第2章ー4話 依頼主の元へ
優志の実家に白杜から連絡が届いたのは、『群青』の修復を行った日から五日も後のことだった。白杜からの連絡は、直接、孝之の元に石を届けに行くようで、付き添いを頼む電話だった。
「白杜さん!」
待ち合わせの駅につくと、すでに白杜が待っていた。白のワンピースにダッフルコートを羽織り、革製のバッグを持った白杜が纏う雰囲気は上品だ。
もう少し立派な恰好で来れば良かったかな、と優志は自身の姿を確認した。
そこにはジーンズにトレーナー、スニーカーといったラフすぎる恰好がある。
「おはようございます、優志さん」
「あ、おはようございます」
優志が挨拶を返すと、白杜は目を細める。
「突然、呼んでしまったすみません。お話した通り、青都様に『群青』をお届けしたいと思いますので、付き添いをお願いします」
「別に謝らなくて大丈夫ですよ。俺、本当に暇ですし、すぐに呼ばれても全然問題ありませんから」
優志が笑っていうと、白杜は驚いたように目を丸くした。
やや間を置いてから、白杜は僅かな嬉しさを口元に浮かべて頷く。
しかし、それも束の間、白杜は無表情へと戻るときびきびと歩き出した。
「では、行きましょう」
「ちょ、待ってください。白杜さん」
優志は慌てて、白杜の後を追って歩き出した。
※ ※ ※
駅の近くに青都家の邸宅は建っていた。
呼び鈴を押して事情を言えばと、すぐに使用人がやって来て白杜と優志を敷地内に通した。芝生に覆われた庭は広く、車庫やプールといった設備も整っており、青都家の財力を伺わせた。邸内も広々としており、アンティークの家具や装飾が磨かれ、光に照らされて美しく輝いていた。
こんな金持ちの家、初めて来たな。
優志は緊張感を覚えながら、颯爽と歩いていく白杜の後に続く。二人が通されたのは応接室で、中には孝之と孝彦、そして、二人の父親であろう中年の男がソファーに座って待っていた。
「ああ、君が孝之の言っていた職人さんか」
「そうです、父さん」
父親の言葉に頷いた孝之は白杜を見やった。
「店長の白杜さんと従業員さんです。白杜さん、父と弟です」
「ええ、存じ上げています。お父様が
白杜が何気なく言うと、孝彦はあからさまに嫌そうな顔をした。
それはそうだろう。
兄を想う孝彦の事情を聞きながら、白杜は簡単に追い返してしまった。
それどころか、白杜は『群青』を直して持ってきてしまったのだ。
孝彦には、憎らしいことこの上ないだろう。
優志は、言い争いになっても間に入れるように心掛けながら、孝彦と白杜の間にあるソファーに腰を下ろした。
「それで、その『群青』はどうなりましたか」
恐る恐ると言った様子で、孝之が尋ねて来ると白杜は頷いて、鞄から箱を取り出した。
「仰られた通りに『群青』は修復いたしました」
白杜の一言で、孝之、孝彦、孝信の顔に変化が起きた。
孝之には落胆があり、孝彦には憤りがあり、孝信には戸惑いがある。
各々、感情を顔に出す中で白杜は箱を手にしたまま、孝信を見やった。
「孝信様に一つ、お聞きしたいことがあります」
「私に?」
「ええ、貴方は『群青』が壊れた場面をご覧になりましたか?」
「それは勿論。私が落として壊してしまったのですから」
「落として、ですか」
「はい、拭いていたら、落として割ってしまって」
「なるほど。では、周囲に居合わせた人はいましたか?」
「……いえ?」
首を横に振った孝信の様子を見て、白杜は目を細めた。
「そうですか」
白杜は頷きながら箱の蓋を開けた。中に入っていたのは完全に修復され、磨かれた『群青』が布に包まれていた。『群青』を箱から取り出し、白杜は布を広げて『群青』をテーブルの上に乗せて見せた。
「あ、ありがとうございます」
孝之はやや間を置いてから頭を下げた。
「あの、後払いってことでしたが、金額はどれほどになりますか?」
孝之が尋ねると白杜は首を横に振った。
「いえ、壊すので、お礼も代金も結構です」
「え?」
白杜の言葉に皆が目を丸くしたときだった。
素早く白杜は『群青』を布で包み直すと、鞄に手を突っ込んだ。取り出したのは仰仰しい金槌で、白杜はしっかりと指に力を籠めると、力強く腕を振るった。
ガシャン。
金槌は布に包まれた『群青』を叩き割る。
白杜は一度ならず数度にわたって金槌を振り上げては、『群青』を叩いた。
「な、何をしているんだ!」
声を上げたのは孝信だ。
「我が家の家宝に壊すなど、どういうつもりだ⁉」
孝信の言葉にはっとなった優志が、急いで白杜の腕を取る。
「白杜さん、折角直したのに何をしてるんですか⁉」
「壊しているんです」
淡々と答えた白杜は腕を下ろした。
「ぐ、群青は」
孝之が慌てた様子で、布を広げると美しい球体であった『群青』は粉々に砕けて見る影もなかった。
「何で、こんなことを……」
孝之が呟くと、白杜は口を開いた。
「望まぬ相手に渡っても人も石も誰も喜びません」
その言葉に皆が白杜を見やる。
白杜は姿勢を正し、壊れた『群青』をまっすぐに見据えて、言葉を続けた。
「この『群青』は親が子供の自立を応援する為に贈る品なのです。それが当主の証として受け継がれるなど本来の意味合いや用途とはかけ離れています。第一」
白杜は孝之を見つめる。
「孝之様は本当に家と会社を継ぐつもりが、おありなのですか」
「それは……」
孝之が言葉に詰まる。
「他の道を考えているのではありませんか。中途半端な考えの方に『群青』を持っていて欲しくはありません」
きっぱりと白杜が言い切ると、孝之は項垂れてしまった。
「リスクを負わない人生などありません。本当に追うべき場所があるのなら、現状を壊すことを恐れず、進んでみてはいかがでしょうか」
そこで言葉を切ってから白杜は孝彦を見やった。
「貴方もです、孝彦君」
「お、俺も?」
きょとんとした孝彦に白杜は頷く。
「目指す所があるなら好きに進みたいと、お父様や孝之様に言ってみてはどうでしょうか」
白杜の言葉に孝彦は口を引き結ぶと、しっかりと頷いて見せた。
それを確認した白杜は鞄から紙袋を取り出し、テーブルに置く。
「壊した『群青』の代金になります。ご家族で話し合った末に本当に『群青』を直したいのとお思いでしたら、ご来店ください」
淡々と白杜は言うと鞄を持って立ち上がると静かに頭を下げた。
「『群青』を壊したこと、いたくお詫び申しあげます。失礼しました」
皆が茫然とする中、ひとり立ち上がると応接室を出ていってしまう。優志はゆっくりと静かに白杜の後に続いて、応接室を出た。
「白杜さん、あの」
「怒られる前に逃げますよ」
「え?」
呼びかけると、白杜は苦笑いを浮かべていた。
「器物損壊で訴えられては困ります」
言って足早に廊下を歩いていく白杜の後ろ姿に、優志は思わず噴き出した。
「困りますって、なんだそれ」
つられて笑った優志も急いで歩き出した。
少々、失礼な気もしたが二人は廊下を走り抜けると、逃げるようにして邸を出て行った。
※ ※ ※
まだ日も高い、帰り道。二人は土手を歩きながら話をしていた。
「白杜さん、本当に壊してしまって良かったんですか」
明るく澄みきった空を仰ぎながら優志が問うと、白杜は頷いた。
「あの場の誰もが、『群青』を疎ましく思っていました。ですから、処分してしまった方が良かったんです」
「誰もが?」
優志が首を傾げる中、白杜は遠い目をして川を見やった。
「『群青』は誰かの手によって意図的に壊されていました」
「え?」
「そして、それを行ったのは恐らく孝信様でしょう」
淡々と語る白杜に対し、驚きで優志は足を止める。
「で、でも落として壊したって、言ってましたよ?」
「元々、輝奏石は頑丈なので落としたぐらいで壊れたりしません。恐らく、十階建てのビルから落とされても形状は変わりません。先ほど、私の使った加工用の金槌を使わない限り、割ることは不可能なんです」
白杜な鞄の中に入った金槌を指してから、言葉を続ける。
「しかし、『群青』は真っ二つに割れて居ました。壊そうと思って何度も金槌で叩かない限り、二つに割れることはありません。となると、誰かが専用の金槌を使って、何度も叩いたことになります。そして、『群青』が壊れた際に側に居たのは自分だけだと、孝信様自らおっしゃられていました。ですから、孝信様が『群青』を壊した可能性が高いと思うのです」
白杜は川面を見つめながら、呟いた。
「じゃあ、孝信さんはどうして『群青』を壊したんですか……?」
「どうして、と問われましても。私は孝信様ではありませんので、判りかねます」
「そ、そうですよねー」
当たり前のことを聞いてしまったと優志が頭を掻く。
そうすると、白杜は口元に手を当てて考える仕草を行う。
「ですが、もし、私が孝信様の気持ちを考えるとなると……。そうですね」
首を捻って白杜は言葉を吐いた。
「孝信様は、孝之様たちが会社を継ぎたくないことに気づいておられたのではないでしょうか」
「気づいていた?」
「それか、孝信様自身も『群青』を疎ましく思っていたのではありませんか? 孝信様も現当主ということは『群青』を親から渡されたでしょうし」
「な、なるほど」
優志が納得しかけていると、白杜は「とはいえ」と話を挟む。
「推測は推測でしかありません。結局は当人たちが考えていることは当人たちにしか分かりません」
言いながら白杜は足早に進んでいく。
その背を見ながら、優志は更に質問を重ねた。
「でも、どうして皆の前で石を壊したんですか。石が邪魔なら隠れて処分するとか方法はあったでしょう?」
すると、白杜から返って来たのは意外すぎる答えだった。
「インパクトがあるかと思いましたので」
「インパクト?」
「孝之様たちに、将来を考える切っ掛けを作るのが今回の目的でした。ですので、衝撃的な方がよく考えてくださるのではないかと。それに」
白杜は口元に笑みを浮かべた。
「あの『群青』は本来、割る為に作られているんです」
「へ?」
優志が、きょとんとしていると白杜は困ったように笑う。
「子供が成人した際に自立を願って金槌で割る代物なんです。正月の際に餅を割ったりするでしょう?」
「割りますけど。それってつまり『群青』は鏡開きみたいに使うってことですか?」
「ええ、音色を聞いて分かりました。これは成人の式典用の音色だと。時間をかけて調べてみれば、やはり成人式の際に割る為のものでした」
だとしたら青都家は、まったく逆の使い方をしていたことになる。
自立を願って割るはずの石が何代にも渡って当主の証とされて、人の人生を縛っていたのだというのだから。
「ああ、だから皮肉って、そういう意味ですか」
「はい。本来の使い方とそぐわないという話です」
そこで一旦、言葉を切ると白杜は息を深く吸って吐く。
冷えて白くなる息を唇から、細く吐き出してから白杜は一言呟いた。
「とにかく、私が出来ることはしました。後は、彼らがどうするか、ですね」
目を眇めて、天を仰ぐ白杜。
その瞳を見つめたところで、優志は気づいた。
『群青』を修理していた時の白杜の瞳、そこにあった既視感の正体に。
誰か目と似ている、そう思った正体に気づいた。
――――あれは、俺の目だ。
役者業に打ち込んでいた時、必死になって良いものを作り上げようとした時の優志自身の目。それと白杜の石に対する真剣さが重ねって、懐かしさを覚えさせたのだ。
そこまで、思い至った優志は、目を細め、白杜を見つめた。
石に真剣に向き合っている白杜。
彼女が石を壊す決断を下すには、生半可ではない覚悟があったはずだ。
しかし、今、隣を歩く彼女は、その覚悟や決断に至る苦悩をおくびにも出さない。
どうにも、優志には、白杜の強さが眩しく、羨ましく見えたのだった。
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