第2章ー2話 石を直さないで
「白杜さん、どうしたんですか」
孝之が帰った後、優志は茶を片付けながら白杜に問いかけた。
「どうしたとは?」
白杜は預かった群青を二階に運んできたらしく、階段を降りていた。
ゆっくりとした足取りで、歩きながら白杜が片眉をあげて尋ね返してくるので、優志は給湯室から顔だけを出した。
「保管方法を聞いた時、あからさまに不思議そうな顔をしてたじゃないですか」
「ああ、気付いていましたか」
白杜は意外そうに目を丸くしてから、すぐにいつも無表情に戻ってレジに向かう。
「少し気になることがありまして、質問したんです」
「気になることって?」
「輝奏石は硬くて柔らかいので、滅多に壊れることはないんです」
「はあ」
言葉の意味がわからず、曖昧な声を優志が漏らした時、重なるようにドアベルが鳴った。孝之が戻ってきたのかと思ったのだが、店に入ってきたのは中学生の男の子だった。着ているのはスーツではなく、ブレザーだ。中学生は不機嫌を貼り付けた顔で、店内を眺めると口を開く。
「さっき、兄貴が来ただろ」
兄貴と言われてその中学生が、孝之によく似た顔立ちをしていることに優志は気づいた。孝之に見せてもらった写真に写っていた少年だ、と気づいた優志は、はっとする。
「もしかして、青都さんの、弟?」
優志が問うが、中学生は答えない。それどころか優志の前にやってくると、見上げるようにして睨みつけてくる。視線が合い、怯んで動けなくなった優志に対し中学生はさらに言葉を重ねた。
「『群青』を置いてったんだろ。直さなくていいから、それを寄こせ」
あまりに横暴な物言いに優志は顔を険しくさせた時、白杜が口を開いた。
「それは出来ません」
「はぁ? 何でだよ」
「私たちは、青都孝之様に依頼されて、『群青』を預かりました。ご本人の許可なく第三者に渡せば、私たちの責任となります。責任のとれないことを私たちはしません」
白杜が冷たく言い切ると、中学生は驚きの後に苛立ちを顔に浮かべる。眉を吊り上げた中学生が殴りつけんという勢いで白杜に向かって歩いていくのを見て、慌てて優志は動いた。
「ちょっと待て」
優志は白杜を庇うように立つと、中学生をねめつけた。
「なんだよ」
中学生が見返してくる。刺すような視線に膝が笑っていたが、それでも優志は退くわけにはいかなかった。此処で白杜に危害が及ぶようなことがあれば、申し訳が立たない。雇ってもらった白杜には多大な恩があるのだから。
そう思った優志が中学生と睨みあう中、ふいに白杜が「青都様の弟様」と中学生に声をかけた。
「事情によっては、『群青』をお渡し出来るかもしれません。ですので、何故、『群青』を直さなくていいと言うのか、正直に教えていただけませんか」
白杜が言うと、優志をねめつけていた中学生は考えを巡らせているのか、腕を組んだ。やや間を置いて、中学生は白杜を見やる。それを了承と受け取ったのか、白杜は静かに告げた。
「私は店長の白杜と言います。貴方は?」
「……
「では孝彦君。貴方は何故、『群青』を直さなくていいとおっしゃられるのでしょうか」
白杜が問うと、孝彦と名乗った中学生はつっかえながら答えた。
「あの石を直されると困るんだ。あの石が直ったら、兄貴は家と会社を継がなくなきゃいけなくなる」
「会社?」
優志が首を傾げるのに対し、「ああ」と白杜は納得の声を漏らした。
「孝之様のお父様が経営されている化学メーカー『アオト』のことですね」
「ア、アオトってあのシャンプーとかで有名なアオト⁉」
告げられた会社名を聞いて優志はぎょっとなる。アオトとは、洗剤や石鹸、化粧品など多様な商品を開発している有名企業だ。優志が使っているシャンプーやボディーソープ、食器用洗剤も全てアオト製品である。テレビのコマーシャルも頻繁に見かける。そんな会社を孝之や孝彦の父が経営しているとは驚く他ない。
「継ぐってことは、孝之さんが社長になるってことか。凄いな」
素直に感嘆した優志であったが、間髪入れずに「凄くない」と孝彦が否定した。
「父さんが作った会社なんて、俺も兄貴も欲しくないんだ。兄貴は他にやりたい仕事があるみたいだし」
「なるほど」
白杜は合点したように頷いたが、優志にはまったく事情が読めない。
「なるほどって白杜さん。どういうことですか?」
「ですから、孝之様は会社を継ぎたくないと思っている。しかし、『群青』は青都家の象徴であり、持ち主は家と会社を継がなくてはならない」
白杜が説明して、ようやく優志も理解した。
「そうか、孝之さんに会社を継いで欲しくないから『群青』を直して欲しくないってことか?」
孝彦は頷く。
「兄貴には好きな道を選んで欲しいんだ。『群青』が直ったら、すぐに兄貴は家を継がなきゃいけない。『群青』があると迷惑なんだ。だから、直さないでくれ。もし、直すっていうなら、兄貴や親父には渡さないで、俺に渡してくれ」
来客時と打って変わって、必死に訴えかけて来る孝彦を白杜は眉をぴくりと動かしてから、見返した。
「貴方に渡した場合、『群青』はどのように扱われるのでしょうか」
「そうしたら『群青』は何処かに隠すか処分する。新しい仕事が見つかってる兄貴を社長にはしないだろうから、代わりに俺が社長になれば、兄貴は好きなことをずっとやれる」
そんな孝彦の想いを聞いていた優志は「果たしてそう上手くいくだろうか」と思った。
兄を想う気持ちは大切だし、とても素晴らしいものだと思うが、『群青』がなくなった程度で周囲の人々は納得するだろうか。
様子からして孝之が社長になることは決定事項のように思える。
そこで「群青がなくなったから、社長にはならなない」等という考えが罷り通るのだろうか。孝彦の考えは、あまりにも拙い見通しだ。
優志が考えを巡らす一方、白杜も考え事をするように口元に手を当てると、低い声音を発した。
「いくつか質問よろしいですか」
白杜の真剣な眼差しに射抜かれ、孝彦は思わずといった様子で首を縦に振る。
「一つ目の質問です。 ……孝之さんがやりたい仕事とは何なのですか」
「パティシエって言ってた。甘いものが好きで菓子を作る仕事に関わりたいって」
そういえば茶菓子として出したクッキーに興味を示し、美味しそうに食べていた。
優志が思い返しているうちに、白杜は次の質問をする
。
「二つ目の質問です。 ……『群青』が壊れる所を貴方は見ましたか?」
「いや、見てないけど」
「では最後に孝彦さん、貴方がなりたい仕事と何ですか」
白杜が問うと、「え」と孝彦は意外そうに目を丸くしたのちに俯く。そして口を引き結んで何も言わなくなってしまった。
「孝彦くん?」
突然、押し黙った孝彦の様子に心配になった優志は声をかける。孝彦は弾かれたように顔を上げると、震える声で告げた。
「特に、ないです」
孝彦の言葉に白杜は目を細めた。
「そうですか。では、お引き取りください」
「え?」
茫然とする孝彦には目もくれず、白杜は何気なく踵を返す。普通に席を外そうとする彼女を見て、優志が咄嗟に口を開いた。
「え、ちょっと、白杜さん⁉」
声を掛けると白杜は「はい」と振り返った。
「何でしょうか」
「何でしょうかも何も、質問するだけして『お引き取りください』ってどういうことなんですか。孝彦くんも俺も訳がわかりませんよ」
優志が問うと白杜はそんなことか、と言わんばかりの様子で答えた。
「最初に言いましたが『群青』を渡すことは出来ません。あくまで、依頼者は孝之様ですから」
冷たく言い放った白杜に優志も孝彦も茫然となる。
やや間を置いてから、怒りの声を上げたのは孝彦だ。
「事情を話したら、『群青』を渡してくれるって言ったじゃないか!」
「いえ、事情によっては、『群青』をお渡し出来るかもしれませんとは言いましたが、渡すとは言っていません」
感情の籠っていないような声で告げた白杜は、最後にこう締めくくった。
「もう一度いいますが、貴方に『群青』は渡せません。お引き取りください」
淡々と述べた白杜に、優志と孝彦は唖然と立ち尽くす他なかった。
※ ※ ※
「白杜さん、何もあそこまできっぱりと言わなくても」
怒りと落胆を織り交ぜたような表情を浮かべて店を出て行く孝彦。その背を見送りながら、優志は白杜を振り返った。
白杜はいつの間に二階から持ってきたのか。
レジ前の椅子に腰かけながら割れて二つになった『群青』をルーペを介して、眺めている。角度を変えて石を観察しながら、白杜は口を開いた。
「では、何というのですか。貴方の考えは素晴らしい。『群青』を処分してしまいましょう。と言え、というのですか」
いつもと違って剣のある物言いに優志は、肩を竦ませる。よくよく白杜の顔を伺ってみると、そこには僅かな怒りが見受けられた。
「白杜さん、もしかして怒ってます?」
優志が問うと、びくりと白杜の眉が震える。白杜は顔を上げると、じとりと優志を睨みつけてきた。
「……怒ってなどいません」
「嘘だ、いつもより動揺してるじゃないですか」
そんなに長い間、一緒にいる訳ではないが、いま白杜が強い感情を抱いているのは態度で分かった。優志が更に言葉を重ねると、ぴくぴくっと白杜の眉が大きく震えた。その直後、溜め息をついた白杜は再び、『群青』をルーペで観察し始めた。
さらに怒らせてしまっただろうか、と優志が考えた矢先、白杜はぽつりと呟いた。
「少し寂しく思っただけです」
「寂しい?」
「『群青』とは本来、親が子供に贈るものでした。石の蒼さは青春時代を現わし、同時に子供の若々しさを意味しています。奏でる音によって、健康祈願、自立を願うものなど意味合いは分けられますが、どの『群青』も親が子の幸せを願って渡してきたのです。それが……」
白杜はルーペと下ろすと悲し気に目を伏せる。
「今は一つの家族を縛る産物と成り果てている。本来の意味と全く違うものになってしまった」
白杜の瞳が陰る。しかし、それは一瞬のことで月が姿を変えるように、白杜の瞳には別の感情が宿った。
「優志さん」
「は、はい」
何かを成し遂げようとする決意の声音で呼ばれ、優志は戸惑いながら白杜に向き直る。白杜はやや迷った後に、静かに尋ねて来た。
「『群青』がなくなれば、孝之様は社長にならず、好きな職業を目指すと思いますか」
「そ、それは」
はっきり言って、そこまで簡単ではないというのが優志の見立てだ。
ひと一人の将来など石の存在で簡単に左右するはずがない。
優志も役者を目指す上で、多くの選択を迫られてきたが、結局の所、自身の将来を決めるのは自分である。家族の誰になんと言われようが、己の道は己で決めることだし、『群青』の有無はさほど重要ではないように思えた。
しかし、そんな思いを白杜にそのまま伝えるのは憚られた。
白杜は石を扱う人間で、石に対する思いは強い。
石の存在がさほど重要ではないと切り出せば、不快に思うかもしれない。
そうしたら、優志という人間はどのように判断されてしまうのだろうか。
優志が、ぐるぐると悩んでいると、ぱんっと突如、破裂音が響き渡った。
驚いて顔を上げると、白杜が手を叩いたのだと理解する。
白杜は手を合わせたまま、静かに優志を見る。
「何を考えていらっしゃるか、私には測りかねますが。貴賤ない言葉で、貴方が想ったことをそのまま教えてください。自分以外の考えを知りたいから、尋ねているんです。別に貴方の意見だけで判断はしませんし、何を言われても私は責めたりしません」
白杜は柔らかな光を湛えた瞳で、優志を見る。その瞳は日の光と優しさを含んでいて、輝く様はまさに宝石のようだ。
「綺麗だ……」
「はい?」
「あ、いえ、なんでもありません! えーっと、俺の考えですよね」
思わず口にした言葉を消し去るように慌てて腕を振った優志は、視線を天井に向ける。
「はい、優志さんの考えを聞かせて貰えると有難いです」
きょとんとしていた白杜も、すぐに問いかけを思いだし、顔色を変える。
「まとまってなくてもいいですか? 俺、言葉を口にするのはあまり上手くなくて」
「ええ、構いません」
頷いた白杜に優志は思考しながら、考えたことを少しずつ口にした。
「その、俺は、『群青』の存在は、孝之さんの職業にあまり関係ないんじゃないかなと思います。結局、将来を決めるのは自分で、それは厳しい家だろうが普通の家だろうが同じです。……本当になりたい夢があるなら、親が反対しても、友人に止められても決断することはできます。それをしないってことは、孝之さん自身が、決断しようとしていないってことだから。それは部外者が、どうこう出来ることじゃないと思います」
「そうですか」
「でも!」
優志は、声を張りながら、祖母の家での出来事を思い出していた。
「もしかしたら、切っ掛けにはなるかもしれない」
「切っ掛け?」
復唱した白杜に優志は頷く。
「将来を考える切っ掛けです。時間と切っ掛けを貰えれば、もしかしたら改めて将来を考えて、新しい道に進むかもしれません」
祖母の家で見た輝奏石の音色と輝き。
僅かでも優志は、それによって救われ、白杜との縁を繋ぐことが出来た。
店で働くという機会を得たのだ。
「俺も、婆ちゃんの家で石を見たから白杜さんの店で働く切っ掛けを得ました。だから、孝之さんに未来を考えさせる切っ掛けにはなり得ると思うんです」
自身も石の存在によって、新しい道を選んだ一人だったのだと気づいた優志が告げ
ると白杜は「なるほど」と頷いた。
「将来を考えるきっかけ、ですか」
白杜は口元に手を当ててから、顔を上げる。
「優志さん、良ければ明日、いつもより早く出勤してもらえませんか」
「え?」
突然なんだと、驚いていると白杜は強い口調で言った。
「『群青』の修繕をぜひ、見てもらいたいのです」
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