第2章ー3話 修繕作業


 初めて通された二階は簡素の一言につきた。


 まず、生活感がない。作業場を兼ねた居住スペースである二階に、家具は殆ど見当たらない。ベッドもなく、ソファーと本棚、すっきりとしたキッチンぐらいしか目ぼしい物はない。あとは輝奏石を加工する為の道具や工具、作業台が大半で生活する場所というよりは、ただの仕事場と言った方が正しいだろう。


「楽にしてもらって構いません」

「は、はぁ」


 白杜の言葉に頷いた優志は、周囲を見回してから邪魔にならないであろうソファーに腰を下ろした。年季の入ったソファーは柔らかく、生地にはいくつか傷が見受けられる。

 

 優志が座っている間に、白杜は作業台に向かっていく。作業台の足は木材で作られ、天板には灰色の石材が乗っていた。その上に『群青』と見慣れない複数の道具が置いてある。


「あの、白杜さん。俺は何をすれば?」

「昨日言った通りです。ただ見てもらうだけで構いません。もし、飽きたら途中で帰っていただいても問題ありません」

「そうは言われも……」


 飽きたら帰れと言われて、帰るだけの図太さは持ち合わせていない。

 どうするべきか、と優志が考え始めた矢先、白杜は椅子に腰を下ろすと、作業台の上に置いてあったアルコールランプのような物に火をつける。

 マッチで点けた炎は、朱色から天色へと変化しながら燃え続ける。

 白杜は透明なコップに『群青』と同じ色の石を放りこむと、そのまま炎の上に翳した。数秒ほどして、しゅうっと音がしてコップの中に入っていた石は溶け、液状化する。


「え、溶けた⁉」

 

 ガラス並に固い石が簡単に溶けた様子に優志が驚きの声を上げると白杜は作業の手を止め、振り向いた。


「輝奏石は普通、高温にも低温にも耐えられます。また衝撃にも強いんです。しかし、ニワトコという植物を燃やした炎を使えば、簡単に溶かすことが可能です」

「へぇ、そんな特徴もあるんですか」


 特定の材料を燃やした時のみ、溶ける石とは本当に輝奏石は不思議な代物だ。

 優志が興味深げしていると、続けて白杜は液体と化した石をスプーンで掬う。そして、撫でるようにして『群青』の割れ目に液体を付着させると、それを接着剤のようにして真っ二つに分かれていた『群青』を一つへと戻していく。

 錠前に鍵が入るかのように、あるべき場所にあるべきものが戻るように、『群青』は一つの球体に戻っていった。


「凄い、あっという間に元通りだ」

「いえ、まだです」


 白杜は首を横に振ると、まだ粗い割れ目に液体を流し込んでは、細かい欠片を接着していく。数ミリメートルしかない小さな欠片もピンセットを使って戻すと、布とヤスリで表面を磨くことを繰り返す。


 優志はゆっくりとソファーから立ち上がると、白杜の背後から様子を伺った。

 小さな欠片を接着していく作業は、二時間ほど続き、白杜は休むことなく作業に没頭した。優志もまた完全な球体へと戻っていく『群青』と白杜の手つきを見続ける。

 優志は押し黙って、作業を眺めながら、不思議な感覚に襲われていた。


(なんだか、変な感じがする)


 懐かしく切ないのに、肌が粟立つ奇妙な心地。酷く心が、ざわついていた。

 作業する白杜の瞳は、まっすぐと『群青』を見つめている。

 その強い思いを込めた瞳が既視感と切なさを優志にもたらした。


(何処かで、見たような眼だ)


 どこで見ただろうか。

 いつ見ただろうか。

 誰のものだっただろうか。

 優志が考えを巡らせた時、ちょうど白杜が手を止めた。


「終わりました」


 ほうっと息を吐いた白杜の背後から、優志は『群青』を覗き込む。


「うわ」


 思わず声を上げて、優志は目を瞬かせた。

 白杜の手の中にあったのは、孝之が見せた写真通りの『群青』であった。

 透明度の高い青の球体は、まさに名の通りに青空を思い浮かばせ、陽の光が入ると輝きを増していく。


「後は水に入れて音を確認するだけです」


 白杜は言うと深みのある皿を持ってきて中に『群青』を置いた。


「水に入れて大丈夫なんですか? 形が崩れたりしそうですけど」

「輝奏石を溶かしたものは速乾性があるんです。もう乾いていますし、崩れることはありません」


 言いながら白杜は『群青』に水をかける。流れた水が石の表面をゆっくりと落ちていくと、曲が奏でられる。それは明るく、アップテンポな曲だった。晴れ渡った日の空を連想させる張りのある音は、大きく、打楽器の音に似ていた。


「これは……」


 白杜は目を見張って、『群青』を見つめてから、すぐさま溜め息をついた。


「なるほど、本当に皮肉ですね」

「白杜さん?」


 白杜は薄く笑みを口に浮かべていた。


「……優志さん」


 呼びかけられて、優志はドキリとした。

 白杜の瞳が、とても切なげな色を含み、声には哀しみが満ちていたからだ。


「明日からしばらく仕事を休んでいただけませんか」

「え?」

「少し一人でやるべき事がありますので、お願いします」

「あ、はい」


 頷きつつも、優志はあまり納得できずにいた。

 何故、突然に白杜は休めなどと言って来たのだろうか。

 脈略のなさに首を傾げていると白杜は更に言葉を続ける。


「人手が必要になったら、連絡しますので、それまではご実家でゆっくりしていてください」


 そう言って、白杜は『群青』を見下ろす瞳に、哀しみを溢れさせた。

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