第1話-3話 祖母の友人
「貴方が、黒尾優志さんですか」
待ち合わせ場所であるファミレス。珈琲を飲んでいた優志に声を掛けてきたのは、長い黒髪を靡かせた若い女性だった。年は二十代と言ったところだろうか、顔には幼さが残っており、黒縁の眼鏡が似合っていた。少々、鋭い視線を向けられて僅かに怯みつつも、優志は頷いた。
「はい。黒尾です」
立ち上がって頭を下げると、女性も丁寧に頭を下げた。
「白杜綾音と申します。お話はふみえちゃん……いえ、おばあ様から聞いています」
抑揚のない喋り方で言いながら女性は優志と向かい合うように席に座る。
優志は祖母を『ちゃん付け』で呼ぼうとした白杜を思わず凝視した。
祖母は友人だと言っていたが、一体、どのような関係なのだろう。
訝し気に思っていると、白杜は優志を静かに見上げた。
「座らないんですか?」
「あ、いえ、座ります」
立ち尽くしたままであったことに気づき、慌てて優志が腰を下ろす。すると、間髪入れずに白杜が革製のバッグから名刺を取り出して優志に差し出した。
簡素なプロフィールが書かれた名刺を読んで、優志は首を傾げる。
「
「はい、若輩者ながら」
白杜は頷くが、優志には全く意味が分からない。
「その、無知で申し訳ないんですけど輝奏石ってなんですか?」
「……輝奏石は水に触れると輝き、音を発する特殊な石です。加工には特殊な彫刻刀などを使います。加工する職人を
「はぁ」
言葉で説明されてもよく分からない。
優志が曖昧な返事を返すと、白杜は表情をほとんど動かすことなく尋ねて来る。
「判りにくかったですか?」
少し体を乗り出して白杜は尋ねて来る。女性らしい大きな瞳で見つめられ、優志は恐怖で体を後ろに引いた。怯えたのが伝わったのだろう。白杜は訝し気な顔をした。
「どうかしたんですか」
「いや、その……ちょっと、今は人の目が怖くて」
スランプの弊害とも言うべきか。家族や親しい人間なら大丈夫だが、初対面の相手となると視線が気になって仕様がない。目を逸らす優志に白杜は首を傾げる。
「それは眼球を含んだ『目』の器官、そのものが恐ろしいということでしょうか。それとも見られることが怖いのでしょうか」
てっきり、驚くか引かれるかと思ったが、意外にも白杜は顔色一つ変えずに淡々と尋ねて来る。あまりにも普通に尋ねてくるもので、優志も自然と答えを口にする。
「目っていうか、見られるのが怖いですね」
「なるほど、では」
白杜はかけていた眼鏡を外すとバッグにしまう。何をしているのかと疑問に思っている優志に、白杜は答えてくれる。
「私は元来、視力が弱いのでこうすると貴方の顔や視線はよく見えません。これでも怖いですか」
そう言われると、恐怖心は僅かに薄らいだ。
相手が見えていないのなら、怖がる理由もない。
「いえ、大丈夫です。お陰で落ち着きました」
「そうですか。なら、これからは眼鏡を外しましょう」
「でも、周りが見えなかったら大変じゃ……?」
「問題ありません。見えなくともぼんやりと物や人の輪郭は分かりますから」
白杜はきっぱりと断言してから「それよりも」と話を切り替えた。
「私の店で働かせて欲しいと、貴方のおばあ様はおっしゃっていましたが、どのような理由なのでしょうか。見たところ、貴方は輝奏石や彫石師に興味がある訳でもなさそうですし」
白杜が首を傾げたので、優志は息を呑みながら、祖母とのやり取りを反芻した。
※ ※ ※
「婆ちゃんの友達の店で、働く?」
突然、提案された内容に首を傾げた優志に対し、ふみえは静かに言葉を続けた。
「演じることが出来なくなって辛いのは分かる。でもね、このまま実家に居たらお前は駄目になってしまう。外に出なきゃならない」
ふみえの言い分は、正しい。
優志は芯の強い人間ではない。無職のまま、実家に居座っていても、自分らしく、人として軸を持って生きていける人間はいる。しかし、優志はその対極にいる人間だ。何もしなければ、人として簡単に腐っていってしまう。そういう側の人間なのだ。
だから、外に出るべきだという祖母の言い分は納得出来る。
しかし―――。
「でも、それでどうして友達の店で、働くことに繋がるんだ?」
「その店には珍しい物がいっぱいあるからだ。店主にしかり、客にしかり、商品にしかり、お前の刺激になる。刺激を受ければ、演じることに対して、また新しい答えが見つかるかもしれない。今の状況だって変わるかもしれない」
ふみえは優し気な瞳を優志に向ける。
「意地が残っているなら、挑戦しておいで。少なくとも悪い経験にはならないはずだ」
ふみえの言葉は優志の心を強く動かした。
往生際が悪いと自分でも分かっていたが、藁に縋る思いで賭けたくなったのだ。もし、再び役者という道を進めるならば、どんなに良いことだろうかと思わずにはいられなかった。
故に優志は、祖母のいう店で働くことに決めた――、のだが。
※ ※ ※
「えっと、その、理由と聞かれましても」
役者だったんですが、スランプになりまして、その打開策を見つける為に働きたいんです。
などという答えを正直に口にするのは、憚れた。
それは優志自身が、スランプに陥っているという事実を認めたくないが故の行動だった。言葉にしてしまえば、自身の不出来さを再確認する羽目になると本能が分かっていたのだ。
また、スランプに陥った役者として、白杜にどう思われるのかも気になる。
優志が口籠っていると、白杜は短く息を吐いた。
「では、話を変えますが。いつから仕事に入っていただけるのでしょうか」
問い詰められるかと思いきや、あっさりと話題が変わる。
「理由、聞かなくていいんですか?」
「答えたくないのであれば、無理には聞きません。そもそも私が知りたいのは、貴方の個人情報や事情ではなくて、雇うに相応しい相手かどうかという部分です」
白杜は鞄から年季の入ったペンとスケジュール帳を取り出すと、何かをかき込み始める。
「それで、黒尾さん……ですと、貴方のおばあ様と被るので、優志さんと呼ばせていただきますが。優志さんは、どの時間帯を希望されているんですか」
「あ、時間帯は別にいつでも大丈夫です。特にすることもないので」
過剰労働でなければ、どんな時間でも、どの日付でもいい。
「分かりました。では、明日からでも問題ありませんか?」
「大丈夫です」
答えると、白杜はペンを走らせながら喋り始める。
「出勤時間は十時になります。多くて七時間まで働いてもらいます。時々、休日出勤をお願いするでしょうが、残業代も出しますのでよろしくお願いします。休憩時間は合間に10分ずつ、長い休憩は60分程度……」
「ちょ、ちょっと待ってください、メモするので」
慌てて優志もメモ帳を取り出して、時間帯や曜日を書き留める。
優志が書き終えるのを待ってから、白杜は再び喋り始めた。
「ちなみに時給は如何ほどが宜しいですか?」
「如何ほどって、言われてましても……」
あまりにも答えにくい質問だ。
「では時給は五千円としますね」
「ご、五千円⁉」
コンビニバイトの平均、その五倍以上はある。
一日四時間働いたとしても、二万は超える。
時給の高さに優志が目を白黒させていると、白杜は冷たく言い放った。
「時給の分、責任を持った仕事をしていただけると幸いです」
優志ははっとした。これだけの時給を出すということは仕事も、重要なものとなってくるはずだ。
「あの、俺、まったくの素人なんですけど、出来る仕事ですかね?」
今更ながらに優志が問うと白杜は頷いた。
「ええ、問題ありません。簡単な業務ですから」
白杜は抑揚のない喋りで言ってから、スケジュール帳を閉じ、立ち上がった。
「では、明日からお願いしますね。直接、店に来てください」
ペンとスケジュール帳を鞄にしまうと、白杜は踵を返して行ってしまう。自然と見送りかけた優志は、白杜がファミレスを出る直前に、慌てて立ち上がった。
「あの、白杜さん⁉ 俺、店の場所とか知らないんですけど!」
白杜は振り向くと訝しげな表寿を浮かべた。
「名刺に住所は書いてあるはずですが」
「あ」
言われて確認すれば、確かに店の名前の下に住所や電話番号も記載されている。
「地図が読めないのであれば、直接、迎えに行きますが」
白杜の言葉を聞いて、優志は途端に恥ずかしくなった。
子供扱いされているのか。
それとも、皮肉を言われているのか。
どちらにしても、自分の観察力のなさが原因なので、優志は赤くなる他ない。
「だ、大丈夫です。すみません!」
優志が頭を下げると、白杜は「では」と一言だけ言って去っていった。カランカランとドアベルが鳴るのを聞きながら、優志は席に深く腰を落ち着かせた。
「変な人だったな」
動かす表情は微かなもので、ほとんど仏頂面と言っても過言ではない。
喋る声に抑揚はなく、声の高さは一定で、珍しいほどに丁寧な口調。言葉には相手の事を気遣う素振りを見せない割に、眼鏡を外してくれたりと対応の節々に人の良さが見える。
奇妙な人だ。
背もたれに肩を沈め、息を吐きながら優志は目を閉じた。
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