第2章ー1話 石を直して


「あの、すいません」


 弱弱しく言って店に入ってきた男性を見て、優志は思わず固まってしまう。レジを前にして動かない優志に、スーツ姿の男性は不安げな顔をした。


「あの、ここ、輝奏石のお店ですよね? 修理を頼みたいんですが」


 確認するように問われて、ようやく「はい」と言って優志は頷いた。しかし、二の句が浮かばず、優志は視線を逸らすことしかできない。

 優志の心中は驚愕で不安で覆い尽くされていた。

 白杜の元で働き始めてから一週間、初めて客らしい客が、『SEKITEI』を訪ねてきた。本当に営業しているのか、と疑い始めた矢先の来客で、まずは驚きが頭の中を過る。その直後に視線に対する恐怖がやってきた。


 この客に俺はどう見えているのだろうか。


 そう考え始めると背筋に冷たいものが走り、自然と膝が笑い始める。

 客も訝しげな顔をしており、何か言わなくてはと思うのに言葉が喉につっかえて出ない。どうしたらいいのか、と優志が途方に暮れた矢先、震える背を支えるように手が伸びてきた。


「いらっしゃいませ」


 背後から聞こえた声に振り向いた優志は目を剥いた。

 いつの間にか白杜が、優志を支えながら傍らに立っていたのだ。


「優志さん、私が対応しますので二階で作業を続けてください」

「え?」


 二階でする作業などない。眼を丸くした優志であったが、柔らかに細められた白杜の瞳を見て、すぐさま言葉の意図を理解した。白杜は優志が他者の視線を怖がっているのを知っている。自分を気遣って、客から遠ざけようとしてくれているのだと気づき、優志は自然と首を横に振っていた。


「いえ、その仕事は終わったので。大丈夫です。あと、こちらのお客様は修理のご依頼だそうです」


 まさか店長であり、雇い主である白杜に気を遣わせてどうする。 

 そんな思いで、きっぱりと言い切ると白杜は嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。


「そうですか、では紅茶を持って来てください。それと戸棚にクッキーがあったはずなので、それも一緒にお願いします」

「はい!」


 頷いた優志は一階に備え付けられた給湯室にかけ込んだ。

 白杜は茶や珈琲を好むようで、給湯室には緑茶に始まり、珈琲、紅茶、ほうじ茶、プーアル茶など様々な種類の茶葉や豆、ティーバッグが置かれている。その中からダージリンのティーバッグを選んで紅茶を淹れる。優志がトレーに紅茶とクッキーを乗せて店内に戻ると、すでに客と白杜は奥に置かれているテーブルで向かい合って話をしていた。


 紅茶を運びながら、優志は改めて客の姿を確認した。

 

  かっちりとスーツを着込み、髪を整えた二十代前半にみえる若い男性。エリートサラリーマンと言った風貌で身に着ける靴や時計は高級品と伺わせる立派なものだ。


「私、青都孝之あおとたかゆきと申します」

 

 名乗った男性に対し、白杜は頭を下げる。


「店長の白杜です。この度はご来店、ありがとうございます」


 いつもながら無表情だったが、所作は丁寧だ。二人が椅子に腰を下ろしたのを見計らって、優志はクッキーと紅茶をテーブルに置く。


「ありがとうございます」


 背筋を伸ばしたまま頭を下げた孝之は、早速と言った様子で紅茶とクッキーに手をつける。クッキーを一口食べて、孝之は目を丸くする。


「このクッキー、とても美味しいですね。何処のお店のものですか?」

灰山はいやまという菓子店のものです。クッキー以外にもケーキを作っていて、それも美味しいですよ」


 優志が答えると「へえ」と孝之は目を輝かせながらクッキーを見つめる。甘いものが好きなのだろうか、と優志が思っていると、「青都様」と白杜が口を挟んだ。


「先にご依頼内容を確認してもよろしいでしょうか」

「あ、はい。すみません!」


 慌ててクッキーを食べ終えた孝之が、姿勢を正してから、白杜は喋り始めた。


「修理という話でしたが、どういった物でしょうか」


 白杜が問うと、クッキーを食べていた時とは打って変わって孝之は困り果てた様子で喋り始めた。


「割れた石を修理してもらいたいんです」

「割れた石」


 復唱した白杜に孝之は頷くと、ビジネスバッグから黒い箱を取り出した。

 正方形の箱を開くと、中に入っていたのは紫がかった青い石だ。海を思わせる深い青色が美しくはあったが、ひびが入り、真っ二つに割れている。


「我が家に代々伝わる『群青ぐんじょう』という輝奏石です。もともとは丸い形だったんですが、父が落として割ってしまって」

「……落として、ですか」


 白杜は目を細め、『群青』を見つめる。


「手に取っても?」

「はい、構いません」


 白杜の問いに孝之が頷く。

 白杜はポケットから専用の手袋を取り出すと手にはめ、割れた『群青』に触れた。そして、持ち上げると窓から入る日の光に透かしながら、『群青』を見分する。


「ここまで壊れているとなると、新しく作り直した方が早いと思います。幸い、同じ種類の石がありますので加工すれば良いかと」


 白杜が言った瞬間、孝之の顔色が弾かれたように変わる。


「だ、駄目です!」


 突然、大声を出され、優志は飛び上がった。驚きで目を瞬かせていると、孝之があわてて頭を下げる。


「すみません、大声を出してしまって」

「いや、別に大丈夫です

 本当は心臓が飛び出るかと思ったが、平静を取り繕って、優志が答える。ほっと孝之は息を吐いてから椅子に座り直した。


「その、新しい石を作ってもらうことは出来ないんです。この石じゃないと」

「何故でしょうか。作り直した方が安価ですし、今日中に仕上げられます。修理となれば値段は二倍になり、要する時間も二日は下りません。また破損が大きいので無理に直すと仕上がりは汚くなります」


 一息に白杜が言うと、孝之は眉尻を下げ、困ったように喋り始めた。


「自分で言うのも何ですが、うちは名のある旧家でしきたりを重んじる家風なんです。その中で『群青』は代々、当主となる長男が受け継いできた大事な家宝です。『群青』を持っているからこそ、当主であると親族友人から認められるんです」

 

 家宝を受け継いで、それを当主の証とするなど、優志は聞いたことがない。

 そもそも現代において今だに当主だとか、いう概念があるのか、と優志は驚いたが、白杜は特に異論もないのか納得の様子だ。


「なるほど。しかし、此処まで壊れているとなると修理するが難しいのも事実です」

「そんな……」


 あからさまに落ち込む孝之。

 それに、白杜は口元に手を当ててから、孝之に向き直った。


「どうしても、この石を直したいのですか?」


 傍らで見ていた優志でさえ、息を呑んでしまうような鋭い視線を白杜は放つ。まるで針で刺されたかのように硬直した孝之は、一瞬の躊躇を浮かべると。


「え、ええ。そうです」


 と頷いた。

 孝之の様子を確認してから白杜は口元に当てていた手を下ろす。


「分かりました。修理の依頼をお受けいたします」

「あ、ありがとうございます」


 孝之の表情は、あからさまに嬉しいという顔ではなかった。孝之は複雑そうに割れた『群青』を見下ろしてから、懐から写真を一枚取り出した。


「これが、元の『群青』の写真です」


 写真には拳ほどはある青い球体が入った木箱があり、それを抱えた中年の男性と二人の少年が写っていた。少年のうち一人は若い孝之であり、皆、血縁なのか目元がよく似ている。


「父の誕生日に、父と弟と私で撮ったものです」


 誕生日という割に孝之と弟らしき少年に笑顔はないどころか、父親も口を引き結んでおり、険しい顔をしていた。


「この青く丸い石が『群青』ですか?」

「はい」

「いつも、このように木箱に入れて仕舞われているのですか?」

「え、ええ。もしかして保管方法が間違っていたりしたんですか」


 孝之が眉を八の字にすると、「いえ」と白杜は首を横に振る。


「そういう訳ではないのですが」


 白杜は訝しげに首を傾げてから口元に指をあててから、質問を重ねる。


「青都様、群青を壊れた所を貴方は見ましたか?」

「いえ、見ていませんが」


 孝之の言葉に「そうですか」と白杜は低い声音で呟いた。


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