第1章ー4話 はじめての仕事
輝奏細工店『SEKITEI』は、二階建てのこじんまりとした店だった。
装飾はこれと言ってない木造りの建物で、橙色の明かりによって、店内は照らされる。棚の上には色とりどりの石が置かれ、美しさを放ってはいたが、目立ったものはレジと奥にある階段程度でこれと言った物が何もない。客もいなければ、店員もおらず、誰もいない。あまりにも閑散としていて、店に踏み込んだ優志は本当に営業しているのかと思わず目を瞬いた。
「今日から働く黒尾ですけど。誰か居ますか?」
優志が声を掛けると、ややあってから「今いきます」という返事が二階から帰って来た。そして、すぐに黒いエプロンを抱えた白杜が階段を下りてくる。
「お待たせしました」
そう言った白杜を、優志は自然と見つめてしまう。
長い髪を一つに括って、白いエプロンをかけている姿は昨日と受ける印象がまったく違う。最初は頑なで陰鬱な印象だったが、今は明るく、活き活きしているように見える。眼鏡もすでに外しており、インテリな雰囲気も薄まっていた。
「今日から、よろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
互いに頭を下げてから、白杜は手に持っていたエプロンを優志に差し出した。
「制服みたいなものです、使ってください」
受け取ると、それは白杜が着ているものと色違いであることが判った。店のロゴが着いた黒いエプロンはちゃんと優志のサイズに合わせてある。
「サイズは、大丈夫みたいですね」
エプロンを着た優志を見て、白杜は顔に安堵の笑顔を浮かべた。
しかし、それも一瞬ですぐに無表情へと切り替わる。
「早速ですが、仕事内容を説明します」
白杜は階段の横に置かれている段ボールに近づいた。
「この段ボールの中には、仕入れた輝奏石が入っています」
段ボールを開くと、色とりどりの輝く石が詰め込まれている。大きさも大中小と様々で豆粒程度のものから拳大ほどのものもある。
万華鏡のように輝く石に優志が見蕩れている間に、白杜は淡々と説明を続けた。
「優志さんにしてもらうのは、段ボールの石を出して色ごとに分けて、棚に置いて貰うことです。棚に置けない分は、段ボールの中に分けて入れ替えてください。手袋をして、なるべく素手で触らないようにお願いします」
白杜は棚に色分けされて並べられた石と段ボールを交互に見やったのち、レジカウンターの上に置かれていた手袋を優志に手渡す。
「色ごとに分けるだけでいいですか?」
「ええ、その際に棚の掃除もしてください。専用の布とハタキで埃を取ってくれると助かります。布で石を乾拭きしてください。ハタキは撫でるように使って棚の埃を取ってください」
白杜は言って布とハタキを持ってくると、優志に手渡す。
「ではお願いします。二階にいるので、終わったら教えてください」
そこで白杜は踵を返して去ろうとする。
「白杜さん。待ってください」
慌てて優志が声を掛けると、白杜は足を止めた。
「何か、質問でも?」
「接客とか教えられてないんですけど、どうすれば良いんですか。それに、他の従業員の方に挨拶もしたいですし」
そう言えば、白杜は無表情のままで答えた。
「お客様はほとんど来ませんので、接客も何もありません。もし仮に誰か来たら、すぐに私を呼んでください。あと、従業員は他に居ませんので挨拶も結構です」
「客が来ない? それに従業員もいないって」
戸惑う優志を置いて、白杜は階段を上がっていく。
数歩だけ上ったところで「あ」と気が付いたように白杜は振り返った。
「言い忘れていました。トイレと給湯室は一階の奥にあります。好きに使ってください」
その言葉を最後に、軽い足取りで白杜は二階へと上がり、見えなくなってしまう。
優志は両手に抱えた掃除用具と手袋を確認してから、白杜の姿が消えた階段を茫然と見上げた。
「好きに使えって、言われても」
接客の説明はないどころか、客は殆ど来ないという。
加えて従業員は一人だけで作業は掃除と商品陳列のみ。
「一体、何なんだ。この店は?」
本当に営業しているのだろうか。
疑問に思いつつ優志は早速、手袋を嵌めた。給料を貰っている以上、いつまでも呆けている訳にはいかない。優志はハタキと布を一旦、カウンターに置くと段ボールへと近づく。
「それにしても綺麗だな」
段ボールの中に詰まった色とりどりの石。
「輝奏石だっけか」
輝き音を奏でる石とは、単純明快なネーミングである。
優志は段ボールの中から石を取り出し、言われた通りに布で石を拭き、ハタキで棚を掃いた。そして色分けされた棚に向かい、丁寧に置いては段ボールに戻る。
そんな作業を一時間ほど行い、最後の石になった。
「でかいな、こりゃ」
残った一つの石を見下ろして、優志は呟く。
それは鋼色に輝く石で大きさは人の腕ほどあった。削り取ったばかりのような原石の周りには小さな欠片が落ちており、灯りに照らされて水溜まりのように輝いてる。
その輝奏石を眺めているうちに、優志の中で小さな好奇心が湧き始めた。
「これも水に漬けたら音鳴るのかな」
祖母、ふみえが持っていた石はピアノに似た音を奏でた。
あれは銀色に近い色をしていたが、真逆の色を持つこの石ではどのような音が鳴るのだろうか。考えているうちに気になってきた優志は周囲を見回してから、腕並みに大きい石の下に落ちていた欠片を手に取った。欠片は五円玉ぐらいの大きさで、優志はそれだけを持つと給湯室を探して立ちあがった。
給湯室は階段の隣にあり、すぐに見つかった。
優志は給湯室に置かれていたコップを手に取ると、中に水を入れ、鋼色に輝く石を落とした。
石は回転しながら水の中に落ち、一度、コップの底にぶつかると音を奏で始めた。
「…………え?」
優志は目を丸くして鋼色の石を見つめた。
その石が奏でたのは、どの楽器とも取れない奇妙な音だった。
というより、不協和音に近かった。聞いているだけで鬱々としてきて、平衡感覚がおかしくなるような音と旋律に優志は戸惑った。しかし、水から上げることなく、優志は拙く統制の取れていない音を発する石を見つめ続けた。
ずっと聞いていられるような不思議な心地が胸の中を満たしていたのだ。
優志はコップをカウンターに置くと、床に腰を下ろして無言のままで水の中で回り続ける石を眺め続けた。
※ ※ ※
「優志さん」
「え?」
突然、呼ばれて振り向いた優志は背後に立つ白杜の姿に目を丸くした。
「白杜さん、いつの間に⁉」
慌てて立ち上がった優志は壁にかけられた時計を視界にいれて、すぐさま唖然となる。針は、十三時を過ぎており、作業を開始してから三時間が経過していることを指していた。
どうやら石を眺めることに集中しすぎたらしい。
「すみません、白杜さん。俺、こんなつもりじゃ」
こんなつもりも何も、ただサボっていただけである。
思わず、言い訳を口にしようとして優志は慌てて言葉を変えた。
「すみません。勝手に石を水に入れて、ずっと眺めてました」
初日から何をやって居るんだと自責し、優志は深く頭を下げる。怒られると予想し、身を固くした優志であったが、対する白杜は。
「ああ、そうですか」
と興味なさげに呟くと、空になった段ボールを片付け始めた。
思いがけない白杜の行動に優志は恐る恐る尋ねた。
「あの、怒らないんですか」
「怒るとは何を?」
「俺、勝手に商品を水に濡らしたし、サボっていたし」
しどろもどろになって優志が答えると「ああ」と白杜は合点したように呟く。
「別に構いませんよ。濡らして劣化するものでもありませんし、むしろ興味があるのなら色々と試していただいて結構です」
白杜は言いながら、未だ音を奏でる鋼色の石を見つめた。
「それは『
「クズ石?」
「使用方法が今のところ少ないですよ。真っ黒で色合いも悪い上に、奏でる音は不協和音。買うお客様も殆どいないという代物ですが」
そこで白杜は言葉を切ると、目を細めて優志を見やった。
「気に入りましたか?」
「え?」
「『曇天』です。長い間、眺めていらっしゃったでしょう?」
「気にいったというか。親近感が湧いて」
「親近感、ですか」
「最初はなんでそんな気持ちになるか分からなかったんですけど。説明を聞いて分かりました。……この石は俺と同じなんです。使う意味がなくて、必要ともされていない」
親の反対を押し切って、役者になった癖にスランプになって、何も出来なくなった家族のお荷物だ。優志はつぶやいてから、はっと顔を上げた。
「すみません、くだらないこと言って」
「いえ、構いませんよ。それに」
白杜は謝る優志を手で制すると、コップの中から『曇天』を取り出した。
そして丁寧に布で拭くと、腰にぶら下げた腰袋から千枚通しのような道具を手にする。道具の先端部分を『曇天』の表面に当て、穴を開けていく。複数の穴を開け終えた『曇天』を再び水につけ、付着した欠片を流し、布で水気を取った。
「出来ました」
白杜は言うなり、『曇天』に口をつけて息を穴に吹き込んだ。
先ほどの不協和音とは打って変わって、ぷううっと草笛のような音が鳴る。
「笛になった⁉」
優志が目を丸くすると、白杜は柔らかな笑顔を浮かべる。
「使い道がないと思われがちですが、少しだけ手を加えると『曇天』は笛になります。見方を変えて工夫すれば、いくらでも利用方法は広がるんです。不必要なものなんて、ありません」
へぇ、と優志が感嘆の声を漏らしていると、白杜は小さくつぶやいた。
「人も石と変わりません。貴方も誰かに必要とされていると私は思っています」
白杜はそれだけを言うと、踵を返して階段に向かっていく。
「今日の作業はもうありませんので、帰ってもらって結構です。明日もよろしくお願いします」
捲し立てるように早口に告げた白杜は耳を赤くして階段を駆け上がっていく。やや間を置いてから、優志はようやく白杜の言動の意味を悟る。
「慰めて、くれたのか?」
しかも、照れていたのではないか。すでに白杜の姿は二階に消えており、真意を問う術ない。ただ奇妙な心地よさを感じながら、優志は階段に体を向けた。
「お疲れ様でした、明日もよろしくお願いします!」
発声練習で鍛えた張りのある声が店内に響き渡ると、程なくして二階からか細い
「お疲れ様でした」という声が返ってきた。
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