀の原石を切り出し、削り、彫って美しい三角錐を作り上げたのだ。

 加工に三日、二日かけて研磨し、調整を行った。

 それでもなお告げられたのは「そんなもの、いらん」の一言だ。


「白杜さん」


 優志がもう一度、声をかけると白杜は振り向いた。

 悔しそうな色を落とした瞳ときつく引き結ばれた唇。

 哀しいのか、怒っているのかは分からなかったが、白杜が普段以上に感情を露わにしていることは優志にも伝わった。


「優志さん」

「は、はい」


 白杜に呼ばれ、優志は応える。

 白杜はまっすぐに優志を見据えて、口を開く。


「少し、一人にしてもらえませんか」

「え、あ、はい。すみません!」


 空気も読まず、話しかけて俺は何をやっているのか。

 優志は慌てて白杜から離れるように通路を走り去り、ホールへと足を踏み入れた。ホールの端にあるソファーに座り、頭を抱える。


「俺、馬鹿だ」


 自分だってスランプに陥った頃は、一人になりたいときがあった。それなのに馬鹿みたいに話しかけるなど、自分に対して、呆れる他ない。

 優志が溜め息をついて、頭を掻きむしっていた時だった。


「大丈夫ですか?」


 老人ホームの介護士だろうか。

 挙動不審な優志を訝し気に思ったのか、問いかけて来る。


「大丈夫です、すみません」


 優志が謝罪を口にしたと共に、驚きの声が返って来る。


「お前、黒尾か?」

「え?」


 苗字を呼ばれて慌てて顔を上げ、優志は驚いた。

 目の前に立っていたのは、茶色混じりの黒髪が目立つ男。高校時代の友人である緑谷信二みどりやしんじだったのだ。


「緑谷、お前、なんで此処に」

「何でって俺の職場、ここだから」

「そうなのか」


 驚きを隠せぬままに言えば、緑谷は訝し気な顔をして優志を見ている。


「お前こそ、こんな所で何してんだよ」

「何って、俺は」


 答えようとして迷う。

 何といえば良いのか分からないでいると、緑谷が助け船を出してきた。


「別に尋問してる訳じゃないんだからさ、気長に喋ろうぜ。俺、休憩時間だから暇だし」


 言いながら緑谷は優志の隣に腰をおろす。


「高校卒業以来だな、本当に」

「そうだな」


 緑谷の言葉に優志は何となく頷いた。


「緑谷は、介護士か」

「……あぁ」


 緑谷は少し間を置いてから頷いた。


「やっぱり、役者になるには才能も努力も足りなかったしな。それに引き換え、お前は凄いよな。本当に役者になっちまうんだから」


 何気ない一言に、針を飲み込んだような心地がした。


「初主演が『櫻の中で』って映画だったっけ。見に行ったけどさ、本当に演技がうまくなったよな。学生時代と比べると本当に見違えるほどだよ」


 緑谷が言葉を一つ、口にするたびに責められている心地がして堪らなくなる。

 優志は深く息を吐くと、意を決して緑谷に向き直った。


「俺、役者辞めたんだ」


 本当のことを言わなくてはならない。

 緑谷とは高校時代、演劇部で共に活動し、共に役者を目指した仲だ。嘘偽りを言うのは、あまりにも失礼だと思い、優志は自身の状態を真摯に告げた。


「スランプになって、これ以上続けるのは無理だと思ったんだ。だから、辞めて今は別の仕事をしている」


 優志が言い終えると、緑谷は動揺を隠せない様子で目を瞬かせた。


「辞めた……?」


 やや間を置いてから、緑谷は冷ややかに呟いた。


「なんだよ、それ」


 最初に穏やかな顔と違って、緑谷は呆れと憤りを含んだ表情をしていた。


「スランプ? そんなことで役者を辞めんのかよ」

「そんなことでって……」


 優志にとってスランプは、本当に辛い出来事だ。

 いや、過去の話にするのは可笑しい。今だってスランプの弊害ともいえる症状は出ていて、台本を読むことは出来ない。人と眼を合わせられるようにはなったが、演じるということには抵抗が残ったままだ。役者や映画、ドラマ、舞台と言った単語を聞くだけで肌が粟立つほどで。『そんなこと』と一蹴されるには、あまりにも重く、辛い物だというのに。


「お前が俺の何を知って、『そんなこと』なんて言うんだ」


 思わず優志が言えば、緑谷の表情の中で羞恥と怒りが深まった。

 しかし、緑谷は何も言わずに立ち上がると、足早に去っていく。残された優志は深い溜め息を落として、背もたれに寄りかかった。


「俺、やっぱり、馬鹿だ」


 優志は寂しさの淵に立ちながら、目を静かに閉じた。

 どれほどそうしていただろうか。ふと傍らに人の気配を感じて、優志は目を開ける。隣を見やると、いつの間にか真衣が座っていた。


「あ、お兄ちゃん。起きた?」

「うん、今、起きた」


 決して寝ていたわけではなかったが、とりあえず話を合わせた。

 すると、真衣は笑顔を浮かべた。


「まだ眠いなら、寝ててもいいよ。真衣が歌を歌ってあげるから」


 そう言って真衣は歌い始める。


『遠き山に日は落ちて 星は空をちりばめぬ 

 

 きょうのわざを なし終えて

 

 心軽く 安らえば 風は涼し この夕べ

 

 いざや 楽しき まどいせん まどいせん』


 その歌は優志にも覚えがあった。


「それって家路?」

「うん、おばあちゃんが好きだったんだ。遠き山に日は落ちてっていう名前もある歌なんだって。」

「へえ、じゃあおばあちゃんから教わったのか?」

「うん、いつも歌っていたから覚えちゃった」


 真衣は言いながら、足をぶらぶらと揺らした。


「昔はお爺ちゃんも歌ってたんだよ。お爺ちゃん家に遊びに行くとね、庭がみえる縁側に行って、お茶を飲んだり、お菓子を食べたりしながら三人で歌を歌ったの」


 真衣は少しずつ祖母が居た頃の出来事を話し始めた。

 真衣の祖父、義夫と祖母は本当に仲がよい老夫婦だったらしい。喧嘩はほとんどなく、真衣は二人が言い争いをしている所を見たことがなかった、と。

 また、二人だけで散歩に出かけることは多く、孫である真衣を連れて三人だけで遊園地や動物園にも行ったという。しかし、祖母が病で亡くなってからは義夫は塞ぎこむようになり、家から出なくなった。真衣と出かけることもなくなったようだ。


「おじいちゃんが、昔みたいに笑ってくれたらいいなって思ったの」

「だから、『琥珀』を作ってほしいって思ったんだ?」

「うん。おばあちゃんは、お爺ちゃんがあげた『琥珀』が大好きで、一人になった時だけ箱から出して触ってたんだって。家路を歌って、石を見てるおばあちゃんが、一番好きだったってお爺ちゃんが言ってた」


 ぽつりと漏らした真衣の言葉に、優志の中で一つの可能性がつながった。

 曲を奏でることのできる『琥珀』。

 そして、試作品を持っていた時の義夫の台詞。

 彼は「こんな歌じゃない」と言った。


「もしかして!」


 優志は立ち上がると駆け出しかけて、足を止める。


「真衣ちゃん。白杜さんが何処にいるか知っている?」


 気持ちは急いていたが、白杜が何処にいるかが分からない。振り返って尋ねると、真衣は目を丸くした。


「出口の所にいるよ」

「そっか、ありがとう!」


 言って駆け出しかけた優志であったが、その足は再び、止まってしまう。


「って、まだ一人になりたいよな」


 先ほど、一人にしてほしいと言われたばかりだ。

 失態を繰り返す訳にはいかない。

 とはいえ、早く報告したいのも事実だ。

 優志がどうするべきか考えあぐねていると、背後から真衣が話しかけてくる。


「お兄ちゃん、白杜さんが言ってたよ。『帰る準備が出来たら、来てください』って。わたし、それを言いに来たんだよ」

「そうか」


 ということは、もう落ち着いたのだろうか。ほっと安堵の息をついたのも束の間、優志は一つの疑問に気づいた。


「真衣ちゃんは白杜さんに言われて、俺の所に来たのか?」

「うん。お兄ちゃんが元気ないから、何かお話してあげてって言われたの」


 そこまで言って「あ」と真衣は口を手で塞いだ。


「これ内緒って言われてたんだった」


 真衣の言葉に優志は心のうちに温かいものが広がるのを感じた。

 なんと遠回しで、細やかな気遣いだろうか。

 恐らく、白杜は優志と緑谷が喋っている所を見ていたのだろう。しかし、直接慰めるのではなく真衣を介したのだ。


「そうか、分かった。真衣ちゃんがしゃべっちゃったことは秘密にしておくよ」

「うん、お願い」


 優志は頷いて、手を振ると建物の出入り口に向かって駆け出した。

 白杜は入口の傍、邪魔にならない壁際に立って優志を待っていた。


「優志さん」


 白杜は、優志を見てほっと安堵の息を漏らした。


「すみません、一人にしてほしいなんて突然言って。ご迷惑をおかけしました」


 頭を下げる白杜に優志は「いえ」と首を横に振って応えた。


「俺のほうこそ、すみません」

「何がですか?」


 本当は全てを知っているはずなのに、あくまで知らない振りをする白杜。

 彼女の優しさに優志は、自然と口元に笑みを浮かべた。


「いえ、やっぱり、何でもないです。ありがとうございます」


 優志は頭を下げてから、白杜を見つめ、短く息を吐いてから話を切り出す。


「あの、白杜さん。俺、『琥珀』の件で分かったことがあるんです」

「分かったこと、ですか」

「はい、実は――」

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