第3章ー2話 頑固な祖父


 白杜は真衣が、学校をサボっていたことも家族に内緒で来たことも全てお見通しだった。すぐに電話番号を聞き出され、あっという間に母に連絡されてしまった。


「いくら何でも、小学生からの依頼を家族に内緒で受ける訳にはいけません。おじい様に会いに行く必要もありますからご家族に説明は必要です」


 正論ではあったのだが、あまりにも淡々とした白杜の態度に、その時ばかりは苛立った。なんて融通が効かない大人だろう、と真衣は思いながら優志の傍らで出されたジュースを不貞腐れて飲んだ。そうしているうちに、連絡を受けた母が飛ぶように店にやって来た。


「真衣!」


 店に飛びこんで来た母の真由子まゆこは、真衣を見つけるなり、顔を安堵から怒りに染めた。


「何で学校を勝手に休んだの、それにこんな店に来て、店員さんたちに迷惑かけて駄目じゃない!」


 真由子の剣幕に真衣は縮み上がった。


「えっと、その。あの」


 説明をしようとしたが、混乱して言葉が出てこない。


「あの、真衣ちゃんのお母さん。あまり怒らないで上げてください」


 助け船を出してくれたのは、意外にも優志という店員だった。


「普段は学校を休まないって本人から聞きました。それなのに、今日は無断で休んだってことは、それだけ大切な用事だったってことだと思います。一人で店の場所を調べて、此処まで一人で来たんです。怒る前に、話を聞いてあげてください」


 言いながら優志はしゃがんで真衣と視線を合わせた。


「ゆっくりでいいから、お母さんにどうして此処に来たのか。言ってごらん」

「うん」


 頷いた真衣は真由子に駆け寄ると、喋り始めた。


「あのね、真衣。おじいちゃんに石をあげたいの」


 祖母の形見である『琥珀』を新しく作って、プレゼントすれば祖父が喜ぶと思ったから、店に来た。今では簡単に説明できることだったが、その当時の真衣の頭では言葉をまとめるのにも時間がかかった。五分ほどしてようやく、全ての事情を喋り終えると、真由子は困ったような嬉しそうな顔をしていた。やや間を置いてから、真由子は諭すように真衣に言った。


「理由はよく分かったわ。でも、勝手にいなくなったりしないで。学校から来ていないって連絡されて、本当に心配したんだから。このお店に来たいって言ってもらえば、いつでも一緒に来たのに」

「でも、お母さん。忙しいし」


 共働きで両親ともに仕事が忙しいのは分かっている。

 学校帰りは友達と遊んだり、習い事に行かなくてはならないから、こっそり抜け出すには登校時が一番だと思ったのだ。


「そんなの気にしなくていいんだから。子供は親に我がまま言っていいのよ」

 

 真由子は微笑んで告げて、真衣を抱きしめた。

 なんだか嬉しくなって真衣も抱きしめ返していたら、白杜の声が割って入ってきた。


「感動の最中、申し訳ありません。本題を話してもよろしいでしょうか」


 やはり融通が効かないのが、白杜という女だった。

 


         ※     ※    ※


 祖父の老人ホームは小高い丘の上に建っていた。

 建物の白い壁と白い屋根は、病院を思い起こさせて真衣はあまり好きではない。

 真衣が顔を顰めている傍らを通り過ぎ、白杜は一人で老人ホームに颯爽と入っていく。慌てて真由子、真衣、優志の三人が後を追う。受付で手続きを済ませてから、四人は祖父がいる部屋に向かった。

 祖父はベッドの上で横になって、ぼんやりと空を見上げていた。


「おじいちゃん」

「おお、真衣か。それに真由子さんも」


 真衣が呼びかけると、嬉しそうに笑う。

 しかし、そこには以前ほどの喜びがないことを真衣は知っている。

 祖母が元気だったころは、もっと元気に笑っていたのに、今は消え入りそうに眼を細めるだけだ。


「あのね、おじいちゃん。今日はお客さんを連れてきたんだよ」

「お客さん?」


 祖父は皺くちゃの顔をあげて、背後に立つ白杜たちを見やった。

 白杜はブーツを鳴らして部屋に入って来ると、丁寧に頭を下げた。


「輝奏石加工店『SEKITEI』の店長をしております。白杜綾音と申します」

「店員の黒尾優志です」


 白杜に続けて、優志も頭を下げる。


「輝奏石」


 ぼんやりと呟いた祖父は目を瞬かせる。


「黄塚義夫様。五十三年前に当店で『琥珀』という石を買ったことを覚えていらっしゃいますか」

 

 白杜が尋ねると、祖父の顔色が一変する。

 祖父の表情は硬く、冷たいものへと変化してしまったのだ。


「……買った、が。それがどうした」


 ぶっきら棒に祖父が言うも、白杜は特に気にした様子もなく淡々と言葉を続ける。


「『琥珀』がどのような音を鳴らしていたのかをお聞きしたいのです」

「何でそんなことを聞きたがる」

「新しく『琥珀』を作ろうと思っているのです」


 白杜の言葉に祖父は目を見開いた。


「なに、『琥珀』を?」


 そこで真衣は、祖父は笑顔を浮かべると思った。

 しかし、予想に反して祖父の顔はますます不機嫌になってしまった。皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、苛立ちと嫌悪を浮かべる。


「いらん、何でそんなことをされなくちゃいかん」

「何で、と問われましても。真衣様に依頼されましたので」


 白杜がはっきりと言えば、祖父は虚を突かれた顔になって真衣を見た。 

 しかし、それは一瞬ですぐに顔はしかめっ面に戻った。


「いい、帰ってくれ。作ったりしなくていい。『琥珀』は無くした。それでいい」


 祖父は手を振ると、そっぽを向いてしまう。


「どうしても、教えていただけませんか。『琥珀』がどんな音をしていたのか」

「くどい!」


 白杜が問うと、祖父は大声で怒鳴った。

 普段は聞かない祖父の怒鳴り声に、真衣も真由子も身を縮こまらせた。

 白杜も顔には出さなかったが、怯んだようでゆっくりと後ずさった。


「……分かりました。何度も失礼しました」


 頭をさげて、白杜は部屋から出て行ってしまう。


「すみません、白杜さん。娘がご迷惑をかけたうえに、こんなことに」


 慌てて真衣が部屋を出ると、真由子が白杜に頭を下げている所であった。


「義父さんは、義母さんが亡くなってから少し、愛想がなくなったというか。突っぱねるような言動が増えてしまったんです」

「いえ、それについて何も問題ありません。それよりも、また此処に来ても大丈夫でしょうか? とりあえず、石を作って持ってきたいので」

「え、ええ。私たちに連絡して貰えれば、いつでも大丈夫ですけれど。その、石を作ってくださるんですか?」


 真由子が戸惑っていると、白杜は真衣に視線を向けた。


「はい。真衣様に依頼されましたので。必ず、『琥珀』を作り、お届けします」


 そう言った白杜は踵を返すと、颯爽と帰っていった。



              ※      ※      ※


「白杜さん、どうするんですか?」


 店に帰ってすぐに、優志は白杜に尋ねた。椅子に座って、帳簿を確認していた白杜は顔を上げると、不可解そうに首を傾げる。


「どうする、とは」

「音が分からないんじゃ、作りようがないと思うんですけど」


 優志が言うと、白杜は唇を僅かに噛み締める。


「そうですね。輝奏石の音や旋律の種類は数千通りとあります」

「す、数千」


 あまりにも桁外れな数字に優志は呻く。


「そんなに多いなんて。全部試していたら完成するのに何年もかかるじゃないですか」

「いえ、それほど大変な作業ではありませんよ」


 白杜は帳簿を眺めながら言う。


「輝奏石の音色は石の種類と形状によって変わります。すでに何の石を使っているのか、と形状は把握できているので音は問題ありません。ただ」

「ただ?」


 白杜は言葉を切ると、眉尻を下げる。


「この帳簿によると、『琥珀』には特殊な細工がされていたと書いてあります。恐らく、何かの歌を奏でることが出来たのでしょう」

 

 白杜は帳簿を開いて、優志に見せる。琥珀と書かれた項目の下に小さく『加歌かか』と書いてある。


「『加歌』とは既存の歌を奏でられるように加工したということなんです。この細工を施しているということは、『琥珀』は水に入れることによって童謡などを奏でることが出来たということです」

「つまり、オルゴールみたいなものですか」

「ええ。しかし、その曲が何なのかが分かりません」


 白杜は深く息を吐いた。


「こうなったら、手あたり次第に加工する他ないようです」


 白杜は帳簿を持ったまま、二階へと上がっていく。


「白杜さん」


 遠ざかる背に慌てて優志が声をかけると、白杜は振り返った。


「はい、何でしょうか」

「あの、ですね」


 迷惑かもしれない。そんなことを考えて、少々、迷いつつも優志は思い切って口を開いた。


「また加工する所を見てもいいですか」


 白杜は目を丸くして、優志を見返す。


「優志さんが望まれるのなら、いつでも見学してもらって構いません」

「じゃあ、お邪魔させてもらいます!」


 宣言しながら、笑顔になった優志は白杜に続いて階段を上った。

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