第3章ー1話 小さな依頼主


 桜が散る季節、私は学校をサボった。


 小学校三年生になって、初めての試みである。通学路の途中で引き返し、学校とは真逆の方向に向かったのだ。目指したのは『SEKITEI』という石を扱う店。

 今、思えばあまりにも拙い考えだ。

 手に握りしめたのは、十円玉と画用紙だけ。たったそれだけで、石を作ってもらえるなどと考えたのだから、当時の私は本当に浅はかで何もわかっていない子供だった。


 と、木塚真衣きづかまいは過去を振り返る。


           ※     ※    ※


 その店は海に面した町外れに、ひっそりと建っていた。


 赤い屋根のこじんまりとした木造りの建物。

 祖父の言葉通りの外観に、安堵と驚きを覚えながら真衣は表の入り口に駆け寄った。備え付けられたスロープを登って、ゆっくりと扉を開く。

 いきなり店の中に入る勇気はなかったので、少しだけ隙間を開けて中の様子を伺った。中では中学生の男の子と無精髭が特徴的な男性が話をしていた。


「そうか、孝之さんは専門学校に行ったのか」


 無精髭の男は黒いエプロンを着ていて、一見、怖そうな外見をしていたが、優しそうな目をして中学生に話しかけている。


「はい、やっぱり菓子作りをしたいって言って。俺も会社は継がないで大学行きたいって話をしたんです。実は、建築に興味があったので」


 中学生の言葉に男は心配そうな表情を浮かべた。背格好が大きく、真衣が恐ろしさを覚える外見ではあったが、男の表情は柔らかだ。


「お父さんから反対とか、されなかったか?」

「それが意外にも、全然、反対されなくて。こんなことなら、普通に本音を言っておけば良かったなって兄貴と話しました」


 中学生が笑うと、男も嬉しそうに目を細めた。


「やっぱり、そうだったか」

「やっぱりって?」

「いや、なんでもないよ」


 男が首を横に振ると中学生は不思議そうな表情を浮かべたが、それも一瞬で、二人には笑顔が戻る。


「俺、そろそろ学校行くようなので。白杜さんにも、ありがとうございましたって伝えてください」

「わかったよ」


 男が頷くと中学生は床に置いていたスポーツバッグを持ち上げた。


「じゃあ、また来ますね」

「ああ、またな」


 男が手を振ると、中学生は入り口の方に向かってきた。

 それを見て真衣は慌てて、扉から離れると入り口の横にあるスロープの陰へと隠れる。中学生は勢い良く外に出ると真衣に気づかないまま、立ち去っていった。

 真衣はすぐに立ち上がると、再び扉に近づき、ゆっくりと開けて店内に踏み込む。


「あれ、いらっしゃい?」


 真衣の背後を伺ってから首をかしげる。

 やや間を置いてから、男は真衣の側によって勢いよく腰を曲げた。

 男の項辺りで括られていた黒い髪が、まるで犬の尻尾のように跳ねる。


「一人で来たのか?」


 真衣が頷くと、男は目を瞬かせる。


「道に迷った?」


 姿勢を低くし、しゃがみこんだ男は真衣と視線を合わせながら尋ねてくる。

 別に迷子でないので、首を横に振っていると男はさらに尋ねてきた。


「じゃあ、もしかして、石を買いたいの?」


 買いたいわけではないので、また首を横に振る。


「じゃあ、石を直してほしいとか?」


 それも違うので首を振る。

 すると、男は困ったような顔になってしまった。


「どれも違うのか」


 ぽつりと呟いてから男は立ち上がる。


「ちょっと、此処で待ってて。店長を連れてくるから」


 そう言って二階へと上がり、程なく。一人の女性と共に男は戻って来た。


「いらっしゃいませ。店長の白杜です」


 ふんわりとした白いエプロンを着た美しい女性が丁寧にお辞儀をする様は、まるでお伽話のお姫様のようだった。

 茶色がかった黒髪は長く、歩く度に滑らかに揺れ、黒い瞳は丸く、大きく宝石のようだ。肌は白く触れれば、柔らかそうで化粧は何もしていないようなのに、顔は輝いて見えた。

 今は無表情だが、笑えばとても綺麗だろう。

 そんな魅力的な姿に真衣が目を奪われていると、白杜と名乗った女性はブーツを鳴らして歩み寄って来る。


「石を買いたいわけでも直したいわけでもないと聞いたのですが、本当ですか」


 年上のはずなのに、なぜか敬語を使う白杜。少々、奇妙に思いながらも真衣が首を縦に振ると、白杜は無表情のままで押し黙る。

 その様子を見かねた男が、再び、真衣と視線を合わせながら尋ねてきた。


「道に迷ったんじゃないんだよな?」

「うん」


 真衣が頷くと、男は「だ、そうです」と白杜を見遣った。

 白杜は目を見開くと、驚きを含んだ声で呟いた。


「優志さん」

「はい」


 男が真剣な表情で応えると、さらに白杜は言葉を続けた。


「人と目、合わせても大丈夫になったんですね、驚きました」

「はい、慣れました。……って、驚くところ、そこですか⁉」


 優志と呼ばれた男が声を上げると、白杜は「ええ」と頷いた。


「以前は怖がっていたじゃありませんか、青都様の時が特に酷かった」

「何か月前の話してるんですか、接客してたら慣れるに決まってますよ!」


 顔を赤くしながら、言葉を吐く優志。


「そうですか、それは良かった」


 対する白杜は柔らかな笑みを口元に浮かべる。

 こんな綺麗な笑顔を浮かべる人を、真衣は初めて見た。まるで夢の中にいるような心地で目を瞬かせていると、優志という男も同様の反応をしていた。


「……なに言ってんだ、あんた」


 やや間を置いてから、優志がぶっきら棒に言う。

 照れ隠しだというのは初対面の真衣にも分かった。


「なにと言われても。優志さんが、人と眼を」

「あー、説明しなくていいですから! それよりも、本題。本題に行きましょう!」


 優志が手を振るって、話を変えると白杜は「そうですね」と頷いて、再び真衣に視線を向けてくる。


「まだ貴方の名前を聞いていませんでしたね。改めて、私は白杜綾音といいます。貴方は?」

「……まい。きづかまい。三年生」


 三本指を立てていえば、白杜は微笑んだ。


「学年まで教えてくださって、ありがとうございます。まいさんですね」


 さん付けを奇妙に思いながらも、こくりと頷けば、白杜は首を傾けた。


「では、まいさん。貴方はどうしてこの店に来たのですか?」


 白杜の言葉に真衣は迷った。


「あの、えっと」


 改めて言葉にしようとすると迷いが生まれ、何と言っていいか分からなくなったのだ。しどろもどろになっていると、白杜は淡々と言う。


「ゆっくりで構いません。貴方が何をしたいのか、私たちにどうして欲しいのかを教えてください」


 静かな声に慌てていた心が落ち着いていく。


「あの、昔にあって、今はないんだけど。同じ石を作ってもらいたいの」

「同じ石を?」


 白杜が首を傾げたので、急いで真衣は手に握りしめていた画用紙を広げて見せる。

 そこには想像だけで書き上げた琥珀色で三角形をした石が描かれている。


「こはくって言うんだって。昔、おばあちゃんが持ってたんだけど、なくしちゃって今はないの。これを作ってほしいの」

「どうしてですか?」

「おじいちゃんにあげたいの!」


 真衣には、祖父がいる。

 かつて祖父は、祖母と共に二人暮らしをしていたが、祖母が亡くなってからは老人ホームに自ら入った。そして、『こはく』というのは亡くなった祖母が持っていた石だった。結婚記念に祖父が祖母にプレゼントしたというのだ。


「最近、おじいちゃんの元気がないの。でも、おばあちゃんの持ってた石をあげたら、絶対よろこぶと思うんだ」


 真衣が自身の気持ちを訴えると、白杜は口元に手を当てて何かを考え始める。


「石の名前は『こはく』と言うのですか」

「うん」


 真衣が頷くと、白杜は「なるほど」と呟いた。


「となると、あの『琥珀こはく』ですね」

「知ってるんですか。白杜さん」


 納得の顔をした白杜に、傍らで話を聞いていた優志が問う。


「ええ、確か……」


 白杜は呟くとレジカウンターに近づくとカウンターの下から古びた帳簿を一冊取り

出し、頁を捲りながら戻って来る。


「それは何ですか?」

「私の祖父の代に作られた輝奏石の名簿です。どのように加工し、誰の手に渡ったかが書いてあります」


 優志の問いに答えながらも、白杜の視線は名簿に落とされている。


「白杜さんのお爺さんも石の加工する、えっと……彫石師をしていたんですか?」

「私の祖父がというより、私の一族です。輝奏石を加工する仕事は日本において、私の一族しか残っていません」

「白杜さんの一族だけ⁉」


 ぎょっとした優志が復唱する。


「大昔は大勢職人がいたそうですが、技術が門外不出の上に伝承方法は口伝のみ。しかも、一家の長男にしか継がれなかったので、次第に廃れていったそうです」

「長男って、白杜さんって女の人……」


 優志はそこまで言って、はっと息を呑んだ。


「実は、元、男性とか?」

「違います。私の家は特殊で女性でも継ぐことが出来ただけです」


 顔を上げた白杜は呆れを含んだ視線を優志に向ける。

 優志は途端に、申し訳なさそうな顔になる。


「……すみません」

「別に謝らなくて結構ですが、見つかりましたよ」

「え?」

「ですから。祖父が『琥珀』を作った記録です」


 目を丸くした優志に対し、白杜は帳簿を開いて優志に見せ、続けて真衣に見せた。

 そこには『黄塚義夫きづかよしお』という祖父の名前が書かれ、傍らには『琥珀』と書かれていた。


「ここに書かれている名前は、おじい様の名前ですか?」

「うん、おじいちゃんの名前だよ」

「では、この『琥珀』が真衣さんの言う『こはく』でしょうね」

 

 そこまで言って白杜は眉間に皺を寄せた。


「白杜さん、どうかしましたか?」

 

 優志が心配そうに顔を覗き込めば、白杜は皺を解き、無表情で喋り始めた。


「材料などは細かく記載されていますが、音が書かれていません、これでは水に触れた際にどのような音を奏でていたのかが分かりません」

「作れないの?」


 真衣が不安を露わに尋ねると、白杜は静かに微笑んだ。


「いえ、作れないことはありません。ただ、どのような音を奏でていたのかを知らなければなりません。貴方は『琥珀』の音を知っていますか?」


 真衣は首を横に振った。

 真衣が『琥珀』の存在を教えられたのは、祖母が亡くなった後に祖父がぽつりと喋ったことから始まる。色や形は教えられていても、どんな音をしていたかは知らない。


「そうですか。では、直接、おじい様に尋ねに行く他ありませんね」

「じゃあ、石を作ってくれるの⁉」


 真衣が驚きながら聞くと、白杜は「はい」と答えた。


「『琥珀』を作る依頼をお受けいたします。しかし、その前に」


 白杜は目を細めると、真衣を見やった。


「貴方のご家族に連絡をしましょう」

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